上級の魔族
「ドラゴンのクエストを発行したのはヒビキ君だったから間違いないと思うけど」
受付嬢の言葉を耳にして青年は考える。
「そいつの写真はあるか?」
話が噛み合わないことに対して疑問を抱いた青年が写真を求めて右手を差し出した。
「ええ。あるにはあるけど、その前に貴方が信頼できる人なのか確認をしたいわ。フードを取ってくれる?」
顔を確認する事の出来ない相手に、ヒビキの写真を見せることを渋った受付嬢は素直な気持ちを口にする。
もしも、ヒビキの敵になりうる人物であれば、ヒビキの身を危険に晒すことになる。
警戒するのは当然の事である。
受付嬢の指示に従って青年は深く被っていたフードを取り外した。
フードの中から現れた髪の毛は真っ赤。真っ赤な瞳が印象的な彼を見て受付嬢は目を見開き身動きを止めてしまう。
「鬼灯君……あなた、生きてたの?」
まるで幽霊でも見ているような反応を示す受付嬢は、自分の目で見た事実を受け入れることが出来ずに鬼灯の体をマントの上から撫で回す。
「ヒビキ君が鬼灯君の探している子で間違いないと思うわ。だって、ヒビキ君は鬼灯君達のいた討伐隊の隊長を務めていた子だから」
そして、安心したように笑みを浮かべた受付嬢は、はっきりと確信をする。
鬼灯の言っている人物と自分が想像している人物が同一人物だと……。
「写真はあるわよ」
つい先日魔界から届いた一枚の写真を受付嬢は鬼灯の目の前に差し出した。
写真を受け取った鬼灯は、目蓋を閉じ真っ白な肌をした少年の姿を眺めて問いかける。
「これが俺達の隊長? 想像よりも貧弱そう……ってか若いな。俺達と行動を共にする時、隊長は常に狐面を身に付けていたから素顔を知らないんだ。やっぱり実際に会ってみないと分からないな。見た感じ生気が感じられないんだけど、死んでいないよな?」
写真をみて不安にかられる鬼灯に受付嬢は笑みを浮かべる。
「危険な状態らしいけど生きているそうよ。会うのならヒビキ君のいる詳しい場所を教えるわね」
受付嬢からヒビキに関しての情報を受け取った鬼灯は、この日のうちに人間界を出た。
鬼灯が生きている事実を知るよしもないヒビキは
「狐さん狐さん」
何かが深く頬に食い込むような感覚を受け目蓋を震わせた。
その微かな変化に気づき
「狐さん起きてよ」
耳元で
弱々しい声と体を揺する少女の態度に心配をしている事が分かる。
しかし、ヒビキが意識を失う原因を作ったのは少女であるため警戒する。
「痛い」
顎の骨に直撃をしている何かは、本音を漏らすことにより離れていく。
目蓋をうっすらと開くとそこには
「あ、狐さん!」
人懐っこい笑みを浮かべる幼い少女の姿があった。
「どこか痛いの?」
思わず出てしまった本音は、しっかりと少女の耳に届いていたようで、何処が痛いのかと問いかけられてしまう。
「あ……。大丈夫」
寝ぼけていたために出た単なる独り言ですと答えるには、初対面の少女を相手にしているため恥ずかしくて、勝手にいたたまれなくなって少女から視線を逸らす。
「狐さんの体をね、お母さんが魔法で治したの! だがら痛くないでしょう?」
ヒビキの反応を気にすることなく、少女は満面の笑みを浮かべて
随分と人懐っこい少女だなと思っていると、お腹の上に何やら違和感を覚えて視線を下ろす。
「うわっ……ちょっ」
腹の上に両肘をつき今にも身をのりだし、体重をかけようとしている少女の姿があった。思わず声が漏れ出てしまう。
顔を覗きこもうとしているのだと思うけど、だらだらと頬に汗が伝う。
少女の言う通り彼女の母親が痛みを無くす回復魔法を掛けてくれたようで、確かに体の痛みはとれている。
しかし、体力は元に戻っておらず疲労感は残っている。
お腹の上に体重をかけられて、意識を保っていられるだけの自信がない。
