ゲーム

柿井優嬉

 聞こえたパトカーのサイレンの音がどんどん大きくなる。つまり、パトカーがこっちに近づいてきている。

 その音が鳴りやんだ。

「近いよな?」

「ああ」

 僕の目の前にいる男子たちが小声で話している。

「どこだ?」

「ゲーセンだろ、きっと」

 現在、午後の八時半過ぎ。僕は中学生で、塾の教室にいる。駅のそばの塾で、何メートルだか離れたところにゲームセンターはある。行ったことはないけれど、不良がたむろしているらしい。だからパトカーが来たのはそこに違いないと、おそらく他の多くのコも思っただろう。

「じゃあ、今日はここまで」

 授業を行っていた男の先生が言った。

 僕は帰り支度を始めた。すると、少し離れた席から大きめの声がした。

「おい! こいつ、ゲーム持ってるぜ」

 ビクッとしてその方向を見ると、一人の男子の周りで、友達っぽい男三人が、ふざけて軽蔑するような態度をとっている。

「うわー」

 ゲーム機を持っているらしいコは、焦った様子で弁解した。

「違うよ。これ、俺んじゃなくて、兄貴が昔使ってたやつなの。人のカバンにいたずらで入れやがったんだよ」

「いいよ、いいよ。そんな嘘つかないで」

 三人のうちの一人が、大げさに優しく振る舞うからかい方をした。

「本当だって」

 三人はなおも続けた。

「さっきのパトカー、お前を捕まえにきたんじゃねえの?」

「だな。そんで、見つけられなくて困ったかもな。通報しにいこうか? 感謝状もらえるんじゃねえ?」

「ハハハハッ」

 僕は軽く息を吐いて、塾を後にした。


 暗い夜の道、塾から自宅へ自転車で向かっていた。

「ん?」

 自転車の乗り心地がおかしい。降りて、タイヤを見てみた。

「あれ?」

 パンクしたのか、前輪の空気があまり入っていなかった。

 本当にパンクなのか、多分そうだけれど、もう自転車店は閉まってるよな、などと考えていると、背後に気配を感じた。

「おい。何やってんだ? あんちゃん」

 振り返ると、五十代だろうか、少し老けた感じはあるものの、普段肉体労働でもしていそうでがっちりとした体の、酔っ払ったおじさんが立っていた。

「いや、何でもないです」

 酔ってるし、変なことをされたら嫌だと思い、慌てて去ろうとした。

「何でもなくねーだろ」

 おじさんは僕を止めた。自転車に問題がなければ、振り払って、乗って逃げたかったけども、今の状態だとどうなるかわからないから、素直に捕まるかたちになった。

「何だ、あんちゃん。塾か何かの帰りか?」

 笑顔で訊かれた。機嫌はいいみたいだ。

「はあ……」

 僕はうなずいた。

「偉い! こんな時間まで勉強するなんて、普通できないぞ」

 おじさんは僕をグイッと引っ張った。

「ちょっと来い」

「え?」

 僕は軽く抵抗した。

「大丈夫だから、来い!」

 おじさんは僕の自転車が目に入っていないようだ。僕はどうにかカギは取って、自転車を置いたまま連れていかれた。

 そしておじさんは近くにあった屋台に入っていって僕を座らせ、自分は隣に腰を下ろした。

「オヤジ。このあんちゃんに適当に見つくろってやってくれ。俺のおごりだ」

 酔っ払いのおじさんと同じ、でなければ少し上くらいの歳に見える、穏やかな雰囲気の屋台のおじさんに言った。

「ちょっと、ネンさん。どっから連れてきたの? このコ」

 屋台のおじさんは僕に視線を注ぎながら尋ねた。

 ふと見ると、ネンさんというらしい酔っ払ったおじさんは、首を上下させて、座ったまま眠ってしまっていた。

「今のうちに行きな」

 屋台のおじさんが僕にささやいた。

「はい」

 僕は急いで帰ろうと立ち上がった。 

 しかし、わずかなガタッという音に反応したのか、酔っ払いのおじさんは目を覚まして、僕を座らせた。

「だから大丈夫だって言ってんだろ」

 寝ぼけているようだ。

「オヤジ。このあんちゃんに適当に見つくろってやってくれ。俺のおごりだ」

