ベエウアギア

季エス

第1話 謝罪をするにはまず家屋を破壊するところから


 石造りの塔の中、二人の男女が揉めていた。

 二人の前には、扉が二つ。どちらの扉を選ぶかを話し合っている最中だった。別れる、と、言う選択肢はなかった。彼らは何時も、一緒に行動しているのだ。仲が良いとか悪いとか、そう言った事ではない。ただ自然と、いつの間にか、全員で行動するのが当たり前になっていた。話し合っているのは二人。その後ろで、更に四人が待っている。彼らは、六人パーティだ。女が二人に男が四人。剣士が二人に、戦士が一人、魔法使いが二人に、盗賊が一人。人間が四人に、ドワーフとエルフが一人ずつ。ごく平均的なパーティーだった。可もなく、不可もなく。それなりに上手く機能している、と、少なくとも本人たちは思っている。

 ただ、彼らには何かが足りていなかった。

 しかし他者からそう指摘されても、それが何なのかは分からないのだ。理解できないと言った方が正しいかもしれない。それでも別段困ることはない。分からないからといって、生きていけないわけでもない。やることは、常日頃から多くない。自然とあるがままに生き、食い扶持に困ったら働く。そんな、自由人そのものの生活だ。

 そして今正に、仕事の最中であった。

 今日の仕事は一風変わった内容だ。

 彼らは冒険者である。仕事はギルドによって齎される。勿論選ぶのは自分たちだ。

 今回の仕事の難易度は高い。ランクで言えば、A相当、若しくはその上ともされる。ギルドとしては、早くこなしてもらいたいが、誰も受ける人間がいなかった仕事だ。それを、彼らは受けた。

 そう、彼らこそ知る人ぞ知るランクAパーティー。ベエウアギアである。

「ねえ、左にしようよ」

 二つの扉を前にして、女が言う。小柄で、快活で、人懐っこい。例えるならまるで小動物のような若い女、盗賊のアヴドーチアだ。

「いや、右だ」

 答えたのは、整った顔立ちの男。ただ立っているだけで女が放っておかないような、やけに人目を引く男だった。腰に佩いた剣は、彼が剣士であることを伝えてくる。まるで見下すようにアヴドーチアへと視線をやりながら、ベネディクトは右だと言い切った。

「だって、ベネディクトの言うことはいつも外れるじゃない」

「そんなことはない。俺が右といえば右だ。外れだと評するのはお前らの勝手だ」

「埒が明かない。ねえ、黙ってるけど、皆はどうなのさ」

 そう言うとアヴドーチアは、距離を置いてそれぞれ好き勝手に傍観している面々に声を掛けた。彼女の言葉を受けて、各々が、漸く考え出す有様だ。

 一番に口を開いたのは、見目麗しい女だった。

「どちらでも構いませんが、強いて言うなら、わたくしは左ですわねえ」

 のんびりと、まるで今日の天気でも語るような口調で答えたのはエルフだ。声こそ低いものの、背はすらりと高く、絹糸の如く細く滑らかな金の髪が目に眩しい。また何より目を引くのはその美貌だ。如何なベネディクトが整った顔立ちとはいえ、エルフには敵わない。男だけでなく女も振り返る容姿の持ち主だ。

「僕もどちらでも構わないけど、やっぱり強いて言うなら左かなあ」

 続いて答えたのは、もう一人の剣士、エマニュエルだ。こちらものんびりとした口調で、実際どうでもいいと言わんばかりだ。又その容貌ものっぺりとした顔の、特にこれといった特徴のないものである。雑踏に紛れたなら、直ぐに見失ってしまいそうなほど特徴がなかった。

「ほおら、見て。皆左だって言うじゃない」

「まだ二人残っているだろう。あの二人が右といえば半々だ」

「いや、聞くまでもなく左だから。大体そんなに右に行きたいなら一人で行けばいいじゃない」

「何を言う。お前たちと離れてその身に何かあったらどうするのだ」

 そう、ベネディクトが口にした瞬間、何ともいえない微妙な空気が流れた。

 言っている内容は仲間思いそのものでありながら、その当の仲間たちが皆目を逸らしたのだ。完全に何かを恐れて、ベネディクトを視界から消していた。まるで今ヤツと目を合わせたなら、やられると言わんばかりだった。身を案じる発言をしているにも係らず、だ。

