第1話 厄剤の"専門家" 前半
後にも先にもこれ以上怪奇な事件に出会うことはないだろう。そうやって早々に自分を
交番勤務となったばかりの
非番での招集だった。内容は植物公園の一般人を避難させたあとの穴埋めエキストラだ。
(あれが……)
花壇を三つ挟んだ向こうの順路を散歩する女性。三十代前半くらいだろうか、彼女が捕縛対象だった。容疑は危険薬物──
それは
そんな禁忌に近しい大罪の容疑者でありながら、緒方の眼に映る女性には摩訶不思議な魅力がある。
女性の顔立ちはとても整っているとは言えない。顔のパーツが中央に寄っているし、魚眼に似た目と、押しやられて潰れたみたいな低い鼻がまず目に入る。頬骨が発達していて凄みがあり、口紅の赤さがそれを助長させていた。極めつけは赤毛のおかっぱがそれらを覆うように乗っていることだ。
普通ならば目もくれないだろう。だが彼女に限ってはあのアンバランスさがむしろ魅力的に感じた。もし彼女が寂しげに街中を歩いていたなら、声をかけずにいられなかったに違いないほど。
「綺麗だ……」
「趣味が合いますね。
「っ!?」
思わず漏れたため息に返事され、
ひと目で分かる均整の取れた顔立ちだった。立ち居振る舞いに隙きがなく近寄りがたい雰囲気があるが、
普段なら彼女の微笑につられて花々がほころんだ気さえしただろう。だが今しがた別の女性の魅力に当てられたためか、余計に心動かされることはなかった。
急に転んだから腰が痛い。容疑者から意識が
立ち上がって、先ほどの言葉が目前に咲き誇る花を指していたのだと遅れて理解する。
なぜ花の話をと疑問に思ったが、すぐに自分がこの花を眺めるフリをしていたことを思い出した。
「チョコレートコスモスの花言葉は『移り変わらぬ気持ち』。甘味を添えねば愛も伝えられない奥手な日本人とシナジーを感じますね」
あまりに穏やかな様子で笑いかけてくるから、避難が済んでいない一般客かと思った。だが続く言葉で
「ところで待機地点はここでしょうか?」
まるで道を聞くような調子で尋ねてくる。
その符丁が記憶と結びついた。
「もしかして、あなたが専門家……?」
集められたエキストラの中で、なぜか
女性は華やかに笑って頷く。
「これは申し遅れました。
「あ、
差し出された手をおずおずと握る。女性はそれを大げさなほど上下に振って友好的に笑った。
「ずいぶん若く見受けるが、お幾つですか」
「今年で二十です」
手の柔らかな感触に
サドリは微かに目を見開いたあと、大げさにため息をこぼしてみせた。
「……そういうこと。理解したよ、貴方がここに配置された理由も、私が厄対本部からどう認識されているのかも」
「えっと……?」
サドリは「ツバメを
「思考が前時代で袋小路になっている人間の思いつきそうなことだ。電子的拘束で満足できないとは。今すぐ
独り言にしては大きな声でサドリが
「───はい
「ついに、ですか」
「いやぁお相手頂き助かりました。私って実は黙っているのが苦手な性分でして」
そんな気はしていた。
周囲を見渡せば入園者に
「ではミメイ君が到着したらよしなに」
誰だそれは。
聞き返す間もなく、サドリはターゲットへ向かって行った。
警官達が緊張の面持ちで見守る中、サドリの足取りに迷いはない。むしろ散歩の続きといった調子ですらある。彼女は偶然を装って、人待ちでもするように花畑を眺めていた容疑者に声をかけた。
「こんにちはお姉さん。お一人ですか?」
爽やかさに幾分かの胡散臭さが混ざった感はあるものの、その笑みも、声の調子も、優麗さを感じさせる所作さえも、人の心を開くに値するものだった。
だが容疑者にとっては望んだ相手でなかったようだ。愛想よく振り向いたその顔が途端に渋面へと変わる。
「はぁ? 誰よ」
「
あからさまな拒絶の声を意に介さずサドリはさらに距離を詰める。
容疑者は案の定、警戒の色を強めた。
「何なのよあんた」
「もう一度名乗りを上げろと?」
「そういう意味じゃないって分かるでしょ普通。それともしつこいナンパなの? あるいは嫌味? 悪いけど、昔から
「おっと友好の道が絶たれたね。ではさっそく本題と参りましょう。貴女、このままでは
その歯切れの良い口調が
対するサドリは調子よく続ける。
「
エスコートのように手を差し出すが、容疑者はそれが
「ペラペラ
「あぁ。すでに心を
「災害? 惨めな死にかた? 余計なお世話よ。あの薬がどれだけアタシに人としての幸せを教えてくれたか。アンタみたいに最初から全部持ってる人間にアタシの何が分かるってのよ!」
「確かに貴女のことは大して知らないけど……人間は誰しも過不足を抱えて生きているものです。たとえ貴女の目から見て『完成』されていたとしてもね」
「な、なによっ。持ってる側の説教なんて何も響かないわよ」
「私からすれば不足なんて見当たらないのだがね」
「っていうか待って……アンタ何で効いてないの?」
尊大だった容疑者の態度が一転、声に怯えが混じった。対するサドリは細めた目に称賛すら浮かんでいる。
「それはもちろん──っ」
瞬間、終始にこやかだったサドリの表情がさっと変わる。止まった言葉が環境音を浮き彫りにし、
園内の風がすべて容疑者に向かって吹いている。
回れ右に迷いなく。サドリが駆け出した。
「うげぇっ手遅れ。総員退避ー」
緊張感の無い警告がインカムに届いた直後、異常は起きた。
容疑者の身体が中心から
「はっ? やっ、ああああ!? いっ、嫌あああ!」
驚きの表情が激痛によって破壊される。
まるで腹の中に産まれた何かに内側から食われていくかのようだった。肉も脂肪も内臓も、例外なく中心に向かって吸い込まれていく。引力が骨すら折り畳み、のべつまくなしに消してしまうのだ。
「痛いっ、痛いのぉ! 助けっ!! いや、いぎゃぁ、ぁあああああああああっ!!」
悲痛な叫びに、しかし手を差し伸べられる者はいない。みな強風に引き込まれないよう
女の
絞り出されて舞った
風が止み、一番近いポールにしがみついていたサドリが女の居た現場へ近づく。キョロキョロと辺りを見渡して大きなため息をついた。
「さすがは悪名高きコラプサー。なんと
残念と肩を落とす声に悲嘆の色はない。
ものの数秒で容疑者がこの世から消えた。
微かに
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