商業ギルドの職員でした
犬海ネイビー
第1話 突然の選択肢
「おはようございます」
まだ若干寝ている頭を起こしながら出勤した俺は、ドアを開けていつも通り朝の挨拶をする。ドアの向こうは俺の職場の商業ギルドだ。
「……レノさん、おはようございます」
ん?なんだこの雰囲気。職員は既に何人も出勤しているというのに、いつものような張りのある挨拶が返ってこない。
「レノ!こっちこっち」
「え?なに?」
「いいから、とりあえずこっちに来いって」
明らかな違和感に動揺していると、奥の部屋から出てきた同僚のオリバーが小さく手招きしてきた。
「オリバーおはよう。朝から何かあったのか?」
「あのな、レノ。フリッジさんが異動になった」
「え、なんで?!」
フリッジさんは副ギルド長であり、俺達がこのギルドで働き始めた時から可愛がってくれている上司でもある。真面目な人で、日頃から仕事に対しても丁寧に真摯に向き合っており、多くの商人達から支持を集める職員だ。
「この前、自分だけ優遇しろって無理を言ってきた商人がいただろ。当然そんなことは出来ないから、フリッジさんは拒否したんだが相手が最悪でさ。その商人の親父がダートだったらしい」
「げ。それでフリッジさんが異動ってことは、やっぱりあの噂本当だったのか」
ダートは最近この街で幅を利かせているダート商会の会長である。噂では貴族や政治家と裏の繋がりがあるらしく、今回のように本来介入出来ないはずの組織の人事や方針に、口を出してくることもあると聞いたことがある。
「俺達も他人事じゃないぞ。今朝ダートがいきなりやって来たと思ったら、フリッジさんを異動させたって得意気に発表してさ。今は、ギルド長の部屋で職員の名簿を確認してる」
「ダートがここに来てるのか?それに名簿ってまさか……!」
俺が思わず大きな声を出しかけると、オリバーは慌てて腕を引いて近づいた。そして小声のまま話を続ける。
「俺達職員も左遷されるだろうな。なあレノ、お前はどうする」
「どうするって何を?」
「このまま、ダートの言いなりになるのかってことだよ。俺はっ」
「君たち、勤務中にお喋りとは感心しないな」
オリバーが何かを言いかけた時、いつの間にか側に来ていたダートが嫌味ったらしい声を掛けてきた。後ろには複雑な表情をしたギルド長が控えている。
ギルド長は悪い人ではないが、頼りないところがある。例えば、今は気圧されちゃ駄目だろうというところで取引先の我が儘を受け入れてしまったり、素行の悪い職員や商人にも全く注意しなかったりするのだ。
新人の頃は穏やかで怒らない優しい人だと思っていたし、ギルド長にはギルド長の苦労があるとは思う。でも頼れる上司かと言われると、素直に頷けないのが正直なところだ。
そんなギルド長に常日頃から苛立つことの多かったオリバーは、ギルド長をチラッと見た後、ため息をつきながらダート達の前に出る。
「お喋りではありません。業務連絡をしていただけです。
「君、いいかね。フリッジは元副ギルド長だ。ギルド長、彼らは?」
「は、はい。左がオリバー、右がレノです」
ギルド長がおずおずと答えると、ダートは名簿をめくり俺達の名前と情報を探した。
「ああ。君たちはフリッジに可愛がられていたという上級職員か。安心しなさい。私は別に君たちを左遷する気はないさ。もちろん、フリッジがいないこの職場が嫌なら辞めても構わないがね」
左遷する気はないと聞いて、俺は一瞬ホッとしてしまった。しかし、きっとこのまま働き続けても状況は好転しない。おそらくダートの息のかかった者が、副ギルド長になるだろうし。
「私は今日限りで退職します。腐敗することが目に見えているこの場所に残る気はありません」
頭の中でどうすべきかぐるぐる考えていると、先にオリバーが言葉を返した。
「はっ!腐敗か。まあ良い。では、レノといったか?君はどうする」
「私は……」
俺は悩んでいた。オリバーの言う通り、ここはもう駄目だ。そう頭では理解しているが、いつも安定した道を選んできた俺には、今すぐに職を手放す決断が出来なかった。
「私は……続けます」