 唐突に訪れる沈黙。

 誰もが状況を打開すべく、言葉を探して黙り込む。その間僅か数秒。

「あー、あ、アンドレアスや、取り敢えずわし等も左ってことでいいじゃろうか」

 酷く居心地の悪い沈黙を破ったのはドワーフだった。背が低く、がっしりとした体躯に大きな斧を担いでいる。我ながら損な役回りだと思いつつ、隣にいた魔法使いに声を掛けた。

 話を振られた魔法使いは、ちらりとドワーフを見ると、無言で手を前に翳した。丁度、二つの扉の中央へと向かって。何をしているのかと、先ほどのベネディクトの発言も忘れ、全員が見入った。普通に考えれば、壁に向けた掌から何かが出るのだろう。そういった思いから、皆が彼の手を注視していた。無言で見ていた。しかし、これといった変化は起こらない。

「おい、この距離から手相を見てくれ、ってことはないだ……」

 そう、ベネディクトが言いかけたときだった。

 ドン、と、地面が揺れるほどの音が響いたのだ。

 音の出所は、壁。

 思わず全員が振り返ると、二つの扉の中央に、穴が開いていた。

「真ん中」

 アンドレアスが呟いた言葉は、沈黙の最中だからか、やけに大きく響いた。

「あ、うん、真ん中ね、真ん中」

「この状況下で、第三の選択肢をさらりと作っちゃう辺り流石はアンドレアスさんですよねえ」

 アヴドーチアが再確認するように、突然壁に開いた穴を見ながら言い、続いてエマニュエルが完全な棒読みで魔法使いを褒めた。腕を下ろして、アンドレアスは無言で頷いただけだった。ただ心なしか、満足しているように見えた。

「ねえ、ギゼラ。見えた?」

 素早く静かにアヴドーチアはエルフの元へ移動し、小声で尋ねた。

「いいえ、全く。何がなにやら」

 首を振って、こちらも小声で答える。

「アレってちょっと卑怯じゃない? っていうか、アレって魔法なの?」

 光るでも飛び出すでもなく、何の気配もなく崩れた壁。それを横目で見ながらアヴドーチアは尋ねたが、ギゼラも答えを持ち得なかった。

「後世の人からは、アンドレアス魔法と呼ばれるんじゃないですかね」

 何とも、投げやりとしかいえない返答である。

「おい、先行くぞ」

 あれ程までに、右に拘っていたベネディクトが突然開いた真ん中の穴へと進んでいく。右とは一体何であったのか。どうやらアンドレアスの正体不明の魔法を見て、争う気を無くしたと見える。だがそれを責める者は誰もいなかった。得体の知れないものは恐怖そのものである。

「はいはい、今行きますよー」

 軽く答えて、アヴドーチアが駆け出す。

「若い人は元気ですねえ。それではレディ、一緒にどうです?」

「まあ喜んで」

 差し出されたエマニュエルの腕に、そっと細い手を掛けるギゼラ。因みに身長はギゼラの方が高く、また、容姿にも大分差があるので、見栄えが良いとは言い難い。

「そういや、思いっきりぶっ壊しちまったけど、大丈夫なのか?」

 二人の後ろで、ドワーフのウードが今更な疑問を口にした。尤も、直せと言われても無理であるが。

「依頼内容の何処にも、塔を破壊してはいけないとは書いてなかった」

「あ、じゃあいいか」

「それに駄目だったら、謝ることがもう一つ増えるだけですよ」

 何とも軽い考えである。

 そう、今回の仕事内容とは、謝罪すること、であった。

 この塔の持ち主である、魔族カルサスイーニア、通称塔姫への謝罪である。

 尤も、謝罪の原因は彼らではない。彼らの知らない誰かが、塔姫を怒らせた、結果塔姫が宣戦布告をしてきた、よって、謝って矛先を収めてもらおうとこういう理由である。

 言うのは容易いが、実行するのは困難である。

 何故なら相手は魔族カルサスイーニアだ。魔族というのは突然変異によって生まれる新人類、と、言う説が濃厚な兎角長寿で能力が高い生き物だ。詳しいことは良く分かっていない。何故なら魔族というのは軒並み他の種族を見下している上、プライドが高く、調べられることすら厭うからだ。因みにこの塔姫は、凡そ二百年に渡りこの塔に住んでいる、それはもう周辺では有名な魔族である。しかも、血の気が多いことでも名を知られていた。気に入らないものは血祭りに上げる。その上この塔自体が難攻不落とさえ言われ、又、運よく入ることは出来ても出られないとの曰く付きなのだ。

