裏切り者

 午前10時。

 ヒビキは狐面を身に付けて黒いマントに身を包む。

 ボスモンスターと鉢合わせをしたとしても、すぐに戦えるだろう。

 戦闘準備万端の状態で東の森の出入り口に足を踏み入れた。

 到着が待ち合わせ時刻ギリギリだったため、目的地には隊員が既に集まっている。

 それぞれ仲の良い者同士でグループを組みリラックスをしている。

 隊員達の中には笑顔を見せる者もいる。


 ボスモンスター討伐隊の隊長を務めるヒビキは、Sランクのドラゴンと戦わなければならない不安や恐怖心に苛まれていた。

 Sランクのドラゴンは強いから怪我人が出てしまったらどうしよう。

 ボスモンスター討伐隊は回復術を扱える隊員が極端に少ないため、怪我をした者の回復は間に合うだろうかと考え出したら際限さいげんがない。

 仲間の討伐の邪魔になる事を無意識のうちに行ってしまわないかと考えていたため、なかなか寝付くことが出来なかった。


 布団に入ったままの状態で、ごろんごろんと何度も寝返りを打っていた事は覚えてる。

 寝付けない寝付けないと心の中で何度も唱えているうちに、どっと疲れが押し寄せたのか。

 気づいたら布団に顔を押し付けて眠りについている状態になっており朝になっていた。

 どうやら知らない間に眠ってしまったらしい。


 眠る時間帯が遅くなると朝の目覚めも快適にとは行かなくて、二度寝をしてしまう。

 朝は暖かい布団の中から出る事を渋る。

 最終的に起きたのは家を出なければいけない時間帯。

 カードに記載される時刻を呆然と眺めていた。

 布団から出る事を躊躇ためらっている間に、予想よりも時間が経過していて驚いて一気に覚醒する。

 ガバッと布団をまとったまま勢い良く飛び起きた。


 そして、今にいたるわけなんだけど、最後に集合場所に足を踏み入れたヒビキの元へ副隊長であるユキヒラが足早に移動する。


「おはよう。集合して早々で申し訳ないけど森の奥に向かうよぉ」

 いまだに眠たそうな表情を浮かべる隊員達の中で、一人やる気に満ちあふれているユキヒラを先頭にして、ゆっくりと冒険者の集団が移動を開始した。


 胸元まで上げた右手をゆっくりと下ろす。

 おはようと言うタイミングを逃してしまった。

 ヒビキは先を行く仲間達の背中を呆然と眺めたまま肩を落とす。

 嵐のように目の前にやってきて挨拶だけして、すぐに先頭を歩き始めたユキヒラを目で追うことしか出来ずに小さなため息をつく。


 人懐っこくて明るくて表情がコロコロと変わるユキヒラはよく喋る。

 いつも返事をする前に他の仲間の元へ向かってしまうユキヒラは、返事を貰う事を前提に考えていないのか話の切り替えが早い。

 冒険者の中には同じように返事をしようと口を開いた途端、ユキヒラが他の冒険者と話を始めるため返事をしそびれてる者がいる。


「もうすぐ崖が見えてくるねぇ!」

「崖に近づくにつれゴブリンが出始めるから気を引き締めような」

 鬼灯の元へ足を進めたユキヒラが遠くにうっすらと見える崖を指差した。 

 鬼灯が小さく頷いて辺りを見渡す素振りを見せる。


 崖に突き当たれば、そこから西へ足を進める予定だった。

 本来なら崖沿いに西へ下っていけば徐々に木々が増えて、足場は瞬く間に悪くなる。

 地面から生える雑草の数も多くなり、足元に散らばる小石は徐々に数を増していくだろう。

 歩きづらい小石の上を通り徐々に大きくなる草を手でかき分けながら真っ直ぐ進めば、やがて目の前に大きな洞窟が現れる。

 深い深い洞窟は森の中とは違い、強い魔物が生息する場所で、ここは何時ものようにチームの皆で手分けして魔物を狩りながら洞窟の奥に向かう予定だった。


 しかし、事前に話し合いによって決めていた予定はいきなり崩れ去る。


 崖から数十メートルの距離で、ピキッと何かにヒビが入るような小さな音がした。

