SS『 Daydreaming 』
水野スイ
ある日
男は、洞窟の中で灯を眺めている。
目を細めて、静かに、深呼吸している。
吐く息は白く、吸う息は透明に近い。
外は吹雪で、降りやみそうにない。
おそらく、誰も男を助けには来ない。
男はそれを悟っていた。
男はそれをここへ来る前から知っていた。
ずいぶん前から知っていた。
知っていたから、ここへ来たのだ。
男は死にたかったわけではない。
男は、ただ社会から消えたかったわけでもない。
偶然にも、ここへ来てしまったわけでもない。
男のうちの確かなる何かが、ここを求めていた。
この暗闇の洞窟が、男の終着点なのだと気が付いたとき、
男はそこから動くことをしなかった。
ただ最後の灯火が消えてゆくまで、眺めて居ようときめた。
男は、旅人だった。
男は、自分の生まれた国を知らなかった。
母親さえしらぬまま、ある国をある日淡々と渡り歩いてやってきた。
男は、労働者であった。
いじわるな工場長に働かされ、仲間と共に郊外へと逃げた。
男は、金持ちであった。
郊外での商売が成功し、金を得た。
男はそこで、妻を見つけ結婚し、子供をもうけた。
男は、娼婦を買った。
子供が皮肉にも、工場での作業中に事故に巻き込まれ死んだ。
妻と口論になり、家を追い出された。
男は、絵を描き始めた。
残った財産で画材を買って、学問を学び始めた。
しかし遅すぎた。誰も素人の絵など買おうとはしないのだ。
男は、旅人となった。
リュックを背負い、山を登り始めた。
しかし頂上まで行くことが出来ず、遭難した。
男は、いくつもの国をただ歩いていた。
渡り歩いて、いくつものドアを開いていった。
鍵が閉まっているドアは、遠回りをした。
いつかその先に何かあるのではないのかと。
ずっと信じていた。
男は、歩みを止めなかった。
もしかしたら、あの時別れてしまった妻を探しているのかもしれない。
子供の肉片を探しているかもしれない。
男は、必死だった。
男は、やがて山の山頂に上ることをあきらめるようになった。
男は太陽に近づくことをやめた。
男は、そのとき歩みをとめ、一粒の涙を流した。
もうそのとき、自分の手がしわだらけになっていたことにようやく気付いた。
ある日男は、洞窟を見つけた。
男は、洞窟の中で灯を眺めている。
目を細めて、静かに、深呼吸している。
吐く息は白く、吸う息は透明に近い。
男は、また涙を流した。
胸のあたりに手をあてて、息を吸った。
男は消えゆく灯火を見つめながら、息を吐くことをやめた。
男は、そのとき、ようやく見つけた。
自らのうちの太陽とやらを。
『ある日』 完
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