 その塔に、意気揚々と入ってしまった六人。

 彼らは極最近近くの街に辿り着いたばかりの、流れの冒険者だったのだ。

 故に、塔姫のことなど、ほぼ全くと言っていいほど知らなかった。知っているのは、依頼内容に書かれていたことだけで、このあたりで常識とも言われる、塔の中には入ってはいけませんだとか、謝罪相手は血の気が多くて凶暴な上に恐ろしいほど強いです、などと言ったことは書かれていなかったのである。

「何だか、真ん中を潜るって、卑猥ですわよねえ」

 誰も受けたがらない依頼の真っ最中でありながら、のんびりとギゼラが言った。

「そうですねえ、個人的には真ん中を抜ける、の方がぐっとくるものがありますねえ」

 同じくエマニュエルが頷きながら答える。現状において、二人に何の話だと指摘するものは誰もいなかった。このようなことを一々尋ねていては先に勧めないことを誰もが理解しているのだ。

 元々なかった入り口の先に通路などあるはずもなく、穴の先は部屋であった。

 しかも、当たりの部屋であった。

 恐らく、右か左かを選んでいれば辿りつくのは困難であっただろう、塔姫の居場所にあっさり辿りついてしまったのだ。果たしてこれに驚いたのはどちらか。侵入者か、塔の主か。

 ギゼラ達が塔姫の姿を確認したとき、既に先に進んでいた二人は対峙していたのだ。

 だが其処に、謝罪などと言う空気は微塵もなかった。

「ギゼラ!」

 まるで救いの神が現れたといわんばかりに、アヴドーチアが駆け寄ってきた。

「まあ、どうなさったのアヴドーチア」

「ベネディクトが早々にやらかしたんだよ!」

「まあ、いつものことじゃありませんの」

 そう言うとギゼラは口元を手で隠して優雅に笑った。つまり、何の解決にもならなかった。だが、頼りにはならないが、壁にはなる。このエルフ、長身である。ギゼラの背に隠れる為に移動したアヴドーチアは、その位置から塔姫を見た。

 明らかに、怒り心頭と言わんばかりであった。

 因みに塔姫は、見た目だけなら十代半ばの少女である。銀の長髪に赤い瞳を持った、それなりに美しい少女であった。尤も、美しさだけで言えば、ギゼラの方に軍配が上がるかもしれないが。その塔姫は、今に髪でも逆立てそうな程の怒りをその顔に浮かべ、ベネディクトを睨んでいた。

「因みに何をやらかしたんです?」

 更に後ろからエマニュエルが、のんびりと尋ねた。

 ギゼラを弾除けの如く自分の前に立たせながら、アヴドーチアは天を仰いだ。

「脱げって言った」

 その発言を耳にした四人は、諦めたように息を吐いた。駄目だ、どう考えても駄目だ、と。アウト以外の何物でもない。

「弁明の余地がない気もしますが、一応、弁明したほうがいいんじゃないでしょうか」

「誰が?」

「そこは、こう、どうしましょ」

 ベネディクトと塔姫からさり気なく距離を置いて、相談し始める始末。

 その間当のベネディクトはといえば、まるで怯むでもなく、じっと塔姫を見ていた。彼の態度が、更に相手の怒りを募らせていることに気付いていない。いや、それすらも些細なことであると、そう、伝えているようですらあった。

