オクタウィアヌスの計略

夢野ゆり子

第1話


カチ、ぼーんぼーん


「お届け物でェーす」

間延びしたベル音。

張られた男の声。


非常によろしくない目覚めをプレゼントされた。せっかくの休みが台無しだ。

(こんな朝っぱらからなんだよ、頼んだ覚えはないぞ)

渋々上半身を起こす。

酒浸りの脳が、ベル音と一拍遅れで鐘を鳴らした。胃は鉛のよう。全身はざっぷり濡れている。

最悪ってのは今のことだろう。

無数の皺を新たに刻み刻み、布団から這って抜けた。酒の空き瓶とカップ麺の容器を掻き分けて服を探す。

何日洗濯をしていないか、そんな事はもう忘れた。ここ最近はブリーフ一枚が寝巻きだ。

幸いまだ臭いの薄いスウェットを発見。緩いゴムのスウェットが腰に纏わりつく。

・・・・・・裏地の感触が酷い。猫に舐め回された気分だ。

不快だ、実に。不快。

俺は素足のまま階段を降りた。

リビングと玄関を繋ぐドアを、やや乱暴に開ける。

煙草とアルコールと生ごみ、それからもっと悪いものたちの気が混じって香った。


カチ、ぼーんぼーん


「お届け物でェーす、お届け物でェーす」

根性のない奴だな、あと少しも待てねぇのかよ。

「あぁあ、はいはい。出ますよ、ったく」

三重ロックを折る勢いで外し、ノブに手を掛ける。

やけに玄関ドアが重い。一週間は外に出ていない。体力が落ちたのだろう。

九時を少々回ったばかりの日差しが、俺を串刺しにしようと躍起になっている。アスファルトがトロけるようだ。

秋も半ばで、風の当たりが強くて、泣きそうになる。風は性が悪い。

玄関先には男が立っていた。

なにやらこぢんまりと段ボールを抱えて。

「わたくし、カナエ便です。お届けに参りました」

(カナエ便?聞いた事ない会社だな)

道路には一台のトラック。青い文字ででかでかと「親切丁寧 カナエ便」とある。

男をよくよく観察する。

ブルーグレーの帽子は土埃にまみれてぺったんこ。靴は草臥れた老父のよう。かと思えば、作業着は下手なスーツより糊が効いていて綺麗だ。

爽やかな好青年みたく話すが、この男、ペテン師じみた口角の笑い方をしている。気味が悪い。

「何も頼んでねぇよ、間違いだ」

男は何がそんなに嬉しいのか、ニタニタ笑いのままで話し出した。

「はい、ご注文は承っておりません。カナエ便は願いを抱えたお客様にお品物をお届けしておりますが、どのお客様にお届けできるかは、全く分かりません。完全にランダムなのです」

「はぁ?いや、おま、何言って」

「どうやらお客様に強いお願いが秘められているようなので、お届けに参った次第です」

意味が分からない。

願いだと?そんな事分かるわけないだろう。SFの読み過ぎか、キチガイか愉快犯に決まっている。

しかしどうにも否定出来ない。嘘でない、という気迫がある。僧に説法を受けているみたいな心地になってしまう。ただの仕事熱心な作業員然に思えてきた。

話し口が滑らかなもので、ついうっかり信じそうだ。いや、本当はとっくに信じているのかもしれない。

「う、うん。うん・・・・・・一旦そういう事にして・・・・・・・・・俺は何を願ったんだ?」

男が一層口角を吊り上げた。

「はい!」

日に焼けた両手でジェスチャーをバダバダしながら、そいつは語った。

曰く、カナエ便には願いの具体的な内容は分からない。しかし、強い願いがある事、それが客自身では簡単に叶えられない事は分かる。

(何故分かるのか、何故そんな事をするのか訊ねると、わたくしはただの配達員ですから、とはぐらかされた)

そして願いを持った時点で"お客様"であり、無作為の選択肢に包含される。幸運な客はある日唐突に小包みが贈られ、運のない客はチャンスの存在も知らずに死んでいく。

「お客様は前者でした。ご理解いただけましたか?」

つらつら紡がれる説明にスッカリ呆けて、疑うのも疲れた。

「・・・・・・分かったよ、くそッ」

「ありがとうございます!さア、ではお客様、お望みをどうぞ!」

男は溢れんばかりの笑顔だ。気色悪い奴め。

しかし、急に願いを聞かれても困る。こっちは将来の夢もクソもない。

「何でも構いません、本能に従って考えてみてください」

ふざけた話だ。・・・・・・ふざけた話だが、どうせ真偽も定かでないなら、好きに言いつけてやろう。

「何でも、いいんだな?」

「はい、勿論です」

「じゃあ」

浅くなっていた息を吐く。そうして一つ吸った。血管の隅が痛い。

「じゃあ、俺が働かなくとも一生暮らせるようにしてくれ」

今の俺は、会社が怖くて、人間が怖くて休んでいる状態だ。休みをだらだらと擦り減らし、叱責の幻聴にうなされ息も出来ずに枕を濡らす毎日・・・・・・だからといって仕事を辞めれば生きていけない。精神科では健康そのものだと診断された。病気でもないなら生活保護は下りない。

