第5話 手ひどいシッペ返し

「い、いえ。し、失礼します」


そういうのが精一杯のA氏は、踵を返して外へと走り出す。


「あ、ちょっと、お客様……!」


店主の声を背中で聞きながら、A氏は入り口のすぐ横にある路地へと逃げ込んだ。一刻も早く、身を隠したかったからである。


それから数十秒も経った頃だろうか、ふと気がつくと、少し先にあるドアの向こうから、聞き覚えのある声、それも大きな声が聞こえて来た。先ほどの店主の声である。


あぁ、あそこが店の裏口なんだ。


少し落ち着いたA氏が、更に耳を澄ませると、


「バカ野郎! お前は店を潰す気か!!」


「だって……、だってあの怪物野郎が、突然、店に入って来たんですよ。そんな事、聞いてないです! それにアイツ、美代ちゃんを睨みつけて! 」


店主と男性店員のやり取りが続く。


「”だって”じゃないよ! あの連中の扱いについては、ちゃんと話しておいただろうが。もしあいつが、この事を役所にでも知らせたらどうなると思う? 俺はここで商売する事が出来なくなるんだぞ。


当然、お前達だってクビだ。いや、クビどころじゃねぇ。ブラックリストに載って、もうまともな所じゃ働けねぇぞ。わかってんのか?」


店主の剣幕に、男性店員の声はすっかり聞こえなくなってしまった。


……美代ちゃんとは、どうやら先ほどの女性店員らしい。想像するに、彼らは恋人同士なのだろう。彼としては、”怪物”から彼女を守ったつもりなのか……。


苦笑したA氏は路地裏を出て、駅の方角へと歩き出す。彼の頭の中では幾つかの点が結びつき、それは線になろうとしていた。


そうか……。


あの店員は”聞いていない”と言った。それは多分、”来店する事を聞いていない”という意味なのだろう。そして店主のあの慌てようと”商売が出来なくなる”という言葉。


なるほど、今までの店で何事も起こらなかったのは、俺が来店すると、同僚が予め連絡を入れていたおかげだったのだ。その結果、店の者達は心の準備をし、店内にいる他の客にも事情を話して待機をする。


何故ならば、もし俺に何かあった場合、俺が然るべき所へ”お恐れながら”と訴え出れば、それは政府の意向に反する事となり、店は酷い目に遭うのだろう。


多分、これは会社や取引先の方でも同じに違いない。同僚が俺を守るようにしていたのは、何の事はない。俺が酷い目に遭えば、それすなわち自分たちが酷い目に遭うのと同義になるからだ。要するに彼らは俺ではなく、自分自身を守っていたに過ぎなかったわけだ。


各国としては、宇宙開発をぜひ進めたい。そのためには、この社会実験を何としても成功させる必要がある。だから上辺だけだとしても”たとえ異星人の容貌をしていても、みな仲良くやっていける”という「既に決まった結果」を出さなければならないのだ。


電車に揺られながら、A氏はそう結論付けた。


だとすると、佐藤さんのあの微笑みは……。


A氏はそこまで考えて、それ以上思索を巡らせるのをやめた。今日はもう何も考えたくない。一刻も早く家に帰って、そのまま布団に潜り込んでしまいたい。A氏は、そのささやかな欲求を実行した。


翌朝。目を覚ましたA氏は、昨晩の騒ぎが夢であってくれたらと思いつつも「怪物になって、本当に良かったのだろうか」と考え始めていた。


通勤列車の中で、乗客の顔をそれとなく観察するA氏。


一体彼らは、俺の事を本当はどう思っているのだろうか。そんな疑心暗鬼が彼の脳裏を駆け巡る。だが、考えても分かるはずがない。A氏は気晴らしにスマートフォンを取り出した。


何か、この社会実験に関する記事はないかな。


幾つかのサイトを横断するも、異星人の容姿に改造された被験者に対して、ネガティブな記事は一つも見つからなかった


これも政府が工作をして、そういう情報が出ないようにしているのか。A氏は何やら陰謀論のようなものを頭に思い浮かべたが、彼に確かめようもないのは分かっていた。


そんな時、A氏は一つのブログ記事を発見する。「宇宙人の集まる居酒屋」と題された記事である。読んでみると、今回の被験者が多く来訪する酒場があるらしい。


A氏は、にわかに興味を示した。


そう言えば、街には徐々に異星人に姿を変えた被験者が目立つようになってきた。タイプも様々で、彼のような怪獣タイプもいれば、比較的地球人に近いタイプもいる。A氏が研修を受けた施設での説明によれば、被験者募集は日本はもちろん、世界のあちこちで行われ、順次社会へ送り出されるとの事だった。


その日の仕事が終わると、A氏は早速記事のあった居酒屋へと行ってみた。昨日の件もあるが、被験者が多く集まっているのであれば、事前の連絡もいらないだろうと思われたからだ。


店舗の前へ立つA氏。


規模としては、やや大きめの居酒屋だ。周りをちょっと見てから、A氏は店内へと入っていく。「いらっしゃいませ」と店員の元気な声が飛んだ。A氏は先の苦い経験から反射的に肩をすくめたが、今回は何事もなくカウンター席へと案内される。人間だった頃と、さして変わらぬ対応だ。


お通しに箸をつけながらチラチラとあたりを見ると、確かに異星人の姿をした客が多い。一人で来ている者、一般人の連れを伴っている者、被験者同士の者、色々である。


「いやぁ、あなたは……」


A氏は突然に声をかけられビクリとするが、よく見ると懐かしい顔、というか体の”物体”が、彼の後ろに立っていた。A氏と同じ施設で研修を受けたB氏である。


A氏が怪獣タイプであるのに対し、B氏は軟体タイプであり、ファンタジーゲームのスライムを縦長にしたような容姿をしている。顔のあたりに核があり、体中に多くの小さく丸い発光体が散らばっていた。


「奇遇ですなぁ、全く」


少々オッサン臭い受け答えをしたA氏であったが、思わず懐かしさで口元がほころんだ。


「こちらへは、ネットの記事で?」


B氏の問いにA氏は頷いた。どうやらB氏は一足先に、この憩いの場を発見していたようである。酒が運ばれ、二人で再会の乾杯をすると、両者とも今までに起きた出来事を、まるであふれ出す湧水のようにコンコンと語り合った。


「いやぁ、Aさんはまだいいですよ。だって見ようによっては愛嬌のある怪獣でしょ? こっちはもう、いかにもグロテスクな化け物ですからね。上辺では、皆気にしていない風を装っていますが、嫌悪感がビンビンと伝わって来ちゃって」


そう言うとB氏は、おちょこの清酒をぐいと飲み干した、いや体内に吸収させた。

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