熱心なクリスチャンをやめてから

南無阿弥陀仏。


阿弥陀経というのを数年前から聞いたり読むようになりました。

というのも、聖書には極楽ないし天国の描写があまりに少ないのです。あっても、黙示録にどういう建物があるか、という程度くらい。飼っていたわんこがいるかどうかは教えてくれません。一刻も早く死んで、彼女に会って確かめたいのですが、どうもそういうわけにはいかないようで(自決という手もありますが、神様仏様はお喜びにならないと思いますし。しかし、日蓮宗のとある方は、自殺者でも極楽往生できる、と断言していましたが、出典を訊くのを忘れてしまいました)。


厳密にはぼくはもうクリスチャンではありません。教会にも2年ほど行っていませんし、聖書も読むのをやめました。時折アヴぇ・マリアを思い出す程度、堕ちに堕ちきった極悪非道なクリスチャンもどきです。


え、何、飼っていた愛するわんこや、愛していた人に会えない、それが天国ですか? 何、「もっとより良い存在・神様が迎えてくれます」それが天国だって? そんな天国なら僕は行きたくもないし、そんなことを謳うキリスト教なんて信じたくありません(←ちな19で洗礼を受けている)。そんな金玉の小さい「主」が神様だというのなら、そんなもんは願い下げです。大好きだったわんこ。イエスは生前、「私の父の国には多くの部屋がある」という言葉を残したそうですが、それが事実でないならば──わんこの居場所が天国にないというならば、イエスは大嘘つきであることになり、僕の信仰は無駄だということになります。「愛していた人以上のものに会える」だと? ルO、お前の言葉だぞ! 大学でさんざんお前の著作を研究したが、あれは全部嘘か、大嘘に加担させられたのか!!


もっとも、浄土宗内部でも、ペットは極楽往生できるかという論争があるそうでして、とある僧侶の方は「回向によって往生できる」とおっしゃっていました。それならば安心です。かの忠犬ハチも壮大な葬儀が行われたとも読みました。


僕は以前、須磨寺という兵庫県では有名な真言宗で、わんこを弔っていただきに参拝しました。板に名前を書き、「南無阿弥陀仏」という文言が彫られた阿弥陀様の像の前にある池に浮かべ、水をそそぐのです。僕はわんこのことを思いながら、男泣きに泣きながら水を注ぎました。しかし、二度目に同じことをしようとすると、お坊さんが「私はペットのためにお経はあげません」と突っぱねられてしまったんです。じゃあ、どうしてそのご像に南無阿弥陀仏と書いてあるんですか、と突っ込みたくなりましたが、聞くのも野暮だと思い訊きませんでした。w 同じ真言宗でも一枚岩ではないみたいですね。


仕事の先輩も、「南無阿弥陀仏と唱えればみんな救われるんや」とおっしゃってました。最初にその言葉を耳にしてから僕は仏教で何宗がよいかをずーっとかんがえていたのです。


真言宗の檀家さんでありながら、クリスチャンでもあり、かつ仏壇の前でお経もあげていた父方の祖母。おばあちゃんなら理解してくれるかもしれません。それに以前、七回忌だったでしょうか、ぼくが「一番偉い仏様はどなたですか」とたずねた際、

「いの一番に往生の際にやってこられるのは阿弥陀様です」と答えておられました。真言宗のご住職です。


浄土宗本式の数珠も手元にあります。「一百四十五箇条問答」も Kindle 版を買いました。これが結構面白いのですが、嗚呼、年のせいか、昨日はガチで寝落ちしました。

「念仏は一回でもよい」という法然上人の驚くべきお言葉。

こころをこめて念仏する次第です。


南無阿弥陀仏。

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