Le Monde:世界

#1

 術後の容態が安定しリハビリを終えて退院した俺は、哀の体のままで喪服に身を包む。


「哀」


 涙ながらに俺を呼び寄せた母の顔はやつれていて、参列者には馴染みの顔とそうで無い顔が半々ぐらいで入り混じっていた。その中に翔太も紛れていたが、今日ばかりは複雑な表情で焼香を済ませると何も言わずに俺の近くから去る。


「お母さんが不甲斐ないばかりに……お父さんと修也が……」


 人目を気にしながらも肩を揺らして涙を堪える母は、過呼吸にも近い息遣いで言葉を吐き零す。


「お母さんのせいじゃない」


 祭壇に並んだ2つの遺影──哀が事故に遭ったあの夜、うちの家族からは2人も死人が出た。


 人の良さそうな笑みで映る義父と、仏頂面で面白みのない俺の写真は、丁寧な額縁に入れられて黒いリボンが結ばれている。


 警察曰く、口論になった2人が弾みで暴力に発展、それが原因で義父が死亡し、あとを追う形でが自殺したらしい。


 俺が1番よく知っている事だが、俺と義父との関係は良くも悪くも無かったが、俺の部屋から未解決事件の切り抜きが見つかったと証拠が上がっているようで、それも含めて捜査が進んでいるとかなんとか……。


 俺の入院もあって火葬のみ済ませた2人の遺体は、退院を待って告別式として法要が営まれる。


 何を言っているかもよく分からない僧侶の経読みと木魚の音に飽き飽きしながら眺める祭壇には、白を基調とした花が慎ましく飾られて俺を睨むように焼香の煙に頭を揺らす。


 ──結局、何一つアイツに問い詰められなかったな。


 後悔と痼りだけを残した彼女の後ろ姿と笑顔が瞼に焼き付いた俺は、と哀が言い残した言葉を反芻する。


『お兄ちゃんに言いたい事はたくさんあるけど、今は何も知らなくて良い……ただ、この世界は不確かで完璧なものだから、私達は巡り会ったの』


 ──「今は」って……いつ答え合わせする気だよ、バーカ。


 無意識に烏色のワンピースを握りしめた俺は、身勝手で傲慢な彼女の最後に不本意にも視界が緩む。


 毎日家へ帰るたびに響く父親の怒声。

 俺を庇うように謝る母親の後ろ姿。

 いつからか当たり前になった暴力。


 そんな歪な家庭で育った俺にできた初めての妹で守るべき存在だった哀は、どんな憎まれ口を叩いても翔太の次ぐらいには少なからず俺の大切なものだった。


 そして、それはきっと母も同じ。


 ──いや、母にとっては最愛の夫と息子、か。


 呆気なく自分勝手に散った馬鹿に悪態を突いた俺は、もう存在しない彼女に何も出来ない無力さを絶望しながら、急に老け込んだような母の手をそっと握りしめた。

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