第3話 みんな違ってみんないい(ぼろん)


 街の外で問題が起こりました。標的となっているのは冒険者だけです。だからギルドから冒険者を問題解決のために向かわせます。言うのは簡単であるが、始めるのはそう容易くない。先ず、人を集めなければいけないのだ。しかしそれは、ギルドの役目である。一先ず、ベエウアギアはお役御免となった。この間に逃げようか、と、言う話も出たが、ギルドは全世界にある。一度汚点がつけば、この後の仕事に影響が出るのは明らかだった。

「これからどうする?」

 アヴドーチアが問う。因みにギルドの外である。どうにも早く出て行って欲しいと、ギルド職員が圧を掛けてきたものだから、空気を読んだのだった。何と言っても魔族が一緒だ。いて欲しくないに決まっていた。少しでも機嫌を損ねようものなら、遺書を認めるレベル。

「カルサスイーニアさんの御宅に泊めて頂けません?」

「死んでも断る」

 即答だった。それはそうである。中に殺人鬼がいるのだ。

「じゃあ、ウードさんだけだったら?」

 エマニュエルが何でもない風に問うたその瞬間、塔姫は眼を見開いて固まったのだった。

 この、ドワーフ、ならぬ、騎士が、家に、泊まる……!?

 バッ、と、勢いよく首を捻りドワーフの方を見れば、何やら思案しているように見えた。

「いやじゃが、迷惑じゃろ」

 しかも、至極当然のことを言うのだ。突然よく知らぬ男が、女性の一人暮らしの家に押しかける等、迷惑以外の何でもない。考えるまでもなかった。だが、これは、普通の場合である。その女性が、片思いしている相手なら、話は別だ。

「いや、そんな、迷惑だなんて、あっ、でも、片付いてないんで……」

「散らかしたのはわし等じゃがなあ。ああ、では、わしが片付けに行くかの」

「えっ!?」

 咄嗟に出た声は大きかったが、誰も動じなかった。良くも悪くも突発的な事態には慣れていたのだ。そもそもこの場合、そこまで変わった事は言ってない。散らかしたのは間違いなくベエウアギアであり、その一員であるウードが片付けに行くことも間違った事では無いのだ。但し、カルサスイーニアからすれば別である。ちょっといいな、と、思っている相手が、家に来る。しかも二人きり。それも、建物内を片付けると言うのである。一緒に。これはもう、お付き合いの段階を超えているのではないだろうか。二人で室内を片付ける事など、普通の付き合いでは先ずないだろう。最早、新婚と言って差し支えないのでは? ここから二人の人生始まっちゃうのでは? 理想的な騎士と姫の行き付く先では? 段階のすっ飛ばし方が尋常では無かったのだった。人里から離れ数百年。常識的な関係の作り方など疾うに忘れていた。

 そしてここに、訂正する生き物は誰一人としていなかったのである。

 寧ろ、このドワーフが完全に魔族を手懐けてくれればラッキーくらいの考えだった。

「じゃあ、一先ずウードさんだけカルサスイーニアさんの御宅に御厄介になるって事で」

「よ、よいだろう」

「では、世話になるかの」

「三日後くらいに戻ってきてもらえます? その頃にはギルドも人集めを終えてるでしょうし」

「うむ。三日後に、う、う、う、ウード殿と共に戻ろう」

 ウの数が聊か多いが全員が聞き流したのだった。

「そう言えばどうやって戻るんですか? 転移魔法って転移陣がないと駄目なんでしょ?」

 アヴドーチアが問えば、塔姫が鼻を鳴らし、手のひらを上に向ければ何もない空間から、一枚の紙が丸まった状態で出てきたのだった。

「使い切りではあるが、こうして持ち運べるように作ってある」

「わあ、すごい」

「でもこれってさ、今此処で地面に書いちゃえばいいんじゃない?」

「は?」

 口を挟んだのは、アンドレアスだった。誰もが理解出来ないと顔に書いて寄越す中、手を地面に向ければ、何故か街中、石畳の上に、見覚えのある図柄が浮かび上がって来る。どのような原理か誰も分からない。描いたわけではない。刻んだわけでもない。ただ、浮かんできたのだ。

 転移魔法を使用するための、転移陣、まさにそれだった。

「どう?」

 ごく自然にアンドレアスが問えば、カルサスイーニアが両手で顔を覆った。

「もう、やだ……」

 恐らくたった一度見ただけのそれを、何故か記憶して再現してしまったのだ。この、魔族であるカルサスイーニアですら、長い年月をかけて身に付けたそれを、である。

「あ、あの、アンドレアスは天才なんで……」

「そう、余り気を落とさず……彼は天才なんで……」

 アヴドーチアとエマニュエルが揃って慰めの言葉を口にするが、逆効果だった。どう考えても追い打ちである。数百年生きる魔族に対し、恐らくただの人間、それも、十数歳である。人生経験も何もかも桁違いだった。

 結局肩を落としたまま、ドワーフと共に魔族は帰って行ったのだった。天才が描いた転移陣は、問題なく効果を発揮した。

「これで何時でもあの女の元へ行けるな」

 見送った首狩りが物騒な台詞を呟いたが、全員が聞こえない振りを決め込んだのである。

 ナクロガプラの冒険者ギルドにとって幸運な事に、この街に拠点を置く冒険者パーティの内、Aランク以上が揃って近場にいた事が判明し、三日足らずで集合が完了していた。元より、この街に拠点を置くパーティ数がそう多くない上に、Aランク以上ともなると二つしかない。ベエウアギアを合わせても三つである。だが、総人数には開きがあった。残念ながら個人レベルでAを超える冒険者は居らず、つまり、パーティーランクがAと言う事は、属する人間の総合値がAと言う事である。人数が多ければ多い程、ランクは上になり易いのだ。ベエウアギアは、六人。最小であった。他のパーティーは、軒並み二十人を超えている。普通に考えれば、個人の能力値が高いと判断するところであるが、明らかに首狩りと天才魔法使いがずば抜けているからであった。それでいて、二人とも個人のランクはそれ程でもないのだ。要は、パーティーランクが高いのは、今まで全員で熟した依頼のレベルが高かったからで、個人の方は試験が必要なのだが誰も進んで受けないのが現状だった。何故か。面倒なのと、首狩りの方は二つ名でもう忌避されているからである。後、項以外に興味がない。

「やあ、君たちがベエウアギアか」

 一人の青年が、にこやかに声を掛けてきた。見るからに裏のなさそうで、爽やかな、早い話がベネディクトの対極にいそうな男であった。

「オレはグラヴナー。フィリップ・グラヴナーだ。君たちと同じ、ランクAパーティー、シルヴィスの責任者だ」

「これは、ご丁寧にどうも。ベエウアギアのアヴドーチアです。すみません、ウチはあの、出来たばかりでこれと言って実績も無ければ協調性もないパーティーでして、」

 言いながらチラリとアヴドーチアは視線を動かした。つられてグラヴナーがそちらを見て、成程、と、一つ頷いた。視線の先にいたのは、ベネディクトとギゼラだ。本質は別として、見てくれだけは良いベネディクトと、同じくエルフのギゼラは酷く目を引いた。正に美男美女の二人に、周囲の目は完全に向いている。顔も良ければスタイルも良い。鍛え抜かれた体躯を持つベネディクトに引けを取らず、スレンダーで長身のギゼラ。見世物と言われても納得しそうだった。但し、パーティーとして実績がないわけではない。ランクAはそう簡単になれるものではない。ただ、余り深く話をしたくないからそう言っただけである。ついでに言えば、協調性は確かに無い。

