つまるところ、

仁矢田美弥

つまるところ、

人によって定義も様々なものだということは分かっているけれど、

①いかにも文学ですという作品

②人間のダークさを描く作品

③凝りに凝った作品

どれがいいといえば、③がいちばん書きたいんだよね。

向いてないかなぁ。



やっぱり遠くへ行きたい。

もしかして、スランプって奴?

 ➡スランプになるほど書いていない



読むこと、書くことだけは好きだったけど(飽きない)、向いてないかもね(愚痴っぽいつぶやきな気分なのでスルーしてください)



努力のできない人なのよ(今日は愚痴吐くわ)。

人生で本当に努力した事、ないかも。



とにかく読書量が少ないわ。

そこからして直さないとね。

ノウハウ本は好きじゃない。

思想系の小難しいのが読みたい。

積読してるチョムスキーにしようかな。



いい人になりすぎていて疲れたのかも。

本当は家族も家族と思ってないし、幻想なんて持っていない。

人嫌いなんだ!!

でも人類は信じてる。

ドストエフスキーの逆じゃん。

人類全体なら愛せるよ。

ドストエフスキーだったよね?



優しいのも好きじゃないし、

嫌いなのは理不尽なこと。道理の通らないこと。

人の心の機微など知らず、本当のことを言って何が悪いかと思って生きてきたし。

でも、今は違う、かな?

人を傷つけるのが怖くなってきた。



私に評価されたい気持ちがないのは、あまりにも虐げられて生きてきたから。

家族という檻は今なおフラッシュバックで苦しめる。

情というものを信じない根っこだね。

そのくせ、人類は信じてるし、人に喜ばれるとうれしくなる。

はーあ。



私が人類を信じるのも、生物学的意味に過ぎない。

群れて助け合わないと生きていけない生き物だからさ。

それは悪いことではないし、

むしろ一匹狼を気取ってる奴なんてば〇だと思ってる。



私は好い人ぶりたい訳ではないし、実際に違うけれど、

なぜか人の役に立ちたいと思ってしまう。

こういうこと、やっぱり人類の性かな。



面白おかしく生きている人が好きだけど、

私はそうはできない。

それに、そのことに飽きてしまう。

狭い自分の世界を(原型は「家族」に作られた)突破することが生きること。

それが本に求めた道だった。



つまるところ、本がなかったらとっくに死んでたわ。

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つまるところ、 仁矢田美弥 @niyadamiya

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