第15話 それぞれの秘密
「待ってくれ、リナーシャ。依頼者のところに行ってどうするつもりなんだい?」
冒険者ギルドを出て依頼者の家へと向かう途中で、セネトが困惑した様子でリナーシャに訊いた。
それも無理は無い。依頼者の家の場所を聞いてから、何の説明もないままギルドから出て今に至っているのだ。
「せっかく町まで来たんだ。また〝魔の森〟に戻るのはさすがに──」
リナーシャはセネトの言葉を遮るようにして、手を握って魔力を一瞬込めた。
そして、手のひらを開くと──そこには、紫色の花弁が幾重にも重なった、優雅で神秘的な花。それを見て、セネトが吃驚の声を上げる。
「こ、これは……カーラフローレ!? どうやったんだ……?」
「〝魔の森〟から召喚しました」
「はっ、召喚!?」
リナーシャの簡潔な返事に、セネトの口から更に驚きが漏れる。
リナーシャは少し得意な気持ちになり、視線をそらすように髪をくるりと巻いた。
「あれ、言ってませんでしたっけ? 私、植物を召喚できるんです。その気になれば、魔界の肉食植物だって呼べますよ?」
疲れるのでやりませんが、と付け足し、小さく喉の奥で笑いを抑えた。呆気にとられた様子のセネトが少し面白かったのだ。
何だか色々隠し事をされていたし、仕返しした気分になれたから、というのも少なからずある。
「魔界の肉食植物か……その語感だけでも恐ろしいのが伝わってくるよ。そういえば、君の植物魔法というのは一体どういうものなんだい? 僕らの世界で植物魔法を扱う魔導師なんていないんだ。一緒に戦うなら、最低限の知識だけでも教えておいてほしい」
「……それもそうですね」
セネトの意見も一理あると思い、道中でリナーシャは簡単に自身の扱う植物魔法について説明した。
植物魔法は大きく二つに分類される。ひとつは〈
言ってしまえば、そこらに生えている小さな雑草ですら、リナーシャにとっては刃にも矢にもなり得るのだ。それを考えれば、〝魔の森〟の中にいる〝花の魔女〟は、まさしく最強と言えるだろう。森全体が多種多様で珍しい植物で覆い尽くされており、そのすべてを彼女は意のままに操ることができるのだから。〝魔の森〟でリナーシャに勝てる者など存在しない。
いや、〝魔の森〟に限らず、草原や普通の森であっても、状況はそう変わらない。草木が豊富にある場所であれば、リナーシャの力は絶大であり、まさに最強の名を欲しいままにできるだろう。
しかしその一方で、植物がほとんど存在しない砂漠や荒地などでは、その力は著しく制限されてしまう。その場合、リナーシャは自身の魔力を用いて植物を召喚する必要があった。
今回のカーラフローレも、そうした召喚によって召喚したのだ。その気になれば、あたり一帯に森の要塞を築くこともできる。
「凄いな……さすが、〝花の魔女〟ってところか。じゃあ、これを依頼人に渡せば──」
「待ってください」
セネトがカーラフローレに手を伸ばそうとしたので、それから避けるように、リナーシャはひょいと手を引く。
「リナーシャ?」
「もちろん、これは差し上げるつもりです。でも……ひとつだけ条件があります」
「……わかった。言ってくれ」
リナーシャが真面目な話をしようとしていることは、察してくれたのだろう。セネトは手を下ろし、立ち止まって真剣な眼差しでこちらを見据えた。
ただ、どうしてかそんな彼を見ていられなくて、その眼差しから逃げるように、リナーシャは視線を地面に落とす。
一体何を訊けばいいのだろうか。
セネトに訊きたいことは、たくさんある。家のこと、〝魔の森〟を何故か守ろうとした祖父のこと、パーティーメンバーのことや、さらには〝魔の森〟に来たがっていたということ。
今日一日で、セネトに関する謎はたくさん生まれた。だが、どれも今のリナーシャには想像がつかないことばかりだ。
もしそれを直接訊いて、彼が気分を悪くしたり、或いはリナーシャが聞きたくないような答えが返ってきたらどうしよう……そう思うと、何を訊けばいいのかわからなくなってしまう。
これは、とても久しい感情だった。
恐怖──そう、そんなものが、今のリナーシャの中にはあった。
(どうして……私は、こんなにも怖がっているんでしょうね)
自分が傷付くような答えが彼の口から出てくるのが怖かった。
別に、傷付いたところで何も変わらないのに。ただ彼とはお別れをして、また〝魔の森〟に戻るだけ。それだけなのに、どうしてか怖い。
リナーシャ自身が傷付くのも、彼を不快にさせてしまうのも、嫌だった。
それはきっと……リナーシャ自身が、変わろうとしているからかもしれない。
変わるには、勇気がいる。そうした勇気をくれたのがこのセネトという青年で……その彼から裏切られることが、怖いのだ。