「御機嫌よう、フィリップ。元気そうだね」

 其処へもう一人、今度は女性が話しかけてきた。癖のある長い髪に、眩しい程の肉体美。鍛え抜かれた体を見れば、一般人でない事は明らかである。

「そっちこそ、アンナ。相変わらず目のやり場に困るな」

 困ったように笑みを浮かべて言えば、アンナと呼ばれた女が快活に笑った。確かに、と、隣で聞いていたアヴドーチアは思っていた。何とこのアンナなる女性、ビキニアーマーを着用しているのだ。一歩間違ったら、ポロリである。防御力ゼロである。アーマー等と言ったところで、どう考えても、戦闘服ではない。

「初めまして、お嬢ちゃん。話は聞いてるよ。アドヴォックの責任者、アンナ・ブレニッケだ。よろしく」

「こんにちはアヴドーチアです。今回はよろしくお願いします。なるべく足を引っ張らないよう、後ろにいますので」

「はは、謙虚だね! 同じAランクだろ? そう畏まらなくても良いよ!」

 此方も此方で、人の良さそうな女性だった。やはり、大所帯のパーティーの責任者ともなると、こういう人になるのかもしれない。そうして自分のパーティーメンバー見て、属する生き物の差かも知れない、と、思い直したのだった。多分そう。

「全員集まったか! ギルド責任者、チェスカー・ラグランドだ!」

 場所はギルドの前だった。流石に、現地集合とはいかない。何せ現場は森の奥で、近くには魔族の住まいがある上に、入ったが最後、問答無用で攻撃されるわけである。今回の依頼はギルドからの直々である。責任者であるギルド長が出ない訳にはいかない。名乗りを上げたチェスカーに、地元の冒険者たちが、知ってるよだの期待してるぜだの野次を飛ばしていた。そう、部外者は、ベエウアギアだけだ。

「知っての通り、今回の依頼は、森の奥にいる何かの討伐だ」

「討伐で良いんだな?」

 代表して、グラヴナーが問うた。生け捕りにする必要性は本当に無いのかを聞いているのだ。それによって、作戦も変わるからである。

「構わない。森を、安全な場所に戻すのが第一だ」

 チェスカーが言葉を切る。だが、言いたい事は大抵の人間が理解していた。まだ、被害は、冒険者にしか出ていない。その間に解決したいと言っているのだ。何と言っても塔姫が住まう石造りの塔の近くの森など、普通の人間は近付かない。用が無いからである。但し、冒険者は別だ。金を儲ける為には危険を冒す必要がある。もし、謎の存在が森を抜け、街まで出てきたらどうなるか。被害は拡大し、冒険者は責められ、軍が出張ってきて、ギルドの立場は危うくなる。それだけは避けなければいけない。

 ただでさえ冒険者は人気がないのだ。

 人としてではない。職業として人気が無いのだ。早い話が別に選ばなくてもいい職業なのである。人の為になっている事もあるので、いなくなれば困るのだが、勧める職業ではないのである。危険を冒す割りに実入りは少ない。度々、軍から目を付けられる。もし腕に覚えがあるなら、それこそ、軍人になればいいのだ。人生の保証がある時点で、比べる余地はない。冒険者など、何の保証も無ければ、保証人すら要らないのだ。なりたいな、と、思って、冒険者ギルドに向かい、冒険者になりたいです! と、宣言すればなれる。極端な話、そうである。だから犯罪者が隠れ蓑に使ったりと、問題も多い。勿論、ギルド長や職員が目を光らせてはいるが、限界もある。お陰で度々、国から監査が入る有様。それでも、無くなったりはしないのだ。一応、役に立っているからである。街に住む人々は冒険者を忌避したりしない。感謝もする。でも、自分の子供に、冒険者は止めなさいと言う。そう言う事である。つまり冒険者と言うのは、大抵変わり者か、後ろめたい者の集まりなのだ。ベエウアギア等いい例である。首狩りに、どこぞの貴族から逃げ出してきた亡国の王女様である。先ず、ない。

「今から現地に向かう。それぞれのパーティーが責任もって辿り着くように。解散!」

 報酬は払うが、冒険者の身に責任は持てない。自分の事は自分で。冒険者の基本である。チェスカーの宣言が終わり、各々が動こうとした時だった。一瞬、光が視界を走って行った。気付けば誰もいなかった場所に、人が出現していたのだ。

「おお、丁度良いタイミングかの?」

「ほら、妾の言った通りでしょう?」

「うむ、お嬢ちゃんは凄いのお」

「う、ウード殿……」

 魔族が、ドワーフと共に転移魔法で現れたのだった。場にいた冒険者たちがポカン、と、口を開けて、のんびりと話す二人を眺めている。関係を知っているベエウアギアの面々だけが、別の事を考えていた。

 果たして、食ったのかどうかである。

 流石に、此処で声に出す命知らずはいなかった。

 如何にギルド長と言えど、この一帯に長年住みついている魔族に話しかけるには勇気がいる。なので、チェスカーは無視することに決めたのだった。ギルド長が何も言わないのであれば、他の冒険者も右に倣えである。但し、ベエウアギアを除く。

「今から森に向かうんですよね」

 エマニュエルが当然のことを言えば、それが何? と、全員が視線を向けた。

「カルサスイーニアさんの御宅の近くですよね」

 此処まで言えば誰でも分かる。要は、転移魔法で塔姫の家まで移動して、そこから歩けばすぐだと言いたいのだ。しかもこの場には、一瞬で転移陣を作る天才もいるわけである。

「妾が承諾するとでも?」

 尤も、カルサスイーニアが了承するかは別の話である。何と言っても、転移魔法の行先は家の中であり、絶対に招きたくない変態がいるのだ。だが、此処から森まで徒歩で移動はしたくない。街に何らかの被害がない事からも分かるように、それなりの距離なのである。

 ベエウアギアと塔姫が睨み合い黙る。

 折衷案を模索している。

 口を挟んだのは、勿論、ドワーフだった。

「駄目かの?」

「勿論大丈夫です」

 承諾が秒。この瞬間、他の面々は確信したのだった。

 食ったな、と。

 余談だがこの後、転移陣を出したアンドレアスが、転移魔法もイケるかも知れない、等と言い出し、それだけは頼むから止めてくれと塔姫が懇願する一幕があった。流石に可哀相、で意見が一致し、アンドレアスが魔法を使うことは無かった。でも多分イケる。内心で、ベエウアギアの予想は一致していた。何故ならアンドレアスは天才なので。


 魔族である塔姫が人間には無理な年月をかける事によって習得した転移魔法により、一瞬で移動する。無論失敗する事も無く、彼らは数日ぶりに石造りの塔内部に入ったのだった。

「こうして入れば壊す必要なかったんだね」

 アンドレアスが悪気無く呟けば、カルサスイーニアが両手で顔を覆った。ダメージがでかい。塔を壊された事も、転移魔法を真似されそうな事もどちらもダメージだった。人間なんて滅びればいいのに。内心で呪詛を吐く。モテドワーフが背中を摩っていた。悪阻に苦しむ女性を労わっているようにすら見えた。

