第3話 捨てたオモチャ



 日は昇り、沈む。それは絶対の法則だ。

 例えば、世界の何処かで一人の青年が間宮二郷という少年に成り替わる──等という奇妙な事件が有ろうと、時の歩みが止まる事は決して無い。

 中学校の屋上で二郷が目を覚ましてから、時間にして112時間後。

 彼は見知らぬ、けれど記憶に有る一軒家の玄関で、学生服を着込み立っていた。


「二郷、本当に大丈夫? 無理しなくていいのよ?」

「……心を休めるのは大切な事だ。苦しかったら学校なんて早退して来なさい」


 玄関のドアノブに手を掛けたようとした時、背後から二郷に心配そうに声を掛けてきた男女。

 二郷に彼等との面識は無いが、彼の中に遺されている『間宮二郷少年』の記憶は、彼らが自身の父母である事を伝えている。


 そう。かつて『青年』であった二郷は、『青年』の名前を含めた元々の記憶を多く失っていたが、代わりとばかりに、その脳には間宮二郷という少年の記憶が全て遺されていた。


 ……同一の記憶を持つ同一の肉体の人間を同一人物と呼んでよいのか。

 自身は間宮二郷本人なのか。それとも間宮二郷少年の記憶を持つだけの別世界の青年であるのか。

 実際、『間宮二郷少年の記憶』を頼りに家まで戻って来た二郷は、状況の不明瞭さとスワンプマン実験のような体験に対して、何日もの間、自室で混乱と恐怖心に苛まれた。

 だがしかし、二郷は、自身の記憶を整理していく中で、『青年』がかつて読んだ作品群及び、その作品の主人公達の活躍についての記憶が僅かたりとも損なわれていない事に気が付いた。

 そして、その事を自認した瞬間に、恐怖は消し飛ぶ事となったのである。

 自身が間宮二郷少年であれば、主人公達への憧憬など無い。読んだことも無い作品なのだから記憶が有る筈も無い。

 故に二郷は自身の自我は青年のものであると躊躇いも無く結論付ける事が出来────それが故に、現状確認と学生の責務の消化を兼ねて、登校を決めたのである。

 恐るべきは、魂の奥底にまで焼きついた憧憬。


「おうよ。俺は大丈夫だ、心配してくれてありがとな────行ってきます、父さん。母さん」


 ただ、自我が誰のものであろうと、それは間宮二郷少年に向けられる感情を粗雑に扱って良い理由にはならない。

 未だ状況を理解し切れている訳ではない。

 けれど……二郷少年の記憶の中にある、不登校になった自分を心配し、親身に向き合ってくれていた両親の姿。

 そこに見えた愛情は本物である。少なくとも、本物であると信じたいと、二郷は思っている。

 だから、『青年』は両親に笑顔で返事を返す。

 本当の『間宮二郷少年』を奪ってしまったという罪悪感を表に出さないよう、努めながら。

 そんな二郷の態度に、少し驚いた様子を見せつつも、両親は笑顔で手を振って見送る。


 間宮二郷、中学3年に進級してから実に半年ぶりの登校であった。



 ──────



「……おう、おはようさん」


 公立四ツ辻中学校3年C組。

 二郷が、挨拶をしながら所属するクラスのドアを開くと、先程まで朝の喧騒が広がっていた教室が波を打ったように静寂に包まれた。

 それは異様で……しかし、当然の光景であった。

 漫画『さかさネジ』の登場人物である間宮二郷は、不登校児だ。

 それも、体から塩を出す奇妙な体質であると噂され、それが原因でいじめを受けていた存在なのである。

 そんな彼が半年ぶりに姿を見せたのは、クラスメイトにとっては想定外も良い所の、ある意味怪奇現象であった。


 だが、その沈黙も僅かの間の事。

 自分の席────落書きが描かれた机と椅子に腰かけた二郷の前に、3つの人影が現れた。


「よーぅ! 塩星人、しっかり登校してきて偉いじゃーん!」

「オレら、お前が学校来なくなって寂しかったんだぜー?」

「これから毎日、また一緒に遊ぼうぜーッヒ!」


 胸元を空けたシャツと、傷んだ金髪にピアスの少年。

 黒く日焼けしている、剃りこみを入れた坊主頭の少年。

 ジャラジャラと銀色のアクセサリーを付けた、煙草の臭いのする太った少年。


 いかにも、といった容貌をしている彼等は、二郷少年をいじめていた筆頭。教師も見てみぬふりをする不良達である。

 彼等にとって、久しぶりに登校してきた間宮二郷は、修理されて戻って来た、昔壊して捨てたオモチャのようなものであるのだろう。


「んー? あれー!? どうしたんだ塩星人、震えてんじゃんよー?」

「オレらに会えてそんなに感動ちゃったー?」


 そんな彼らを前にして──―二郷はその身を細かく震わせている。

 自分達に怯えているのだと、そう認識した三人組は、ますます愉快気に浮かべた笑みを歪める。


「とりあえずさ、まだセンコー来るまで時間あっから連れション行こうぜ? あ、財布忘れずに持って来いよ」


 そうして、二郷の肩を掴んだ金髪ピアスの少年は、そのまま仲間の二人と一緒に二郷を男子トイレへと連れて行く。

 周囲の生徒達は、無関心か、或いは憐みの目でその光景を見つめる事しか出来なかった。







 それから15分後。

 教室に、二郷だけが戻って来た。



「……」


 二郷は何も言わずに自身の席に戻り、俯きながら座ると、再びその身を震わせ始めた。

 そして……いつまで経っても不良達は戻ってこない。

 始めは、二郷が不良たちにカツアゲでもされたのかと思っていたクラスメイト達であったが、その後、始業が近づいても尚3人が戻ってこない事に異様さを感じて、意を決して一人の男子生徒が二郷に声を掛けた。


