第11話 夜の海

 嵐は去りました。

 空は輝くバラ色の雲でいっぱいになり、波を同じ色で染めました。夕暮れがやってきたのです。


 海上を一頭だけになった波の馬が駆け続けていました。

 背中ではフルートとポチが眠っています。嵐をやり過ごして、疲れと安心から寝入ってしまったのです。

 金の石はもう光のベールを作るのをやめて、ただ静かに光り続けていました。

 彼らの先をウミツバメが飛び続けています。


 やがて目を覚ましたポチが、夕映えに照らされた海に気がついて、あわててフルートを起こしました。

「ワン、フルート、フルート、見てください! すごく綺麗ですよ!」

 フルートも目を覚まして、周囲の景色に思わず息をのみました。

 海の上は赤と金でいっぱいでした。弱まった風が起こすさざ波に夕日が反射して、ちらちら、きらきらと輝き続けています。

 浜辺で出会ったカニたちは、夕焼けを波にララの花が浮かぶと表現しましたが、まさしくそんな感じでした。


 行く手の水平線に、真っ赤な太陽が沈み始めました。

 水平線に太陽の端がかかったと思うと、溶けるように海の向こうへ消えていきます。

 フルートとポチは、太陽がすっかり沈みきるまで、ずっとそれを見つめ続けました──。 


 空と海から赤い輝きが消えると、空が暗くなって、星が見え始めました。

 夜の中でもウミツバメは飛び続け、後を追って波の馬が走り続けていきます。

 ポチがフルートを見上げてきました。夜になっても、星明かりでポチの白い姿は見えます。

「ワン、渦王の島って遠いんですね。どこにあるんでしょうね?」

 フルートは首を振りました。

 フルートこそ、それを知りたくてしかたなかったのですが、波の馬は口がきけないし、ウミツバメに尋ねればなぞなぞが返ってきてしまいます。

 うまく答えを言い当てられれば良いのですが、もしも間違えてしまったら、ウミツバメは彼らから離れていってしまうでしょう。水先案内人を失うようなことはできませんでした。


