茈色の血を舐めろ
静谷 清
1章:愛子さん
■
死にたいほどしょうもない日々は送ってないけど、ずっと生きていたいほど素晴らしい日々は過ごせていない。そんな人生を送っていた僕の世界に現れたのが彼女、愛子さんだった。愛子さんは成績優秀、眉目秀麗、ついでに運動もできる完璧な人だった。
転校してきた彼女はなんだかぼぉっとしてて、それでいて真っ直ぐ前を向いていた。だから、クラスの人からも注目を集めたが、彼女は人に皆目興味がないらしく、「やあ、お早う」と声をかけても何も帰ってこなかった。僕もこないだから、声をかけ始めたが、見向きもされなかった。仕方がない。
クラスの人たちは、そのうち愛子さんを置物のように扱うことにしたようで、必要な連絡事項以外は、空気と同じ扱い方をした。それでも愛子さんはいつも通り過ごしていて、それを見ながら僕はいつも、彼女の時空と僕らの時空の軸がなんだか全く違うとこのような気がして、それがこの上なく嬉しかった。
だが、彼女はそのうち僕の挨拶を返してくれるようになった。僕が「お早う」と言うと彼女も「お早う」と返すのだ。始めたのは僕だが、まさか変化が起こると思っていなかったので、驚きつつそれからも毎日挨拶を交わした。そして今日、彼女は僕に話をしてきた。
「あなた、私が挨拶を返さないと思っていたでしょ」
ご存知、そう思っていた。
「いつも朝学校で挨拶をしてくるのはあなただけだから、記憶に残っていたの」
「ありがとう」僕は、ここでようやく彼女が僕の目を見つめていることに気がついた。彼女の目は薄い硝子の中に太陽が光っていて、その力強い目で僕を見つめていた。僕の目はその視線を受け止めきれず横をむこうとしたところで、彼女はこう言った。
「あなたを私の友人として認めてあげる」
その台詞はまるで、王様が戦争で活躍した兵士を褒め称えるように、僕にまっすぐ向かってきた。
「えぇっそれって僕と友達になるってことかい?貴方が?」
「うん、そうよ」
これは驚いた。彼女の中で僕の存在は、夜空に輝く星空の月、それを見ているさなか目の端っこにでもひょこりと居座っている雑星としか思っていないだろうと考えていた。事実、今日までそうだったはずだ。おそらく、気づいたのだ。僕が愛子さんのことを生涯忘れることのない、いわば魅了されきった人間だということを。
「友達になったんだからこれからは遠慮なんてしなくていいわ」
そう言うと学業開始の合図が鳴り響き、僕は自分の席に戻った。それから、授業を受けている間少し妄想をしてみることにした。僕は決して優秀な人間ではないから、恐らく彼女の探究的な欲求が刺激され、僕に興味を示した訳ではないだろう。ではなぜ、今になりいきなり僕を友達として認めるなんてことを彼女は言ったのだ?「友達」「友人」…人と人とが仲良くしている間柄のことをそう呼ぶのではないのだろうか。僕と彼女はこれからそんな間柄になるのだろうか。
授業も四つ終わり、昼休みの時間になると僕は自分の席で弁当箱を開ける。友達はいないので、こういう時喋れる人が居たらいいのかなぁなどと考えていると誰かがこちらに歩いてきた。言うまでもなくそれは愛子さんだった。
「ここ、いいかしら」
と言って返事を待つ気もない様な表情で僕の席の前の席の椅子に座る。そうしたら彼女も、弁当箱を置き眼の前で昼食をとりはじめた。彼女の弁当もやはり、彩色豊かでヴァランスのいい食事なのだと、聞かずに解釈した。黙々と彼女は食べ進めるので、もしかするとこちらから話し始めたほうがいいのかしら、と思い
「やぁ、やはり昼時になるとお腹が空くねぇ」などと呟いてみたが、言ったあとでこれは会話にもならぬ、心底つまらない事を喋ってしまったなぁと落ち込んでいたら「そうね」と、
彼女が返事を返してくれた。どうやら彼女も僕と同じで、飯時に人と話すことは嫌いじゃないらしかった。
「僕は断然米のほうが好みだから、昼食はずっと白米にしているが、貴方はどちらのほうが好きなのですか?」
「私もお米が好きね。パンは朝食べてこそだと思うの」
「僕もそう思いますが、やはり昼は米を食べてしまう。これは何か、日本人の性質的なものなのか。それとも、僕個人が米食人なだけなのか」
「そうじゃない?私は時々昼にパンを食べたりするわ」
こんな会話だったが、僕は少しづつ彼女の領域に踏み込んだ気がして、嬉しくなった。だけど、これ以上は踏み込めなかった。少しでも、機嫌を損ねるような言動をしてしまうと、彼女は僕のことを冷ややかな目つきとともに顔面に平手をし、明日にでも他の学校へ転校することになるのではないか、と思ったからだ。まったく捻くれているなぁ。
次の日もまた次の日も、僕らは一緒にご飯を食べた。時々、会話に花を咲かせながら。五日目の好物の話を終えたあとふと彼女が、
「次の土曜空いてるかしら」と言った。僕は驚きつつも「はい」と返した。そうすると彼女は、何だかホッとしたような顔を見せたかと思えば、少し勿体ぶる顔つきで僕にこう言った。
「じゃあデートしましょうよ」
