第3話 怪物A氏、出勤する
ある意味それが、この実験の発案者たちの狡猾な所である。普通は、如何に高収入で安定が約束されたところで、自らを”怪物”に変貌させたいと考える者など滅多にいまい。
だが集められた者達は、普通であり普通ではなかった。皆、現在にも将来にも生きがいや希望を抱けず悶々としており、おまけに反対をする家族や友人もいない。そういった”落伍者予備軍”が選抜されたのだった。
こんな一発逆転のチャンスを、誰が見逃すだろうか?
A氏もある程度は悩んだ末、要請を受け入れたのだった。
世の中には「異星で見つけた資料を元に、彼らの形状を推測した上での社会実験」と知らされた。いきなり「こういう姿の異星人が実在します」と知らせるのは如何にも刺激が強すぎるので、ワンクッションおいたのである。
この計画が公に発表された後、世界中で様々な議論を呼んだものの、宇宙への期待が高まる中、取りあえずは世論の合意が形成された。
「さぁ、生まれ変わった俺の初出勤だ」
数カ月の研修期間を経て、ようやっと秘密裏に自宅へ送り届けられたA氏が、決意を新たに安アパートの玄関ドアを開ける。
月曜日の朝、快晴であった。
A氏は緊張しながらアパートの階段を下り、以前と同様に最寄り駅へと向かう。
「あ、怪獣だ!」
小学校へと向かう、子供の列の誰かが叫んだ。早速の洗礼である。
その声を聞きつけた他の勤め人や朝の散歩をする老人たちが、一斉にA氏の方を見る。
”あぁ、あれが……”
そんなヒソヒソ声が、あちらこちらから聞こえて来た。
大丈夫、大丈夫。散々、シミュレーションを受けたじゃないか。
A氏は努めて平静を装った。研修施設にいる数カ月の間、こうした事態を想定した訓練をミッチリ受けていたのが功を奏し、怪物がパニックを起こして暴れ出すという最悪の事態は何とか避けられた。
ふと最初に声をあげた子供の方に目をやると、集団登校に付き添っている保護者らしき女性がバツの悪そうにお辞儀をして、素早く子供たちを先へと急がせる。
最初の試練をまずまずの結果で乗り切ったA氏は足早に駅へと向かい、定期券を自動改札にかざした。途端に、警報音が鳴り響き扉が閉まる。見る間に駅員がすっ飛んで来た。
どうやら定期券に問題はなかったが、体型が大きく変わったせいで、一枚の定期で複数が通り抜けるのを防止するセンサーに引っ掛ったようだ。
「あ、えっと、あなたは……、いえ、失礼しました、お通り下さい」
大変慌てた様子の若い駅員は、慣れた手つきで改札を操作しA氏を駅の構内へと招き入れる。異星人の姿に対応する処置が、未だ不十分である証拠だろう。
あぁ、この若い駅員、異星人もどきの対応を押しつけられたんだろうなぁ。
そんな事を考えながら、A氏はホームへの階段を上り始めたが、先ほどの警報で多くの通勤通学の客たちが、社会実験のモルモットとなった憐れな人間の存在を知る事となった。
それから会社に着くまでは、正に放し飼いをされている動物園の状態そのものである。内緒話をする者はもちろん、クスクス笑う声や密かにスマートフォンで写真を撮る者、「おぉ、怪物さんだ」と、これ見よがしにしゃべる者、その枚挙にいとまがない。
だがA氏は、それほど嫌な気分ではなかった。以前の自分なら、人に注目される事など全くなかったのだから、それはそれで気恥ずかしくも嬉しい反応だ。政府のキツイお達しにより、社会実験の被験者となったA氏の様な人物に危害を加える事が、硬く禁じられているのも安心材料となった。
そんなこんなで、数カ月ぶりの勤め先に到着したA氏。ただ生活費を稼ぐためだけに赴いていた場所ではあるが、思い切って怪物になり、何かが変わるのではないかという期待感もあった。
A氏は少し興奮しながらも、ビルの自動ドアをくぐる。
内心、警備員に止められるのではという不安もないではなかったが、政府肝入りの政策という事で、会社の方にも十分な根回しが済んでいたらしい。誰にとがめられる事もなく、エレベーターまで辿り着いた。
チーン。
A氏をオフィスへといざなうエレベーターの扉が開く。他の社員と共に乗り込むが、やはりというべき事態が待っていた。比較的大きい内部の中心にA氏がたたずみ、他の者達は壁にへばりつくように押し合いへし合いになっている。電車に乗った時、泥酔客の周りにポッカリと輪っか上に空間が出来てしまうのと同じ現象であった。
まぁ、これくらいは予想していた事だ。
A氏は目的の階で降りると、懐かしいオフィスへと足を踏み入れる。
ザワッ!
まるで漫画の描き文字そのままの様な、同僚たちの反応。
これにしたって何度もイメージトレーニングを行っていたA氏は、とりあえず雰囲気に気おされる事なく、自分のデスクの前まで行きバッグを置いた。そして少し離れた席に鎮座する、山田課長の元へと挨拶に行く。
怪物になってから、見知った一般人を相手にする初めての会話である。彼の今の見た目からは想像できないほど、小さい心臓が鼓動を増した。
A氏は、目の前にいる小太りの中年男に、
「か、課長。長らく休んでしまい申し訳ありません。これからは欠勤した分を取り返すよう頑張りますので、宜しくお願い致します」
と頭を下げた。
よし、何とか言えた。百回は練習したかいがあったぞ。A氏は縦に長細い顔を起こしながら、課長の反応を見る。
「あ、あぁ。い、いやA君。君が戻ってきてくれて私も嬉しいよ。話は全て通っているから、安心して働いてくれたまえ」
数カ月前、A氏をあらん限りの罵詈雑言で叱りつけた当人は、脂汗をかきながらも何とか予め練習してきた内容を口にした。
「そうそう、A君。君、これから私と一緒に、社長室まで行ってくれたまえ」
課長が、これだけは忘れてはならじと焦りながらも言う。
社長室?
A氏は驚いた。社長の生の顔なんて、入社式以来見た事がない。はっきりいって、退職するまで社長に会う機会なんて絶対にないと思っていたほどだ。
これは怪物になってから起きた、初めての吉兆だぞ。俺みたいな、会社へ必死にぶら下がっているような社員が、社長直々にお目通りなんて。
自分の選択は間違っていなかったと、取締役しか入れないフロアを歩きながらA氏は思った。赤く短い尻尾を振りながら……。
社長との面談は、A氏にとってそれこそ人生の晴れ舞台と言って良いイベントであった。多少口元が引きつってはいたものの、最高経営者は最上の笑顔と賛辞で社員の勇気を絶賛する。
”皆さんは安心して、元の職場に戻って下さい。この社会実験に直に参加する企業には、政府から莫大な補助金が拠出されます。また逆に皆さんを差別しようとしたり、そう言った行為を看過するようであれば、厳しい行政処分が下される制度になっています”
A氏は、研修中に教育係から聞いた言葉を思い出した。
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