 音のした方向に視線を向ける前にパキパキッと何かが砕けるような、何とも奇妙な音を立てて空間が歪みだす。

 木々がグニャリとまがる。

 草木がひしめき、風が吹き荒れる。


 ふと鼻が詰まるような感覚を覚えて渋い顔をする。

 今まで明るかった空は急に暗く染まり、上空には大きな雲が渦巻いている。

 まるで渦の中央に雲が吸い込まれていくような、不気味な空は何の前触れもなくヒビキ達の前に現れた。


「急に空が」

 鬼灯が声をもらす。

「明らかに何か異常が起こってるわね」

 女性が不安そうに呟く。


「出口に戻った方がいいかも」

 急に変わった周囲の様子に戸惑い怯え警戒する鬼灯は、出口に戻った方が良さそうだと判断をする。

 辺りを見渡せば緊張感に包まれた空間で、メンバー達が武器を手に取り構えをとっていた。


「そうね。引き返しましょう」

「そうだね」

「悪い予感しかしないものね」


 鬼灯の提案に仲間が次々に賛成する。

 しかし、仲間が森の出口に向かおうと身を翻した途端、それは何の前触れもなく突然現れた。


「なぜ奴がここにいるんだよ!」

 叫び声をあげたのは一体誰なのか。


 声の主に視線を向ける前に、地面から唐突に突き出た木々が音を立てヒビキの体を掠めたため驚きから冷や汗を流す。

 地面から突き出る木々をよけると、体をひねることによって後方の木々を避ける。

 右へ左へ体を動かして攻撃を避けていた。


「あ……」

 思わず声が出た。

 よりにもよってこんな大事な場面で足を絡ませるなんて思ってもいなかったため、大きく傾いた体を咄嗟に立て直すことが出来なかった。


「まじかよ」

 表情を強ばらせるものの、なす術がない。

 グラリと大きく傾いた体は、後方に飛び退きたいのに言うことを聞かず、思わず本音が口から漏れた。

 仰向けに倒れかかっていた体を、地面から勢いよく突き出た木々が容赦なく押し上げた。

 背中を突かれて上空へ飛ばされる。

 空高く押し上げられて勢いのまま一回転をした体が地面に落下、激しく背中を打ち付けた。


「痛……」

 姿勢を大きく崩していた事もあり、武器で攻撃をいなす事も出来ず。

「吐きそう」

 強く背中を打ちつけたため吐き気を催している。

 頭がくらくらとしているため、なかなか立ち上がることが出来ない。


 四つん這いのまま身動きを取る事が出来ず、早く立ち上がらなければと思う気持ちを落ち着かせるため、大きく息を吐き出した。

 仲間は無事なのか、怪我をしていないか確認したい。

 この場から皆がいるであろう方向を見つめるけど木々が邪魔をして見ることが出来ない。


 仲間達は錯乱状態に陥っているのか、沢山の悲鳴が上がっている。

 きっと、木々の向こうにはモンスターから逃げ惑う仲間達がいるだろう。


 先ほど一瞬だけ目にした光景は、自分の目を疑ってしまうほど信じがたいものだった。

 普通は森の奥にある洞窟の中に住まうドラゴンが、沢山のゴブリン達を引き連れて突然目の前に現れたのだから驚いた。

 最初の攻撃で木々に突き飛ばされた隊員が他にも沢山いたかもしれない。

 木々を避けることが出来ていたとしても、きっと陣形を崩されてしまっていると思う。


 四つん這いのまま大きく息を吸い込んで一気に吐き出すと、ゆっくりとその場に立ち上がる。

 吐き気はおさまった。

 体に上手いこと力を込める事が出来ずに多少ふらつきはするけど、少しの体調の悪さであれば気合いで何とかしたい。


「よし」

 呟きと共にパシッと音を立てて両手を頬に打ち付けて気合いを込める。


 頬に手型がついてしまったかもしれない。

 力を込めすぎた。

 少しの後悔をしつつ紐が外れて地面に落ちてしまっていた狐面を拾い上げる。

 今度は少しの衝撃では外れないように、しっかりと紐を結ぶ。


 そっと、気配を消しながら皆の元へ足を進める。

 頭の中で武器の出現を唱えると、差し出した右手の平に添うようにして青い炎に包まれた細い刀が現れた。

