六章 黎明・希栄

先程、うどん屋で峰高と会った。


本人は違うと言いつつも、僕たちが黄泉の国へ来たことを知っているような口ぶりから、きっと峰高なんだろう。そう思っていた。


うどん屋を出て、しばらくそのあたりの宿を転々としながら数日間、散策をしていた。


もちろん行く当てがないというわけではない。


数刻前に、伊邪那美から僕の両親が住む家を教えてもらったのだ。


もうそろそろ着くかと思っていた頃、僕の後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「お、希栄か。久しぶりだな」


親父だった。息子が死んだかもしれないというのに随分と気楽な人だ。


「ああ、久しぶり。親父」


感動の再開というわけではなく、旅行から帰ってきた家族を出迎えるかのように軽い再開だった。


「...うどんでも、食いに行くか?」


「僕はさっき食べた」


「そうか。じゃあ俺一人で行ってくるから、先帰っといてくれ」


「わかった」


これが現世で行われている会話なら何の変哲もない会話なのだが、黄泉の国で自分が死んだ数カ月後に息子と会っている親父はどんな気持ちに担っているのだろうかと思いつつも、横を通り過ぎて、母の住む家に行った。


玄関にたどり着くと、胸元に杭が刺さっているところ以外は完全に人の姿に戻っている伊邪那美がいた。


「何してるんだ」


僕が荘きくと、伊邪那美は少しムスッとした顔になって言った。


「もう、君は私がやっと元の姿に戻れたっていうのに、なんの褒め言葉もないのかい?」


「神様を褒める人間がどこに居るんだ」


「ははっ、それもそうだね。私はもう要は済ませてきたから。さ、感動の再開でもしてきな」


僕は無言で扉を開けて、口ごもってしまった。


「あ、希栄か?あらあら、こんなに大きくなって、おいらは嬉しいよ」


扉を開けた先にいた初めて見る僕より背が低い母の姿は僕と同じ歳か少し上の女性に見えた。


「ここに来る人は死んだときの年齢でここに来るんだ。君のお母さんの場合は、早くに亡くなっているから、君くらいの歳なんじゃないかな」


いや、そんな事はなんとなくわかっている。でも、一つだけ言いたいことがある。


「おいらって、何?」


「んん?おいらは自分のことを指す言葉よ」


母が当たり前のように言ってきた。たしかに、たしかに至極当たり前のことなのだが、


「彼は、一人称でおいらを使う女性を始めて見たんだよ。しかもそれが産まれて初めて見る母だったら尚更困惑するだろうね」


伊邪那美は、そう言って少し笑った。母も少し笑っていた気がする。


「じゃ、私はこれで。楽しんでね」


そう言って伊邪那美はどこかへ消えてしまった。


「ここで立ち話も何だし、入りましょか」


彼女に誘われ、僕は両親の住む家の中に入っていった。


家の中は僕が住んでいるアパートの一室と変わらないような間取りと広さで、大して特別な物も置いていなかった。強いて言えば、僕の生まれたての写真が飾られてあることぐらいだ。


「...おいらって言い方、おかしい?」


不意に母がそう聞いてきた。


「うん、おかしいと思う」


「そっか...」


僕のせいで長い沈黙が訪れ、次に彼女はこういった。


「おいら、じゃなかった。母ちゃんの名前、覚えとる?」


「...えっと、確か。す、す...」


「そう!す、あと一文字!頑張って!希栄」


「え?」


「そう!須恵やで。よう覚えとったなあ。おいら嬉しいよ!」


「いや、そうじゃなくて、あれは何?」


僕が指さした方向には、螢の姿をした『何か』と一緒に、高峰がいた。


「ああ、大八州さん。お久しぶりです。ところで、もしかしてその驚いた顔、もうひとりの僕を見かけたんですか?」


「いや、そうじゃなくて、そこの、螢は...」




「あ、ちょっと用事を思い出したからおいらたちは出かけてくるわ」


そういって母は手を取って僕を外に連れ出した。


「希栄、あの子はもう人間じゃないってわかったな」


「あ、うん。螢の、こと?」


「そうや、あの子、あの箱に勝てへんかったっみたいやねん。私が見誤ったばかりに、犠牲者が増えてしまった。でも、まだ箱の力は抑えられて自我はあるみたいやから大丈夫やろうけど...あの子はもう二度と現世には帰れんようなってしもうたんや」


