第17話 ホラー漫画で情操教育を終えたような異常者



 東雲四乃は言う。

 自分を助けようとしないで欲しいと。

 助けようとしてくれただけで、十分だと。

 表情すらも浮かべる事無く。震えることすらない声で、そう言うのだ。


「……助けようとしないで、か」


 小さな声で、四乃の言葉をなぞる二郷。

 喉元までせり上がってきていた言葉はあるが、しかし二郷はそれを何とか飲み込んだ。

 深呼吸をし、膝の上で拳を握りしめながら、努めて笑顔を浮かべて言葉を返す。


「そりゃあ、ひょっとして俺を心配して言ってくれてんのか? ……なら大丈夫。実は俺は滅茶苦茶に強いからな。左手を振れば鬼の力で悪霊を無に帰し、槍を振るえばどんな妖怪も霧散する。なんなら気合一閃、徒手空拳だけでもお化けはボコボコ。俺はそんな無敵な主人公ヒーローだったりするんだぜ?」


「……」


 道化を演じる二郷、だが、そのふざけた態度にも四乃の表情は一切動く事は無い。

 静かに瞬きをして、真っ直ぐに二郷の目を見つめ返す。


「……あなたはとても強い人だという事も、知ってる。あの日……私の為に、モリガミサマに立ち向かってくれたから。……誰も立ち向かえなかったモリガミサマに、あなただけが立ち向かってくれたから」

「ははっ、そう思ってくれてるなら話が早ぇな。なぁに、モリガミサマなんてモンは俺のスーパー霊能力であっという間に」


「駄目────絶対に、駄目」


 張りぼての英雄譚を続けようとした二郷であるが、その言葉を四乃が遮る。

 平坦な声の中に僅かに浮かんだ感情の欠片……強い拒絶の意志を感じ取った二郷は、四乃を安心させる為にそれでも敢えて虚飾を重ねようとして、そしてその直前に気付く。


「……モリガミサマは、怖い」


 四乃の体が、小さく震えて居る事に。


「……私だって、調べた。……今まで色々な人が、モリガミサマを倒そうとしてくれていた」


 四乃が言う『今まで』とは、東雲家の歴史の話なのであろう。記憶を辿るように、四乃はぽつりぽつりと語る。


「……大きなお寺の住職も、名を響かせた侍も、名家の陰陽師も、現人神と呼ばれた神主も、仙人と称された人物も、新興宗教の教祖も、天狗と名乗った修験者も、銃を持った兵隊も、沢山の暴力団員も、教会の神父も、地域の不良を束ねた人も……誰も、誰もモリガミサマを倒せなかった。倒せずに、殺されてしまった」


 四乃の語るそれは、東雲家の為に失われてきた命の数である。

 そして、希望を折られ続けてきた過去であり、モリガミサマが連綿と刻みつけてきた恐怖という名の呪いでもある。

 人間の中にも、確かに超常の力を持つ者は居る。二郷のように視えるだけではなく、立ち向かう術と経験を持った者達は居るのだ。

 だが、その誰もが、誰一人として、モリガミサマに打ち勝つ事は出来ずに殺された……その事実は重い。とても、重い。


「……だから、もういい。私は、あなたに犠牲になって欲しくない。私に光を見せてくれたあなたまで犠牲になったら……もう、堪えられない」


 四乃は、一度視線を机に向けて、何かを堪えるような沈黙の後に再度口を開く。


「……そうなるくらいなら、あなたの思い出を抱えたままに死んだ方が、ずっと良い」


 頭を槌で殴られたような衝撃。

 四乃の言葉に、二郷はようやく己の思い違いを自覚する。


(……そうか。この子はもう、諦めちまってんだ。だから、せめて最期は一人ぼっちじゃなかったと、そう思いてぇんだ)


 確かに、東雲四乃にとって間宮二郷は光なのだろう。死を目前にした一人きりの人生の中で、唯一現れた特別な存在なのだろう。二郷の存在があったからこそ、道を踏み外さずに済んだのだろう。だが────―ただそれだけだ。それだけなのである。


(バカだ俺は。考えりゃあ判るだろうが。この世界の他の誰よりも長く、モリガミサマの恐怖に晒されてきたんだぞ。誰よりも孤独で、苦しい日々を送ってきたんだ。こうやってまともに会話出来るのだって奇跡みてぇなモンなのに、そんな子に、俺の薄っぺらい嘘の言葉が届く訳ねぇだろうが。それに、俺とこの子は……今日初めて、顔を見て言葉を交わしたんだから)


