第129話 間違い

「おかりなさい、レイ」


 何故か自室にて俺を出迎えてくれた白銀の少女────フリージアは俺の存在を認めると優しく微笑んだ。その姿は妙に艶めかしくて、どこか煽情的で、どこか蠱惑的で、何かが吹っ切れたように堂々としていた。


 そんな彼女に僅かながら違和感を覚えながらも俺は質問の続きを尋ねる。


「ただいま……それで、わざわざ部屋で待ち伏せまでして何の用だ?」


「理由がなかったらあなたの部屋に来ちゃダメなの?」


 やはりどこかいつもの彼女とは様子の違う言葉遊び。そもそも、婚約者とは言えどうして公爵令嬢様が当然のように屋敷に入り浸っているんだ、と言う突っ込みはこの際無視したとしてもこの状況はなかなか奇妙であった。


「そういうわけじゃないけど……どうしたんだ今日は?やけに女の子らしいじゃないか?」


「女の子らしいって……やけにも何も私は常に女の子なんだけれど?」


 軽口を叩いて揶揄うとフリージアは何ともそれらしく頬を膨らませて不機嫌そうな態度を見せる。


 本当に今日の彼女は何処かおかしい。まるでこちらを気遣うように、何かを悟らせないように、誤魔化すように俺の気を紛らわせてくる。そしてまんまと俺も彼女の言葉遊びにつられて、宣ってしまう。


 ────そんな資格、お前なんかには無いって言うのにな。


 茶番だ。自嘲的な笑みが自然と零れ出る。この期に及んでまたお前は何かに縋ろうとしている。優しくされると勘違いをしてしまう。そんな甘ったれた思考を振り払うように俺はこの妙に心地良く思えてしまう会話を強制的に終わらせに掛かる。


「悪いんだが、また明日にしてくれないか?ちょっと疲れてるんだ、今は……一人にしてほしい」


 出来るだけ平静を装い、俺は依然としてベットに居座る少女にそう断りを入れる。


 普段の彼女ならばこの一言で引き下がったことだろう。いつも好き勝手にこちらを振り回す彼女だが、本当にこちらが疲れていたり、一人にしてほしい時はその気持ちを汲み取ってくれる。けれども────


「仕方がないから今日は一緒に寝てあげる。酷い顔よ?ほら、こっちに来て横になって。貴方が眠るまで側に居てあげるから」


 どうにも今日のフリージアは引き下がらない。それどころか俺の言葉を聞いて確信めいたように俺を一人にすることを拒む。何ともらしくない言葉に俺は表情が強張るのをハッキリと感じた。


 やめてくれ、そんな優し気で、暖かくて、けれど悲し気でこちらを気遣うような、その綺麗な蒼色の双眸で俺なんかを見ないでくれ。その瞳に見られると、勘違いするんだ。どうしようもなくなりそうなんだ。


「はは……フリージアにしてはらしくない冗談だな。本当に今はそんな気分じゃないんだ。だから……頼む、今だけ一人にしてくれないか?」


「イヤよ」


 空笑いをして、何とか穏便に部屋からの退室をお願いするが、眼前の少女は頭を振ってそれを拒む。


「今のレイを一人にはできない。王城で、外に出ていた時に何かあったんでしょ?全部話してなんて言わない。私なんかじゃ役不足かもしれないけれど、少しでも話せばため込んでた悪いものが少しは軽くなることもあるでしょ?だから────」


「出てってくれ」


 フリージアの優しくて、絆されそうな言葉を俺は無理やり遮る。腹の内からよくないモノが湧き出てくる。それは醜くて、醜悪で、お門違いで、彼女に向けるには到底間違っている感情だ。けれども、一度湧き出たものは奥底に押し込むことができない。今の俺にはそれが出来そうにない。


 多分、今俺はとても不甲斐なく、その面を「苛立ち」と言う身勝手な感情で埋め尽くしていることであろう。常時でも鋭い目つきは更に悪くなり、眉間に皺が寄って、全くもって何も悪くない、寧ろ善意でこちらを心配してくれている彼女を睨みつけているだろう。


「出てけ」


「ダメよ」


「いいから」


「絶対にイヤ」


 依然としてフリージアは頑なに俺の言葉に頷こうとしない。不安げに、けれどもこちらを心配するように、優し気にこちらに寄り添うように見つめてくる。けれども、その「善意」こそが俺を苛立たせていた。


「いいから出てってくれッ!!」


「ッ────」


 何度目かの問答。際限なく沸き起こるどうしようもない感情に意識を支配されて、気が付けば俺はフリージアに怒鳴っていた。


 俺の声に眼前の少女はびくりと体を震わせて、室内に醜い感情の発露が残響する。そこで我に返れれば良かった。そこで「ごめん」と「悪かった」と謝れればまだよかった。けれど、一度吐き出されたどうしようもないソレは歯止めが利かなくなった。


「いいからほっといてくれ!一人にしてくれ!俺みたいな奴なんかに優しくしないでくれ!」


「れ、レイ────」


 そんな眼で見ないでくれ、そんな優しい目で視られるとどうしようもなく勘違いしてしまうのだ。自分は無罪だと、被害者であると、何も悪くないのだと、泣いてもいいのだと、甘えてもいいのだと────許してもらえると、そんな勘違いをしてしまうんだ。


 ────違う!俺に、なんかにそんな資格はないんだ!!