悔しそうな顔をしてその場に座り込む母の肩を手をおいて、


「その辺を歩きながら説明してくれ。何がなんだかまだよくわからないんだ」


「うん、わかった」


そうして、少し家から離れて、母は話しだした。


「最初にこれだけは言っとくで、話の途中で中断せんといてや」


僕が頷くと、彼女は話しだした。


「まず螢やね。あの子はおいらたちの家の前で行き倒れ取った子なんよ。それで保護して事情を聞いたらあの女が連れてきた子だって聞いたから、まだ力の少ない封印されたあの箱のそばにおいておけばあの女も近寄れないと思っていたのに、それが仇になってしもた。まさか、まさかあの箱がもう理性を知能を併せ持っていたなんて、全く思いもよらなかった。もっとおいらが、おいらが管理しとけば...」


「一旦そこまでにしよう。思い詰めるのは良くないことだ」


僕は彼女が言ったことを無視して話を遮ってしまった。そこで僕は急いで別の話題をふった。


「さっきからあの箱あの箱って言ってるけど、何なんだ?その箱って」


涙目になっていた彼女は、大きく一回深呼吸をしてもう一度話しだした。


「あの箱はな、コトリバコっちゅうもんなんや。人間を平等にするために、神々が作り出した呪物。それが最近までは概念的なものとしてしか存在してなかったんやけど、この前ついに人間がそれを作り出したらしくて、死人が大勢でたっていう噂や。そうして現世にある全てのコトリバコの中にある呪いを黄泉の国に呼んで封じ込めたんがあのコトリバコっちゅうわけや。それでおいらはあの箱の管理を任されてたんや」


「なんで管理してたんだ?」


「それは、この黄泉の国では死んでから五年で、何も役職についてなかったら強制的に成仏させられるんや。おいらは、もう一度だけで良かったから、あんたのお父ちゃん、和郎かずろうに会いたかったんや。あんなに頑張ったのにあの人と人生を楽しめる時間が少ないのは若く死んだおいらには酷なことやってん」


いつの間にか彼女の目にあった涙は頬を伝ってこぼれ落ちていた。


「...そろそろ帰ろうか」


「え、他にもわからんことはいっぱいあるんちゃうの?」


「親を泣かせてまで聞くようなことでもないと思ったんだ。他になにか言わないとだめかな?」


「ふふっ、あんたは優しすぎる子やな」


母は、こぼれた涙を拭き、家に向かって歩き出した。


家が近くなってから、そう言えば、と言って僕に一つ尋ねた。


「あんたはなんでここに来たん?」


「伊邪那美に連れられて...」


母は、伊邪那美を酷く嫌っている様子だったから、怒られると思っていたが母は全く怒らずに聞いてきた。


「伊邪那美って、だれ?」


予想外の質問だった。てっきり名前を知っているものだと思っていたのだ。


「ほら、あの人だよ。母さんがあの女あの女って言って嫌ってる...多分あの時玄関にいた...」


「あいつに呼ばれてついてきたん!?」


急に食い入るように母が聞いてきた。


「そ、そうだけど」


と僕が答えると母は、少し唸ってから、一つ僕に提案した。


「やること終わったら、おいらたちと一緒に成仏しようや」


僕はその言葉には何も答えることができなかった。


「ああ、まあ、良いけど。なんで?」


「あの女は、あんた自身を開放するんやないねん。あんたの内側にある魂を開放するんや。だから、あの女に殺されたらあの女の配下として魂を再利用されるんや。そうしたら二度と自由になれる日は来ないんよ。わかった?」


