第一章 

第1話 

第一話 葬儀屋は告白をし、悪魔もどきはそれを覗き見る。 


  一


 早朝五時。

 火野燈ひのあかりは起床して、すぐに歯磨きと顔洗いをすませた。

 それからストレッチをして、ランニング用の服装に着替えて外に出た。空は青白く、東を向けばわずかに陽が出ていた。夜明けはもう目の前だ。

 初夏である。朝はまだ涼しいけれど、昼ごろにはたちまち気温も上がっていくだろう。汗っかきではないにしろ、昼のあいだ、まともに外にいたら大量の汗をかくに違いなかった。

 お決まりのコースを走り通して四十分。そこらの自販機で買ったペットボトルの水で喉を潤す。ハンドタオルで額や首まわりの汗をぬぐいながら家に入る。

 シャワーを浴びて、制服に着替える。一週間前から夏服に変わったので、だいぶ動きやすくはなったが、可愛さでいえばやはり冬服だろう。やはり冬の時期にすればよかっただろうか、と燈はすこし後悔した。

(そんなコト気にしても仕方ない。とにかく今日は張り切るんだから)

 と、気持ちを切り替えて朝食をすませる。

 もう一度歯磨きをし、そのあとは髪のセットとメイクに移る。

 今日はとくべつな日だ。

 今日にそなえて、昨日は美容院に行って整えてもらった。

 鏡を見る。

 飽きるほど見てきた自分の顔がそこにある。髪の毛に視線を向ける。

 ポニーテールにしてみようか、それともサイドテール……などと悩んだけれど、いつもどおりストレートで行くことにした。メイクもナチュラルでとどめておくことにした。これに関しては校則もあるけれど、張り切れば張り切るほど空振りしてしまう類いなのだ。すくなくとも、自分の場合はそうだった。

 通学カバンには制汗剤、タオル、汗拭きシートを完備。

 ふだんは七時半ごろに出て、八時には学校に到着する。今日は暑くなる前にはもう行こうと思っていたので、六時半には出た。涼風が吹き込み、前髪が崩れかける。すぐにメイクミラーを取り出して、整える。けれどまた風が吹いて結局崩れた。どちらにせよ崩れるのだ、あきらめて学校で整えよう。

 自転車にまたがって、学校へ向かった。

(今日は……ほんとうにがんばらなくちゃ)

 なにを隠そう、今日は火野燈にとってとくべつな日。

 それは──憧れの志摩晴彦しまはるひこ先生に告白をする日である!

 今日に告白すると、必ず恋が成就する──というわけではない。単に、やるべきことはすぐにやろう、という自分の性質がそれを決めたのだ。とはいえ告白は人生においての一大イベント。張り切るのは当然だし、好きな人にはかわいいと思ってもらいたいし、きれいだと思ってほしい。

 だからこそ、いまの自分にとって最大限の、まさに〝最強装備〟で敵陣へおもむくのだ。

 さて、なら告白の結果はどうなるか。むろん断られるだろう。志摩先生は教師で、燈は生徒という立場にある。彼はしっかりした人だ。なら当然、そういう関係にはなれない、と答えるに違いない。

 でも、アピールしたかった。

 好きです、と伝えたくてたまらなかった。それぐらい志摩先生への想いがたまりにたまったばかりに、ついには告白しようなどと考えたのだ。

 学校へ到着すれば、燈は常に笑っていなければならない。

 通りがかったクラスメートや友人には挨拶をする。あまり話したことのない人でも、目が合えば挨拶をした。中学校時代、人嫌いになっていたときのことを考えると、大きな進歩だ、と常々思う。

 同時に当然だ、とも思う。これもすべて、志摩先生のおかげなのだから。

 駐輪場に着くと、思ったよりも人はいた。

 適当なところに自転車を止めて、鍵を抜き取ると、

「おっはよー、燈ー」

 二葉美紀ふたばみきが声をかけてきた。

 彼女は高校に入って初めてできた友達で、元クラスメートである。二年となったいま、クラスは別々だけれど、頻繁にメールをしあうし、月に二、三回ぐらい遊ぶほど仲がいい。

 美紀は朝早く登校する。部活生ほどではないにしろ、いつもは七時に登校すると聞いた。現にぴったり七時、美紀と合流した。

「お。なんか今日、気合入ってない?」

「そうかな」

「うんうん。かわいい」

 と、褒めてくれた。

 彼女は男勝りな性格で、口調もやはりどこかたくましい。背が高いうえ、陸上部のエースという肩書を持っているのだから、当然同性に人気だ。男子のあいだは、憧れを抱く人と嫉妬する人とで、ちょうど半分になっているらしいが。

「……さては男だな」

「ち、違うから」

「ふうん」

 と、含みのある笑みを口元にたたえて、「まあいいや」とつぶやいた。

(まあ、バレるわよね)

 我ながらあきれてしまう。

「ま、〝鳥羽とばの女帝〟に男なんてできたら、この鳥羽高校の全生徒が色めき立つに決まっているしな。むろん、あたしも例に洩らさず、ね」

「大げさだなあ。──っていうか、女帝ってなに?」

「あれ、初めて? 去年からあったんだけど」

 燈にはあだ名がつけられる。

 基本は『鳥羽の~』と始まって、たとえば〝鳥羽の皇女〟などと呼ばれている。燈としてはすぐにやめてほしいのだが、もう全体に広まってしまったがためにできるはずもなかった。あとは自然消滅を待つしかない。

「去年から? 初耳だよ」

「そうなんだ。いや、ほら。あんた、他校のヤツらとやり合ったらしいじゃん。たぶんそれが由来」

「……いやなこと思い出させないでよ、もう」

 去年の春ごろ。

 他校の男連中が、鳥羽高の女子生徒にナンパしていたところを見かけたのだ。視界に入った直後、燈はまっすぐ彼らに走っていき、「やめなさい」と叫んだ。男たちはまた釣れた、と下卑た笑みを浮かべて、

「ちょうどいいや。あんたもオレらと遊ばねえ?」

 などとほざいた。

「遊ぶ? 乱暴の間違いじゃないかしら」

「あぁ?」

「もしかして図星──」

 そう言ったとたん、男の拳が燈の鼻先を掠めた。

 すんでのところで避けることができたが、その時点で燈は頭に血がのぼっていた。

 男は避けられたことに意外そうな顔をしたが、すぐにもとの気持ち悪い笑顔にもどって、

「まあ、こういうこった。だからよ、オレらにその子渡してくれよ。とくべつにおまえだけは見逃してやるから」

 はあ、と燈はため息をつく。

「……勘違いしないでほしいのだけれど」

「あ?」

「あんたが喧嘩を売った側だから。そこんとこ、よろしくね」

 男が口を開きかけた瞬間を狙って、燈は片足を軸に、もう片方の足を高く上げ、男の頬に直撃させた。回し蹴りである。次に襲いかかってきた男にも同じく回し蹴り。三人目の男はすでに目が怯んでいたけれど、懲りずに襲ってきた。燈は股間に向けて勢いよく蹴り上げた。男は転倒し、あまりの苦痛に悶えていた。

 その後はむろん警察沙汰になった。学校でも問題になったが、ナンパされていた女子生徒が訴えてくれたおかげで、正当防衛が認められた。

 燈が手を上げた三人の男は、怪我は負ったものの命に別状はないと聞いた。ひとりの股間をやられた男に関しても、後遺症はなかった。まさに不幸中の幸いである。

 ──とまあ、そんなコトがあったのだ。

 ゆえに、火野燈はこのできごとに尊敬の意も込めて、〝鳥羽の女帝〟と呼ばれるようになったのである。

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