 本当にとんだ茶番だ。


「俺はお前らが思うような人間なんかじゃない!俺は身勝手で、自分勝手で、自己中心的で、本当はこんなところに居ちゃいけなくて、お前たちに気に掛けてもらえるような人間なんかじゃないんだ!!」


 何が平凡なスローライフだ。


「本当の俺は……一度目の人生のクレイム・ブラッドレイは怠惰で、傲慢で、わがままで、人生を舐め腐って、微塵も努力なんてしないお調子者のクソ野郎なんだ!」


 何が二度目の人生は一度目の悲惨な未来を回避して、こんどこそ納得のできる人生を送って見せるだ。


「フリージア、お前だって知ってるだろ、知ってるはずだ!?〈傲慢怠惰な悪童〉!俺は自分益しか考えられない、自分が良ければそれでよくて、家族を……大切な妹も蔑ろにして虐めを働くクソ野郎だってことを知ってるはずだ!!」


 何が今度は調子に乗らず、目立たず、選ばれし者としての責務をすべて放棄して、無駄な権力争いからは無縁のスローライフを送って見せるだ。


「二度目の人生を生きた俺は、今の俺は全部違うんだ!「嘘だ!虚飾だ!欺瞞だ!全部全部全部────!!」


 何が破滅しか待ち受けていない未来を回避するためならば外聞など気にせず、見っともなく地べたを這いつくばっても足掻くだ。その結果がこの凄惨な現実だ。俺が居なければ、黙った死んでいれば訪れなかったであろう未来だ。


「知ってるか?一度目の人生じゃ、俺とフリージアは犬猿の仲で、こうして部屋で二人きりになることがあり得ないくらいに最悪な関係で、お前は俺を殺したいくらいに嫌っていたんだぜ?

 殿下やグラビテル嬢……極めつけはヴァイスだ。一度目の俺は彼らと幾度となく剣を交え、殺し合い、国家反逆者として国民の前で断罪され、斬首刑で自分の首を斬られて死んだんだ。誰に助けを求めても、俺を助ける奴なんていない。当たり前だ、俺はいろんなやつに悪逆非道の限りを尽くし、嫌われていたんだからな」


 自分で自分の最期を、事の顛末を語っていて笑えて来る。こんなにも滑稽で、哀れで、自業自得な正にクレイム・ブラッドレイでしかありえないであろう死に様が可笑しくて仕方がない。


 きっと眼前の少女は呆然としていることであろう、失望していることであろう、全てが虚偽であることを悟っただろう。激怒し、罵詈雑言で叱責し、軽蔑することだろう。


「だからもう放っておいてくれ。優しくしないでくれ、もう俺なんかに構わず、お前たちは幸せに────」


「大丈夫よ」


 けれどもそんな予想は覆される。


「────は?」


 不意に身体が暖かくて、柔らかくて、安心する香りの何かに包み込まれる。予想だにしない感覚に俺は無意識に間抜けな声が出てしまう。数秒の静寂。自分の身に何が起きたのかそれでも分からなくて、次いでなお一層、離さないとばかりに強められた腕の感触によって自分の身に起きたことを察する。


 端的に言えば、俺は────クレイム・ブラッドレイは抱きしめられていた。


 誰に?


 疑問に思うまでもない。何せ、この部屋にいるのは愚かな自分とあと一人────白く透き通り、新雪を思わせる長髪が何よりも綺麗で特徴的な少女しかいないのだから。俺はフリージアに抱きしめられているのだ。


 ────なんで?


 現状を理解したとしても、思考は疑問で埋め尽くされる。離れようにも、彼女のこれまで鍛え抜かれた筋力によってそれは容易な事ではなかった。


「そっか、あの時の違和感は間違いなんかじゃなかったのね」


 何処か腑に落ちた様に、合点がいった様子でフリージアは囁く。そうしてこちらの存在を確かめるように彼女は俺の胸に頭を擦り付けた。


「別に私はね、過去の事なんて……一度目のレイの事は関係ないと思うし、どうでもいいと思うの。確かに一度目の人生の記憶があるレイにとってはそんな簡単な話じゃないし、後悔するくらいにはつらい過去なのかもしれないけれど、今の私はその時のあなたの事は分からないし────」