「リナーシャ……?」
黙り込んでしまったリナーシャに、セネトが怪訝そうに首を傾げる。
このままではいけない──そう思いつつ、リナーシャは頭の中で言葉をまとめていく。
「あなたが何かを隠しているのは、私にもわかっています。きっと、それには理由があることも、わかっているつもりです。だから……ひとつだけ教えてください」
リナーシャの紡ぐ言葉に、セネトが目を見開く。
声が震えていた。これを訊けば、こうして変わり始めた日々も、終わってしまうかもしれない。もうここで彼とはお別れをして、また退屈な日々に戻るかもしれない。それを考えると、怖かった。
でも、それでも……訊かなければならなかった。
リナーシャは顔を上げて、じっとセネトを見据える。そして、喉元から言葉を、絞り出した。
「あなたの隠し事は……私を謀るためのものですか?」
他に訊くべきものがあるだろうとか、こんな情けない質問があるかと自分でも思う。
だが、自分と向き合っていて、何故それらの疑問を持って、彼に不安を感じてしまう根本は、これだと思うのだ。
セネトはその問いに、ふっと頬を緩めて、目を閉じた。
そして、こう続けたのだった。
「……違うよ、リナーシャ。それだけは約束できる」
彼の静かな声はまっすぐで、偽りのない誠実さが滲んでいた。その瞬間、リナーシャの胸に少しだけ、張り詰めていた何かが解けるような感覚が広がる。それでも、完全に拭えたわけではない。セネトがまだ何かを抱えていることは、彼の言葉の端々から感じ取れた。
「色々不安にさせてしまってるんだよね。それは謝る。ごめん。でも……君が思っているようなことではないんだ」
「理由は、訊いてもいいですか?」
「花畑に話した時と同じさ。僕はまだ、それを話す資格がないんだ。分を弁えているだけと思ってほしい」
そこまで話してから、「いや、そんな大層なものじゃないな」と言い直した。
「ただ、僕が照れ臭いだけなのかもしれない。だから、もう少し待ってくれないかな。それを話す、勇気が持てるまで」
セネトの言葉は軽く笑っているように聞こえたが、その笑みの奥には、どこか自嘲にも似た痛みが潜んでいるように思えた。彼の表情の向こうにある本当の気持ちに触れたくて、けれど踏み込む勇気がまだ足りない自分がもどかしい。
勇気がないのは、セネトだけではない。リナーシャも同じだった。
「ひとつだけ言えるのは、そんな大層なことじゃないってこと。君を謀るものでもないし、君を裏切るものでもない。もし嘘だったなら……僕のことは、殺してくれていい」
真剣な眼差しで、セネトはリナーシャを見据えた。
その言葉と目に、嘘がないのは明らかだった。
「何を言ってるんですか」
リナーシャも、表情をわずかに和らげた。
「あなたひとりの命では足りません。もし嘘だったら、ケリガン家を滅ぼします。私は〝花の魔女〟ですからね。魔女を謀るつもりなら、それぐらいは覚悟してもらわないと困ります」
言いながらも、自分の口から出た冗談めいた言葉に、リナーシャ自身が少し笑ってしまう。強がりのつもりでも、気を抜けばすぐに緊張が戻ってきそうで、それを誤魔化すようにしていた。
「一族全員だと、国が傾いてしまうね。まあ、〝花の魔女〟相手に隠し事をするんだ。それくらいのリスクは背負わないといけないか……でも、それは杞憂で終わるよ。嘘じゃないことは、僕が誰よりも知っている」
「わかりました。では……今のところは、それで納得しておきますね」
「ありがとう、リナーシャ」
セネトの笑みは、柔らかく安心感を与えるものだった。その姿に、リナーシャも少しだけ、緊張がほぐれる。
(私も甘いですね……
ふっと脳裏に浮かんだ彼女達の顔を思い出し、リナーシャは苦笑した。彼女達なら間違いなく「魔女のくせに情けない」と呆れ顔をするだろう。それでも、今だけはこの気持ちに浸っていたかった。
(……どのみち私が〝勇者〟に加担していることが知られたら、きっと彼女達も動き出すでしょうしね)
リナーシャの視線は遠くへと泳いだ。脳裏に浮かぶのは、あの苛烈で誇り高い魔女達。冷たい瞳に射すくめられる感覚が、まるで現実のように胸を締めつける。その瞳に映る軽蔑や怒りを想像すると、胸の奥がひやりと冷えた。
彼女達ならきっと許さないだろう。〝四大魔女〟が恣意的にたったひとりの人間に手を貸すなど、あってはならないことだから。
(安心してください、セネト。隠し事をしているのは……あなただけじゃありませんから)
微笑みが、彼女の唇をかすかに彩った。心の奥底に秘めた真意は、誰にも触れられない――そう、今のところはまだ。
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