 その様を横目に、エマニュエルが問うた。

「そもそも、出口って何処なんですか?」

「ないが」

「話にならなくないです?」

「殺すぞ」

 塔姫の精神、復活が早い。大体、転移魔法が使えるので、出入り口は要らないと言う考えなのだ。侵入者も防ぐことが出来る。その筈、だった。

「ならばもう一度壊すか」

 こういう人間が現れない限りは。平然と破壊しようとする変態に慄き、急遽カルサスイーニアはドアを作ることにしたのだった。魔法、万能説。因みに隣で見ていたアンドレアスが、僕も一個作っていい? 等と聞き出したものだから、泣き崩れたのだった。プライドをへし折りに来ました、と、言ってくれた方が納得出来た。残念ながらアンドレアスに悪気は一切ない。

 塔に新たに出来た扉から外に出れば、緑の香りがした。外は、森である。

「あの、カルサスイーニアさん、余計な事かもしれませんが」

「何じゃ」

 アヴドーチアが話しかければ、不機嫌そうに言葉を返す。

「この、新しく作ったドアの横に、手紙入れ作ったらどうです?」

「手紙入れ?」

「用がある人は、此処に手紙を入れろって。そしたら押し入り強盗とか多分ないと思うんで……」

 押し入り強盗が言うな。そう、塔姫は思ったが、別に何も盗まれてはいないのだ。殺されそうになっただけである。押し入り殺人犯。強盗が可愛いレベル。取り敢えず悪くない案だと思ったので、実践することにした。大抵の生き物は、此処にいる面々より常識があるだろうと。

 流石にもう転移魔法を使う距離でも場所でもない。諦めて一行は歩き出した。森の中をである。ハイキングに見えなくもない。但し、面子が物騒。

 ふと、カルサスイーニアはあることに気付いた。

 他の誰もが気を止めてもいないが、一度気付くと気になってしまい、とうとう、塔姫は問うたのだった。

「お主」

「はい?」

 話しかけた相手は、ギゼラだった。エルフである。見ての通りのエルフだ。金糸の髪に整った相貌、すらりとした体躯。

「エルフじゃな?」

「そうですが?」

 なのにその分かり切った事をカルサスイーニアは問うたのだ。不思議そうにギゼラが足を止め、首を傾げる。カルサスイーニアは相手の顔を見ていたが、徐々に視線を下げ、行き付くところまで行くと、眉根を寄せたのだった。

 此処は、森である。周囲には草木が犇めき、地面も緑で覆われている。土も見えるが、緑もある。木々の合間を縫って届く日差しは温かく、さりとて暑すぎず、植物が良く育つ季節だった。間違っても、枯れるような気候ではない。

 なのに、ギゼラの足元だけは、草の色が違うのだ。いや、今立っている場所だけではない。通って来た道筋を教えるよう、変色しているのだ。エルフは、草木と共に生きる、森の民である。花を咲かせたり、植物の成長を早めたり、何なら会話できる者もいると言う。

「枯れているよう見えるが?」

 とうとうカルサスイーニアは、直接的な言葉を口にした。

 そう、植物を愛し、植物に愛される種族であろうに、このエルフの下にある植物は死に近づいているのだ。

「わたくし、草木に嫌われておりますの」

 とんでもない事を言い出した。

 凡そエルフの口から出たとは思えない言葉に、カルサスイーニアは瞠目した。そうして思った。果たしてそれは、エルフと言えるのだろうか、と。だが見た目は間違いなくエルフなのだ。今までのカルサスイーニアの人生で会ったエルフも、大抵こういう感じであった。

 うむ、と、一つ塔姫は頷いた。

 そうして、歩き出す。

 何も分からないが、考えるのを止めて受け入れる事にしたのだった。何より、気にしているのは、カルサスイーニアだけである。他の面子は誰も気にしていないのだ。このエルフはこういうエルフです。そう、納得している。つまり、部外者が口を出す問題ではない。要は、諦めたのだった。世界は広い。草木に嫌われ、歩くだけで枯らすエルフがいる事もある。無理矢理己を納得させた。普通、ない。

 別段急ぐ事も無く、一行はのんびり歩いていた。因みに、会話らしい会話もない。草木が揺れ、踏まれ、時に枯れる音が耳に入る。不図、風に乗って、違う音が聞こえてきた。

「早いね」

 足を止め、振り返りながら言う。風に吹かれ、一つにまとめたアヴドーチアの髪が揺れた。つられて他の面々も振り返る。音はどんどん大きくなり、嫌でも何か分かった。人の、足音だ。それも、複数。

 街で別れた、冒険者たちだった。

 当然だが、移動手段と言うのは限られる。転移魔法など、限られた生き物の移動手段であり、普通は徒歩である。或いは、馬車。若しくは、馬そのものであったり、羽の生えた馬に似た魔物であったり、色々あるが、大抵は自分の足である。特に、然程距離が無ければ、先ず足である。

 つまり、他の冒険者は走ってきたのだった。

 大抵の冒険者は鍛えているので、走る事には慣れているのだ。

 ベエウアギアが分かると言う事は、先方も同じである。何故ゆったり歩いているのに、自分たちより早くこの場にいるのか。全員が同じ疑問を抱き、答えるようアヴドーチアがカルサスイーニアを指出したので、誰も口には出さなかったのだった。

 魔族がいるなら仕方ない。

 これである。人の想像を遥かに超えた力を持つ生き物なのだ。まさか他に、同じ人間でありながら転移魔法が使える人間が一緒にいるとは思いもしない。

「お疲れ様です」

 ベエウアギアの近くで足を止めた冒険者たちを労えば、揃って微妙な表情を浮かべたのだった。余りにも待遇が違う気がする。しかし彼方には、魔族の姫君にとっての騎士がいるのである。特別扱いされて当然だったのだ。誰も知らないが。

「会ったか?」

 代表して、ギルド長が問うた。勿論、謎の存在について聞いている。だが、此処まで何の異変にも遭遇していない。誰もが首を振った。

「まだ、奥か」

 そう呟くと、他の冒険者たちも心得たとばかり頷き、森の奥を見たのである。

「えっ」

 誰が何の合図をしたわけでもなかった。なのに、全員が走り出した。残されたのはベエウアギアだけである。完全に取り残されていた。

「えっと、アタシたちも、走る?」

 残念ながら、返事はない。後ろにいるって言ったし、いいか。問うたアヴドーチアも諦めたのだった。恐らくギルド長あたりが聞いていたら、頭を抱えていたに違いない。尤も今そのギルド長の頭に、ベエウアギアの事など無かった。 

 異変が、現れたのだ。

 複数の人間の悲鳴らしきものが緑を切り裂くように響いた。はた、と、ベエウアギアは足を止め、その後、走り出したのだ。この状況でのんびり歩くほど、危機感が死んではいなかった。何より一応、Aランクパーティーである。他の冒険者を見殺しにするわけにはいかず、急に人が変わったかのように地を蹴る一行に、驚いたのは塔姫だった。だが僅かに動きを止めたものの、すぐさま走り出したのだった。何せ、あの中にはカルサスイーニアの騎士がいるので。

 異変の真っ只中に入り込み、最初に口を開いたのはギゼラだった。

「カルサスイーニアさん、御姉妹がいらっしゃるなら最初に言って下さらないと」

「おらんわ!」

 森の中に、魔族の声が響き渡る。其処には既に怪我をして、地に伏した人間たちがいた。勿論全員ではない。しかし既に何らかの攻撃を受けた事は明らかだった。ただ、何らか、と、言えど、それは武器を使ったものではなく、魔法であろうとも。

「カルサスイーニア殿、本当に心当たりはないか」

 ギゼラが抱いた疑念は、何も一人だけのものではなかった。一切警戒を解く事無く、ギルド長もそう問うたのだ。何故か。冒険者と相対する位置に、一人の生き物がいるのだ。その生き物、なんと、塔姫ことカルサスイーニアそっくりだったのである。ギゼラが姉妹と口にするほどには。

