ショートショートvol.3『とあるラーメン屋台の話』

広瀬 斐鳥

『とあるラーメン屋台の話』

 ある静かな夜のこと。

「味噌ラーメン大盛り。海苔を追加で」

「あい了解。味噌ラーメン大盛り海苔増しね」

 俺は注文をして、店主の目の前の席に座る。

 ここは場末のラーメン屋台。ウチの会社のあるビジネス街から歩いて十分ほどの、さびれた店だ。俺以外の客は見たことないし、ラーメンだって特別ウマいわけじゃない。

 だが、大事な商談やプロジェクトを終えた後はこの店に来るというのが俺のルーチンワークになっていた。

「最近はどうもご無沙汰でしたね。もう来てくれないのかと思いましたよ」

 店主はお冷やを出しつつ、労いの言葉をかけてくれる。

 そう、今回はだいぶ間が空いてしまった。

「いやあ、商談をまとめるのに苦戦してね。前に話したレアメタルの話なんだけどさ」

「ああ、都市鉱山の話ですね。携帯電話や家電製品からタンタルを効率良く採取する方法がどうとか」

「それだよそれ。かなり自信を持ってA社にプレゼンしたんだけど、かなり苦労してさあ」

 店主のおっちゃんは汚れた割烹着にねじり鉢巻という、いかにもラーメン屋台の店主という見た目ながらも、意外なほどにビジネス知識を兼ね備えていた。初めて来た時に経済誌の話題になり、そこで意気投合して以来、俺が仕事の節目ごとにこの店に来るのは、おっちゃんにビジネスの相談をしたいからだ。

「あなたが商談に苦労するなんて珍しいですね。資料を見せてもらいましたけど、なかなかのものだと思いましたよ」

「でしょう。でもね、ライバルがいたんだよ」

「ライバル?」

「そう。B社の若いヤツ。名前はなんだって言ったっけな。とにかく、そいつがウチと同じようなプランをA社に持ちかけて、それでいて価格がウチより安かったってワケ」

「ほほお。それは手強い相手ですね」

 おっちゃんはウンウンと頷きながら、大きな身振りでラーメンの湯切りをする。

「実際、手強かったよ。収益に繋げるスキームまでコピーしたようにそっくりでさ。ウチの会社じゃ、内部情報をリークしてるヤツがいるんじゃないかとか、そんな陰謀論が広がる始末。正直、今回は負けたと思ったね」

「でもあなたはこの店に来た。それはこの、たいして美味しくないラーメンを食べるためじゃないでしょう」

 目の前に味噌ラーメン大盛り海苔増しが、ずいと差し出された。

「参ったなあ。ちゃんと美味しいってば」

 俺はわざと大きな音を立てて割り箸を割り、ラーメンをかっ込む。

 うん、この味だ。レトルト食品のような凡庸な味だが、仕事を終えたという達成感が最高の調味料になっている。

「じゃあ、無事に商談をまとめたんですね」

「ああ、何とかね。運が良かったというか、何というか」

「ずいぶんと歯切れが悪いですね」

「うーん。今回ばかりは素直に喜んで良いものかどうか」

「よかったら聞かせてください」

「実はさ、ライバルって言ったB社の若いヤツ。商談がほぼアッチにまとまりかけてたところで、死んじゃったのよ。住んでたアパートで首吊っちゃったんだってさ」

「それは……たしかに、喜んで良いのか分かりませんね」

「だろ? 棚ぼた的に商談はウチにまとまったけど、若いヤツの考えることは分からないよ」

 俺はすっかり空になったどんぶりをおっちゃんに渡し、精算して席を立つ。

「じゃあ、また来るわ」

「またお仕事の話、聞かせてくださいね」

「おう」


 ふう、食った食った。あのラーメン、ウマくはないが腹は膨れるのだ。

 店を出てすぐに黒い帽子の男とすれ違った。つい気になって目で追うと、なんと、あのラーメン屋台の席に着いたではないか。

ああ、可哀想に。短い人生の貴重な一食を無駄にしたな。

 俺は見知らぬ男に同情しつつ、腹をさすりながら家路に着いた。



🍜

 


「今回はご苦労だったな」

「こっちは貰えるもの貰えば仕事はキッチリこなしますよ」

 黒い帽子の男は傷だらけの手をひらひらと遊ばせる。

「まあ、金の話の前にとりあえずラーメンでもどうだ」

「嫌ですよ。どうせそこのスーパーで買ってきたレトルトでしょ? ラーメン食べるならもっとマシな店で食べますよ」

「そう言うなって。こっちだって客にラーメン出してなかったら周りから怪しまれるんだ」

「めんどくさいなあ。じゃあ一番安いやつ」

「そしたら素ラーメンな。百五十円」

「なんすかそれ。味ついてんですか?」

「小麦粉本来の味を楽しんでくれ」

「ふざけんなよ」

 帽子の男の文句をいなしつつ、店主はねじり鉢巻を解いてゴシゴシと顔を拭く。特殊メイクが落ちて、顔のシワやシミが一気に取れた。

「それにしたって、本当に俺に仕事させる必要あったんですか?」

 湯の中に中華麺を入れただけの素ラーメンをすすりながら、帽子の男が言った。

「ああ、アイツはちょっとやり過ぎだったからね。リークした情報そのままのプランで、リーク元の会社と張り合うなんてどうかしてるよ」

「たしかに若くてバカそうでしたね。部屋も汚かったし」

「男の一人暮らしだったんだから、それは多目に見てやれよ」

「リーク元っていうのは、やっぱりこの店の客っすか?」

「お前がさっきすれ違った小太りのサラリーマンがいただろ? そいつだよ」

「あー、あの冴えないやつ」

「そうそう。アイツみたいなセキュリティ意識のないヤツがペラペラと会社の機密情報を話してくれるおかげで、俺みたいなエージェントは商売できるってワケよ」

「エージェントって、ただの産業スパイじゃないすか。まったく、セコい商売だ」

 帽子の男は空になったどんぶりを店主に返し、代金の百五十円を手渡した。

「どうだった、〆のラーメンは」

「それ、俺が絞殺専門の殺し屋だってことに掛けてるならシュミ悪いっすよ」

「ははは。じゃあこれ、お釣りだ」

 店主からずっしりと重い紙袋を手渡された帽子の男は、そのまま夜の闇に溶けていった。

 ラーメン屋の赤提灯は煌々と光っていて、それはさながら、チョウチンアンコウの発光器官のように揺らめくのであった。

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