「お腹空いてない?」

 とフルートはまたリュックサックを下ろして、中から干し肉と水筒を取り出しました。

 ポチは喜んで干し肉を食べ始めましたが、フルートが何も口にしようとしなかったので、顔を上げました。

「ワン、どうしたんですか? フルートも食べないと」

「ぼくはいいよ。お腹が空いてないんだ。水だけ飲めば充分さ」

 とフルートは言って、水筒の中身を一口だけ飲みました。

 水筒は手の中で大分軽く感じられるようになっていました。実は、水も食料もだいぶ乏しくなってきていたのです。

 周り中が水なのに、海水は飲むことができません。早く目ざす渦王の島にたどりつかなければ、飢えや渇きで倒れてしまうかもしれないのです。

 けれども、フルートは何も言わずにポチの分の水を器に注ぐと、行く手に目を向けました。

 水平線の上にも星がまたたいています。島影はまだ見えません――。


 真夜中、ウミツバメがいきなりキィーッキィーッと鋭い声を上げました。

 この鳥は、小さな体で延々と海の上を飛び続けていたのです。

 波の馬の背でうとうとしていたフルートとポチは、はっと目を覚ましました。

 海は、いつの間にか空に昇ってきた月に照らされて、銀の鏡のように光っていました。


「なぞなぞ、なぞなぞ」

 ウミツバメがすぐ近くまで飛び戻ってきて、せわしない声で言いました。

「海の中行く獣の魚、島の背中に大きな噴水、なぞなぞ、なぞなぞ、これは何!?」

 嵐を告げたときと同じように、ひどくせっぱつまった声ですが、フルートには全然わかりません。

「海の中行く獣の魚……?」

 ポチがワン、と吠えました。

「ぼく、聞いたことがあります! 海には魚のような姿をした獣がいるんだそうです。中には、島みたいに大きなやつもいるって」

「それは?」

「ワン、クジラっていう生き物です。鼻が背中についていて、鼻に入った水を勢いよく噴き出すんだそうですよ」


「あたり、あたり、あたり!」

 とウミツバメが甲高く言って行く手を見ました。

 月に照らされた海面が、急にぐうっと持ち上がります。

 フルートは馬に言いました。

「危ない! 避けて!」

 波の馬はすぐに大きく向きを変えました。

 フルートとポチは背中から振り落とされそうになって、あわてて馬にしがみつきます。


 すると、海中から真っ黒いものが姿を現しました。

 小山のように大きな生き物です。

 海の上に突き出た頭は、醜いライオンのようでした。

 月に向かって口を開けると、オォォォ……ン! と咆哮ほうこうが海上に響き渡ります。

「こ、これがクジラ?」

 とフルートは驚きました。魚のような獣と言うより、まるで怪物です。

 すると何十メートルも離れた海上に大きな魚の尾が現れて、激しく水面を打ちました。

 そこまでクジラの体があるのです。

 信じられないほどの大きさでした。


「なぞなぞ! なぞなぞ!」

 ウミツバメが悲鳴のように言い続けていました。

 本当のなぞなぞを言う余裕さえないようでしたが、「逃げろ、逃げろ!」と叫んでいるのがはっきり伝わってきます。

 波の馬はいっそう速く走りました。脚の下で激しい波の音が上がります。


 すると、クジラが後を追ってきました。みるみる迫ってきます。

 と、いきなり水中から太い前足が現れて、波の馬とその背中の子どもたちをたたこうとしました。

 前足にはライオンのような鋭い爪がついています。

 馬はきわどいところでかわしましたが、爪の先が水の尾を引き裂いて、真っ白なしぶきが上がりました。


 ポチが叫びました。

「ワン、変です! クジラに足があるなんて聞いたことがない! これはクジラじゃない! 本物の怪物ですよ!」

 フルートは唇をかんでいました。

 波の馬にしがみつき、もう一方の手でポチを抱きしめているので、剣を抜くことができないのです。


 また怪物が襲いかかってきました。爪のついた前足が、今度はすぐ近くの水面をたたきつけます。

 ポチがまた言いました。

「ワン、ぼくを放してください! 風の犬になって戦います!」

 けれども、フルートはそれでもポチを放すことができませんでした。

 手を離したら最後、広い海上でポチと離ればなれになるような気がしていたのです。

 ポチを抱く腕にいっそう力をこめると、波の馬の上に身を伏せます。


 怪物がすぐ後ろまで迫ってきました。

 波の馬は矢のように駆け続けていますが、それを上回る速さです。

「ワン、フルート、フルート……!」

「キィーッ、なぞなぞ、なぞなぞ!」

 ポチとウミツバメの叫びが混じり合います。


 すると、怪物が音を立てて水中に潜りました。

 海はたちまち静かになって、月の光が水面を銀に照らすだけになります。

 フルートたちは顔を上げて、あたりを見回しました。どこにも怪物の姿は見えません。

「どこだ……?」


 その時、ウミツバメがまたキィーッ! と鳴きました。

 行く手の水面が大きく盛り上がり、水しぶきを上げながら巨大な頭が現れます。

 真ん中に鋭い牙の並ぶ巨大なトンネルが開いていました。怪物の口です。

「逃げろ!」

 とフルートはまた叫びました。

 馬が必死で方向転換します。

 けれども、怪物はおおいかぶさるように迫ってきて、海水ごと波の馬を呑み込みました。背中の上のフルートとポチも一緒です。

 そのまま海中深く潜ってしまいます。


 海は再び静かになりました。

 風がとだえて波が消えた海面を、月がこうこうと照らしています。

 怪物の姿はどこにもありません。波の馬とフルートたちの姿も見えません。

「キィーッ。なぞなぞ、なぞなぞ、なぞなぞ……!」

 ウミツバメの叫び声が、いつまでも夜の海上に響き続けていました。


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