もう限界だった。

有給は明後日で尽きる。

上司や部下や同僚の顔を思い出す度、胃がひっくり返っていた。まともには眠れない。やっと寝付けたって、朝には滝汗を被って目が覚める。

別に誰かの所為じゃない。会社だって、ちょっと安月給だけど、信頼と歴史のある電気屋だ。全ては俺の自業自得・・・・・・・・・。

なぜなら俺が馬鹿でコミュ障で仕事の出来ないゴミだからだ。勝手に失敗して、自己嫌悪して、自意識過剰になって、人間不信、自己陶酔、自暴自棄、自責思考の繰り返し。酒と煙草に浸っている時はそれが麻痺するのだけが救いで、心身諸共塵芥同然。

一人で居たいくせに、孤独になると泣き言を喚く。コンプレックスと依存の蓄積が俺だ。

働かなくていいなら、まだマシになれるかもしれない。誰とも会わなくていいなら・・・・・・。

「承知致しました。"働かなくとも一生暮らせるように"、ですね。ではお客様の口座に100億円、振り込ませていただきます」

男は簡単に頷いた。

「出来るのか?そんな芸当が・・・・・・・・・」

「はい、最初に申し上げた通りです」

ずっと抱えられていた小ぶりな段ボールが差し出される。上面には紙が一枚貼り付いていた。箱は見た目の割に重い。猫一匹分はありそうだ。

「こちら商品になります。上面の書類にお目通しと、サインを」

達成感を醸し出す男が、笑窪を深くして台詞を読み上げる。これで終わりなのだろう。

渡された万年筆で名前を書く。

氏名の他に記入すべき所はなさそうだった。びっしりと羅列した文章は、どうやら説明書きのようだ。読み込む気は起きない。

万年筆を返し、確認作業が済むのを待つ。

「はい、間違いありません。ありがとうございました。小包みはすぐにご開封ください」

「あぁ・・・・・・・・・」

挨拶もそこそこに、男はさっさと踵を返す。随分と急ぎ足だ。次の願いを叶えに行くのだろうか。

この数分のやりとりで、自分の人生がスッカリ変わったのが信じられない。

これは一種の明晰夢で、本当の俺はまだ薄汚れた布団に丸まっているのではないか。いや、やっぱりこんな上手い話はないのではないか。落ち着かない所為で貧乏ゆすりが止められない。

妙な不安に襲われて、トラックに戻ろうとする背に思わず声を掛けた。

「な、なあ!嘘じゃないんだよな!本当に、叶えてくれるんだよな!」

ステップをカンカン登りつつ、潰れたブルーグレーの帽子を被り直し、男は首だけこっちを向いて言った。

「ええ、間違いはありません」

顔は陽炎に揺らいで縁が濁っていた。トラックの青文字と溶け合い、消えてしまいそうだ。

俺は叫んだ。

「なら、一つだけ教えてくれ!どうやって100億なんて用意するんだよ!嘘じゃないって言うなら・・・・・・・・・」

トラックのドアが大きな音を立てて閉まった。

全開の窓から覗いた奴の顔は、さっきと変わらず境界が分からない。

ただ三日月型に白く、その口が歯を剥いた。

「お客様、それはですね」

けたたましくエンジンが噴かれる中、男の声が腹に響く。

「小包みを受け取ったお客様から、いただいているのですよ。選ばれる時と同じように。説明書に記載してありましたが」

言い終わるや否や、トラックは風になって走っていってしまった。


唖然とした。

暫くその場で棒になって動けなかった。

気付けば風は身じろぎもせず、腕には小さな段ボールが、自身の重みを主張していた。俺は玄関に戻り、ロックを三重にして、リビングとを繋ぐドアにもたれて箱を開けた。

中身は通帳が一冊。

残高は100億と数十万。

表の氏名は俺のものだった。


目線を上げると、玄関ドアが輪郭を忘れたまま凪いでいた。

分厚い磨りガラスから漏れる秋の日差しは、冷たい心臓を串刺しにしている。

俺はいつまでもいつまでも、ドアの揺れるのを眺めた。いつまでも、全部些事になって、居なくなってくれる事を願って。



・・・・・・・・・その日、一人の男が孤独死した。

誰かの可愛い願いが叶う代償に・・・・・・・・・


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