絶句した。まさか、あの、あの愛子さんが僕に恋愛的交遊を誘って下さるとは夢にも思わなかった。
「分かりました」
良かった。頭では動揺していても、口だけは動くようだ。なんとか、不審がられないような返事を返すことができたハズだ。とはいえ何故僕をデートに誘うのか、これが分からない。なら聞くほかない。
「ところで、何で僕ですか?」
そう言うと彼女は少し笑って
「だって貴方可笑しいもの」と言った。僕は、それが褒められたのか貶されたのかも分からず、何個か疑問符を脳で生産した後、少し笑った。
2日後に僕は街のちょっと人が多い場所で愛子さんを待った。昨日から動悸が収まらない。勿論病気ではない。しかし実質心臓だけがマトモに稼働している僕の体内は、大はしゃぎで喜びの血液を運んでいた。すると微かに僕のことを呼ぶ声がする。それは愛子さんの声だった。
「お待たせ、じゃあ行きましょうか」
僕は声も出ず頭を前後運動させ、彼女について行く。デートプランは彼女が考えていたので、僕はそれに従うだけ。なんて役に立たない男子なのだろう。旗から見れば、召使がなにかに見えるに違いない。いや、従うだけではいけない。これは千載一遇のチャンスなのだ。ここでもし、彼女の心を優しい気持ちで手入れしてあげれば、僕のことを少し気に入ってもらえるかもしれない。
街を回り、店を回り、資本主義賛美的な服装を見て回った。ほう、街に蔓延るカップル達は、皆こんな事をして貴重な休日を浪費しておるのか。甚だ共感は出来ないが、彼女が考えたプランを馬鹿にはできない。僕らはそれが終わり一段落ついたら、喫茶店に入った。
中には数名の男女がおり、クラシック音楽を流し、外に出られないようにする魔の空間が広がっていた。普段からこんな場所には寄りつかないが、今日は別である。一番出入り口から近い席を選び、メニューに目を通す。
「ね、こういう喫茶店てあんまりライフガード出してないわよね」
「そりゃそうでしょ」
「え、なんで」
「やっぱり店の雰囲気に合うものしか出さないんじゃない?」
確かにそうね、といったような顔をした後、愛子さんはコーラを頼んだ。中々似合わないものを飲むなぁと思い僕はジンジャーエールを頼んだ。だって、珈琲の気分じゃないし。
あまり喜んだ表情をしていない店員がすぐ飲み物を持ってきたので、僕はストローを出して飲み始めた。彼女もストローをテーブルの備え付け類の所から取り出すと、
「やっぱり、私にはこういう行為は似合わないわね」と言った。
「こういう行為って?今日のデートの事?」
「そう、貴方も知ってると思うけど私って重い病気を持ってるの。美形薄命ってやつね。だから、余命も知ってるの」
「ああ、やってみたいことリストみたいなもの?」
「理解が早くて助かるわ。まぁそんなものよ。別にノートに書き記したりとかはしてないのだけど、漠然と死ぬことばかり考えながら死ぬよりかは、いろんなことで忙しくなりながら死にたいの」
ちょっと分かる。僕もなんとなく病死とかは好まない。ベットの上で就寝して朝起きたら幽霊だった、みたいな。
「花の高校生というのは、いつの世も色恋沙汰に熱心と言うわ。私も今日貴方とそのデートをやってみたけど」
「お気に召しませんでした?」
「まぁね、楽しく無かったわけじゃないけど」そう言うと彼女はコーラを嗜む。成る程、急に彼女がそんな事を言い始めたのは僕だからデートしても良いと思ったのだろう。それか、暇そうなのが僕だけしかいなかったか。何方でも構わない僕は愛子さんの言うことをなるべく実行するつもりだ。でも、
「じゃあ愛子さんと休日会えるのは、これが最初で最後かぁ」
「え?何言ってるの。別に遊びくらい付き合うわよ」彼女は首を傾げながら言う
「私達友達でしょ?」
僕らは炭酸飲料を飲み終わると、満足して喫茶店を出た。外はまだ明るく、そろそろ白い吐息を吐く季節が来る頃であった。僕は夕陽を眺め、目を紅くしながら愛子さんの方へ向いた。彼女の目は、僕より一層紅く輝いていた。
帰り道、彼女と別れた僕は火照った顔で歩くオジさん達に紛れトボトボと歩いていた。少しづつ月明かりが雲に隠れてゆき、足元を街灯でしか判別できなくなっていった。
「僕のことを友達だと思ってくれているあの人は、僕の心内を知ると落胆するだろうな…」
冬の空に負けぬ暗い想いで帰路をつくうち、ふと足を止めてこう考える。
「何故なら僕の話で笑ってくれて、僕を可笑しい人と褒めてくれる愛子さんを僕は恋愛的感情のある目で見つめているのだ…」
家に帰り、手を洗い、飯を食って、風呂に入る。なんてことない日常の一幕も今日は何処となくぎこちないだろう。
愛子さんとデート。それだけで、僕は宇宙を彷徨うような気持ちで浴槽に浮かんでいる。発泡入浴剤の溶けたあとにできる気泡と、僕の息が入った空気が触れた途端パチンと弾けて溶け消える…そこには僕の根底にある、浅はかさが住んでいる。
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