「な、なあ! 間宮……君。あの3人に何かされなかったか? 大丈夫か?」

「うへおあッ!? ……な、なんだ人間か……あの3人って、さっきのヒヨコみてぇな髪色の連中の事か?」

「いや、『人間か』ってどんな驚き方なのさ……あいつら反社と繋がってるとかの噂もあってさ、ゴメンな庇ってやれなくて」

「あー……いや、それは別に大丈夫だ。心配してくれたのか。あんがとよ」


 どこか気まずそうに視線を逸らす二郷。それを、無理をしているのだと思った眼鏡の男子生徒は、再度謝罪の言葉を紡ごうとして


 その直後、教室の後ろのドアが開いた。

 そこには────先ほど二郷を連れて教室を出て行った3人組の不良の姿。


「……」

「……」

「……」


 だが、彼等の様子は教室を出る前とはすっかり変わってしまっていた。

 ぐっしょりと濡れ、若干臭いを放つ髪に、何故か制服からジャージに変わっているズボン。

 一人は尻を、一人は股間を。一人は鼻を押さえて、すすり泣いている。

 小さく身を縮め、ビクビクと何かに怯えている様子の彼等に二郷が視線を向けると、ヒュッと息を呑む音を出した後、顔色を真っ青にして視線を逸らした。


「え……何アレ……?」

「悪意はより巨大な暴の力で叩き潰せば良い。やっぱ、花岡隊長ってスゲェよなぁ」

「……花岡? いや、誰さそれ」

「あ? 押切作品知らねぇとか人生の五割は損してんぞ?」

「えぇ……よ、よくわからないけど、ま、まあいいや。俺はもう席に戻るよ」


 明らかに二郷が関与している不良たちの変貌。

 そして、厄介オタクの様な……もしくはヤバい宗教に嵌って居る人のような、澄んだ(濁った)瞳。

 それを見て、本能的に関わってはいけないと思った眼鏡の男子生徒はそそくさと席に戻っていった。

 二郷は、そんな男子生徒の背中を見送ると、一度小さく溜息を付いてから再び自身の机へと視線を向ける。


(そうだ……不良なんてのは、どうでも良いんだよ。花岡隊長から学ばせて貰った暴の力でどうにでもなるんだから)


 二郷は『青年』であった頃、漫画の主人公達に少しでも近づくために研鑽を重ねていた。

 そして、ホラーアクション漫画の主人公達と言うのは────その多くが強い。

 人の身でバケモノ達と戦うのだ。それは当然の事で……だから、青年も当然のようにそれを目指した。

 格闘技や喧嘩術、果ては拷問術なんてものまでも、敬虔な宗教家が宗教儀式を学ぶように、鍛練を積み学習した。

 その技術は、二郷少年の肉体となっても損なわれていない。

 

 故に。

 この教室に入ってから二郷が震え怯えているのは、不良に対してでも、奇異の視線に対してでもなかった。


(そりゃあ『さかさネジ』には学校が舞台の話が多かったけどよ────なんでよりにもよって、この教室に『3話分』のバケモノがいるんだよォ!!!?)


 チラリと視線を向ければ、二郷の眼には他の生徒には見えない『其れ』等が映った。



「……」

 教室の後方窓際で本を読む、長い黒髪と眼帯が特徴的な少女。そして、その少女を中空からじっと見ている巨大な右眼。

【13話 モリガミサマ】



「はてさて。彼等、どうしたんですかねぇ。何やら、暴漢にでも襲われた様な有様になっていますが」

 友人であろう女子生徒達と一緒に、さめざめと泣く不良たちの様子を眺め見ながら雑談をしている、笑顔を模した白い仮面を被った人型。

【6話 スイガラ】



『―。 ──―。― ―。── 。―。──』

 教室の左斜め前の天井に設置されたテレビ。『真っ赤』に光るその画面の中に時折写る、白髪の女。

【16話 アナログジャック】



 間宮二郷は、苦手な内容の漫画でも、それがホラー漫画であれば一言一句違わずに記憶している。故に、視界に入ってきた其れ等が、さかさネジ本編に登場したバケモノ達である事を一瞬で理解した。理解してしまった。


(くそっ! くそっ! くそっ! 見て知っちまったからには、どうにかして助けないといけねェじゃねぇか! でもなぁ……滅茶苦茶怖いんだよ畜生おおおお!!!!!)


 机に突っ伏して、うめき声を上げたくなる衝動を抑え込む。

 当時漫画を見て覚えた恐怖。そして【赤いヒトガタ】により魂の奥底まで刻み込まれた、怪奇現象への怯え。

 今の間宮二郷は、かつて青年だった時のように勇敢に『何か』へ立ち向かう事はもはや出来ない。だがそれでも、間宮二郷には眼前に出現した理不尽な恐怖達オムニバスホラーから逃げるという選択肢はなかった。

 それは、『青年』にとって心の中の主人公達を裏切るというのは、死よりも地獄よりも尚恐ろしい事であったからだ。



「はい、皆さん席についてください! ホームルームを始めま……間宮君!!? 学校来てくれたんですか!? あと、近藤君と鈴木君と五所川原君はどうしてジャージ姿で泣いてるんです!!?」


 二郷の葛藤はそれから5分後、担任教師の三塚女史が来るまで続いた────


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