魔界と人間界では基準が違うようで
「悪いが幻術を使わせて貰った」
ビッグベアの問いかけに対して鬼灯は小刻みに肩を揺らして返事をする。
モンスターであっても戸惑い、状況を素早く把握しようとするところは人と同じ。鬼灯に対して興味を抱く。
「おや? お前さんは、わしの言葉が分かるのかい?」
ガウッと右手で口元を隠し、驚くビッグベアの姿は愛らしい。鬼灯はビックベアの疑問に対して返事をするため小さく頷いた。
「ああ、お前に頼みたいことがあってな。言葉を交わせるようにした」
「ほう、面白い人の子じゃ。一体わしに何をさせようと?」
ビッグベアの言葉を理解し話しかける鬼灯は、モンスター相手に怯むことなく身をよせる。
彼の不思議な力に興味を持ったビッグベアが、ゆっくりと鬼灯の周りを移動する。
鼻を揺らし鬼灯のにおいを確かめながら、鬼灯が口を開くのを待つ。
「俺を森の外まで連れてって欲しいんだ」
「なんじゃい、そんなことなら容易いわい」
即答だった。
ぐるりと鬼灯の周りを一周したビッグベアが体を伏せる。
「人の子や、早く乗りなされ。人の子と話せる日が来るとはのぉ。長生きをしてみるもんじゃの」
鬼灯に対して興味津々のビッグベアに急かされて、その背中に飛び乗た。
「人の子や、お前さんは何故この極寒の雪山を越えようとしてるのじゃ?」
ビッグベアは軽々と鬼灯を背負い、伏せていた体を起こして歩き出す。
「魔界にいる仲間に会おうと思ってな」
鬼灯が返事をすると、少しずつ駆け足になるビッグベアは
「ほう」
興味深そうに声を漏らした。
鬼灯を乗せたビッグベアが全力で雪山を走り出した頃。
「普段の俺だったら絶対に着ないな」
少女から渡された紙袋に入っていた服を手に取り、内心で驚きつつも渋々と服を羽織ったヒビキが本音を漏らす。
狐の耳つきのフードが印象的な白色のケープは、Sと書かれたロゴが入っている。
Sは少女が言うには服のサイズを表しているようで、魔界で言うSサイズは一番小さいものをさしていた。
それでもケープを着てみると膝下までの長さがある。
狐の耳がついたフードは、外を出歩く時には必ずつけなければならないと少女は言う。
なんでも人の子であるヒビキが魔界を出歩くのは危険らしく、フードで出来るだけ身を隠した方が良いとのこと。
つまり、このケープを着ないとヒビキは自由に魔界を歩くことが出来ないってことになる。
渋々とケープを着たヒビキは項垂れる。
「身長は低い方じゃないのにな、平均身長が1メートル90センチもある魔族が大きすぎるんだ」
膝の下まであり、まるでコートのようになってしまっているケープを見つめ肩を落としていた。
そして、本来なら攻撃力のないはずの頬をツンツンとする行為も、少女が行えば顎の骨をグリグリと刺激する。
人の姿をとることの出来る魔族は、危険と人間界では言われていた。
女性や少女のおっとりとした雰囲気からは分からないけど服の大きさや力の強さから、やはり人とは基準が違っている。
ヒビキは見事に自信を失っていた。
部屋の片隅で白いケープの裾を握りしめて、佇むヒビキを見ていた少女がコテンと首を傾けた。
赤黒い色。
人の心の色を見ることの出来る少女が、ヒビキの心の色に戸惑っている。
赤黒い色は悲しみの色。
ヒビキが何に対して悲しんでいるのか分からない少女は、声をかける事を
「ヒビキ君、ヒナミちゃん。お料理が出来たわよ」
落ち込んでいるヒビキと戸惑っている少女の元に、女性が温かい料理を運ぶ。
クリームスープをテーブルの上に乗せる。
「ヒビキ君? ヒナミちゃん?」
名前を呼んだものの返事がなかったため、女性がひょいっと背後をふりかえる。
部屋の片隅に佇んでいるヒビキの姿を見て
「え、うそっ! ちょ、え……本当に? 悪気はないのよ。ご免なさい」
ビックリしたように目を見開いた女性が咄嗟に謝罪する。
しかし、次第に笑いが込み上げてきて肩を震わせる。
「本当ご免なさいね。でも……」
プルプルと肩を震わせて笑いをこらえようとする女性が、お腹を両手で押さえて体をくの字に曲げる。