「下賎な人間共め、皆殺しにしてくれる!」

 とうとう、カルサスイーニアが危険なことを宣言した。そもそもされても仕方なかった。

「あ、わたくし、エルフです」

「同じく、ドワーフじゃ」

 人間共、と、いう言葉に対し、二人が小さく抗議したが当然黙殺された。

「これ、ヤバイやつじゃない?」

 小声でアヴドーチアが尋ねたが、誰も答えなかった。

 流石に今にも爆発しそうな塔姫を前に、漸くベネディクトが剣の柄に手を添えた。

「……あの、アンドレアスさん?」

 この状況で、エマニュエルだけがある事に気付いた。

 見ればアンドレアスが、手を前に翳していたのだ。

 エマニュエルの言葉に、他の三人も気付いた。気付き、すぐさま距離を取る。この構えは要注意である。見た目だけで言えば、ただ、塔姫に向かって掌を向けただけだ。しかし、それだけで終わるわけがないことを、他の面々は知っていた。

 呪文を唱えるわけではない。光るわけでも、何かが飛び出すわけでも、音がするわけでも、何かが浮かび上がるでもない。しかしアンドレアスは魔法使いだ。彼の不可解な動きによって齎される現象は、魔法なのである。魔法のはずである。魔法ということにしていた。他に名前の付けようがなかった。つまり言うなればやはりそれは、ギゼラが言ったようにアンドレアス魔法なのである。

 ただこの状況で一人、ベネディクトだけが落ち着き払っていた。

 まるで恐れることは何も無いといわんばかり、いや、それどころか何が起きるのか分かっているかのように佇んでいるのだ。尤も他のメンバーが気付くことはなかった。今彼らにとっての脅威はベネディクトではなく、アンドレアスただ一人だったのだ。塔姫のことなど最早眼中にもなかった。

 当然魔族カルサスイーニアの苛立ちは募る。

 だが無視される形になった塔姫が何か言葉を発するよりも早く、風が走った。

 目に見えたわけではない。ただ漠然と、風が走り抜けていったように感じたのだ。

 風はベエウアギアの誰をも無視して、ただ一直線に塔姫へと向かった。体感としてそよぐ程度に感じた風は、その実生易しいものではなかった。まるで目に見えない刃物だ。鋭い切れ味で、対象を刻んだのだ。

「うわ、」

 短く声を発したのは誰だったか。

 誰も気にしなかったのは、その場にいた全員が驚いたからだ。いや、全員ではない。少なくとも、アンドレアスとベネディクトは驚いていなかった。

 目に見えない刃物が切り落とした。

 それは銀色で長くて、重いようで軽くて、そして音もなく散らばった。

 そう、カルサスイーニアの長かった髪である。もはや過去形だ。

 誰もが言葉を失いまるで時が止まったような空間で、いち早く動いたのは塔姫ではなかった。

 まさかの、ベネディクトであったのだ。

 彼は脇目も振らず、恐ろしいほどのスピードで塔姫に接近すると、そのまま彼女を蹴り倒した。予想だにしなかったのだろう。あっさりと塔姫は地面に倒れ、しかしそれだけで終わらなった。ベネディクトは彼女をうつ伏せにし後ろ手に纏めると、何と頭を足で踏んだのだ。地面に額づかせ、途轍もなく屈辱的な体制を取らせたのである。

「貴様……!」

 地を這うような声で、塔姫が怨嗟を口にする。

 だが当然、気にするような男ではなかった。すうっと息を吸い込む。

「合格!!」

 そして、吸い込んだ息を恐ろしく意味の分からない言葉と共に、大きく吐き出した。

 同時に訪れる沈黙。

 ベエウアギアの面々は思った。

 元々ヤベェやつだと思ってたけど、やっぱヤベェやつだな。

 寧ろ他に感想がなかった。

 ついていけないのは、塔姫ただ一人である。

「な、なにを訳の分からないことを! 殺してやる!!」

 首一つ動かせない状況で、魔族カルサスイーニアは吠えた。彼女の凄まじい怒りに、空気すらも震えた気がした。いかな魔族といえど、正当な怒りであった。

「喜ぶがいい魔族よ。お前はなかなかいいものを持っている。俺のコレクションに加えてやろう」

「……は?」

 しかしベネディクトは、仲間内からも頭のおかしさに定評のある男だ。怯むはずもなく、それどころか更に不可解な言葉を続ける。

「そしてアンドレアスよ。見事な腕前だ。傷一つつけることなく、髪だけをこうも上手く切り落とすとは……」

「貸し一つ」

「うむ。借りてやろう」

 訳が分からない。

 そう、思うだろう。しかし実際のところ、理解していないのは塔姫ただ一人であった。何故ならベエウアギアはパーティーある。それなりにお互いの人となりは分かっているのだ。理解できるかどうかは別として。

