第34話 海底

 「あん? どこに行ったんだよ、あいつ?」

 ゼンが海中をきょろきょろ見回して言いました。

 お化けクジラとの戦闘が終わって最後尾まで戻ってきたのですが、戦車部隊の中にメールの小さな戦車が見あたらなかったのです。

 部隊の最初から最後まで丹念に眺めていきますが、やっぱりメールの姿はありません。兵士たちをつかまえて聞いてみても、誰も渦王の王女の居場所は知りませんでした。


「隊列を離れたみたいだね」

 とフルートは難しい顔をしました。彼らが戦っている間に、こっそり抜け出したのに違いありません。

「あの……跳ねっ返りがぁ!」

 とゼンは顔を真っ赤にしてつぶやきました。

 放ってはおけません。

 フルートたちはすぐに戦車を駆って海流を抜け出し、今来た方向へ引き返しました。

 他の兵士たちがメールに気づかなかったところを見ると、下に潜っていったのに違いありません。フルートたちも海底を目ざします。 


 そのあたりの海は、深海とまではいかなくても、かなりの深さがありました。

 細かい砂や泥におおわれた海底まで下りていくと、海上から届く日の光もぐっと弱くなり、あたりは薄暗い景色になります。

 灰色がかって見える水の中で、魚たちが泳ぎ回り海藻が揺れていますが、その数はあまり多くありません。

 海底と地上の違いはありますが、ちょうど暗い荒野を思わせるような眺めでした。


 少年たちは黙って戦車を進めていきました。

 海底にはところどころに大きな黒い岩が山のようにそびえています。

 いえ、本当に山なのです。海底にも山はあり、谷がありました。地上とまったく同じです。

 海底の砂に平べったい魚やカニがうごめいていました。

 このあたりは水圧がかなり高いので、それに合った形の魚たちが多くんでいるのです。

 フルートたちは泉の長老の水の魔法で平気に動けますが、そうでなければ、水に押しつぶされて身動きがとれなくなるはずでした。


 ポチが戦車から伸び上がって行く手を見ました。

「ワン、メールの匂いがしませんよ。どこに行っちゃったんだろう?」

 海底を進めば進むほど、海の広さを改めて実感します。

 そこは水中のもうひとつの世界でした。果てしなくどこまでも続く砂と泥の大地に、山と谷が刻まれ、藻の森が揺れ、魚たちが獣のように動き回っています。

 当てもなく探し回っても、メールは見つかりそうにありません。


 フルートたちが途方に暮れていると、海底から一匹の魚が舞うように浮いてきました。

 薄っぺらい菱形ひしがたの体に細長い尾を持ったエイでした。戦車より二回りも大きい体で、周囲を泳ぎ回り始めます。

 彼らが思わず身構えると、低い声が聞こえてきました。

「なぞなぞ……なぞなぞ……」

 フルートとポチは、はっとしました。目の前のエイが言っていたのです。

「なぞなぞぉ?」

 とゼンは目を丸くしました。彼だけは、なぞなぞを話す海の生き物に出会ったことがありません。

 フルートは急いで説明しました。

「魔王の呪いでなぞなぞしか話せなくなっているんだよ。このあたりはもう東の大海なんだ」


 すると、エイは弦楽器を思わせる声で、こんなことを言い出しました。

「なぞなぞ。大勢を追いかける夜のむち。それを追いかける緑の若木。むちが振り返って若木を折るのは時間の問題。これは何だ?」

「はぁ? なんだそりゃ!」

 ゼンまた目をまん丸にしました。

 そんなの全然わかんないぞ、と声を上げそうになるのを、フルートはあわてて押さえました。わからない、と一言でも言えば、相手は離れていってしまいます。


「なぞなぞで何かを伝えようとしてくれているのさ。ぼくたちの味方なんだよ」

「えぇ? でもよぉ、夜の鞭とか、若木とか、いったい何のことだ? ここは海底だぞ――」

 そこまで言って、ゼンは急にはっとしました。真剣な顔つきになります。

「追いかける若木って、ここは海の中だよな。そんなもの本当にはないよな。ってことは、若木ってのは……」

「きっと、メールのことだ」

 とフルートは言いました。緑色の髪にほっそりした体つきのメールは、確かに若木のような印象があります。


 ゼンはあわて出しました。

