第12話 蛍雪の功
クロエがエリーヌの家にやってきてから、早くも1か月が過ぎた。
四季のあるフロスティアは現在雨季であり、雨降り露滴るこの月を"露月"と呼ぶ。
年度初めのちょっとした行事を終え、ようやく新体制となった学年に慣れてくる頃だろう。
馴染むのに精いっぱいだった新入生も、己が属する集団が決まり、意思というものが芽生え始めている。
何よりサロン交流会を経て、自分と他人がどんな立場に置かれているのかを理解するようになった。
混ざり始めた初夏の匂いと共に、人の間にも、陰で湿ったような空気が流れ始める。
「己の立場を理解しなさいな。貴女のような姓名も持たない平民が、わたくし達に逆らえるとでも?」
「でも、掟の25条には――……」
そんな言い争いをする中等部生の横を、エリーヌは歩き去っていく。
背丈や制服の新しさからして新入生だろう。貴族令嬢らしき人物には見覚えがある。
先輩を見て身の振り方を覚えたのだろう。互いが互いに、どこか既視感のある言動をしている。
この程度の些細な言い争いは見慣れたものだ。寧ろ今までこれがなかったことで、新しい年度に変わったのだと実感させられていた。
そんな日常の一ページをよそに、教室に入って席に着く。始業の鐘が鳴り響いた。
――
「はい、皆さん。只今より、魔法学の授業を始めますよ」
本日初めの授業は魔法学。基幹科目と呼ばれる必修科目の1つにして、研究の礎。
「前回の授業では、理分野における知見を広めるために、皆さんに実験をしていただいたと思います。今回はその実験結果に基づいた魔術をいくつか紹介しますので、きちんと板書を写してくださいね」
魔法とは、この世界の理のこと。雨の原理、雪の原理、火の原理など。
この世のありとあらゆる魔力の法則を理解することが、魔法学を学ぶということ。
そして、そんな魔力の法則に己の魔力で干渉し、操る
魔法学は座学。魔術は教養科目の中に組み込まれており、剣術や馬術とともに外で修練を行う。
知識を得なければ、身に余る力となり操ることはできない。
それは魔法と魔術に限らず、すべての学問に言えることである。
――
「やあ、諸君! 本日の法学の授業を始めよう」
お次は法学。必修ではない選択科目だ。
究めることで司法に携わるための資格を手に入れることができる授業で、必修ではないが皆こぞって受ける授業だ。
「今回は民法についてのおさらいと、次回から扱う領土ごとの条例について説明をしようと思う。民法については試験で扱うことになるので、十分注意して聞き給え!」
癖があるが話が面白い教師の授業なので、人気がある。
今日も今日とて耳を傾け、知見を増やすのだ。
――
「は~い、薬草学の授業を始めますよ~」
今度は選択科目の中でも珍しい、薬草学の授業だ。
この学園ならではの授業であり、年度によっては開講していない。
せっかくの機会なので選択してみた次第だ。
「本日は前回から少し趣向を変えまして~、日常生活で見かける草花の中で~、食用にもできる植物と~、毒性を持つ植物について紹介したいと思います~」
なんだか眠気を誘う教師の声だが、時折実験も行うこの授業はとても興味深い。
何かの役に立つかもしれないので、しっかりと
――
「皆様。本日のサロン集会を始めさせていただきます」
授業は終えて放課後。
サロンのメンバーも正式に決定したということで、本格的に業後の活動が始まった。
「今日は正式な名簿提出を終えて初めての集会ということで、本会における諸注意と、今後の方針を説明するオリエンテーションを行います」
集会を取り仕切るのはベネディクト。
エリーヌはサロンの代表であり顔。いわば王であり、主に動くのは部下たち。
その部下たちが挙げた考えの元、最終決定を下すのがエリーヌ。エリーヌの一言ですべてが決まる当たり、封建的と言えなくもない。
「まず、授業内外の派閥行動についてです。皆様ご存じかと思われますが、エリーヌ様を筆頭とする今年度華月会は、『実力派』と呼ばれています」
始めの注意事項が派閥についてのものというところで、サロンの本来の姿の希薄さがうかがえる。
「首席争いにおいて、我々は成績評価を重要視しているということです」
前回の交流会で露になった通り、華月会は成績評価という実力を、鳥蝶会は己の実家の権力を、湖白会は手を取りあう調和を重視している。