「薄汚い人間風情が、妾を奴隷にでもしようと言うか!」

 何とか起き上がろうと塔姫が力を入れながら声を出すも、全くビクともしない。腐ってもAランクのパーティ。腐ってもその中の筆頭剣士。ベネディクトは強いのだ。しかも抑え込まれているのは頭である。見た目だけでいえばうら若き女性が、靴の裏で頭を踏まれている状況から逃げ出すのは困難であった。尤も彼女は魔族なので、本来ならばとうに抜け出せていただろう。相手が悪かったのだ。

 この屈辱的な体勢、そして、コレクションという言葉。

 塔姫の脳裏に浮かんだ言葉が奴隷であったのは、そうおかしなことではなかった。

「いや、しないが」

「……ん?」

 だが、返ってきたのは、あっさりとした否定であったのだ。

「ただ、首を貰いたいだけだ」

 ただ首を貰うとは?

 もしかするとこれは現実ではないのかもしれない。

 魔族カルサスイーニアの脳裏に浮かんだ言葉であった。

 魔族として生まれ数百年。沢山の人間を殺してきた。圧倒的な強さを誇ってきた。恐れるものなど何もなかった。それが、唐突に押し入ってきた人間らしき者どもに塔を破壊され、髪を切り落とされ、頭を足で踏まれ、首を貰うと言われ、そう、どう考えても現実じゃない。寧ろ現実であると思う方がおかしい事態だ。つまり、これは夢だ。何故こんなおかしな夢を見ているのだろう。呪いだろうか。今まで殺した人間の呪いだろうか。だとすれば、悪いことをしたかもしれない。ちょっと今後は控えていこう。

 等ということを一心に地面を見ながら考えてしまう程、塔姫は現実逃避に勤しんでいた。

 誰とて、このような現実は嫌だろう。逃げ出したいだろう。

 いや、そもそも首を貰うって、殺すってことですか? あ、そうですか? そういうあれですか? いや、散々殺してきた自分が言うことではないだろうが、押し入り強盗より酷くないですか? 押し入り殺人?

「ちょっと待ってベネディクト」

 しかしここで、神とも言える声が耳に届いたのだ。

 頭を動かすことができないカルサスイーニアには分からないが、声をかけたのはアヴドーチアだった。

「邪魔をするとお前の首も貰うぞ」

「ひえ、天元突破の気持ち悪さ。じゃなくて、アタシ達ここに何しに来たか覚えてる?」

「……まさか、何か用件があって来たというのか」

 小声で塔姫が問うた。

 もしかすると、首を貰われなくて済むかもしれない可能性が生まれたのだ。全力で乗っかることにした。

「あの、カルサスイーニアさん。実はアタシ達、謝罪しに来ました」

「……何を!?」

 カルサスイーニアは驚いた。

 まさか自分が、こんなにも大きな声を出せることを、生まれて初めて知ったのだ。

 人生永く生きていると、何もかもが停滞して、つまらなく感じることも増えた。しかしそれは間違いだった。人生とはいつだって驚きに満ちているのだ。そして要らない驚きがあることも知った。嫌と言う程知った。思い知った。そもそも謝罪に来た人間が、開口一番服を脱げとか言います? 言うわけがない。あれ、ちょっと人間社会から離れている間に、謝罪って言葉の意味変わっちゃったのかな? 恐らく今日だけで、何十年分もの現実逃避を塔姫はしている。