「裾が長すぎてスカートをはいてるようね。私ったら人の子の平均身長が魔族のものより低いのを忘れていたわね」
顔に手をあて肩をプルプルと震わせている女性がヒビキに頭を下げる。
「子供用の服を買わないといけなかったわね」
さりげなく本音を呟いた女性の言葉にグサッときた。
女性に悪気はないのだろうけど、ヒビキの身長は人間界では平均以上。
しかし、魔界では子供と同じ扱いとは思ってもいなかった。
「本当にごめんなさいね。その服は返品してくるわね」
笑い終えて申し訳なさそうに眉尻を下げた女性の申し出にヒビキは首をふる。
「せっかく買ってきてくれたんだし、このまま着るよ。フードをかぶれば顔は見えないからね」
女性の申し出を断った。
「ありがとう。ごめんね」
ヒビキの言葉にホッと息をついた女性が頭を下げる。
「狐さん。お母さんのお料理美味しいよ」
ヒビキと女性の会話を大人しく耳にしていた少女が、ふとテーブルの上に置いてある料理に気がついた。
大好物のクリームスープに目がいって、呆然と眺める少女がスープに手を伸ばす。
一口スープを飲んで美味しいよと、ヒビキにすすめた少女は頬を綻ばす。
「お料理が冷める前に食べてね。魔界のクリームスープがヒビキ君の口に合うかは分からないけど、このスープはヒナミちゃんの好物なのよ」
スープを飲んで美味しいと言った少女の頭を、勢い良く撫でた女性が苦笑する。
手料理を人の子に振る舞うのは今回が初めての事で、魔界の料理が人の口に合うのかどうか不安を抱いていた。
女性がスープの皿を手に取ったヒビキを呆然と見つめる。
魔界の料理を初めて食べるヒビキもまた、皿に口をつけドキドキしながらスープを流し込む。
口のなかに流れ込むスープはミルクの香りが強い。
具材は初めてみる色とりどりの野菜で、どれも人間界で売られているものとは違っている。
具材の食感はなく口の中に入れば、とろっと溶ける。甘いものから苦いものまで、コロコロと口の中で変化する。
その変化に驚くヒビキがスープをゴクッと飲み込んだあと、不思議そうな表情を浮かべた。
「口のなかで味がコロコロと変化をするね。一度に沢山の味を楽しむ事が出来るお料理だね」
不安そうに見つめてくる女性に向かって感想を呟き、笑みを浮かべると
「俺はこのスープ好きだな」
皿を両手に持ち笑みを浮かべると女性に頭を下げる。
ぽつりと小さく続けた言葉は、いつも喋ってるような中途半端な声の高さではなく、少し低めの落ち着いた声だった。
穏やかな口調とは違って、ちょっぴり早口である。
女性の前でヒビキが本性を露にした瞬間だった。
「ありがとう。おっとりとした口調で喋る子だなって思っていたけど、こっちが本来の話し方なのかな? 随分落ち着いてると言うか大人びていると言うか」
本性を見せてくれたってことは信頼してもらえたのかしらと、喜ぶ女性の姿を見ていると魔族も対して人間と変わらないように思える。
「すみません」
ヒビキが眉尻を下げて困ったように笑うと、女性が満面の笑みを浮かべて口を開く。
「いいのよ! 無理をして声のトーンを上げなくても、今のヒビキ君の話し方も好印象を持てるから私は好きよ」
「私も淡々と話す狐さん好き!」
女性とヒビキの会話を耳にしていた少女が、空っぽになった皿を両手に持って歩み寄ってくる。
にっこりと笑う少女に
「ありがとう」
礼を言ったヒビキの表情が緩む。
魔族の2人を目の前にして、ずっと緊張をしていたヒビキが警戒を解いた。
見るからに雰囲気の変わったヒビキに女性が声をかける。
「ヒビキ君が料理を食べ終わったら、フードをかぶって外を出歩いてみましょうか。危険がないか確認しなきゃね。3人で明日の朝食の買い出しに行きましょう」
「そうしてもらえると助かります」
頭を下げて皿に口をつけたヒビキが残りのスープを平らげた。
「少しの間、待っててね。お皿を片付けてくるわね」
残さずに料理を食べてもらって嬉しそうにしている女性が皿を持ち立ち上がる。
「あ、俺が」
立ち上がった女性を見て、慌てて手を伸ばしたヒビキが皿を受け取ろうとすると
「いえ、キッチンは少し散らばっているから私が運ぶわね。ありがとうね」