これは首席争いにおいても同じであり、それぞれが重んじていることを武器として、それぞれ頂を目指すのだ。
「階級差による価値観の齟齬があるかもしれませんが、それらによる争いは積極的に避け、常識の範囲内で納めるようにしてください」
貴族である以上、平民に不満を持つこともあるだろう。
だが、積極的に争うことを華月会、ひいてはエリーヌが推奨していない。
「評価についても同じですが、今年度最も主席として期待されているエリーヌ様の足を引っ張ることが無いよう、努々心掛けてください」
これはベネディクトのエリーヌ贔屓が入った言葉だ。
だがこうして彼女の口から、厳しい表情で警告してもらうことは重要である。
エリーヌの知らぬところで諍いがあり、それが結果的にエリーヌの評価に反映するかもしれない。彼女自身もそんなことは避けたい。
「これらの事を鑑み、今後のサロンの活動として、業後のサロン集会における勉強会を企画しております。そのことについて――」
授業、サロンの活動。
彼女たちの一日はこうして進んでいくのだ。
***
「来た」
「いらっしゃい。こっちに座って」
授業が終わり、サロンの集会も終わり、帰宅し他の学生からの視線が全て遮られたところで、彼女たちはようやく顔を合わせる。
一緒に茶を飲みながら、今日あった出来事について話す。
この行為は彼女たちの日課となった。
「貴女達の課題は、評価が貴女に集中していることね」
今日の話題は、お互いの派閥の欠点についてだ。
新学期が始まって時間が経ったので、段々とそう言った点も浮き彫りになって来る。
「前にも言ったけど、貴女が欠けると、平民派閥の力が格段に下がるのよね」
「お褒めの言葉をどうも」
互いの代表が互いの弱点について話し合うことは、高めあうことを志としているエリーヌにとっては、願ってもいない機会だ。
「仕方ないだろ。これも前にお前が行ってた通り、今までもそうやって成績差があったから、平民が首席になれてない」
クロエは異例なのだ。だからこそ彼女にチャンスがあるのだが、彼女はエリーヌという爆弾を抱えている。
「そう言えば、貴女はいつもどの程度勉強をしているの?」
成績優秀な彼女は、今までどのようにして勉強時間を確保していたのか。エリーヌは気になって質問した。
「別に何も」
「予習復習はいつ?」
「んなもんやんなくたって、一回授業聞けば分かるだろ」
エリーヌは目をぱちぱちとさせた。
「……それだけで、今まであの成績をとっていたの?」
「……? そうだけど」
エリーヌとの認識の食い違いに、クロエもまた戸惑った様子を見せる。
「貴女は気付いていないかもしれないけれど、それって中々できないことよ」
「そうか?」
「そうよ。わたくしだって、毎日予習と復習には時間をかけているもの」
エリーヌは食後、勉強をする時間を取っている。
そうでもしなければ、成績一位を守ることはできない。
「なら尚更、貴女が欠けると致命傷ね」
「その致命傷をいつでも負わせられる奴が何言ってんだ」
クロエの言い分はもっともだが、エリーヌにそんなつもりは毛頭ない。
この面白い日常が崩れてしまうのは面白くない。
「勉強会を開くのはどう? 他人に物を教えることで、自分の知識を確立させられるわ」
エリーヌも華月会で勉強会を開くのはどうかと、ベネディクトに相談した。
実力派としての地位を確立させるためにも、自分の為にもなる。
「教えるのは得意じゃないんだよな……それに、お前のサロンでも同じ事やるんじゃないのか? 妙な疑いをかけられたら困る」
エリーヌから喧嘩を売ることはまずない。
が、その下っ端たちが、自分たちと同じことをするクロエたちに喧嘩を売らないとは言い難い。
「……ふふ」
「なんだよ」
唐突に笑いを零したエリーヌを見て、クロエが訝しげな表情をする。
「いえ。本来なら敵なのに、こうして助言し合っているのが、なんだか可笑しなことだなと思って」
「大分今更だな。私は結構前から思ってた」
エリーヌの言葉に、クロエは呆れた様子でそう言った。
「でも、今回ばかりはちゃんとした勝負だから、わたくしも手を抜いたりしないわ」
「それはお互い様。同意見だ」
二人は平民と貴族の敵派閥同士。
その第一の勝負と言える、『第一回基幹科目総合テスト』が迫ってきた。
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