「そ、そこな娘」

「はい」

「最近の謝罪とは、服を脱がせるところから始まるのか?」

「あ、いえ、それもすみません。この男変態なんです」

「知ってた!!」

 また、カルサスイーニアは驚いた。

 こんなにも立て続けに大声が出せる自分に驚いた。そして、間髪入れずに返答した自分にも驚いた。もっとおっとりとしたラスボスみたいな生き方をしていたはずなのに。

「だが、アヴドーチアよ。下はともかく、上は脱いだ方が項が良く見えるだろう」

「う、うなじ……?」

「本当に申し訳ないんですけど、こいつ、項に性的興奮覚えるタイプの変態なんです」

「ひえっ……」

 再三カルサスイーニアは驚いた。

 よもや自分がこのような、まるで生娘のような声が出せることを今初めて知ったのだ。

 だがそれも仕方のないことだろう。

 押し入り強盗ならぬ押し入り殺人鬼が、さらに変態と言う付加価値を付けてやってくるとは思いもしない。それも項に性的興奮覚えるタイプ等と言われても、今一つピンとこない。長く生きてきたが、そのような変態にお目にかかったことがなかったのだ。世界って広いんだなあ、と、現実逃避じみた感想をカルサスイーニアは抱いた。出来れば会いたくなかったという強い思いとともに。この変態に比べれば、まだ魔族の方がマシではないだろうか。ただの殺人者よりも、変態で人殺しの方がレベルが上だと感じるのだ。どちらも大手を振って歩いてほしくないことに変わりはないが。

「と、とにかく、謝罪を受ける故、せめて体勢だけでも整えさせよ!」

 どう考えても、地面に額づいた現状は耐え難い。例え相手が誰であっても耐え難い。カルサスイーニアの訴えは妥当である。

「ほら、そう言ってるから早く退いてあげてよ」

「だがアヴドーチア、この状態が一番よく見えるのだ」

「分かりたくないけど、分かったからその欲望一先ず仕舞って。ウード、出番だよ!」

「うむ!」

 アヴドーチアが呼びかけるのと、カルサスイーニアの頭が自由を取り戻したのはほぼ同時であった。さらに直後、ぐしゃっという、人が倒れる音が響いた。急にかかっていた圧がなくなり、塔姫は混乱した。混乱しながら、そっと頭を上げる。一体何が起こった? 上体を起こすと目の前には、いかつい男の手があった。決して奇麗ではない、使い込まれた男の手だ。手からさらに上に視線を上げていくとそこには、一人のドワーフがいた。

「大丈夫かの、魔族のお嬢ちゃん」

 きゅん。

 ときめきが生まれた瞬間だった。

 ウードはドワーフである。誰がどう見ても一目でわかるドワーフである。背丈は小さく、それでいて逞しく、顔には髭があって、殆ど目くらいしか見えていない。正に典型的なドワーフであった。なのにこのドワーフときたら、今まで彼女の自由を奪っていた無駄に強い変態を、いとも簡単に蹴り倒したのだ。いかにベネディクトが強くとも、単純に力となればドワーフに軍配が上がる。更に彼は長生きで、彼からすればカルサスイーニアもお嬢ちゃん、であったのだ。それもまた、数百年生きているカルサスイーニアをときめかせるに十分であった。

 生まれてこの方ドワーフなど見下してきた。寧ろ醜いとさえ思っていた。

 その魔族である塔姫が、ウードを格好いいと思ったのだ。正に今彼女にとって、不埒な変態から助けてくれたウードは、騎士であった。きゅん。

 恐る恐るといった具合に、塔姫は美しく奇麗な手を、対照的とも言える男の手のひらに乗せた。長く生きてきたが、このようなことはしたことがないし、寧ろされたこともない。自分以外の全てを劣った生き物だと認識していたからだ。しかしそうではなかった。少なくともこのドワーフは、そう、好意を持つには十分なドワーフなのだと気付いてしまったのだ。よく見れば髭だって、他のドワーフに比べれば整っていて奇麗な気がするし、自分を見つめる青い瞳は、それこそドワーフが掘る宝石のように美しい。すべて突然のきゅんに襲われているカルサスイーニアさんの主観です。

「流石はウードさん。ドワーフ随一のモテ男なだけありますよねえ。羨ましい限りです」

 うんうん、と、頷きながらエマニュエルが呟いた。

 そうこのウードというドワーフ、ほかの種族には全然分からないが、ドワーフの中ではかなりのイケメンらしいのだ。あくまでドワーフ談である。そのドワーフにしか通じない魅力が魔族にも効いているのも不思議な話であるが。実に一方的な吊り橋効果である。