 またそう口にすると、今度は僕の腕をしっかりつかんで眠りに落ちた。これじゃあ、逃げようと動けば、再び目を覚ますだろう。

「どうして連れてこられたんだい?」

 屋台のおじさんが僕に問うた。

「あ、塾の帰りなんですけど、こんな時間まで勉強して偉いって言って……」

「そうか」

 おじさんはその返答だけで納得すると、僕の前に数個のおでんの具を載せた皿を置いた。

「しょうがないから、これ食べていきな。ちょうど腹が減ってるだろうし、お金はいいから。食べ終えたら、絶対に帰らせてあげるからさ」

「はい」

 僕もそれでいいと思い、おでんを食べ始めた。

 そこで、ずっと流れていたラジオの音声が耳に入ってきた。

「またしても、少年による犯行でした」

 アナウンサーだろう、中年っぽい声の男の人がしゃべっている。

「警視庁は、東京都南区のマンションで十日に起きた強盗殺人を、十六歳の少年による犯行と断定し、逮捕しました。調べに対し少年は……」

 ここのところ、未成年の事件が多い。僕は同じように少年犯罪が社会問題化していた当時のことを思いだした。


「博之。ゲームばかりしてないで、たまには誰かと外で遊んだらどうなの?」

 休みの日に家でゲームをしていると、お母さんが言った。

「うん……」

 僕には一緒に外で遊ぶような仲の良い友達はいない。それに、ゲームが好きで単純にやっていたかった。

「いいじゃないか、やらせてやれば」

 お父さんが横からそう口にした。僕の様子から察して言ってくれたのかと思ったけれど、それだけじゃなかった。

「もうすぐ、できなくなるんだからさ」

「え?」

 僕は意味がわからず、お父さんに視線を向けた。

「何だ、知らなかったのか?」

 お父さんは新聞を取って、めくり、何かを捜した。

「ああ、これだ」

 見つけた記事を僕に見せてくれた。それは「ゲーム禁止法 可決へ」という見出しだった。

 小学生だった僕はお父さんに内容を説明してもらい、その後は自分でニュースを観たりして、この件について理解を深めるとともに経過を見守った。

 少年犯罪が多発するなか、大きな原因となっているのはコンピューターゲームによる脳への影響だとして、五年後から、大人は暴力的だったり問題があるもの、子どもはほぼ全面的に、コンピューターゲームを禁止にするという法律ができたのが約四年半前。それによって当時、ゲームの制作者やゲーム愛好家の人たちを中心に、ものすごい反発の動きがあった。しかし、「子どものため」と毅然とした態度で言い続けた総理大臣は一方では喝采を浴び、世論は二分。一時議論は白熱したが、日が経つにつれて徐々に熱は冷めていき、なんとなくその法律を容認する雰囲気になっていった。

 そして新しいゲームは、施行前だけれど法律の萎縮効果でつまらないものばかりになり、法案成立の少し前に発売された、スマートフォンに対抗すべく、あらゆる力を注ぎ込んで作られたと言われる、「ゲームワールド」という携帯型のゲーム機とそのソフトが、ずっと人気のトップを保っている。さっき塾でからかわれていた男子が持っていたのも、おそらくそれだろう。

 現在、すでに親にゲームを禁止されている子どもが大半で、ゲーム機を所持していたり、ゲームをやっているコは、嫉妬を買うおそれが大きいために堂々とは遊べず、もし他の子どもにそれがバレれば、さっきのコみたいに、酒やタバコなどと同じふうに悪いことをしているといった眼で見られるようになってしまっているのだ。


 屋台のおじさんの助けもあって、酔っ払いのおじさんから逃れることができた僕は、やっぱりパンクしていた自転車を引きずりながら、家へ向かって道を歩いている。

 僕は、最近の少年犯罪の多発は、施行が迫ってきて、ゲームができなくなることを悲観してというのもあるんじゃないかと思っている。

 それよりも、明日学校に行きたくない。行きたくないのはいつものことでもあるが、特に明日は。

「ハー」

 ため息が漏れて出た。

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