「バスに乗り遅れるな」人民網日本語版に見る中国 V.3.3
@MasatoHiraguri
第1話 歴史は繰り返す 遣隋使・遣唐使
日本はかつて、朝鮮(現在の韓国)経由で中国文化(漢字・中国古典思想)と文明(米作・農工機具・政治・経済)を学んできました。
しかし、私たちが現実に経験しているように「コピーのコピーは写りが悪い」。
朝鮮という、中途半端な中国のコピーではオリジナルの中国がぼやけて(薄まって)しまう、ということに気がついた在来種純粋日本人。
そんな私たち在来種日本人の質問や追及に、彼ら朝鮮人では的確に答えられない。「隔靴掻痒(靴の外部から足のかゆい所をかくように、はがゆく、もどかしいこと。)」の感があった。
そこで、オリジナルの中国に教えを請うために、邪魔で足手まといな朝鮮をすっ飛ばし、直接中国と国交を結ぼうとした。「日出ずるところの国」なんて、口ばかりは偉そうなことを言いながら、遣隋使・遣唐使と2世代にわたり中国に教えを請うたわけです。
中国人というのは、その点は鷹揚というか人間のスケールがでかいので、朝鮮人のように、ウジウジしていない。ただ同然で、いろいろと教えてくれました。
在来種日本人も、モンゴル人のような野蛮人には徹底的に逆らい、元寇ではこれを撃退しましたが、宋や明朝のような純粋中国人(漢民族)と(朝鮮半島出身天皇や貴族ではない)在来種純粋日本人である武士階級は仲がよかったのです。
因みに、この遣隋使・遣唐使で中国から受けた恩は、19世紀(明治維新後)、いち早く西洋の文化と文明を消化吸収した日本人が、中国からの(魯迅や孫文を含む)約3,000名の留学生に伝授することで恩返しすることができました。
遣隋使
隋へ派遣された留学生。日本側の記録では推古天皇時代の607年・608年・614年と計3回だが、中国側の記録では600年にも派遣されている。聖徳太子の発案。
遣唐使
国際情勢や大陸文化を学ぶために、十数回にわたって日本から唐へ派遣された公式使節。大使・副使らふつう五、六百人が数隻の船に分乗して、2、3年がかりで往復した。20年に1度の派遣が原則だったらしい。630年が最初。唐末の戦乱のため、894年(寛平6)菅原道真の建議により停止。入唐(にっとう)使。
<参考> 広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店
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