俯いたまま返事をした後そっと隣を見ると、オリバーは眉をハの字にして力なく笑っていた。同僚であり友でもある彼を失望させてしまっただろうか。俺はその場で、オリバーに対する申し訳ない気持ちと気まずさから目をそらすことしか出来なかった。
***
オリバーが去った数日後、俺を含む残った職員達はガラリと変わった日々を過ごしていた。上層部にはダートの息がかかった職員が配属されて、ダート商会を優遇するような業務ばかりさせられる。当然他の商人からは不満の声が上がるので、板挟みになる下級職員やフォローに入る俺達上級職員は、常に疲労困憊状態である。
そんな酷い環境の毎日に、真面目な職員は一人また一人と辞めていき、怠惰な職員と状況をよく知らない新人だけが残ってしまった。
「レノって本当融通が利かねーよな」
「だよな。ゴマでもすって手抜いてくれれば、俺達も楽なのにな」
はあ。また俺の陰口か。そりゃお前達みたいに手を抜いて、ダートの顔色だけを伺えば楽なのかもしれないけどさ。
「でも、それだと真面目にやってる商人側に迷惑がかかるしなあ」
今までのやり方を簡単に変えられない俺は、元々の性格も相まって、日々自分を追い込んでいくことしか出来なかった。
「……退職します」
俺は耐えられなくなり、結局仕事を辞めた。こんなことなら、オリバーと一緒に退職しておくべきだったよな。そう思っても今更だし、真面目に丁寧にやることが正しいのかさえもうよくわからない。すっかり自信がなくなってしまった。
「職探し、どうしようかな……」
「ちょっと、そこのお兄さん!クエストに行く前にうちの串焼き買わないかい。力がつくよー!」
気が滅入り、無気力にあてもなく街を歩いていると不意に屋台の女主人から声を掛けられた。
「え。クエスト?あ、ここ……いやあ。はは。俺冒険者じゃなくて、一般人でして」
周囲を見回せば、目の前には冒険者ギルドの建物があり、そこら中冒険者だらけであった。いつの間にか、俺はこんなところまで来ていたのか。
「冒険者じゃなくてもいいさね。お兄さん元気ないから負けてあげよう!ほれ、一本80
「あー、えっとじゃあ。一本お願いします」
気付けば足も疲れていた俺は串焼きを買って、一先ず噴水前のベンチに座った。小声でいただきますと呟いて、早速かぶりついてみる。
「ん。美味いなこれ」
相変わらず無気力なまま何となく口にいれたが、結構美味い。濃いめの味付けは、汗をかく冒険者相手の店だからだろうか。
「……あの、すみません」
肉を咀嚼しながら、そのままボーッとしていると影がかかり、上から男の声が降ってきた。見上げると、背中に大剣を背負った褐色肌の青年が立っている。背が高く体格の良い彼はニコリともせずこちらの顔をじっと見ているが、何か用でもあるのだろうか?
「どうされました?」
「突然すみません。俺は冒険者のジェイドと言います」
「あ、どうも。俺はレノです」
ジェイドと名乗った彼は、冒険者にしては珍しく丁寧な口調で話しかけてきた。礼儀正しく頭を下げる仕草につられて、俺もつい流れで名乗り会釈する。
「実は今、一緒にクエストを受けてくれる人を探していて。これなんですが」
そう言ってジェイドさんはクエスト内容が記載された薄い茶色の紙を、差し出してきた。俺は渡されるがままになんとなく黙読してみる。
題目 海に出現している魔獣モライルの討伐
依頼主 漁業組合
報酬 5万G
条件 2人以上のパーティーで挑むこと
ランク Bランク以上の者が、最低1人いれば可
へー。5万Gか。贅沢しなきゃ一ヶ月分の食費は賄えるな。危険は伴うが、一回のクエスト達成でそれだけお金が貰えるなんて夢がある。
「あ、すみません。ぼーっとしてて。俺を誘ってるんですよね。でも俺、冒険者じゃないので戦力にはなりませんよ」
「大丈夫です。その魔獣なら一人で討伐出来ますから。ただ、参加時と完了時のサインだけ一緒に来ていただけませんか」
どうやら彼は人数の参加条件を満たすために、俺へ声を掛けてきたようだ。普段なら、見知らぬ相手からの勧誘は何であれ断る。しかしぶっきらぼうな彼の様子を見ていると、何故か段々放っておけないような気持ちになってきた。疲れているからだろうか?