 間宮二郷は東雲四乃にとっての光であり、救いであり、主人公ヒーローである。

 けれど、未来を思い描ける程の強い希望にはなれていない。


(……ならどうすればいい。どうすれば、俺はこの子の心まで助けてやれんだ)


 必死に思考を巡らせる二郷だが、幾ら考えても答えが出る訳も無い。

 前提として、東雲四乃に届く言葉を、思い出を、二郷は持ち合わせていないのだから。

 沈黙する二郷に、自身の希望が伝わったのだとそう判断したのだろう。四乃は静かに立ちあがると、もう一度頭を下げる。


「……今日は、ありがとう。朝、誰かが迎えに来てくれて……私は、幸せだった」

「っ……」



 そして、次の瞬間。



「────え?」


 少しの衝撃と一瞬の浮遊感を感じた後、気が付けば四乃は自身のベッドに腰掛けていた。

 そしてその隣には────少年が。間宮二郷が、息が掛かりそうな距離で腰掛けている。


「…………え……あ……?」


 あまりに唐突な出来事に思考がついて行かず、間の抜けた声を出してしまう四乃。

 だが、生来の優れた思考能力により、数秒もしない内に置かれている状況の危険性に気付き、慌てて隣に居る二郷から離れようとする。ベッドに手を付いて腰を浮かせようとし


「────っ!?」


 そして、その肩が二郷の手によってに抑え付けられた。


「…………あ、あ……ああ……!」


 触られた。触られてしまった。これで、四乃の主人公ヒーローはモリガミサマに殺されてしまう。

 最悪の結末に思い至った四乃の表情が絶望を形作り、震える声で『どうして』と二郷に言葉を掛けようとする。

 だが、その言葉は二郷が四乃の肩に腕を掛け、強く抱き寄せた事で無理やりに中断されられてしまう。

 混乱する四乃をよそに、二郷は覚悟を決めた表情で大きく息を吸い




「いっえええぇぇ────―ィ!!!! モリガミくん、見ってるうぅぅ―!!? テメェが長い時間かけて陰湿に必死扱いて追いつめた東雲四乃ちゃん、俺が抱きしめちゃいましたあぁぁ────はっはー! おいおい今どんな気持ちだぁ!? クソみてぇな嫌がらせの為に仕掛けたテメェ自身の罠で手がだせねぇの悔しいかぁ!? 獲物が幸せにされるのを小汚ぇ顔で指咥えて見てやがれ! ああ! そういやあテメェは指なかったなあ!! ははははははははは!!!!」