 武器を手に取り攻撃の準備も万端に整える。


 暗闇に包まれた空間に、ぱちぱちと雷が落ち真っ赤な炎が上がっている。

 大きな音がしたかと思えば地面が大きく揺れた。

 途切れること無く上がっていた仲間達の悲鳴は、今はピタリとやんでいる。

 それどころか人の声がほとんどしない。

 もしかしたら、殆どの隊員がドラゴンの攻撃を受け負傷しているのかもしれない。

 ヒーリングが出来る者が魔法を使える状態にあればいいけど、状況がまるで分からない。


 魔法がぶつかり合う場所に移動をすると恐る恐る草木の隙間から覗き見た。

「ライトニング!」

「業火」

 大勢いた隊員が血を流し、地べたに倒れ込んでいた。


 胴体を真っ二つにされた者。

 頭を潰された者。

 体を引きちぎられた者。


 死因は様々だけど辺り一面が血の海になっている。

 その中央でドラゴンと戦っているのは、たった2人だけ。


「後ろ!」

 妖艶な雰囲気を醸し出す女性が声を張り上げる。

「うわっ」

 女性の声に素早く反応、身を翻した魔術師の体をドラゴンの尻尾が掠める。

「悪い! 助かった」

 ドラゴンの攻撃を教えてくれた妹に対して鬼灯が礼を言う。


 作戦ではドラゴンの影を4人の魔術師で拘束をしてから攻撃を与えていく事になっていたけど、自由に動き回っているドラゴンは無傷。

 本来なら後衛で闘いの補助をする立場である魔術師が近距離でドラゴンと戦っている。

 至近距離にドラゴンがいるため、この場から逃げだすこともできず、せめてドラゴンが自分達に近づいて来られないようにと考えて、次から次へと攻撃魔法を放つ。

 攻撃の手を止められずにいた。


 何とか2人が逃げる隙を作れないか、そう思いドラゴンに刀の先端を向ける。 

 踏ん張った足に力を込め姿勢を低くして魔力を体に纏わせる。

 敏捷性びんしょうせいを極限まで高める。

 補助効果のある魔法は魔力の消費が激しく効果は絶大。

 地を蹴り走り出すとドラゴンの元へ到着するのは一瞬の出来事だった。


 ドラゴンと戦う魔術師の2人にはヒビキが突然、姿を現したように見えただろう。

 ヒビキは自分でも驚くほどの早さでドラゴンに迫ったため、危うく頭から激突するところだった。

 スピードを著しく上げる効果を持つアイテムである狐面。

 敏捷性を高める補助効果のある魔法を同時に使ったのは初めての事で、勢いのまま刀をドラゴンの横腹に突き刺そうとした。

 けれど、厚いうろこで覆われているドラゴンの皮膚は硬く刀が突き刺さらない。


 攻撃を受けたドラゴンが、よろけただけに終わる。

 味方の放ったライトニングが音を立て頭上に迫るのが見えた。

 ドラゴンの横腹を蹴りつけて後方宙返りをする。

 体を半ひねりにしてギリギリでライトニングをよけると、雷使いの女性魔術師が安堵する姿が見えた。

 

 ほんの一瞬の出来事だったように思える。

 視線の先で突然、女性の体が薙ぎ払われた。

 女性の死角からの攻撃はドラゴンの思惑通り見事に女性の背中に直撃する。

 強い衝撃と共に驚くほど飛んだ女性は受け身を取る間も無く、頭から地面に打ち付けられてしまう。

 血で真っ赤に染まった頭と無数に抜けてしまった髪の毛。


 生きている事が不思議なくらい。

 激しく血を吐き出した女性魔術師が苦しそうに呻き声をあげる。

 ゆっくりと上半身を起こして、その場に立ち上がろうとした。

 しかし、女性の体に与えられた衝撃は凄まじいものだったため、口元を手で覆った女性が嘔吐えずく。


「早く逃げろ。踏まれるぞ!」

 鬼灯の叫び声にビクッと大きく肩を揺らして反応を示したけど、サヤは立ち上がる事が出来ない。

 足元を見ることなく突き進むドラゴンの向かう先にサヤは力無く座り込んでいた。

 身動きを取ることが出来ず、目蓋を閉じて死を覚悟したサヤの頬を大粒の涙が伝う。

 