「……本当に戦力にはなりませんよ?」
「もちろん大丈夫です」
「では、その……サインだけならお手伝いします」
「ありがとうございます!」
俺が悩みつつもOKを出すと、彼は初めてパアッと顔を輝かせた。
「じゃあ早速、冒険者登録から済ませてしまいましょう。案内します」
彼は相好を崩した勢いのまま俺を窓口へ連れていき、ギルド登録とクエスト受付を済ませてくれた。こんなに喜ばれるなんてちょっと予想外だ。表情はちょっと固くなりがちなようだが、体格の良い彼が意気揚々とする姿は、大型犬がはしゃぐようでなんだか微笑ましい。
「次はいつギルドへ来たらいいですか?」
「魔獣が出やすい昼頃討伐に向かうので、レノさんには16時ごろここに来ていただきたいです。一緒に完了のサインをお願いします」
「わかりました」
仕事を辞めて特に用事のない俺は、予定を確認することなく頷く。
「それと、ギルドから受け取った報酬はその時渡します。半分の25,000Gで良いですか?」
「え?!いやいや、俺はサインだけなので報酬はいりませんよ」
ただの人数合わせでしかない俺に、報酬の半分も出すなんて太っ腹にも程がある。それに今回俺がやることなんて、ちょろっと最後にサインするだけだ。慌てて首を振ると、ジェイドさんはキョトンとして少し考えた。
「そういうものですか?わかりました。ではまた明日、お願いします」
「は、はい。また明日」
淡白で素っ気ないかと思えば、冒険者には珍しい丁寧さと妙に品のあるジェイドさん。金銭感覚も怪しいし、悪い奴に騙されたりしないのだろうか?
ある意味声を掛けたのが、俺で良かったのかもしれないな。彼の背中を見送った後、相変わらず呆然とした頭でそんなことを考えながらこちらも帰路に着いた。
***
翌日、俺は悩んだ末に結局港へ向かうことにした。サインだけすれば十分だと言われたが、今回のクエストは二人以上という人数指定があったはずだ。クエストの参加条件や達成結果の詐称は規約違反で罰が下るし、そんな条件をギルドがつけるからにはきっと理由があるので守った方がいいだろう。
「とはいえ、俺じゃ本当に戦力にはならないしなあ。この魔法道具が役に立てばいいけど」
クエストの条件を守るためだが足手まといになるのは不本意なので、とりあえず過去に仕事の関係で貰った魔法道具を引っ張り出してきてみた。レアなものもあるし、後始末ぐらいならなんとか手伝えるだろう。
「あとは、冒険者ギルドで魔獣の予習をしておきたいけど……あ、おはようございまーす」
冒険者ギルドの前で、開館を待っていると若い女性の職員が欠伸をしながらドアを開けて中から出てきた。
「わ!もう冒険者が来てる」
「はは。朝早くからすみません。おはようございます」
「へへ。こちらこそ失礼を。おはようございます」
「いえいえ。あの早速なんですが、ここで資料とかって読めますか?魔獣の特徴が載っているものだと嬉しいのですが」
「読めますけど……ふふっ!朝イチでお勉強に来るなんて珍しい方ですね。案内しましょう。こちらへどうぞ」
職員さんいわく、冒険者が本を読みに来ること自体珍しいそうだ。彼女は俺に席を用意してくれた後、魔獣一覧を持ってきてくれた。
「はい、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
早速、索引から魔獣モライルのページを開いてみる。この本は、沢山の魔獣を一気に知ることが出来る良い本だ。ただ、イラストと簡単な情報しか記載されておらず、深く知るには少し物足りない。他の本がないか聞きたいが、彼女はすぐにどこかへ行ってしまったしな。勝手に本棚を触っても良いのだろうか?
