魔女と狼は月下で笑う

庄司 篁

花月~葉月 同じ屋根の下で

第1話 貴族の魔女、平民の狼

 【全ての国民に、須らく『学び』を。貴賤を問わぬ『青春』を】


 国というものが掲げた耳心地のいい校訓は、その内情を秘める為のヴェールである。


 フロスティア王国にある、フロスティア王立大学校。

 男女に分けられ、国王を創立者とするロザ学園、女王を創立者とする聖リリウム女学園の二つで成っている。

 平民・貴族を問わず、試験を突破した者ならば誰でも入学できる。この制度は、身分社会において画期的で、国民のためを思った良き政策である。


 だがしかし、平民と貴族の間には、埋まらない溝がある。

 大した学も無いと、野蛮な平民を忌避する貴族。

 そんな貴族たちの、贅の煽りを受けていると訴える平民。

 学び舎とは社会の縮図であり、貧と富の対立は、縮図の中でも苛烈に争われる。



――



「あれを見て」

「華月会御一行よ」

「道を開けないと……」


 白塗りの建物、その廊下にて。

 人の波を裂くように現れたのは、澄ました顔で、その歩幅と姿勢を丁寧に揃えて歩く、数名の少女たち。

 整えられた身だしなみに、その堂々とした佇まいの彼女たちは、人のひしめく学園の中でも、指折りの存在。

 家長が爵位を持ち、ミドルネームを持つことを許された、貴族の中の貴族。

 聖リリウム女学園のトップサロン、『華月会』。


「皆さん。本日もご機嫌麗しゅう」


 人が大いに集まっているその場で立ち止り、洗練されたカーテシーを、先陣を切って披露する、金髪の少女。

 彼女の名はエリーヌ・リクニス・シャントルイユ。


 王族を除いた貴族の中で最高権力を持つ、セドリック・イキシア・シャントルイユ上級大臣。

 彼を家長とするシャントルイユ公爵家の娘である彼女は、華月会の筆頭。

 すなわち、聖リリウム女学園における、貴族の代表である。


「そこの者」


 華月会の集団、その後方で立っていた一人の少女が、彼女たちが通る道を開けている一人の野次馬に声を掛けた。


「エリーヌ様が通る道に落ち葉が散っているわ。退かして頂戴」

「えっ」


 声を掛けられた少女は、華月会の者たちとは異なり、質素な見た目をしている。

 背丈からして、中等部の平民出身者である。


「で、でも私、この学校の清掃係じゃ……」


 彼女はただ、廊下を歩いていたところ、彼女たち華月会に遭遇しただけである。

 戸惑った様子で、周囲に助けを求めるように見まわした。


「わたくしたちの言うことが聞けなくって? エリーヌ様のお通りだと言っているの」


 そう言い切るのは、エリーヌの取り巻きの一人だ。

 その目は冷淡で、背も地位も低い少女を見下ろしている。

 少女を助ける者はいない。

 涙目になって、頷こうとした時だった。


「待て」


 言葉通り待ったをかけたのは、華月会が向かおうとしたその先に居た人物。


「通りすがっただけの奴に、使用人の真似事をさせるのはどうなんだ?」


 まるで、華月会と対になるように、また新たな集団が道を開けられ立っていた。

 規定の学生服の他に、特に飾り気のない格好をした少女たちだ。


「学び舎の清掃は、学園に雇われた清掃係のメイドの仕事だ。それをただの一般生徒、しかも低学年に押し付けるな」


 平民のみで構成されたサロン。学内で地位の低い者に横柄な態度をとり、風紀を乱す者達を取り締まる、『風紀会』。

 数ある平民の中でも成績優秀者で構成され、境遇を同じくした者達に慕われている、平民代表のサロンである。


 そして、そんな集団の先頭に立ち、滔々と正論を述べる黒髪の少女は、彼女たち風紀会の筆頭。

 平民の中でも、特に下層の者達が住む山麓地域の出身で、姓すら持っていない平民の中の平民。

 しかし、貴族にも劣らない美しい容貌と上位の成績、弱きを助く人格によって選ばれた、平民代表。

 彼女の名はクロエ。


「あいつらの言うことを聞く必要はない。ほら、次の授業の教室に向かえ。あとは私たちがどうにかする」

「は、はい。ありがとうございます……!」


 クロエがそう声を掛けると、少女は彼女に尊敬の眼差しを向けつつ、友人を連れて去って行った。


「……そこを退いて下さる? 先ほどから申しておりますが、エリーヌ様がお通りですのよ」


 先ほど少女に命令した少女とは違う貴族令嬢の一人が、相対するように立ちはだかった風紀会の面々に向かってそう言った。

 彼女たちの目には侮蔑が籠っている。


「私たちは、あんた達のしもべじゃない。私たちも、堂々と廊下を歩く権利があるわ!」


 風紀会の一人が、それに対抗するように言った。


 彼女たちの間には、火花が散っている。

 貴族と平民。

 その相反する立場に置かれた者達が合わせ居る女の園。

 争いが起きぬはずもなし。

 

 貴族派閥、エリーヌ派。

 平民派閥、クロエ派。

 両者は常に争い合っている。

 