 やはりフリージアは蒼く綺麗に澄んだその瞳で、優しく俺を見てその白く細い指で頬を軽く撫でてくる。


「私はあなたの生きてきた姿、今の貴方の為人を見て好きになったの」


「ッ────」


「だからね、レイが酷いやつとか、自分をクズだとか、悪い奴だとか言われてもピンとこないの。だって、私の知るクレイム・ブラッドレイは何処までも愚直で、努力家で、家族思いで、仲間を大事にして、弱い人を無条件で助けられる優しさがあって、責任感が強くて……それがフリージア・グレイフロストの知るあなたで、そんなレイを尊敬してるし、私は好きなの────愛しているの」


 息が詰まる。眼前の少女から目が離せなくなる。


「それはアリスやフェイド卿、殿下やヴァイスも同じで……だからねそんな私たちが知らない話を持ち出されてもそれを私たちは知らない。そんな知らない話をされたところであなたの気持ちは微塵も変わらないわ」


「でも俺がいたからこんなことに……アリスも爺さんも、フリージア達がこんな目に遭って────」


 そうだ。その事実は何ら変わらない。俺の存在が異質物がこの状況を作り出した要因なのは変わりない。けれども眼前の少女は不機嫌そうに……いや、悲し気にその瞳に涙を浮かべていた。


「そんなこと言わないで。レイがいたからこうなった?それじゃあ今の私はどうなるの?あなたがいたから私はこんなに強くなれた、誰かを想う気持ちを知れた!それを……それを全部なかったことにしないでよ」


「ッ────!!」


 そこで、俺は自分の過ちに、とんだ勘違いに気が付く。


 今の自分だからこそ気づけたものがある。今の自分じゃなければ存在しなかったものがある。それはかけがえのないもので、多くの人とのつながりで、自分一人で完結していいのもじゃ、勝手に決めつけていいものじゃない。


 ────はは、それこそ傲慢で自分勝手だ……。


 自覚した途端に自分の愚かさを再認識する。とんだ一人相撲を取っていた。

 そうして彼女に優しく抱きしめられて、今まで蝕んでいた焦燥感が雪のように溶かされていく。


「……ごめん。俺がバカだった、気づかせてくれてありがとう」


 フリージアの目元を優しく拭い、俺はお礼を言う。彼女はこちらを見上げると力なく首を横に振り、そうしてその涙にぬれた表情を隠すように俺の胸に突っ伏した。


 暫しの沈黙。俺の胸に顔をうずめた少女は静かに泣いて、その肩を微かに震わせている。それだけで彼女にどれだけ心配をかけたのか、傷つけてしまったのか、罪悪感が募る。フリージアは確かめるように体を重ねて、その力を緩くしかしてハッキリと存在を証明するように強める。それに釣られるように俺も彼女の身体を優しく、壊してしまわないように慎重に抱き留めた。


「……」


 そうして彼女は隠していた表情を恥ずかし気に晒して、こちらを見上げてきた。その瞳はまだ涙の名残で潤んでおり、宝石のように蒼く輝いている。吸い込まれそうなその双眸に、フリージアは静かに目を閉じてその唇を差し出してくる。


 流石にここまでされて彼女が何を求めているのか、何を許してくれているのか分からないほど鈍感にはなれなかった。


 ────しかしなぁ……。


 先ほどまで沈んでいた部屋の雰囲気とは一転して、今はどこか甘ったるくてどうにもこそばゆい感覚だ。本来ならばこの雰囲気はをするソレなのだろうが、


「悪い、それはまた今度にお預けだ」


「え────?」


 どうにも部屋の外で盗み聞きをしている不届き者がいる。俺はその白い肌と相反するように赤く綺麗な唇に人差し指を当てて、扉の方へと向かう。


 そのまま、扉の奥で聞き耳を叩ている不届き者たちにバレないように近づいて勢いよく扉を開けてやれば────


「「「うわぁあああああああ!?」」」


 雪崩れ込むように部屋へと強制入場を果たすヴァイスや殿下、グラビテル嬢、レビィアの姿があった。


「え……え!!えぇッ!?」


 その光景が予想外、そもそも外の気配に微塵も気づけていなかったフリージアは大変驚いたように目を見開き、そしてすぐに今までの事を思い出して赤面した。うん、そうだね、知り合いにそういう場面を盗み聞きされてるとか普通に恥ずかしいね。


 対して、全くもって素晴らしい趣味をお持ちの不届き者たちはとても申し訳なさそうに、そして大変ぎこちなく頬を引き攣らせていた。うん、そうだね、こういうのってバレたらすごく気まずいよね。


「何か御用かな?俺の親愛なるご学友人の諸君?」


 そこで俺は数日ぶりに、全くもって気負いのない気持ちのいい笑みを浮かべることができた。


「「「ひぃ……!!」」」


 依然として床に平伏したまま俺を見上げた彼らは短い悲鳴を上げて、その顔は血の気が引いているようであった。

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