 中指を天空に向けて立てるという放送禁止のサインを中空にキメながら、室内に響き渡る大声でそう言って、高らかに笑って見せた。




「…………!?!?」


 その余りに堂々とした態度が、余りに馬鹿らしい言葉が、四乃の思考を混乱の渦に巻き込み、染まりかけていた絶望の感情を吹き飛ばす。


 ────そうだ。二郷が幾ら考えを巡らせても、答えなど出る筈が無い。


 そもそも、間宮二郷という少年は、知恵こそ有るが、本質的には馬鹿なのである。

 馬鹿だから、とっさの時には気の利いたセリフも理性的な説得の言葉も出てこない。

 星山羊を回避した時も、蟲男を駆除した時も、風船の魔物を撃破した時も、黒板の侍を討ち払った時も……赤い巨大な人影に立ち向かった時でさえ。

 凶悪な化物を相手にする時、いつだって二郷は言葉ではなく、行動で解決を試みてきた。

 恐怖を、怒りを、哀しみを。その全てを原動力にして、主人公ヒーローという記憶の中の光に向けて歯を食いしばって手を伸ばす。それが間宮二郷という男なのである。

 だから、四乃が離れていきそうになった時、二郷は思考を投げ捨てて本能に身を任せ、合気術の要領でその身体を投げて怪我をしないようにベッドの上に座らせた。

 足りない言葉を埋める為に、その肩を抱き、命を懸けて助けるという覚悟を示した。


「カカカカッ!! モリガミくん怒ってやがんなぁ! 悔しいよなぁ!? 歯がゆいよなぁ!? ザマァみやがれバァ──カ! ベロベロバァ!」


 もはや小学生のような語彙の煽り文句ではあるが、モリガミサマにとっては不愉快極まりないものであったらしい。

 モリガミサマ自身が己に課している制約により手出しこそ出来ないが、二郷が言葉を発する度に、四乃の部屋が小規模な地震でも起きたかのように揺れる。

 しかし二郷は、その揺れに対する恐怖を狂気と怒りで塗りつぶし、獰猛な笑みを返す。

 そんな状況にあっけにとられていた四乃であるが、ようやく正気に戻り慌てて口を開く。


「……だ、ダメ。まだ間に合うかもしれない、だから離し」

「────嫌だね。俺はあんたを絶対に離さねぇ」


 二郷は離れようと必死にもがく四乃の冷たい手を逆に強く握り、その額に、血が滲むガーゼ越しに自身の額を押し付ける。


「……う、う……っ」


 突き放すつもりだった。引っ搔いてでも、噛みついてでも拒絶するつもりだった。

 けれど、二郷の行動は四乃の抵抗の意志をあっという間に蒸発させた。

 表情こそ平静を保っているが、白い頬に刺した僅かな赤みは隠せない。五月蠅い程に早くなった鼓動も、二郷に聞こえているかもしれない。

 それは、仕方の無いことだろう。なぜならば、東雲四乃にとって初めてだったのだ。

 幼い頃に、モリガミサマに憑かれて以来────これ程多くの言葉を交わし、これ程近くで視線を合わせ、これ程強く誰かに強く想われた事は、ただの一度も無かったのだ。


「……や、めて。私は、あなたに生きて欲しい。あなたが生きているだけで、最後まで寂しくない。だから」

「アンタを助けられなかったら、俺は腹掻っ捌いて死ぬ。そう決めた。だからアンタは死ぬな」


 せめてもの抵抗に、なけなしの理性を振り絞って呟いた言葉すらも、二郷の考えなしの馬鹿げた勢い任せの回答に吹き飛ばされてしまう。

 とうとう視線を逸らした四乃は、消え入りそうな声で呟く。


「……何故」

「あン?」

「……あなたは、どうして私にそこまで……良くしようとしてくれるの?」


 東雲四乃と間宮二郷は殆ど初対面のようなものだ。だから、四乃にとっての二郷は唯一の主人公ヒーローであるが、二郷にとっては十把一絡げの他人でしかない。であるのに、なぜこうまでしてくれるのか。

 それが四乃には判らない。だから尋ねる。

 不安と、期待を込めて。

 その言葉を聞いた二郷は、押し付けていた額を離すと……両手の人差し指を四乃の唇の左右の端に当てる。そしてそれを斜め上に押し上げて、四乃の顔に無理矢理に笑顔を作る。


「東雲四乃ちゃん。あんたの笑顔を見てぇからだよ。女の子ヒロインってのは、幸せで幸せで幸せで、幸せいっぱいの笑顔でいるべきで、そうじゃねぇバッドエンドなんてモンは、俺は例え死んでも認めねぇ。だから、俺は此処に来た。此処に居るんだ」