「アレがやったのか?」

 質問と言うよりも、確認だった。

「そうだ。会話の余地なく一方的だ」

 ベネディクトの問いに答えたのは、グラヴナーだった。此方は無傷である。どうやら傷を負ったのは、パーティーの中でも実力が下の者らしかった。ブレニッケの所も同じである。

「アンタ、実力ありそうだね。どうだい? アタシ等三人で突っ込まないかい?」

 そのブレニッケは、まるで口説くかのようにベネディクトに持ちかけた。この三つのパーティーでの実力者が誰であるかを、瞬時に見抜いていた。しかし話しかけられたベネディクトは、何とか項が見えないだろうかと、顔を顰めていたのだった。ブレニッケは癖のある長い髪をそのまま下ろしていたので、残念ながら首の後ろは見えなかったのだ。ある意味ブレない男だった。

「あ、だったら偵察がてら、僕が最初に攻撃してみても良いですか?」

 此処でぼんやりと眺めていたエマニュエルが手を上げた。此方も一応剣士である。但し、ベネディクトとは違い、全く強そうには見えない。案の定ブレニッケは不満そうに眉根を寄せたが、特に何かを言うことは無かった。他所の、それも流れのパーティーである。勝手にすればいいと思ったのだ。どの道、後は三人で片を付ける事になるだろうとの思いもあったのである。

「エマニュエルが、出るんですか?」

 すると、焦ったようにギゼラが言った。

「うん、偶には僕が天才剣士だって事、アピールしておかないとね」

 にこやかに笑い、すらりと剣を抜く。すると、どよめきが起きた。細身の剣は淡く発光し、何とも人が作り出したものではないと、そう、思わせたのだ。これには、ブレニッケもグラヴナーも驚き、目を丸くする。誰も見たことが無い、そんな不思議な剣だった。

「おい、なんだ、ありゃあ」

 ギルド長が呟く。

「あの、出来るだけ下がった方が良いと思います本当に」

「は?」

 早口でアヴドーチアが言う。無言でウードはカルサスイーニアの手を取り後ろに下がり、アンドレアスも同じくエマニュエルから距離を置いた。勿論、ベネディクトもである。

 一体今から何が起こるのか。普通に考えれば、あの剣士が細剣で相手を倒すわけである。ただ、それだけの事だ。抜き身の剣を手にしたまま、普通にエマニュエルは前進している。カルサスイーニアによく似た何かが動く。敵が近付いた事で、排除しようと言うのだろう。手を前に出した。其処から放たれるのは、魔法だ。相手に触れる事無く、危害を加えるのだ。こうなるとエマニュエルがすべきは、魔法より早く剣技を繰り出す事である。剣を真横に構えると、そのまま相手の胴を横に斬るよう、水平に空を切り裂いた。勿論、剣先は相手に触れてもいない。距離が、有り過ぎる。ある意味只の予行演習にも見えた。

 だが、そうではなかった。

 次の瞬間、場にいた全員が耳を塞ぎたくなったのだ。突然、無数の羽音が襲い掛かってきたのである。今正に何もいなかったその場に、数え切れない程沢山の羽をもつ生き物が現れたのだった。

 妖精である。

 エマニュエルの周囲、そして、カルサスイーニアに似た何かの周囲、冒険者たちがいるギリギリまで、その空間に沢山の妖精たちが一瞬で姿を現したのである。そして現れたと思ったら、全員が手を伸ばし、一斉に魔法を放ったのだった。突風が何十にも吹き荒れ、それは何よりも鋭い武器となり、得体の知れない生き物を切り刻んだのである。胴を真っ二つにするどころではなかった。最早細切れにも近く、血が吹き出し、原形をとどめる事無く相手は死に絶えたのだった。

 一瞬の出来事だった。

 エマニュエルと妖精以外の全員が呆然としている。訳が、分からなかった。

「……おい、なんだ、ありゃあ」

 小声で、ギルド長が呟いた。全員の疑問を代弁するかのように。淡く光る剣は奇麗なままで、くるりとエマニュエルは振り返った。

「どうです、僕の剣技は!」

 剣技。剣技? 剣技!?

 果たして剣技とは一体。どう見ても、妖精が繰り出した魔法である。

「あの、ご覧の通り、エマニュエルは、妖精に愛されておりまして」

 小声でギゼラが言う。確かに見れば妖精たちはエマニュエルに擦り寄っている。それを虫でも追っ払うように、エマニュエルは手で払っていた。

「なのに、エマニュエル自身は、妖精が見えていません」

「嘘だろ!?」

 この場にいる全員、それこそエマニュエル以外は見えているのにである。俄かには信じられなかった。だが確かに、アレが演技だったら恐ろしい。妖精たちは挙ってエマニュエルに近付き、擦り寄り、何かを告げたりしている。勿論、告げられている本人は無視である。そもそも、見えていないらしいので。

「見えないのに、か?」

「そこがいいらしいです」

「分からん」

「妖精の事ですから……」

 因みに普段から、姿を消してずっと傍にいるのである。それがこうして剣を使う時だけ出て来て、実体化し魔法で相手をやっつける寸法である。エマニュエル自身は妖精が見えていないので、天才剣士だと思っていると言うオチだった。怖い。

「皆さんも、妖精に殺されたくなければ、何も言わない事をお勧めします」

 ひえっ。今正に妖精の数と魔法を見せ付けられた面々は、慄いたのだった。そうして、死んでも言わない事を決意した。何を? 事実をである。

 世の中、知らない方が幸せな事もある。

 見えはしないが、多少気配は感じるのかもしれない。鬱陶しそうにエマニュエルは手を顔の前で振り、払い除けられた妖精は頬を赤らめていた。怖い。因みに見えないだけでなく、声も聞こえない上に、触れられもしないのだった。

 意気揚々と戻って来た天才剣士(仮)にチェスターは問うた。

「あのよ、その剣……」

「これはある朝目覚めたら枕元に置いてあったんです。きっと剣の神様が授けて下さったんですよ」

 妖精の仕業です。

 エマニュエルを除く全員の予想が一致した瞬間だった。勿論大正解である。愛するあの人に贈り物をしたいと言う清らかな妖精の心が成した業である。剣の神様無関係案件。

 既に妖精は姿を消していたが、そこいらにいる事は分かっている。何となく口数が減る。妖精ってもっと可愛い生き物だと思ってた。大抵の人間のイメージを崩す出来事だった。

 さて、これにて一件落着。

 魔族を模した謎の生き物は、天才剣士によって一刀両断されて滅びました。事実は違うにしろ、そう言う事になる。そう言う事になる筈だった。脅威が去った事により、空気は緩んでいた。そこへ響き渡る新鮮な悲鳴。無論悲鳴の前に、違う物音があり、そこで対処できた者は、悲鳴を上げずに済んだわけである。

「カルサスイーニアさん、御姉妹が複数いらっしゃるなら、最初に言って下さらないと……」

「だから、居らんと云うておるだろうが!」

 森の奥から出てくる影。しかも複数。時同じくして飛んでくる魔法の数々。防ぎながらギルド長は冷静に考えていた。そう言えば、何体いたか、と、言う報告はなかったな、と。現実逃避である。

 カルサスイーニアによく似た謎の何か、一体ではなかった模様。

「下等生物共よ、下がれ!」

 魔族に取って下等生物とは、己以外の全てである。とうとう、この中で一番の強者であろう、塔姫ことカルサスイーニアのお出ましである。堂々と前へと進みである。その間にも、相手方から魔法は飛んできている。しかし、当たらない。魔法の方が、塔姫を避けるのだ。するとどうなるか。背後にいる冒険者に向かうわけである。