 地面に着地して、すぐに女性の元に向かった。

 背後で鬼灯が女性に防御壁を張るため呪文を唱えている。

 しかし、間に合わなかった。

 無情にもドラゴンが女性の上を通過する。

 今まで耳にしたことが無いような、複数の骨が折れて強引に肉を裂かれ潰されるような鈍い音が響き渡った。


 一瞬の沈黙。


 鬼灯が息を呑む。

 ドラゴンの通った後には新たな血の海が出来上がっている。

 その中央には踏み潰され変わり果てた姿の女性が横たわっていた。


「くそおおおおおおお!」

 女性を見た魔術師が悔しそうに叫ぶ。

 ドラゴンに対して手も足も出ないヒビキ達の姿を見て、クスクスと肩を震わせ笑う人物がいた。


「あははっ……見た? 凄いねぇ。強いチームが壊滅してんの。あと二人だよ、あと二人!」

 笑い声は次第に大きくなっていく。

「見てよ鬼灯君の苦痛に歪んだ顔。すごく苦しそう! あはははははは!」

 ついには大声をあげて笑いだした者を鬼灯は睨み付けた。



「あと少しだよ。あと少しで、その狐面が僕のものになる!」

 けたけたと腹を抱えて笑うのは、ドラゴンの背に腰を下ろしながら高飛車な態度をとり、ヒビキ達を見下ろすユキヒラだった。

「あいつを始末して早く狐面を僕の元に!」


 うひゃひゃひゃと今までに見たことのない崩れきった顔で笑いだしたユキヒラに、ピシッと指先を向けられる。

 ユキヒラの狙いはどうやら、敏捷性を高める効果を持つ狐面らしい。

 確かに狐の面は激レアアイテムではあるけれど、使い勝手は難しく失敗をすれば高い確率で死に至る。


 それを知らないのか、それとも知っているのに欲しがるのか分からない。

「ほら、いけっ!」

 ドラゴンの背中を、ペシッと叩いたユキヒラの我が儘に答えるようにしてドラゴンが魔法を使う。


 共に地面から現れた木々は、先ほどのものとは比べ物にならないほど早かった。

 地面から勢いよく突きだした木々を右へ避ける。

 刀で弧を描いて近くの木々を斬り倒す。

 左へ体を移動させたけど、狙ったように真下から木々が現れた。


 ドラゴンが先読みをしたのか、それともユキヒラの指示か。

 それは分からないけど、先を読まれたため咄嗟に避けることが出来なかった。

 みぞおちを木々が突き上げる。


 衝撃で表情を歪めると体からゴキッと、骨が折れるような鈍い音が上がり頬を冷や汗が伝う。

 全身を駆け巡る激痛から、骨が折れたのだなと理解をする。

 痛みは腹部だけに止まらず脳を激しく刺激した。

 頭が割れてしまうのではないのかと思ってしまうほど、ハンマーで直接頭を殴られたような激しい頭痛に見舞われて、呼吸をする事が出来ない。

 骨が折れ血を吐き出したヒビキは意識を失いかけていた。

 空中に上がったヒビキの体にドラゴンが、とどめを刺すようにして尻尾を打ち付ける。


 ほとんど意識のないヒビキは横腹に尻尾を受け、今度は横腹からゴキッと骨が折れるような鈍い音が上がる。

 ドラゴンの尻尾を叩きつけられて勢いのついたヒビキの体は崖の底に消えていった。


 一瞬の出来事だったけど、突き飛ばされたヒビキの体が崖から落ちるのを阻止しようと手を伸ばした者がいた。

 それは、叶わなかったけど。

 

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