「ちょっ、待った」
「ヒナミちゃん! この子に致命傷を与えることになるかもしれないわよ!」
慌てて少女の行動を止めようと手を伸ばす。
ヒビキの声に重なるようにして少し高めの、透き通るような声が上がる。
室内にいるのは少女だけだと思っていたため、疑問を抱いて声のした方を見る。
「痛みは取りのぞいたけど、治癒の魔法はかけていないからね。ごめんね、君が私達に害をなさないと分かったら治癒魔法をかけるわね」
視線を向けた先、少女のすぐ後ろには尖った耳、褐色の肌をした女性が佇んでいた。
無邪気な笑顔を浮かべる少女ヒナミの行動を止めてくれた事は感謝する。
しかし、女性の種族は魔族。
人の姿をしている魔族は力も強力で人間界にいれば、まず出会うことは出来ない種族であり、初めて目にする魔族に対して恐怖心を覚える。
表情が強ばるのが分かった。
無意識のうちに体が硬直して緊張が高まる。
走って逃げ出せるほど体力は回復をしていない。
逃げ出したとしても、すぐに捕まってしまうだろう。
上級の魔族は人の言葉を話すことが出来るようで、大きく息を吐き出して覚悟を決める。
目の前にいる魔族に向かって笑いかけた。
「あの、助けてくれて有り難う」
おっとりとした口調で助けてもらった礼を言う。
「痛みまで取り除いてもらって、あなたは命の恩人です」
笑顔を向けるとベッドの端に腰を下ろしていた少女が嬉しそうに微笑んだ。
そんな少女の頭を撫でる女性は妖艶な魅力の美人さん。
「あら、話に聞いていた通り可愛らしい性格をしているわね」
ヒビキを見て明らかに安堵した様子の女性がクスクスと肩を震わせて笑う。
女性は話に聞いていた通り可愛らしい性格をしているわねと言ったけど。
「え?」
誰から性格を聞いたのだろうと、疑問に思い声を上げる。
「ごめんなさいね、あなたが眠ってる間に身元を調べさせてもらったわ」
疑問に答えた女性は勝手に身元を調べてしまった事を気にしているようで、申し訳なさそうに苦笑する。
「俺の身元?」
身元とは何処まで調べたのか美女に問いかける。
「ヒビキ君が人間界でボスモンスター討伐隊の隊長を務めていた事。おっとりとした口調が印象的な可愛らしい性格をした男の子だと言うことを聞いたわ」
情報は人間界のギルドで受付嬢をする女性から聞いたのだろう。
ヒビキがおっとりとした口調を使って話した人物は受付嬢しかいないから。
「もしかしてボスモンスター討伐隊が、どうなったのかも知ってる?」
もしかしたら、自分が崖から転落した後のボスモンスター討伐隊の事を彼女は知っているかもしれない。
知るのは正直なところ怖いけど、情報を教えて欲しいとヒビキは女性に問いかける。
問いかけに対して数秒間、視線をさまよわせて動揺する素振りを見せた女性は頭を悩ませた結果、申し訳なさそうに眉尻を下げて頷いた。
「ええ、調べさせてもらったわ。ドラゴンクエストに挑戦をしたけど失敗したのね。残念だけど貴方のチームは壊滅したわ。唯一、生き残った副隊長が人間界のギルドでヒビキ君、君がチームを裏切ったためドラゴンクエストに失敗をして、沢山の仲間が死んだと話したみたい」
魔界のギルドで手に入れた情報を何処まで話そうか迷っていた女性が、ありのままを伝えてくれる。
後々調べたら分かることだし隠していても仕方がないと思ったのか、事実を教えてくれた女性に深く頭を下げた。
「教えてくれてありがとう。そっか、俺が仲間を裏切ったことになってるのか」
女性が教えてくれた事実は衝撃的なものだった。
まさか、悪役にされてしまうとは予想もしていなかったため冷や汗が頬を伝う。
討伐隊の隊長として行動するにあたって、ヒビキは常に狐面をつけていた。