 激しくなるモリガミサマによる部屋の揺れポルターガイストの中、四乃の口元に当てていた指を離した二郷は、四乃の真正面に立ち、右手を伸ばす。

 何も言わず。ただ、真っ直ぐに四乃の目を見つめながら。


「……ぅ……ぁ……」


 伸ばされた二郷の右手と、揺れる部屋の光景。それらを交互に見ながら、四乃の右手がゆっくり、おずおずと伸ばされていく。

 だが、そこで一段と強く部屋が揺れた。それに驚いた四乃は、手を引込めようとして────その直前に、二郷がその手を強く掴んだ。


 恐怖を振り払う為の獰猛な笑顔ではなく、子供を安心させるような笑顔を浮かべて、二郷は言う。


「よっしゃ。そんじゃまあ──── 一緒に学校行こうぜ」

「……うん」


 俯きながら返事をする四乃。

 その頬に、恐怖以外の感情で生まれた雫が流れた。




 ────────────




「おや、お帰りなさい二郷君」


 東雲亭の玄関を潜った瞬間に、二郷に掛けられた声。

 その声を聞いた瞬間、二郷の眉間に露骨に皺が浮かぶ。視線を声がした方向へと向けてみれば、そこには明け方に見たばかりの黒いセーラー服と仮面。

 しゃがみ込み、野良猫の両手を持って謎のダンスをさせている少女の姿があった。


「テメェ、『スイガラ』。なんでまだ此処に居やがんだ」

「『レイちゃん』と呼んでいいですよ……これはまた、随分と怖い顔をしていますねぇ。そんなに凄まれては猫三郎が驚いてしまいますよ?」


 諦め顔の茶トラ猫にファイティングポーズを取らせる『スイガラ』こと五辻レイ。彼女に対して、二郷は一度溜息を吐いてから言葉を続ける。


「……テメェには、学校の連中の【モリガミサマ】対策を頼んだだろうが。まさか約束を破る気じゃねぇだろうな?」

「まさか。僕は約束は破りませんよ。それが二郷君との約束なら猶更です。というよりも、約束を守る為に必要だから此処に居るんですよ」


 怪訝な表情を浮かべる二郷に、猫を解放したレイは肩を竦めながら説明する。


「二郷君の知っている通り、僕は普通の人間の行動をある程度操る事が出来ます。ただ、それにも限界範囲というものがあるんですよ。何分、脳に成り替わっている訳ではありませんので」

「……ああ、そういや『特殊個体』はそうだったな」

「……そこで当然のように『知っている』反応を返されると、立つ瀬がないんですがねぇ。まあ、その様な訳で付かず離れずの距離で二郷君を見守っていようと思っていたわけですが……」


 右手を額に当て、遠くを見るような挙動をする五辻レイ。


「肝心の東雲四乃さんの姿が見えませんねぇ。もしかして、振られてしまいましたか?」


 二郷に近寄り、頬を指でつつく五辻レイ。その手を鬱陶しげに払った二郷は、若干の苛立ちを見せつつも素直に返事を返す事にした。


「説得は成功した。今、あの子は制服とか荷物とか……とにかく、身支度中だ。つまり、ここからは晴れて俺も命がけって訳だな」

「……へぇ、そうでしたか」

「あ? なんだ。上手く話が進んだ事に不満でもあんのかよ」


 何か含みがある様子の五辻レイの返事に、社交辞令として尋ねる二郷であるが、五辻レイは静かに首を振る。


「いえいえ、もしも失敗していたのなら、元のプランに戻さないといけませんでしたので、上手くいった事自体は喜ばしいと思っていますよ。流石は二郷君です。さすにご」

「……いや、なんだその略し方。不快な略し方すんじゃねぇよ」

「では、さうす」

「略し方の方向性見失って南になってんじゃねぇか……」


 くだらないやり取りに溜息を付いた二郷であったが、そこで何かに気が付いたように門へと視線を向けると、突如として、五辻レイのセーラー服の襟首を猫の子供にするかのように掴み、最寄りの草むらの向こうへと放り投げる。


「……二郷君。いくら僕を都合の良い女と思っているからといって、さすがにいきなり放り投げるのは随分な扱いではないですかね?」

「黙ってろ。あの子が来る。具体的にはあと30秒くらいで来る」


 その言葉を聞いた五辻レイは、東雲亭の門へと視線を向けて耳を澄まし────二郷の言葉が事実である事を悟った。


「いやはや。相変わらず、化物じみた能力をしてますねぇ……そういう訳であれば、僕は草葉の陰から見守る事にしましょう。それでは二郷君、また学校で」

「おう。またな」

「……」


 二郷の言葉を最後に、五辻レイの気配が希薄になる。そして、それと同時に東雲亭の門が開き────。


「……待たせて、ごめんなさい」

「お……う?」


 二郷が視線を向けた先には、少女が居た。

 背の中程まで伸ばした黒髪と、黒色のセーラー服。陽光の下にも関わらず、蛍の様な儚げな美しさを持つ、美しい少女。東雲四乃。

 四乃は、ゆっくりと歩みを進め、二郷の横に立つと────無言のまま、当たり前のように二郷の手を握った。


「うおぅ!?」

「……どうしたの?」


 あまりに自然に握られた手に、驚きの声を上げる二郷であったが、四乃は相変わらずの無表情のまま首を傾げる。


「いや、その……なんで手を?」

「……あなたに触れていたいから?」

「お、おう。そうか……けど、別にンな事しなくても俺は居なくなんねぇぞ?」

「……ついでに、色々と聞きたい事がある。あなたの知っている事について」

「────ああ、成程」


 四乃の言葉を聞いた二郷は、それで得心が言ったとばかりに頷く。


(つまり、そっちがメインか。確かにこの子にとっちゃあ、色々と不可解だろうからなぁ……そんじゃまあ、道すがらモリガミサマに盗み聞きされても問題ねぇ範囲で、色々と説明させて貰うとしますかね)


 二郷は気付かない。

 自身の顔をじっと見続けている視線。そこに込められている感情の強さに。深さに。

 ホラー漫画で情操教育を終えたような異常者であるからこそ、普通であれば気付く事に、気付く事が出来なかった。




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