第23話 清貧なる修道女
広く青々とした平原。牧畜に適した土地であり、牛や羊を連れて歩いている者達と時々すれ違う。
フォリウム領は平原地域と呼ばれており、広い草原と、奥地に森が広がっている。
そんな平原を街道に沿って真っ直ぐ進むと、教会は見えてきた。
祈りをささげる聖堂と、それを囲うように大きな建物がいくつか並んでいる。
おそらくそれらが、孤児院や治療院、修道院などである。
決して豪奢ではないものの、その広さは学園に匹敵する。
門の手前で馬車が止まり、数名のシスターたちが近づいて来た。
「お待ちしておりました、聖リリウム女学園の皆様。まずはお手荷物を寄宿舎へ運びましょう」
そう言われ、ぞろぞろと馬車を降り、正面にそびえる聖堂とは異なる方向へ進む。
修道院の側に、多数の人間を泊めることができる寄宿舎がある。
ここが、今日から4日ほど、エリーヌ達が世話になる場所だ。
シスターたちに案内され、部屋へとたどり着く。
「貴女達はこちらの部屋になります。手荷物を置いたら、先ほどの聖堂前まで来てください」
『はい』
返事をして部屋の中に入ると、そこには最低限の机と、二段ベッドが二つ用意されていた。
カミーユと、ベネディクトの従者はそれぞれ己の主人の手荷物を預かると、そのベッドへ近づいて行った。
「……少し、埃っぽいですね。後ほど掃除いたします」
「こっそりとね」
エリーヌはそう言って、ベネディクトと顔を合わせて肩を竦めた。
あくまで寝泊まりするのに最低限のものだ。彼女たちが普段使っているものには到底及ばない。
とはいえ、文句をたらたらと垂れている暇はない。
多少、身の回りを過ごしやすいように整えてもらうとして、今は聖堂に向かわなければならない。
身支度を整えて部屋を出ると、戸惑った表情の貴族出身の者達とすれ違った。
やはり皆、考えることは同じのようだ。
「こちらから順番に、聖堂へお入りください。中に入りましたら、前から順に席について下さい」
修道女たちの案内の下、聖堂へと入る。
ステンドグラスが輝く教会内は、学園の講堂に引けを取らない広さと美しさを持っている。
皆が集まり始め、聖堂の席が埋まり始めた頃、一人の修道女が、祭壇の前へと向かって歩いて来た。
他の修道女たちと何ら変わりない格好であるが、他とは一線を画していることが一目で分かる。
そしてその姿は、やはりかの有名な修道女の姿であった。
「そこの貴女」
登壇する直前。彼女は3番目の列に座っていた少女に声を掛けた。
「その髪飾りは、この場に必要ですか?」
「え?」
少女は貴族出身であると一目で分かるような髪飾りをつけている。
「清貧を重んじるこの場に、そのような物は必要ですか? と問うているのです」
そんな彼女に向かって、修道女はもはや命令である他ない疑問符をぶつけた。
「い、いいえ……」
「では、すべきことは?」
威圧に怯えた少女は、静かに髪飾りを外した。
「よろしい」
修道女はそう言って、再び壇へと足を進めた。
少し騒めいていた周囲はしんと静まり返り、彼女が歩みを進める音だけがあたりに響いた。
まさに、エリーヌが危惧していたことがその通りに起こった。
そして、予想は大正解。
「聖リリウム女学園の皆様。この度、星下寄宿の特別講師を務めさせていただきます、テレーズ・マリエルです」
齢50、フロスティアにおいて有名な、清貧なる修道女だ。
「ご挨拶の前に一つ。先ほどの会話は聞こえていたと思いますが、この場で着飾る必要はありません。華美な装飾は外すように」
彼女が淡々とそう述べると、心当たりのある数名の少女たちが、ごそごそと手を動かした。
この状況を予想していなかった貴族令嬢たちだ。
「ここは神々を称える場。神々に許しを請う場。神の前では常に、清くあらねばなりません。心しておくように」
噂通りの人物である。敬虔な信徒、自他に厳しい。
その奉仕と実直的な活動により、王都で有名になったのだ。
「では改めまして、こんにちは。長い道のりの末、よくぞいらっしゃいました」
挨拶と労い。
滔々と彼女は述べる。
「これから皆様には、愛すべきフロスティアの歴史を知っていただくと同時に、修道女としての生活を体験していただきたいと思います」
修道女の体験。
そう言って、彼女は今後のスケジュールについて話し始めた。
主な活動は二日目から。まずは、多数の宗教的資料が保存してある場所と遺跡を巡る。
次の日は、修道女たちが行っている活動の体験。
最後の日は、宗教学のテストと、聖女模範賞の発表。
「これらの事を、皆様に経験していただきたいと思います」
特にこれと言って珍しいことはなかったが、油断は禁物だ。
「ではこれから、皆様に今後必要となる、心持についてお話させていただきます」
これからが本題であるかのように、彼女は襟を正して語り始めた。
「先程も申しました通り、我々修道女は、清貧を著しく重んじる必要があります」
彼女がしつこいまでにそう言うのは、彼女がそれを最も重んじているからであろう。
その言葉に対して、彼女の姿に矛盾はない。
「普段当たり前に得ていることを、当たり前だと思ってはいけません。それらの安寧がいつ失われ、目の前から消え去るかは、我々には分からないからです」
煌めくステンドグラスに描かれた女神の微笑みの下で、彼女は淡々と語る。
「それは欲であり、傲慢。ですが、それを持つこと自体が罪ではありません。なぜなら、我々は省みることができる」
彼女の口から発せられる言葉は、眠気を誘うも、耳の痛くなるようなものばかりだ。
「皆様にはぜひ、その過程を経ていただきたい。学ぶことこそが、若人の本質と言えるでしょうから」
この言葉が一体誰に向けられているのか。
そんなことは、深く考えなくても分かることだった。
「まずは、その機会を得られたことに感謝を。そして、それを与える機会を得られたことを、わたくしは感謝申し上げたいと思います」
そう言って、彼女は胸の前で手を組んで、祈りをささげた。
「それでは、良き経験を、この四日間で得られますよう」
そう言って、彼女は一礼して降壇した。
***
聖堂でのあいさつ、もとい説教が終わり、始めに案内された部屋へと皆戻った。
初日である今日は、一日の大半を移動に使ったため、あとは夕食等を済ませるだけだ。
「……エリーヌ様のご指摘は、まさしくその通りでしたね」
部屋に着くや否や、カミーユ達従者が掃除を始めたため、エリーヌとベネディクトは部屋の傍らで椅子に座って話した。
「ベネディクトが得た情報が役に立ったわ。ありがとう」
「いえ」
噂は正しく、そしてそれを警戒したエリーヌ達もまた正しかった。
「やはり、かなり厳しくなりそうですね。……特に、
テレーズの説教は、主に貴族出身者にむけて、と言っても過言ではない内容だった。
「できうる限りのことをするまでよ。とりあえずは、今後の身の振り方の注意点と、明日の授業の取り組み方を考えましょうか」
厳しいことを承知で、この行事に参加することを決めたのだ。
満点を狙うエリーヌに、聖女模範賞を諦めるという道は存在しない。
(……
ふと、カミーユ達が掃除しているのを見て、エリーヌはクロエの事を思い出した。
彼女は今、何をしているのか。何を考えているのか。
毎日のように話していたが、今日からはしばらくそれができない。
離れた日常に淋しさと、ほんの僅かな楽しみを覚えつつ、エリーヌはベネディクトと、今後について話し合うのだった。
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