「うん。まあ、ある程度」


その時、久しぶりに鞄の中にいたコロが飛び出してきた。


「あら、可愛い子やね。この子、どっから連れてきたん?」


「いや、これは現世の僕の飼い犬で...離れようとしなかったんだ。だから連れてきたんだ」


母は僕の目をじっと見てからにこっと笑ってコロに言った。


「希栄のことが大好きやねんな。良かった良かった」


母は、コロの頭を一撫でしてから、もう一度家に向かって歩き出した。


家の前に着き、戸に手をかけるなり歩みを止め、ものすごい剣幕でこちらを見た。


「今すぐ逃げえな。わかった?絶対に振り向いたらあかんで」


「え、なんで?」


その母の返答までの時間はほんの僅かだったにも関わらず、母の後ろには扉を開けてニッコリと笑っている螢の姿があった。


その瞬間に僕はようやく気づいた。螢は人間じゃない。いや、正確に言えば、螢じゃない。


「もう遅いですよ。あなたにはお世話になりました。須恵さん」


「逃げ...」


螢だったものが指を鳴らす音とともに母の体には、無数の切り傷が走った。


ほとんど何も言わずに母はその場に崩れ落ちて、足元にまで血が広がってきて出血が多いことはすぐにわかった。このときに限っても僕は恐怖も、悲しみも何も感じなかった。


「薄情なやつだ」


「ん?私のこと?」


そう言って彼女は眉をひそめた。


「いや違うさ。僕だよ。こんな事になっても何も感じない」


小さくため息をついて彼女の方を見た。


足元では母だったものが少しだけうごめいている。もう意識はないだろう。


「君は、怖くないのか?」


「...逆に聞くが、『普通』はどうやって怖くなってるんだ?」


彼女は少し頭を掻いて言った。


「...ほら、こうさ。死の恐怖とかさ?色々あるんじゃない」


「死のうと思ってるのに、殺してもらえるんなら恐怖とかそんなんはないんじゃないか?」


「それも...そうか。全く、君は不思議な人間だな」


「よく言われる」


彼女はふっと笑って僕の頭に手をおいてこう言った。


「顕現。逆行時計・黎明」


その瞬間、絵の具を混ぜたように視界がにじみ、そして真っ黒になった。


意識も遠のく。これで死ねるなら本望だなと思いながら僕の意識はなくなった。








波の音が聞こえる。それに潮の匂いも。海か?ここは。それに僕は、寝ているのか?


ゆっくりと目を開けてみる。真夜中でほとんど何も見えなかったが、起き上がってみると月明かりだけが辺りをぼんやりと照らしていた。


先程のことを思い出し、自分がまだ意識ごと完全に死んでいないことに気づいた。


大きくため息をついた後、近くの浜辺を散歩した。


時々黒光りする波が僕の足をさらおうとやってくるが、届かずに引いていく。


数分歩いたところに、明かりについた家があった。


その家の直ぐ側まで言ってみると、一人の女性が扉を開けて僕に手招きをした。逆光だったので顔はよく見えなかった。


彼女に連れられるままに家に入っていくと、彼女は扉を締めてから言った。


「早速で悪いが、君はほんとに人間なのか?私の目にはとてもそうは見えない。なにか地獄の鬼どもに似たものを感じるよ。」


僕は彼女に向き直ってああそうだと答えようとした時、初めて彼女が人間ではないことに気がついた。


右目は複眼、詳しく言えば三つほどの黒い瞳が入っていて、左目は金色の瞳をしていた。


それに、彼女の頭からは二本の、峰高のものとは違った、骨のような角が二本生えていた。


僕が唖然としていると、彼女はくすっと笑って、


「これが私の本来の姿さ。君の母親をずたずたにした、螢ちゃんだっけ。あの子の体を借りてたんだ。ちょうど使い勝手が良くて。これ、とっても魂の吸収効率が良いんだ」


ボクはコレまでに感じたことのない、胃の中から何かがせり上がってくる、嘔吐とはまた違った違和感を覚えて、大きくため息をついた。


「そう言えば、あんたの名前は何だ。僕のことは知ってるよな」


彼女は一回大きく頷いて、


「私は、コトリバコ。まあ好きなように呼んでもらって構わないよ。まあもう食べちゃうけど。あ、君を喰らう場合、この姿にしたほうが良いのかな?」


そう言って彼女は煙を体にまとって、母の姿になってにやついた。


その瞬間、さっきまでの違和感の正体がはっきりとわかった。


怒りだ。


その瞬間、僕はコトリバコを今まで出したことのないような力で力いっぱい殴った。


玄関の扉に頭を思い切りぶつけ、しばらく動かなかった。


よろよろと立ち上がった彼女にもう一発、大きく振りかぶったときだった。元の姿に戻ったコトリバコが小さく呟いた。


「顕現。千手螺旋剣」


先程まで無かった太刀が彼女の手には握られていた。僕めがけて突きの姿勢を取っている。


急いで体を翻したが遅く、僕の首に一本の切り傷ができた。


傷はかなり深かったが、動脈は切れていなかった。


もう一度体勢を立て直して、彼女に向き合った。


正直なところ勝てる気はしないが、それでも戦う義務がある、と僕は感じた。


大きく深呼吸すると同時に、彼女は僕にもう一突きしてきた。


それを軽く躱して、彼女の背後に回って玄関から飛び出した。


しばらく走って、最初に僕が目覚めたところに到着した。


荒く息を切らす僕の前に、コトリバコが太刀を突きつけている。


「なにか聞きたいこととか無いの?」


「なんで僕を怒らせるようなことをしたんだ」


「それはね、人間の魂は負の感情が蓄積されているほど大きく、強くなるからさ」


僕は何も言わず、ため息をついた。


「...もう終わりかい?」


「ああ、もう好きにすると良い」


もう一度大きく息を吸った時、黒い浜辺に赤い光が差してきた。


「夜明けか...」


彼女が何も言わず素早く僕の首にもう一太刀いれた。痛みは全く無かった。


赤い浜辺に僕は倒れ込み、そのまま意識を失った。

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