 ウードの手によって立ち上がったカルサスイーニアは酷い有様だった。

 長く美しい髪も今は無残に切り落とされ、地面に押し付けられたせいでドレスもしわくちゃ。更に規格外の変態であるベネディクトに酷い目に遭わされたことによって、表情は死んでいる。辛うじて、モテドワーフのウードの存在が彼女を支えていた。存在を認識して秒で心の支えになってしまっているとは、ウード本人も思っていないだろう。

「あー、では、改めましてカルサスイーニアさん、謝罪をしてもよろしいでしょうか」

 仕切りなおすように、アヴドーチアが問いかける。

「その前に、一つ聞きたいことがある。妾はそなた等と面識はないはずじゃ。今し方の仕打ち以外に謝られる覚えはないのじゃが」

「あ、はい。その通りです。ですのでこれは、冒険者ギルドからの依頼なんです」

「冒険者ギルドからの依頼……冒険者ギルドからの依頼!?」

 思わず大きな声を出してしまうほど、カルサスイーニアは驚いた。

 何故ならギルドからの依頼というのは、まったく予想だにしていなかったのだ。

 塔姫として、彼女はギルドとは無関係を貫いてきた。面倒ごとは御免だったからだ。仲良くする気もないが、敵対する気もない。そうやって二百年ほど過ごしてきたのだ。関係が悪くなったことがないわけでもないが、それでも最終的に当たらず触らずで上手くやってきた。はずだった。それが急に謝罪に来たといわれても覚えがないどころか、この仕打ちを考えれば、討伐対象になりましたと言われた方が余程納得できるというものである。

「ええと、カルサスイーニアさん、ギルドに宣戦布告をなされたとか」

「してませんけど!?」

 食い気味に否定。

 どこのカルサスイーニアの仕業か知らないが、兎に角塔姫本人には身に覚えがなかった。いやいや、宣戦布告って。一体何のために? 別に今の生活に不満ありませんけど!? 何がどうなっているのか、最早理解の範疇を超えてきている。

「してないんですか? え、でもこれには確かに……」

 そういってアヴドーチアが鞄から取り出した紙を、カルサスイーニアは引っ手繰るようにして奪った。それはギルドからの指示書だ。所謂案件の内容が詳しく載っている。カルサスイーニアは読んだ。目を皿のようにして読んだ。

 書かれている内容はこうだ。

 魔族カルサスイーニア(通称塔姫)が暮らす石造りの塔付近の森に出向いた冒険者たちが、大怪我を負って帰ってくる。ランク問わず、種族問わず。怪我の状況から察するに、獲物は魔法であると。この辺りで、誰彼構わず倒せるほどの魔法の使い手は、魔族カルサスイーニアのみ。つまりこれは、何某か冒険者ギルドに怒りを覚えている塔姫からの宣戦布告並びに警告であろう。

 要約すると、つまりはそういうことである。

 え、どういうこと?

 思わず内心で聞き返してしまうほど、理解ができなかった。

「全く身に覚えがないのじゃが」

「えっ」

 そう、潔白であった。

「あらまあ、と、いうことは、わたくしたち、人違いをしてしまいましたの?」

 おっとりとギゼラが言ったが、された方はたまったものではない。何故なら住まいを壊され辱められ、正直、ごめんなさいで済む範囲を超えていた。

「あれ? でも、カルサスイーニアさんてあなたですよね? 他にも石造りの塔に住むカルサスイーニアさんがいらっしゃるんですか?」

「少なくとも妾は知らんな」

「あら、じゃあやはり正解なのではなくて?」

「カルサスイーニアは妾じゃが、冒険者ギルドに思うところなどないわ」

「ええー。何か冒険者に失礼なことをされて、怒って報復してるとかじゃないんですか?」

「お前たち以上に失礼な人間などここ数百年会ったことがないわ!」

 全くその通りである。

 言い返されたアヴドーチアもギゼラも心の底から同意してしまった。それ程にベネディクトの言動は酷かった。同じパーティーメンバーとして、何一つ擁護できないほどに。

「つまり、その女は無関係、と、いうことだな」

 その諸悪の根源がまた出てきた。

 ゆらりと、幽霊のように現れた変態にカルサスイーニアは一歩後ずさった。完全なトラウマである。真っ向から戦えば、恐らく勝てるだろう。何故なら相手はただの人間の剣士で、自分は魔族である。勝敗は火を見るよりも明らかだ。なのに、怖いのである。ただただ恐ろしい変態がそこにはいた。