「お。兄ちゃんだな。朝から真面目に勉強しに来た冒険者ってのは」
他に情報はないものかと、とりあえずモライルに似た魔獣のページを開いていると、ギルドの職員達が数名ぞろぞろとやって来た。先程案内してくれた女性の職員も一緒にいて、俺と彼女は互いに会釈する。それにしてもこんなに大勢やって来てどうしたのだろうか。不思議に思っていると、たった今声を掛けてきた上司らしき恰幅の良い男性の職員が豪快に笑った。
「がははっ。たしかに珍しいお客さんだな。で、何を知りたくて本を読んでんだ?」
「魔獣モライルについて詳しく知りたくて」
「モライルか。じゃあ、あれがいいかもな。えーっと待てよ……ほれ。こっちの方が詳しいぜ。ちょっと字が細けえけど、勤勉そうな兄ちゃんなら大丈夫だろ」
彼は側にある本棚から、魔獣の解説本や資料を探して机にドサッと置いてくれた。確かに先程の本よりも、更に詳しい情報が載っている。
「ああっ!すみません。私が渡した一覧じゃ全然情報が載っていなかったですよね」
「そんなそんな!他の魔獣についても知ることが出来ましたから。とても勉強になりました」
最初に対応してくれた女性の職員が申し訳なさそうに謝ってきたが、彼女が渡してくれた魔獣一覧も一冊目に読むのにちょうど良くて助かったのだ。俺は謝らないでと慌てて声を掛ける。
「いやあ、本当に冒険者らしくない兄ちゃんだな。それでモライルだが討伐……いや。その体つきじゃ付き添いってとこか?あのクエスト、総合戦力は重視されてねえから、一人強いやつがいれば受けられるもんなあ」
「はい。俺は全く戦力にならないので、せめて自衛出来るように予習しておきたくてここに来たんです」
俺の目的を聞いた職員達は顔を見合わせると、一人が奥の部屋から15㎝程の銀色の棒を持ってきた。金属のような質感で先の方には二つ穴が空いている。
「これ、役に立つと思うから持っていきな。貸してやろう」
「ええっ。良いんですか?ありがとうございます。えっとこれはどう使えば?」
「これはチェンジロッドって言う武器兼魔法道具って感じのものなんだが、中心を握ってこんな感じで振るとだな」
そう言って、職員がロッドを握った状態で手首を返すように軽く振る。するといきなり、チェンジロッドは長槍へと変化した。
「わあっ!なんですかこれ!」
「うんうん。良い反応だな。こういうのも出来るぜ」
彼は俺の反応を見てニヤッと満足げに笑い、再びチェンジロッドを振った。すると今度はロッドの両端が大きく変化して丸い盾になった。その後も次々と短剣やペンなど様々な物に変えて見せてくれる。なんでもかんでもというわけではないが、頭の中でイメージ出来れば色々なものに変化させられるらしい。
「本当にお借りしていいんですか?これってすごく貴重なものでは」
「まあ珍しいものではあるが、うちの職員は皆、気に入った武器があるから誰も使ってねえしな。勉強熱心な兄ちゃんに貸してやるよ。討伐が終わったら、返しに来てくれればいいさ」
よくよく話を聞けば、彼らはギルド内の本や資料を管理する部署の職員で、俺が意欲的に学ぼうとする様子がよほど嬉しかったらしい。思わぬところで好感を得たようだ。
「では、お言葉に甘えてお借りします。ありがとうございます!」
武器兼防具を手に入れたが、これでひとまず、ジェイドさんの役に立てるだろうか?せめて自衛だけはなんとか頑張らないと。俺は本で得た情報を元に、頭の中でどう立ち回るか考えながらギルドを後にした。
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