「マジでこっちの事考えねえよな」

 誰かの呟きは全員の代弁であった。大声で言える程の度胸は誰にもなかった。

「死に晒すがよい」

 まるで呪文の如く呟いた次の瞬間、炎が上がった。囂々と燃え盛り、逃げ場を塞ぎ、渦を巻いて襲い掛かったのだ。一気に温度が上昇する。これはもう、跡形も残らないに違いない。だが、ここで大きな問題が立ち塞がった。

 場所である。

 森である。

 周囲、燃えるものしかない。

 森林火災の発生である。

「マジでこっちの事考えねえよな!」

 呟きで終わる事象で無くなってしまった。最早、誰が敵か分からない始末。木々が燃える。動物たちが逃げ惑う。動物だけなら未だしも、魔物もいるのである。そう言う森だからこそ、冒険者が入って行き、今回の事に繋がったのだった。だが、例え問題を解決したとして、森が燃えたら終わりである。討伐任務が突然消化活動に早変わり。

「水魔法を使える者を援護しろ!」

 魔法で起きた火災は魔法で鎮火するに限る。しかしその魔法使いに何かあれば事である。幸い魔法使いと言うのはそう珍しいものではない。どのパーティーにも複数いるのだ。だが、ベエウアギアの中から前へ出たのは、魔法使いではなく、ドワーフだったのである。

「これはいかんな。ドワーフの神よ! わしに力を!」

 ウードが力強く天に向かって声を上げれば、その瞬間、空が光った。何事かと全員が動きを止め、そして、空から落ちてくるものに気付いたのだ。

「雨だ!」

 無数の水滴が空より降ってきたのである。

「お前さん、何者だ?」

 全身に降りかかってくる滴を感じながら、ギルド長が訝しんだ。しかし、ウードは怯むことなく言うのだ。

「わしはな、唯のドワーフよ。ただ、ドワーフの神にほんの少し気に入られておるのよ」

 それが事実なのかどうか、チェスカーには分からない。ただ、このドワーフは人間よりずっと長く生きるのだ。短命種とは、何もかも違うのである。そうか、と、疑問も何もかも全てを呑み込み、答えようとした。その時だった。

「これ、雨じゃねえぞ!」

「酒だ!」

「火が消えねえ!」

 森は燃え続け、火は盛り、空から酒が降ってきて、辺りは喧騒に包まれた。

「わし、ドワーフだからの」

 所詮、ドワーフだった。

「アンドレアス!」

 こうなるともう、頼る相手は天才魔法使いしかいない。

「お嬢ちゃん!」

 若しくは、ある意味諸悪の根源、魔族カルサスイーニアである。

「はい、ウード殿!」

 反応は塔姫の方が早かった。恋する乙女の切り替えの早さと言ったら、天才の動きを凌駕するのだ。そもそも燃やしたのもこの魔族であるが。因みにただ名を呼び合っただけで通じ合えるなんて運命位の事は思っている。恋する乙女の思考回路は単純明快なのだ。

 火を消すために雨を降らせる。これは一つの方法だろう。出来ればの話であるが。だがカルサスイーニアは魔族である。何もない空間から突然水を出すくらいは、普通の魔法使いとてやる。問題は、量である。この森へと広がりゆく火の手を一瞬にして無くす。その為に必要な水の量は。いや、その量が一瞬にして現れたら。

 溺れる。

 普通の人間なら先ずこれである。但しここにいるのは一端の冒険者ではある。多少なりとも何らかの心得があり、流石に溺死は免れていた。ベエウアギアの面々に至っては、咄嗟にアンドレアスが四方に壁を出現させたことにより、先ず濡れても居なかったのだ。流石天才やる事が違う。勿論魔法を放った張本人も、自分は濡らさないよう調整していた。つまり被害は、他の全員である。傍迷惑の一言に尽きた。

 魔法で広がった火を魔法で消す。何方も超常の業である。つまり、終われば消えた。残ったのは、傷つき濡れた冒険者達、そして、見るも無残な自然である。

 チェスカー・ラグランドは項垂れた。

 ここからどうしよう。素直に嘆いた。

 結局冒険者を襲っていた何者かについては分からないまま消滅し、森はこの様である。問題しかなかった。頭が痛い。

「ギルド長さん」

 そこへ掛けられる声。見ればいたのは、場違いな程汚れても濡れてもいない、エルフだった。森の友として、さぞこの状況に怒りを露わにしているだろうと思いきや、慈愛にも似た笑みを浮かべて、前に出たのだ。訳が分からず、チェスカーは訝しみながら見ていた。エルフが両手を広げ、天を仰ぐのを。

「究極治癒」

 放たれた言葉は誰の耳にも真っ直ぐに届き、神への誓いの言葉の如く静謐で、希望を見出すに十分であった。

 究極治癒。それは、エルフにのみ使えると言われている、世の全て、ありとあらゆるものを癒す神の如き魔法である。エルフの傷だけではない。ドワーフも、人間も、魔族も、妖精も、また草木すらも。生あるすべてのものを癒すのだ。

 まさか生きてお目にかかる日が来るとは。

 何処か感慨深い思いさえ抱き、チェスカーは言った。

「おい、何も起こらないんだが」

 現状、変化なし。

 癒すどころか、風に乗って焦げ臭い匂いが漂ってくるだけである。傷もそのままである。草木も復活していない。それどころか、ギゼラの足元の草は枯れている。火と無関係に。

 周囲から疑念を込めた目を向けられ、エルフは口角を上げた。

「全てのエルフが治癒魔法を使えると思ったら大間違いだと言うことを教えて差し上げたのです」

 そもそも究極治癒自体、眉唾物ではあるのだが。またそれ以前の問題として、このエルフ、治癒魔法が使えなかった。何せ全ての植物に嫌われているので。見た目こそエルフであるが、本当にエルフかどうか疑わしいレベルだった。因みに本人が全く濡れていないのは、酒が降った時、周りの木々に、枝を伸ばして傘の代わりをしないと枯らすぞと脅しをかけたからである。人の心は分からないが、エルフの心もない模様である。

 どうしてくれようこのエルフ。

 周囲が殺気だった時だった。

 一人の魔法使いが前に出て、手を広げ、天を仰いだのだ。

「究極治癒!」

 そもそも、人間が出来る芸当ではない。究極治癒、と、唱えれば発動するかどうかも分からない上に、その程度で出来るなら、誰だってしているに決まっているのだ。このパーティ後から全員ぶん殴ろう。ギルド長だけでなく、他のパーティーの面々も思っていた。所謂、連帯責任である。

 体は濡れているし、傷が痛む者もいる、状況は最悪と言う程でもないが、良くもない。

 そのような中、誰かが気付いた。

「光、降り注いでないか?」

 陽光だろう。そう思いながら、つられて空を見れば、燃えた木々の合間から、眩い光が降り注いでいた。そうして、光が当たった所から、緑が芽吹き出したのだ。

「おい、怪我、治ってないか?」

 復活したのは、何も草木だけではない。音もなく、降り注ぐ光。その光が当たった部分から、怪我が、消えていく。

 沈黙が、場を支配した。

 無言のまま、ある一人の魔法使いを見る。

「やれば出来る。やらねば出来ぬ何事も」

 得意げな顔して言ったものの、そう言うレベルの話ではなかった。

「よっ、天才!」

「よっ、エルフ泣かせ!」

 アヴドーチアとギゼラが囃し立てたが、そう言う空気でもなかった。

 究極治癒等それこそ、おとぎ話に出てくるような魔法で、しかも、人間が使えるものではなかった。いや、そもそも人間だろうか。本当は此方がエルフなのでは? もう、何もかも分からなかった。ただ現実として、傷は癒えている。

