プロローグ
一九二六年ペンシルベニアの夏を二語で語れと言われたのならば、悪夢か悪魔か、とかく印象の悪い二字熟語がずらりと並ぶことだろう。
早朝、シェイラ・フータナヒはペンシルベニアのペリー市大通りを外れ、路地裏へと繋がる一本道に建ち並ぶ、一軒のカフェでティータイムを嗜んでいた。早朝は良い。詩を読むのに最も適した時間だ。彼女はそう常に思っている。
机の上にはコロニアリズムを感じる南米産のブラックコーヒーに、一口サイズのサンドイッチがいくつか。無論、中身は全て輸入品の肉と野菜。これにはコロニアリズムを感じない。ただ商業的混合農業の機械臭さとリベラリズムの胡散臭さが漂っている。だがそれも祖国の大地を味わうと考えれば、とても良いアクセントだった。
店のドアベルが軽い音を立てて鳴る。入ってきたのはどうやら一人の革靴を履いた女なのだろう。床に足を落とす音は、軽くかっちりとしたものだった。
足音はこちらにゆっくりと近づいてくる。それは革靴の重厚さと対比して、軽快なリズムにでものっているかのように軽い足取りだった。
「おはようございます、シェイラ・フータナヒ」
少女みたく幼い顔をしながら、肉体はきっかりと張りのある身体つきをした高身長の女は、親しみある笑顔でフータナヒと向かいの席に座った。
「あら、どうもおはようございます、ヘッジホッグ教徒長」
「教徒長だけで十分ですよ。私も貴女を悪魔狩りさんとだけお呼びしたい。今は何を?」
「愛国者としての勤めを」
「“バーガー”もなしに?」
「私の出身はここよりもっと西の、別大陸なんですよ。ああ、この珈琲は『かつての我が領土』とでも言いわけしましょうか?」
そう言うと教徒長は「結構」と満足げに答えて、店員に二杯のミルクコーヒーを頼んだ。
「ミルクコーヒーとはまた珍しい。しかも二杯もなんて」
「一杯は貴方のぶんですよ。あと一口でコーヒーが尽きそうなご様子でしたから。」
「奢りですか?」
「重い小銭を退かしたいだけです」
「なら遠慮せず頂けますね」
もし手元に鏡があるならば、今の自分の顔を見てみたいものだ。フータナヒは自身を嘲笑しながら作り笑顔で教徒長に礼をした。
それなりに量のある飲み物を頼んで、しかも奢りとは。その真意をはかればきっと、少し長居して私の話を聞け、ということなのだろう。
「ところで、教徒長殿は何をしにここへ?」
フータナヒはしょうがなしに教徒長の意向に従った。これは屈服というより諦念に近い。
すると教徒長は待っていたと言わんばかりの表情で姿勢を正すものだから、余計フータナヒにはくるものがあった。
「———悪魔がまた、子供を産んでしまいまして。その狩りを、そう。優秀な悪魔狩りさんに頼みたくて」
そこで教徒長はゆっくりと、見えているのか、いないかもわからない細目で、フータナヒの碧眼を力強く見つめた。
「ナニの悪魔で?」
「先に、悪魔を狩ってくれると約束するなら、教えてあげますよ」
「卑怯な話ですね、まったく」
フータナヒは溜息と同時に、物腰柔らかな口調とは似合わない、教徒長の最もわかりやすい「働け」という隠語を理解せざる得なかった。
「成功報酬はどれほどで?」
特に意味のない会話と分かっていながら、フータナヒは覚えかけの歌を口ずさむ感覚で聞いてみた。
「さあ。けれど、ある程度の地位は保証されるでしょうね」
「『
「石器時代以前からの理ですね。我慢なさいな」
「失礼。有史以前の哲学なぞラテン語学校では習わなかったもので。」
フータナヒはゆっくりとコーヒーカップを持ち上げて口に近づけた。それなりに熱い湯気が彼女の上唇を潤して、その妖艶な唇の丹霞色をさらに魅せている。
「・・・して、悪魔の名前は?」
そこで店員がミルクコーヒーをトレーに乗せてやってきて、机にコースター、そしてその上にカップを置いて立ち去った。
きっとコーヒーは淹れてから少し時間が経っているのだろう。冷えたミルクと混ざったこのミルクコーヒーは、陶磁器のカップ越しに触ると温かいながらも奥底に冷たさを感じる。
まるでそう、死体のような———
「自殺の悪魔、それがあなたが狩る悪魔の名前です」
瞬間、机の上のサンドイッチからスライストマトがずれ落ちて、白磁の皿の上に生気なく横たわった。
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