顔を隠していたためボスモンスター討伐隊隊長の素顔を知る人物は、ギルドの受付嬢と国王と一部の騎士団のみ。
しかし、仕草や姿勢からヒビキとボスモンスター討伐隊の隊長を結びつける者が出てこないともかぎらない。
人間界には暫く戻らない方が良いだろう。
ふと、脳裏に真っ赤な髪と真っ赤な瞳が印象的だった仲間の姿が浮かぶ。
「他に生き残りがいないってことは、鬼灯も逃げきれなかったってことか……」
薄れ行く意識の中で手を取り助けようとしてくれた仲間がいた。
鬼灯はギルドランクSSクラスの冒険者だったから、もしかしたら逃げ切ってくれているかもしれないと淡い期待があった。
「生き残ったのは副隊長だけと聞いてるわよ」
女性はヒビキの独り言に対して、小さく頷いた。
「そっか」
小さな希望が打ち砕かれる。
裏切り者にしたてられた事実よりも、仲間を全て失った事に絶望感を抱く。
鬼灯も雷使いの女性と同じようにドラゴンに踏み潰されたか。
それとも引きちぎられたか。
彼の事だから俺が崖から転落した後も、必死になってドラゴンと戦っただろう。
彼はギルドランクSSだから常に周囲に人が集まっていた。
そのため彼と係わることは一度も無かったにも拘わらず、最後に手を伸ばして崖から落ちるのを阻止しようとしてくれた鬼灯の姿を思い出す。
彼も同じように、仲間を全て失いたくは無かったのだろう。
ユキヒラの裏切りを見た仲間が一人でも生き残っている。
それだけでも支えになるから。
「狐さん痛いの?」
「え?」
そっと、頬に添えられた手は暖かい。
何故少女がそう思ったのか。
突然の問いかけに驚いて声を漏らす。
「違うの? 狐さん泣きそうだったから」
ポカンとした表情を浮かべて瞬きを繰りかえす少女が首を傾けた。
「あ、心配させちゃってごめんね。どこも痛くないよ」
無意識のうちに表情が曇っていた事を少女に教えられる。
確かに気持ちは沈んでいたけど、命の恩人を心配させてしまう訳にはいかないと思って何とか笑みを作る。
少女の問いかけに対して首を左右にふると
「狐さん嘘ついちゃダメだよ」
笑顔が硬かったかな、少女に嘘がバレた。
もしかして、また表情から感情を読み取られてしまったのかなと疑問を抱いていると少女が口を開く。
「胸のところのハートマークが赤黒くなっているから、心が痛いんだね」
少女が続けた言葉を理解することが出来ずに唖然とする。
「え? 胸のハートマーク?」
少女の言葉を問い返す。
返事を求めて少女の母親に視線を移す。
「ヒナミちゃんは人の心が見えるみたいなの。傷ついている人の心は真っ青。ヒビキ君が、この家にやって来たときは真っ青だったらしいわ。喜んでいる人の心はピンク色、悲しんでいる人の心は赤黒いそうよ」
母親
まさか、全ての魔族が心を読む術を持つのだろうかと思って不安にかられる。
「ヒナミちゃんだけが使える特殊な魔法なの?」
「ええ、ヒナミちゃんは人のハートを見て嘘を見抜くからヒナミちゃんの前では嘘は通用しないわよ」
恐る恐る問いかけると、人の心を知る事が出来るのは少女のみと知る。
全ての魔族が人の心を見ることが出来るわけではないらしい。
「さて、そろそろヒビキ君の体を全快させないとね」
まだヒナミの能力について聞きたい事がいくつかあった。
しかし、女性が続けた言葉に意識が向く。
「回復してくれるの?」
女性にどうやったら信頼をしてもらえるのか考える前に信用を得る事が出来た。
「ええ、私にはヒビキ君が人を裏切るような子には思えないからね」
女性は笑顔で首を縦にふる。
女性の指示に従って、ゆっくりと上半身を起こす。
疲労感に苛まれて顔を俯かせていると、女性はヒビキの額に指先をあてた。
疲労感をなくすために、回復魔法を唱える。
魔族の使う回復魔法は特殊だった。