 えっ、こわい。

 癒えた傷と、芽吹く緑を見れば、何となく恐怖に襲われた。人間、得体の知れないものは恐ろしいのである。

「アッ! ってことは!」

 神妙な顔をして黙り込む冒険者の中、急にアヴドーチアが声を上げ、服の裾を捲って腹を出した。今度は一体何だ。もうこれ以上問題事を増やすのは止めてくれ。そんな気持ちでチェスカーは小柄な女を見たのだ。

「ギルド印、消えちゃった!」

 えっ。

 声が聞こえた全員が、裾を捲ったり袖を捲ったりして、確かめだしたのだ。

 ギルド印。その名の通り、ギルドに属する冒険者であることを示した印である。勿論、体に刻む必要はなく、カードとして持ち歩いても構わないのだが、大抵の冒険者が刻んでいた。無くす心配がないからである。特に、胴体に彫る者が多い。手足は無くなっても、大抵胴は残るからである。その上、治癒魔法があるので、刻んだどころで消そうと思えば消すことが出来る、と、言う点も大きかった。冒険者になる際に、そう言う説明を受けるのだ。ちょっといい治癒魔法で消すことが出来ますけどどうします? あっ、じゃあ、入れときます。このくらいの軽さである。ランクが上がる際も、二重線で消して、横に新しいの刻んどきます。このくらいの軽さである。デザインに拘る者もいるが、大抵この感じだった。

「また彫直しか……」

 消えても、カードにする気はない。これが大多数である。無くすとそちらの方が金がかかるので。

 だが問題は此処で留まらなかった。

「ぎゃああああああああああ」

 復活しつつある森の中、野太い悲鳴が響き渡ったのだ。全員が声につられてそちらを見て、同じく絶叫しそうになったものの、堪えた。其処にいたのは、ランクAパーティー、アドヴォックの責任者、アンナ・ブレニッケだ。但し、同じパーティメンバーすら、彼女から距離を置いていた。何故か。

 アンナ・ブレニッケと言えば、ビキニアーマーがトレードマークである。あの、目のやり場に困る例の装備だ。普段ですら顔以外見てはいけない気にさせられるのに、今正に、そのレベルを超え、絶対に見てはいけないに進化していた。

 まず、上。豊満なバストを守っている筈の部分から、肉が消えた。最早、守る必要などない状態になってしまったのだ。だが、其方はまだマシである。更なる問題は、下である。

 ぼろん。

 これであった。

「ブレニッケって男だったんだ……」

「女だよ!!」

 男である。どう見ても男である。平らな胸板と、隠せない男性器。何をどう見ても男である。

「ごめんね」

 取り敢えずアンドレアスは謝った。別に悪い事をしたわけではないが謝った。この場ではそうしないと、命の危機に直結すると分かったのだ。素直に謝られては、ブレニッケとて怒りを露わにするわけにはいかない。ここでキレようものなら、印象最悪である。

「い、いいんだよ、ボウヤのせいじゃないからね……」

 声は震えていた。しかし、Aランクパーティーの責任者としてやり遂げたのであった。

 究極治癒。あらゆるものを癒す魔法である。無くなったものは元に戻り、付けたものは消える。ただそれだけの事だった。まさか性転換をしたものがいるなど、誰も予想しない。事故ってこういう風に起こるんだな、と、誰もが現実逃避気味に思っていた。

 さて、これにて一件落着。

 何処が? 寧ろ、来た時よりある意味で状況は悪化していた。ここからどう収拾を付けろと。チェスカー・ラグランドが悩み始めたその時だった。

「敵襲!」

 流石に三度目ともなると、場にいた全員がすぐさま動き、怪我人は出なかった。

「カルサスイーニアさん、御両親頑張り過ぎじゃありません?」

「殺すぞ」

 森の奥から魔法が飛んでくる。意に介さず会話をする二人を無視し、他のパーティーは動き出す。今度こそ、此方で片を付ける。そう、言わんばかり。

「カルサスイーニア殿、前に出ないで下さい!」

「指図するでないわ、殺すぞ」

「天才剣士は休め!」

「天才で申し訳ない」

「ベエウアギアは何もするな!!」

「これって報酬減らされたりしない?」

「それは困りますわね。ベネディクト、頑張ってらっしゃいな」

「項がない」

「いえ、あれ、カルサスイーニアさんの御姉妹なんですから、項も同じなんじゃなくて?」

「成程」

「違うと言うておろうが!」

「だから、何もすんなって言ってんだろ!!」

「酒は要るかの?」

「要らねえ、すっこんでろ!」

「ウード殿に向かって、何という口の利き方……! 滅ぼしてくれる!」

「敵が多すぎる!!」

 この場合、同じ冒険者であろうとも、邪魔するものは皆敵である。ギルド長は思った。ベエウアギア、要らなかったな、と。

「ぶっ殺してやらあああああああ!」

 先ず、性別を暴露されたブレニッケが鬼の形相で突っ込んでいく。すると、後に続けと同じパーティメンバーが援護し、負けてられぬとグラヴナーが剣を振るう。勿論、後から、彼と同じパーティメンバーも攻撃を加えていく。何方も、流石のコンビネーションだった。チェスカー・ラグランドは思った。ベエウアギア、要らなかったな、と。寧ろ問題しか起こさなかったな、と。Aランクパーティー二つで、十分だったな、と。ブレニッケの気迫が常より凄い事を差し引いたとしても、冷静になれば、対処可能な相手だったのだ。

 カルサスイーニアに似た何かは一体ではなかった。さりとて二体でもなく、斃しても斃しても出てくることが判明した。

「こういう魔法ですかね?」

「違うと思う」

 ギゼラが言えば、アンドレアスが否定した。要は、次々、人型の何かを生み出す魔法があるのではないかと、疑問に思ったのだ。だが、魔法使いは違うと言う。

「でも、何かはいると思う」

「ならば、奥に行くべきだな」

 魔族に似た生き物は、森の奥からやってくる。今度はそれを追って、更に森の奥へと入って行くのだ。二つのパーティの健闘により、相手方の攻撃も止んだところだった。もしかすると、全部斃し切ったのかもしれない。

「原因を解明するまでが、任務だ」

 全員で、警戒しながら復活した森の中を歩んでいく。流石に、ベエウアギアも一緒だ。置いていくには不安要素が勝ち過ぎた。何をしでかすか分からないので。歩く最中、ふと、ギルド長はある事に気付いたのだ。

 復活したはずの草が、枯れている。

 視線を地面へと向ければ、ある場所だけが枯れていた。

「おい、エルフ」

 勿論、ギゼラの通った後である。道標として活用できそうだった。

「なんでしょうか」

「枯れてんぞ」

「少々、植物に嫌われておりまして」

「本当にエルフか?」

「憎しみで森が殺せます」

「エルフじゃねえだろ」

「お陰で里を追放されました」

「だろうな!」

 聞いた事も無いエルフだった。植物に愛され森と共に生きる民。それがエルフである。なのにこの美人ときたら、森を殺すことが出来るなどと言うのだ。どう考えても、エルフではない。でも見た目はエルフである。

 訳が分からない。

 チェスカー・ラグランドは考えるのを止めた。

「じゃあアンタ、もう里には帰らないのかい?」

 しかしチェスカーが黙った所で、他の人間が口を挟んできた。誰だって、美人とは会話したいものである。

「ええ、帰ってくるなと言われましたので」

「だったら、人間の婿さん探してんのか?」

「まさか! 探すとしたら嫁ですよ」

「なんて?」

 話を聞いていた全員が内心で疑問符を浮かべていた。いや、逆では?