「アンリエット、フロランス。ここは収めましょう。次の授業に遅れてしまうわ」


 今まで、口論には沈黙を貫いていたエリーヌが、少し振り返ってそう言った。

 主のような彼女に言われてはどうしようもない。

 不服そうな顔をしつつ、彼女たちは下がった。


「両者ともに、右を歩きましょう。それでいいわね? クロエさん」

「構わねぇよ。もとより、そういうルールだ」

「エリーヌ様に、なんて口を……」


 クロエの態度に顔を顰めた取り巻きを、エリーヌは手で制する。


「では、ごきげんよう」


 それ以上は何も言わず、エリーヌは他の面々を引き連れて先に進む。


「……高慢な魔女が」


 すれ違いざまに、クロエがエリーヌに囁いた。


「……ふふふ」


 エリーヌはただ微笑を浮かべて、彼女の横を通り過ぎた。


「何て野蛮な……」

「不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません、エリーヌ様」


 先ほど矢面に立っていた二人の貴族令嬢がそう言った。


「それにしても、何て粗野な言葉遣いでしょう。それに、あの態度……まるで、狼のようですわ」


 そんな言葉を聞いて、エリーヌは再び笑みを浮かべた。


 取り巻きの貴族を使い魔のようにけしかける魔女。

 野生に生き、同族を守るために牙を剥く狼。


「言い得て妙ね」


 始業五分前の鐘が、鳴り響いた。




***





「エリーヌ様、また明日。ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 日が落ちて黄昏時。

 サロンの集まりを終え、閉門30分前のチャイムを聞き届けたエリーヌは、迎えの馬車へと向かった。


「おかえりなさいませ」


 そう言って迎えた御者に荷物を渡し、馬車に乗り込む。その小窓から見えるのは、馬車に乗り込む生徒の他に、学友と共に徒歩で帰宅する生徒たち。

 身分の差は歴然。そんな景色を見て、学園を後にした。

 

「おかえりなさいませ、お嬢様」


 屋敷にたどり着くと、使用人たちが並んで出迎えた。

 これが彼女の日常である。


「ただいま戻りました……あら?」


 道を作るように並んだ使用人たちの向こう側、道の最先端に、瀟洒なドレスを着た女性が立っていた。


「おかえりなさい、エリーヌ」

「お母様」


 彼女はエリーヌの母、ジュリエンヌ・カトレア・シャントルイユ。

 普段出迎えはせず、部屋にいるはずの母が、今日は侍従たちと共に居る。


「どうしてこちらに?」

「貴女のお父様も、丁度帰られたからよ。ほら」


 エリーヌが母のもとに駆け寄ると、彼女は再び玄関の方を向いた。

 再び扉が開いて、使用人たちが頭を下げる。


「おかえりなさいませ、旦那様」

『おかえりなさいませ』


 あらわれたのは、エリーヌの父、セドリック・イキシア・シャントルイユ。

 今日は王宮近くにある執務用の別邸ではなく、本邸のこの屋敷に帰ってきた。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「おかえりなさいませ、お父様」

「ああ」


 エリーヌとその母も、当主である彼を、腰を低くして出迎えた。

 上級大臣として政治の要である彼は、この屋敷に月に一度程度しか帰ってこない。

 今日は珍しく、二週間ぶりの帰宅だ。


「今日はともに食事をしよう。ジュリエンヌ、エリーヌ」


――


 父の帰りということで、食事は普段よりも豪奢に振舞われた。

 そんな食事に、静かにフォークとナイフを進めていると、父が口を開いた。


「妾を迎えようと思う」


 思いもよらない言葉に、食べ物を口元まで進めていた手を止め、エリーヌは父の顔を見た。


「まあ……」


 母のジュリエンヌも驚いた様子で父を見ていた。

 激昂する様子でないのは、この国、ひいては貴族の中では、さして珍しいことでもないからだ。


「いや、正式な妾ではないな。だが、この屋敷で面倒を見ようと思っている」


 父はそう言いながら、フォークで切った肉を口に運んだ。


「どこの家の方で?」

「出自のはっきりしない者だ。何度か世話になった」


 それは暗に、貴族ではないと言っているようなものだ。

 どこの馬の骨ともわからぬ女を正式な妾として迎えることはできないので、父はそう言っているのだろう。

 世話になったと言ってはいるが、男女の仲であることは間違いない。


「最近、病気で床に臥していると聞いてな。治る見込みがあまりないらしいので、そう提案した。うつる病では無いので安心して欲しい」

「まあ。ならば、もっと早くに迎えていただいても構わなかったのですよ?」


 母は申し訳なさそうな表情を一つして、スープを飲んだ。


「エリーヌ」

「はい、お父様」


 一度カトラリーを置いて、いつものように口元に微笑みを浮かべながら、エリーヌは父に向き直った。


「彼女にはお前と同じ年の娘がいて、一緒に屋敷で面倒を見ようと思う。私の娘ではないので血はつながっていないが、優しく出迎えてはくれまいか?」


 エリーヌは、決して性格の悪い貴族令嬢ではない。

 高潔で厳しい母に、博愛をもって育てられた彼女は、学園で思われているほど高飛車で傲慢ではない。

 彼女は笑顔で言った。


「もちろんです、お父様。会うのが楽しみでございます」


 この胸の高鳴りは期待か、あるいは何か悪いことへの前兆か。


 そう、その日はすぐに来た。

 父に『妾を迎える』と言われて数日ののち。

 いつもエリーヌが乗っているような馬車とは違う、質素な馬車に乗って、彼女はやってきた。


「母さん、足元気を付けて、ゆっく、り……」


 いかにも病弱そうで、御者に支えられて出てきた女性の傍ら。

 御者の反対側で母を支えるように、彼女は出てきた。


「……っ! おま、え……」

「……!」


 平民の狼、クロエだった。

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