「ちょ、ちょっと待てよ! あいつが何を追いかけてるって? 振り返って若木を折るって、まさか――」

 メールは夜の鞭を追っている、とエイは言いました。その鞭が、まもなくメールを振り返る、と。

 ワン! とポチが吠えました。

「夜の色は黒! 鞭は細長い形! きっと、黒い水蛇のことです。魔王のエレボスだ!」

 少年たちは息を呑みました。

 エイが舞うように泳ぎ回りながら言います。

「あたり、あたり、あたり」

 大型の弦楽器のような声が響きます。


「じょ……おだんじゃないぞ!!」

 ゼンはわめき出しました。

「あいつは水蛇のエレボスを見つけたって言うのか!? それを自分一人で追いかけてるって!? 馬鹿にもほどがある! 死ぬ気か、あいつ!?」

「君、メールのところまで案内できる!?」

 とフルートは急いでエイに言いました。

 エイは「なぞなぞ」と一言答えると、薄い体の両脇を翼のように動かしながら、海の中を進み始めました。鳥か蝶のようにひらひらした動きですが、その割には素早い泳ぎです。

 山の間をすり抜けるようにしながら泳いでいきます。


 その後についていきながら、フルートは言いました。

「夜の鞭は大勢を追いかけている、って言ってたよね。大勢ってのは、きっと渦王の軍勢だ。エレボスが後ろから迫ってきていたんだな。メールはそれに気がついたんだよ」

「だからって、一人で向かっていって勝てる相手じゃないだろうが! あの馬鹿、自分の力をわきまえろってんだ!」

 口では怒ってさんざんに言っていますが、ゼンの顔は真剣そのものです。

 青ざめながら戦車の手綱を握りしめ、エイにぴたりとついていきます。


 やがて、行く手に小さな戦車が見えてきました。

 そびえる岩山のふもとでじっと動かずにいます。

 戦車の上に緑の髪の乗り手を見つけて、ゼンは声を上げました。

「いた!」

 戦車をまっしぐらに向かわせます。

 後に残ったエイを振り返って、フルートは言いました。

「どうもありがとう。君は早く逃げて」

「なぞなぞ」

 弦楽器の声と共に、エイはひらひらと戻っていきました。


 戦車に乗ったメールの姿がだんだんはっきりしてきました。

 岩壁に隠れるようにしながら行く手を見つめています。その手には長い銛が握られています。

 メールが見る先を見て、フルートたちはまた、はっとしました。

 黒い巨大な生き物が、海底の砂の上で長い体をいくつにも折り曲げ、大きな鎌首を上げて上のほうをみていたのです。

 ハイドラにも劣らない大きさの、真っ黒な水蛇です。

 蛇が見上げているのは、海流の中を進んでいく渦王の軍勢でした。


 ポチが鼻を上げて水の中の匂いをかぎました。

「ワン、エレボスの匂いだ。やっぱりあの水蛇の正体はエレボスですよ」

 もうかなり敵に近づいていたので、ささやくような声でそう言います。

「くそっ、早まるなよ」

 ゼンは歯ぎしりしながら戦車を走らせました。

 メールが手の銛を握り直すのが見えました。きっ、と行く手に横たわる蛇をにらみつけます。

 水蛇のエレボスまでは、ほんの十数メートルの距離しかありません。


 ゼンはフルートに手綱を投げようとしました。

「フルート、交代して――」

 言いかけて、ゼンは目を見張りました。

 ポチも驚いてフルートを見上げます。

 フルートは震えていました。

 たった今まで勇敢に行く手を見ていた彼が、戦車の車体にしがみつき、全身を震わせていたのです。

 顔色は土気色で、まるで死人のようでした。大きく見開いた目が、黒い水蛇を食い入るように見つめています。

 片手が自分の咽をかきむしりました。息ができなくなった人間があえぐように――。


 メールが戦車の手綱を引くのが見えました。魚たちに突撃の合図を送ったのです。

 メールの戦車が動き出します。向かう先は海底に潜む黒い水蛇です。

「フルート!」

 ゼンは思わずどなりました。

 けれども、フルートは動けません。魅入みいられたように水蛇を見つめて震えるばかりです。

「くそったれ!!」

 ゼンは戦車を急降下させると、手綱を放り出して、戦車の外に飛び出しました――

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