 しかも、武器を構えだしている。

 あ、これ、ダメなやつだ。

 恐らくその場にいた、ベネディクトを除いた全員がそう思っただろう。

「ならば、首を貰っても問題ない、と、いうことだな」

「大アリですけど!?」

 即座にカルサスイーニアは否定した。それはそう。ここで肯定したら首と胴が意図も容易くオサラバすることは目に見えている。何だろうかこの人間。倫理観を母親の腹の中に置いてきたタイプだろうか。所謂現実逃避である。

「そこな娘!」

「あ、はい」

「冒険者ギルドからの依頼だと言ったな!」

「はい」

「依頼を達成させてやるために、妾直々にギルドに出向いてやろうぞ!」

「本当ですか!」

「じゃから、その変態を何とかせい!」

「ウード!」

「うむ!」

 流れるような作業であった。

 答えると同時にウードは後ろからベネディクトを蹴り倒した。ドワーフの蹴りは重いのだ。碌な受け身も取れず、ベネディクトは倒れこんだ。そして又カルサスイーニアはときめいた。きゅん。流石は妾の騎士! 超格好いい! こんな具合である。

「ベネディクトさんの項にかける情熱は目を見張るものがありますよねえ」

「無理に褒める必要なくない?」

 全くその通りである。

「そういえばこの塔ってどうやって出るんですか?」

「そもそもそなた等どうやって入ってきたのじゃ」

「壊してごめんなさい」

「謝ればいいってもんじゃないんですけど!?」

 全くその通りである。

 カルサスイーニアが住むこの塔であるが、難攻不落は勿論のこと、そも入り口がなかった。故に出口もないのだ。普通に考えれば、壊す以外に出入りできないのである。だが魔族を恐れて壊してまで入ろうとする輩がいなかった。今日までは。カルサスイーニアにとってベエウアギアは、悪い意味で予想や理解を超えてきたのだ。本当に悪い意味で。

「癪じゃが、全員転移魔法で連れていく」

「転移魔法!」

「すごい! さすが魔族!」

 素直に感心する女子二人に塔姫の気分が少しだけ持ち直した。そう、魔族はすごいのだ。出来ればもう少し平伏してほしい。転移魔法が使えるからこそ、塔に出入り口が必要ないのだ。

「その前にこれをつけろ」

 しかしその気分に水を差す変態が一人。

 見ればベネディクトは奇怪なものを手にしていた。非常に鋭利な棘が複数ついた、赤いベルト。しかしそれは、胴に巻くには短すぎ、手首に巻くには長い。

 所謂、人間用の首輪であった。

 真顔で人間用の首輪を手にした、それなりに外見が整った人間の男がそこにはいた。

「うっ、うっ……」

 カルサスイーニアは、泣いた。

 年齢とか立場とか種族とかそういったものを全部忘れて、泣いた。自然と涙が出た。この人間が怖すぎて泣いた。人生で一番恐ろしい瞬間だった。

「流石に引くわ、ベネディクト……」

「今までも十分引いていましたけれど……」

「首が傷ついたら事だろうが。この女に興味はないが、首の所有権は俺にある」

「ないと思いますけど」

 ああだこうだと、流石にほかのメンバーもベネディクトを責めだした。幾ら数百歳越えでも、少女が変態に怯えて泣いているのは可哀そうである。哀れみしかない。しかも家壊しちゃったし。正直負い目しかなかった。

 その中でただ一人ウードだけが、カルサスイーニアに近づいた。

「ほらお嬢ちゃん、これでも巻いときな」

 決して奇麗とは言えないストールを、包むようにウードはカルサスイーニアの首に巻いた。間違いなく今一番格好いいのはこのドワーフだった。誰が見たって満場一致だ。カルサスイーニアは思った。

 このドワーフ以外皆死ねばいいのに。

 そういうところは魔族である。

 後この布は宝物にしよう。返す気はさらさらなかった。

 こういうところも魔族である。


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