「婿だろ?」

「嫁ですね」

「女だろ?」

「誰が?」

「アンタ」

「男ですけど」

「なんて?」

 ギゼラは、何処からどう見ても、女性のエルフである。立ち振る舞いも話し方も見た目も、全部がそうである。ただ、言われてみれば、声は低い。

「えっ、てことは、ブレニッケの逆?」

「違いますね」

「なんて?」

「ブレニッケさんは、取ったり付けたりしてるわけでしょう。わたくしは、取っても付けてもおりません。自然体です。勿論、恋愛対象も女性です」

 聞いた面々の視線は、自然とギゼラの股間へと向いた。勿論ブレニッケと違い、何が見えるわけでもない。長いスカートの奥である。だが見ずに居れなかったのだ。

「じゃ、じゃあ、なんでそんな恰好を?」

 そんな恰好。つまり、女装である。そう、何処をどう見ても女性にしか見えない理由として、女性の服装であるからと言うのはあるのだ。問われギゼラは、笑みを浮かべた。

「美しいからです」

 圧倒される程、眩い笑顔だった。

「里で一番美しいわたくしが、一番美しい格好をするのは自然でしょう。お陰で全ての殿方が、わたくしの虜でしたわ」

 ギルド長は思った。

 里を追放された原因、森に嫌われているとかそんなんじゃなく、これでは? 単純に女性陣から鬱陶しがられただけでは?

 真相は闇の中である。

 結局話を聞いた結果、ギゼラの周りから男性達が遠退いたのだった。何か怖いので。見た目は良いが、見た目しか良くないんだよな……。これである。ギゼラの足元では相変わらず草が枯れていた。普通のエルフが見たら先ず嘆く光景である。ただ、一行の中に他にエルフはいなかった。そもそも、余り人里へは下りてこない種族なのだ。物好きか、こうして、追放でもされない限り。

 暫くは何も起らなかった。ただ何時もの森が広がっている。しかし、魔物一匹姿を現さない所を見るに、普段と違う事が嫌でも分かった。

 森を進む団体へと、向けられる瞳あり。

「敵襲!」

 一人が放った一言で、全員が警戒態勢を取る。突然放たれる魔法。だが、慣れ始めていた。同じ魔法しか使わない事はもう分かっていたのだ。

「まだいるのか」

 現れたのは当然、カルサスイーニアによく似た何かだった。だが本人程、多様な魔法は使えない。此処にいる全員が、本物の魔族が放った火と水の魔法の威力を知っている。あれに比べれば何て事はない。放たれた魔法を防ぎながら、その合間を縫って剣士が飛び込む。大抵の生き物は、首と胴が離れれば死ぬ。このカルサスイーニアによく似た何かも同じだった。首と胴が離れ、血が吹き出し、ぐらりと傾いたその瞬間。

「誰かいる!」

 アヴドーチアが叫んだ。

 気付いたのは、彼女だけではなかった。他のパーティーの弓使いが、咄嗟に矢を放ったのだ。矢が物凄いスピードで飛んでいく。その後を追って、人も走る。先に目標に到達した矢が、人体に刺さった。足である。人の足に刺さり、射られた人物はバランスを崩し、倒れた。その上にすかさず矢を追った人間が乗り、動きを封じた。

 チェスカー・ラグランドは胸を撫で下ろしていた。

 どうやら、何も持たずに帰る事にはならなそうだと。敵は倒しましたが、何も分かりませんでした。これでは拙いのだ。警戒しながら数人が、カルサスイーニアによく似た何かではない、全く違う人間へと近付いた。恐らく、人間だった。それも、非戦闘員である。

「誰だ。此処で何をしている」

 押さえ込まれ痛みに顔を顰める男に向かい、上からチェスターは問うた。しかし、答えは返ってこなかった。男は黙ったまま、口角を上げたのだ。そうして、口の端から、血が零れた。

「しまった、毒か!」

「究極治癒」

「えっ」

 恐らく男にとって想定外であろう事に、この場には究極治癒の使い手がいたのである。そんな馬鹿な。死んだと思った自分が生きていて、しかも状況が全く変わっていない事に、男は混乱している。多分、誰だって混乱する。態々毒迄呷って自ら共々証拠隠滅しようとしたのにこの様。何だか、同情したくなった。

「見ての通り此方にはエルフがいてな」

 取り敢えずチェスカーは、エルフの所為にした。まさか、エルフでもないのに究極治癒が使える人間がいるなどと、言えるはずがなかった。

「馬鹿な、究極治癒など存在するはずがない!」

「じゃあなんで生きてるんだ。死んだはずだろ」

 冷静に言えば、混乱しながら黙り込んだ。普通に考えれば、毒が然程でもなかったからである。しかし現実に、究極治癒はあるのだ。それを、この男以外の全員が分かっていた。体験してしまったので。なくなった男性器が生えたり、付けた乳房が取れたりするのだ。死にかけ位は回復して当然だった。恐らく、首が繋がってさえいれば復活するに違いない。

 死ぬどころか全快してしまった男は、狼狽えながら言った。

「お、俺は何も知らんぞ」

 はあ、と、全員が溜息を吐いた。大体こういう事言いがちである。無関係の人間、急に逃げたり死のうとしたりしない。常識である。

「知っているか知らんかは、これから分かるんだよ。取り調べる方法は幾らでもあるしなあ。痛い目に遭うのが好きか? それとも美人が好きか?」

 どう見ても悪の組織の偉い人の様相だった。人を脅す様が板についていた。ギルド長ともなると、色々な事を経験しているのだ。困った人間の対処にも慣れていた。

 もう森の中に可笑しな気配はなく、暫く警戒しながら周囲を探索したものの、カルサスイーニアによく似た何かも現れない。

 どうやら今度こそ本当に、一件落着に近付いたようである。

 完全に決着するには、この男の自白が必要になる。だがそれは今ではない。昏倒させ、体力がある人間が運ぶことにした。勿論、街までである。ギルドに戻らなければ、依頼は完了せず、報酬も貰えないのだ。

 例外はない。

 体力が有り余っているであろう冒険者の面々は徒歩で戻る。足を使って此処まで来たのだから当然である。問題は、歩いてこなかったベエウアギアである。塔からは徒歩であるが、そこまでは転移魔法で移動したのだ。

 一行はじっと魔族の方を見た。

「何じゃ、その目は」

「転移魔法で御宅にお邪魔してもよろしいでしょうか!」

「それを言うなら、転移魔法で移動させて下さいだろうが!」

「いえ、そろそろアンドレアスが使えてもおかしくないなと思って」

 えっ。

 思わずカルサスイーニアは、突然究極治癒など使いだした謎の魔法使いを見た。目が合ったアンドレアスは、首を縦に振った。

「ウン」

「やめて!!」

 咄嗟に出た声は懇願の色を濃く含み、何とも悲愴に満ちていた。こんな短時間で会得されては立つ瀬がない。絶対に使うところなど見たくない。

 結局カルサスイーニアは、ベエウアギアを巻き込んで転移魔法を使ったのだった。目の当たりにするくらいなら、送った方がマシ。これである。しかし転移陣は、アンドレアスが描いた。これで街まで一直線である。カルサスイーニアは、心を無にした。世の中、信じたくない事が多すぎる。