光が体を包み込んだり、小さな妖精が出現し傷を治し始める訳ではなく、ヒビキの体が黒い膜のようなものに包まれる。
治癒魔法は光属性を連想させる。
暖かい光が身を包み込む事を想像していたヒビキが、予想外の感覚に晒されてビクッと体を震わせた。
良く考えてみればわかるけど魔族が光魔法を使えるわけがない。
闇魔法を使う女性が
「大丈夫よ。安心して」
怯えるヒビキに声をかける。
闇属性であっても彼女が使うのは、れっきとした回復魔法である。
少しずつ力が戻ってくる感覚に包まれる。
その他にも、お風呂に入っているような快適な空間は体の治癒と同時に体を綺麗にしてくれる。
「10分ほどしたら全快すると思うから、その間に昼間作ったお料理を暖め直すわね」
幕に覆われたヒビキに回復の時間を伝えると女性は部屋を出ていった。
黒い幕の中では喋ることが出来ない。
口を開けば身体を包み込む、黒いモヤモヤとした物体が口の中に入ってしまうことが安易に予想する事が出来るため、口を開くことが出来ない。
目蓋も開くことが出来ないため、ふわふわと闇魔法に身を任せている。
ふわふわと浮くヒビキを眺めるヒナミは、母親が部屋に戻ってくるのを大人しく待っている。
10分後。
ヒビキの体を包んでいた黒い幕が消えた。
幕に身を任せて浮かんでいたヒビキが、支えを失って床に尻餅をつく。
それを見ていた少女が、部屋のすみにあった紙袋を手に取りヒビキの元へ移動した。
「これを着て! 狐さんのために、お母さんが買ってきてくれたの!」
手渡された紙袋を受け取り
「ありがとう」
少女にお礼を言ったヒビキが近くの大きな鏡を見る。
そこには下着姿で座り込んでいる自分の姿があった。
ヒビキが少女から受け取った服を身に付けている頃。
人間界を出て魔界に向かっている鬼灯は一年中、雪のふる山に足を踏み入れていた。
山の
空を飛ぶことの出来るヒナミの母親とは違って、飛行能力を持たない鬼灯は、地道に歩いて魔界に向かうつもりでいる。
しかし、人間界から魔界までは人が足で向かうには距離がありすぎて半日かけて、やっと3000分の1の距離を移動した鬼灯が遠くを見つめる。
無事に到着できる気がしないと早速、諦めかけていた。
しかし、仲間を裏切ってチームを壊滅に追い込んだ元副隊長の姿を思い出し怒りに震えだす。
ドラゴンと手を組んだ奴を倒すためには、まずヒビキと合流をしなければならない。
そしてヒビキに仲間の敵を打つ気があればドラゴンの討伐に誘うつもりでいる。
そのため、こんな所で諦めるわけにはいかないと思い直した鬼灯が気持ちを引き締める。
そんな、鬼灯の目の前に突然巨大な熊が姿を現した。
ビッグベアはCクラスのモンスターである。
攻撃力はそれほど無いけど、その移動速度は時速50から80キロほど。
出会い頭にガァッと喚き声をあげ振り上げた手を下ろす。
鬼灯に目掛けて振り下ろされた手は地面を砕く。
地面に散らばっていた無数の小石が、鬼灯に目掛けて飛んだ。
「おっと」
想像以上の小石のスピードに独り言を漏らした鬼灯が、寸前のところで小石を避ける。
鬼灯の顔すれすれを通過した小石が、木の枝にあたり砕けちる。
氷でおおわれた木の表面が砕け、破片が頬に目掛けて飛んできた。
「そろそろか」
顔を右に傾け欠片を避けた鬼灯が独り言を漏らす。
見れば鬼灯を中心とした半径100メートルを、濃い霧がおおっている。
所々で紫色に輝く蝶が飛び回り藍色の花が蕾を開く。
「これは一体、何がおこったのじゃ?」
とつぜん変化した周囲の環境に対して疑問を抱いたビッグベアが、キョロキョロとあたりを見渡した。
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