女性が照れくさそうに苦笑する。
パタンと音を立てて閉まった扉を眺めていたヒビキに少女が声をかけた。
「お出かけ楽しみだね。何だかお兄ちゃんが出来たみたいで嬉しいな」
えへへと笑う少女は随分とヒビキになついている。
「私の事はヒナミって呼び捨てでいいよ。生きた年数は私の方が多いけど、お兄ちゃんって呼ばせて欲しいな」
女性の口からお出かけって言葉を聞いて舞い上がっている少女に
「ああ。分かった。ヒナミって呼ばせてもらうよ」
ヒビキは小さく頷いた。
生きた年数がヒナミの方が長いのは、魔族と人間では寿命が全く違うため、成人する年齢も違う。
「お待たせ。ヒビキ君、ヒナミちゃん。行きましょうか」
キッチンから戻ってきた女性が二人の名前を呼ぶ。
「はーい!」
元気よく返事をした少女が母親の元に駆けよって、ヒビキが後に続く。
「家の外に一歩でも出たらヒビキ君に、お願いがあるんだけどね。嫌でも強制させて貰うことになるけど、私の事はお母さんと呼んで欲しいのよ」
玄関まで移動した所で女性が振り向いた。
そして、女性からの願いに対してヒビキは
「何か魔界での決まり事でも?」
不思議そうに首を傾ける。
「ええ、ヒビキ君って100歳未満よね」
女性の言葉を耳にして驚いたのだろう。
「えっと、そうだけど……」
あんぐりと口を開いたヒビキが頷いた。
「魔界では100歳未満は子供なのよ。もしも、100歳未満の子供が家族も無しに一人で街にいるのが国のお偉いさん達、暗黒騎士団の方達に見つかっちゃうと、お城に連れていかれちゃうのよ」
ふふっと笑う女性は人の寿命を分かっていない。
困ったように眉尻を下げたヒビキが苦笑する。
「分かった」
小さく頷いた。
魔界のお城。
国のお偉いさんと、女性の口から幾つか気になる単語が出てきた。
しかし、出かける前に聞くのも女性を困らせるだけだと考えたヒビキは、疑問を抱いたまま表情を引き締める。
「これを
「ありがとう」
女性が差し出した紙袋を手に取った。
ガサッと音を立て中身を確認すると黒色の長いブーツが入っている。
魔界専用の履き物なのか、女性も少女も太ももまで長さのある黒いブーツを履いている。
二人に習って床に腰を下ろしたヒビキが、ブーツを履き紐を結ぶ。
一見窮屈そうに見える靴は実際に履いてみると、つけ心地は最高で立ち上がり歩いてみると、しっかりと固定されているから歩きやすい。
深くフードを被ったヒビキが、二人の後を追うようにして家を出た。
魔界は人間界とは違い建物の一つ一つが大きい。
茶色を基調とした家が立ち並んでいる。
街路樹が並んでいるのは人間界と同じ。
しかし、街路を歩くのは人の姿を取ることの出来る魔族達で、角の生えた者達で賑わっている。
彼らの着る服装も人間界のものとは違い、少年や少女はケープのようなものを羽織っている。
靴は黒い太ももまで長さのあるブーツを履き、男性はローブのようなものを纏っている。
女性は胸元の大きく開いた服を着ている者が多く、お尻が見えそうな短いショートパンツをはいている。
色は黒が多い。
しかし、全ての魔族が黒を基調とした服を着ているわけではなく、中には白やピンク色の服を身に付けている者もいた。
中には真っ黒い鎧を着たスケルトンや毛皮を着た狼男、黒いマントを羽織ったヴァンパイヤやメドゥサもいる。
おとぎ話に出てくる世界にでも来てしまったような感覚に包まれて
「浮いてないかな?」
ヒビキは急に不安になって本音を口にする。
「大丈夫よ。見事に違和感も無く紛れ込んでいるわよ」
女性が即答した。
街路を歩いていると遠くに一際大きな建物が見える。
「あの建物は?」
左右対称の
「行ってみる?」
女性が声をかける。
「入れるのか? 予想では王宮だと思ってたんだけど」
ヒビキの予想に笑う女性が手招きをする。
「ヒビキ君も良く知っている場所じゃないかしら」
大きな建物の中へ足を踏み入れると、中は冒険者達で賑わっていた。
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