鷲尾町と厳木大和について1

 この街には何も無い。

都会の人たちは「田舎」という言葉で何を連想するだろう。緑生い茂る自然、果てしなく広大な青い海なんかを想像する人もいるだろうか。

そのどれも間違ってはいない。いや、正しくは「そういう田舎もあるだろう」というべきか。


 厳木大和〈きゅうらぎ やまと〉の生まれ故郷である“この街”鷹尾町〈わしおちょう〉は田舎である。誰がどう見ても田舎だ。異論を唱える者はいない。純度100%、混じりっけなしの田舎である。

しかし、先述の「緑生い茂る自然」はない。田んぼや畑、ビニールハウスはある。確かにある。ありすぎる。飽和している。でも、そのどれもが人工物であり自然ではない。……屁理屈でもない。

「果てしなく広大な青い海」か。車で30分、隣町まで行けば海はある。朝明〈あさあけ〉海という他県にも跨る海だ。太平洋や日本海に比べればちっぽけだが、さらにちっぽけな我々人間からすれば“果てしなく”は言い過ぎにしても広大と言っても差し支えはないはずだ。しかし、干潟なのだ。その広大な青い海は1日に2回、干出と水没を繰り返す平らな砂泥地。つまりそこは1日に二回も“広大な茶色い泥”になってしまう。


 この人口一万人にも満たない街にあるものと言えば、国道沿いにあるとんでもない広さの駐車場を有するコンビニとおよそ田舎に似つかわしくない派手なネオンの看板を掲げたラブホテルぐらい。ラブホに至っては三軒もある。景観もへったくれもない。ラブホの脇にはアダルトDVDやオトナのオモチャを取り扱う店までセットだ。


 つまりこの街は誰が観ても田舎であるが、田舎にあるべきものはひとつもない。


 それがこの街に関する大和の感想だ。大和はこの街が好きではない。とはいえ、嫌いというわけでもない。中学生らしく感情をそのまま言葉にするとすれば「どうでもいい」である。


 大和は母と二歳離れた妹と一緒に、父の転勤に着いていく形で小学校4年生の時にこの街を離れて東京に引っ越した。

友達と離れ離れになる事は寂しかったし、新しい街や学校に対する漠然とした不安はあったものの、街に対する感傷は微塵も感じなかった。当時から「どうでもいい」と思っていたんだろう……と当時を思い出しながら学校の廊下で溜息を吐く。


「厳木くん、入ってきて」若い女性の声に導かれ大和はざわつく教室に足を踏み入れた。教壇の横に立ち、生徒たちを見渡す。引っ越してから5年ほど経っている。さらには第二次性徴期の真っ只中。知った顔があったとしても顔付きが変わっているはず……なのに、知らない顔は殆ど無かった。向こう側も大和を観て驚嘆するやつ、顔を綻ばせるやつ、思わず立ち上がるやつ、そして何故だかか「ヤマト! ヤマト! ヤマト!」と名前を連呼するやつ。みんな大和を認識しているようだった。


「みんな、静かにして! 厳木くん、自己紹介お願いできる?」大和は頷きみんなに背を向け、チョークで年季の入った黒板に名前を書く。手に持ったチョークを受け皿に戻して白く汚れた指同士を擦り合わせながら、また元通り向き直る。


「厳木大和です。5年ぶりに戻ってきました。またよろしく。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

比嘉龍一という男性を探しています。 毛末期 @moumakki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