 転移魔法にも慣れたな、等とベエウアギアの面々が呑気に思っている中、魔法が発動した。

 結果、本当に塔を経由することなく一瞬で戻ってきてしまったので、ギルド長より誰より早く街に着いてしまった。

 街の喧騒に、カルサスイーニアが顔を顰める。普段から一人で過ごしている事もあり、人間が大勢いるところが嫌いなのだ。

「これからどうしようか」

 アヴドーチアが問う。

「取り敢えずギルドで待ちましょうか?」

「妾は帰る」

 ベエウアギアの視線が、発言者に向いた。相変わらず不機嫌そうに魔族は顔を逸らしている。目を合わさんとしているように見えた。

「あら、報酬はよろしいんですか?」

「要らん」

「ウードさんはいいんですか?」

 ドワーフの名を出せば態度が変わった。頬を赤らめ、下を向き、人差し指同士を擦り合わせ始めたのだ。もじもじしている、と、言えばそれまでであるが、明らかに恋する乙女の態度だった。だが、傍から見ると、周囲は何故か冷めていく不思議。まんざらでもなさそうなのは、当のドワーフだけである。

「う、ウード殿とはまた逢えるのでな」

 へえ。

 口に出すと冷たい声が出そうだったので、全員呑み込んだのだった。人の惚気、つまらない説。

「ではな、ウード殿以外は今生の別れとなるであろうが、精々苦しみのたうち回って死ね!」

 とんでもない別れの言葉を口にして、魔族カルサスイーニアは姿を消したのだった。ウード以外は取り敢えず恨んでいると言わんばかり。特に首狩りと天才魔法使い。目立つ容貌の少女が消えると、気になっていたことをエマニュエルが口にした。

「会う約束を?」

「うむ。ベネディクトが死んだ頃にと言っておいた」

 ドワーフも魔族も寿命は人間よりずっと長いのだ。カルサスイーニアにとっての癌であるベネディクトが死んだ後、と、言うのは、何とも効果的な台詞であった。不愉快そうに、首狩りが舌打ちをした。とっとと首を切っておけばよかったと言わんばかりである。

「流石はモテドワーフ」

 感嘆する他なかった。

 ギルドに向かう道すがら、アヴドーチアが呟いた。

「結局、何だったんだろうね」

「何が?」

「あの、沢山のカルサスイーニアさん」

「御両親が頑張ったんでしょう」

「滅茶苦茶殺したじゃん」

「図らずも一人っ子になりましたね」

「精神異常者の集まりだこれ」

「僕、知ってる」

 えっ。

 何とも絶妙なタイミングでアンドレアスが呟いたものだから、全員が足を止めた。知ってる? 何を? 精神異常者の集まりだと言う事を? それはそうである。真面な人間がいない。自己紹介である。

 地面を見ながら、相変わらず誰に告げるでもなくアンドレアスは呟いた。

「生き物をコピーしたり、かけ合わせたり、合成させたりして、新しい生き物を作ってる組織があるんだよ」

 これ、聞いてもいいヤツ? 勝手に話し始めたのだが、途端に心配になる始末。考えずとも分かる。とんでもない事をアンドレアスは言おうとしている。

「あの魔族は、コピーだと思う」

「何体でも出来るんですか?」

「多分」

「どうやって?」

「さあ?」

「何故、知ってるんです?」

「僕、そこで生まれた」

 街の喧騒が一際大きく響いて聞こえた。それはつまり、この集団が静まり返ったからである。パーティーの暗黙の了解として、誰の過去も詮索しない、と、言うのがある。早い話が、アヴドーチアがどこぞの王女だった事も、ギゼラが里を追放された事も、他の面子にしても詳しい事は知らないのだ。アンドレアスについても、年齢の割に凄い魔法使いだなくらいの感想だったのである。まさか、妙な過去があるとは思わない。

「つまり、アンドレアスさんも、誰かのコピーと言う事ですか?」

「ううん。僕は、色んな生き物の合成」

 果たしてはそれは、人間であろうか。しかし、人間でありながら、究極治癒が使える時点で可笑しいのだ。それは、エルフの血が入っている証左ではないだろうか。もしかすると魔族の血もあるかもしれず、ドワーフが混じっていてもおかしくない。或いは、魔物が入っているかもしれない。見た目は人間だが。

「アンドレアスさん」

「うん」

「この話は封印しましょう」

「うん……えっ?」

「そうだな、それがいい」

「そうしましょう」

「アンドレアスは、アンドレアスじゃ」

「天才魔法使い、それ以上でも以下でもない」

「えっと、うん」

 不思議そうにアンドレアスが頷くと、他の面々はホッとした。何もアンドレアスの事を思ってこのような事を言い出したわけではない。面倒事は御免だからである。このまま人間として、有能な魔法使いとして同行して貰おう。それがいい。そうしよう。はい、決まり。

「そうと決まれば、長居は無用だね」

 あの捕らえた男が、もしかするとアンドレアスの事を知っているかも知れない。恐らく可能性としては低いが。既に顔を見た後である。あの時無反応だったもの、知り合いとは考えにくい。しかし、何処から話が漏れるかは分からない。今現在全くの無関係でありながら、怪しまれるのも面倒である。

 早々に離脱するに限る。

 このような経緯があるとも知れず、街に戻ったギルド長は、早々にベエウアギアが街を出ると聞き、驚いていた。徒歩で戻ったに違いないのに、息一つ切れていない様は、名のある冒険者だったであろう過去を彷彿とさせた。

「我々流れの冒険者ですし、次の街へと向かおうと思います」

「事の顛末は知らずとも良いのか?」

「ええ、もう戻らないでしょうし」

「カルサスイーニア殿は?」

「塔に帰りましたよ」

 では、いいか。

 チェスカー・ラグランドは納得した。一番の懸念は、カルサスイーニアだったのだ。あの魔族が、この後どうするかが読めず心配だったのである。しかし塔に帰ったと言うなら、それで良しとした。あの魔族は引き籠りなのだ。街へ出てこない事は知っていた。

 一先ず、依頼は達成である。

 色々な事があったが、一応は丸く収まったのだ。報酬を手渡しながらチェスカー・ラグランドは、ベエウアギアの面々を見渡した。可笑しな一行である。実力は確かにある。ランクAと言われても納得する。だが、妙ではある。何が、と、言われても困るが、普通ではなかった。しかし、世話には、多分、一応、なったのだ。カルサスイーニアを引っ張り出したことも、森を元通りにした事も、全員の傷を癒した事も、妖精の怖さを思い知らせて来たり、森を全焼させるきっかけを作ったり、酒を降らせたりと余計な事もしたが、余計な事もしたが、余計な事が殆どだったような気もするが、一応世話になった。

「お前たち」

 ギルド長、チェスカー・ラグランドが静かな声で語り掛ける。ベエウアギアもまた、静かな瞳で見返したのだ。言葉など無くとも、伝わる何かがあった。だが、本当に伝えるには、やはり、声に出す他ないのだ。

「二度とナクロガプラに足踏み入れるんじゃねえぞ!!」

 面倒事が嫌なのは、誰だって同じである。こんなに面倒な人間の集まりで構成されたパーティーそうはない。

 最後に本音が出たのだった。

 こうして、ナクロガプラで受注した依頼、塔姫に謝罪するから始まった一連の流れは終了したのだった。ベエウアギアは、それなりの報酬を手に、揚々と街を後にしたのである。



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