第104話 紅炎の鉄鋼人

 今日もその鉄火場は鋼の弾ける音と怒号、火花と熱気が支配していた。


 初めて来たときにアリスとの会話で言っていた『祭りの仕事』とやらが大詰めらしく、鬼気迫る様子で職人たちは鍛冶場で火花を散らして鋼鉄を一心不乱に叩いている。そんな周りと比べれば、件の鍛冶場の主であるアイゼルは至ってのんびりとしていた。


「ほれ、この魔鋼鉄に魔力と血を流せ……ありったけな」


「殺す気かよ……まあギリギリまでやるけれども……」


 折り返し鍛錬をされた魔鋼鉄に直接触れて魔力と血を「良し」と言われるまで流す。流す────と言っても鋼鉄自体がその身に直接血を吸い込むことはない。魔力はその限りではない……と隣の土人族ドワーフは言っていたが、そこら辺の知識は皆無で専門外なので何とも言えない。まあ、変な勘ぐり入れずに言われたことを熟して後は本職に任せるだけである。


 アイゼル専用の仕事場────金床やら火をくべる炉だったり────へと通い詰めること数日。最初こそ、この鍛冶場に足を踏み入れることに場違い感を覚えて、気後れしていたがこうも連日通い詰めてるとそんな感覚も薄れていく。けれど、彼と周囲の孕む感情の差異には依然として慣れない。


 ────まあ、無理を言って剣を造って貰ってる手前、俺が何かを言える立場ではないのだが……。


 片や連日の祭りの準備で疲労困憊、片やたった一人の顧客の剣を造るのに時間と技術を注力し鋼をひたすらに叩き鍛錬している。どちらも大変な重労働には違いなく、そこに貴賤はない。けれども、そうだとは分かっていても思ってしまう。


「し、死ぬ……!!」


「踏ん張れ!適当な仕事したらまた親方に殺されるぞ!!」


「ふいーーーーー!お仕事サイコーーーーーーーー!!」


 明らかに両者の反応が違いすぎる。周囲の職人たちは次から次へと舞い込む膨大な仕事の量にきりきり舞い、今にも発狂して……と言うか発狂しながらぶっ倒れそうだ。


「……」


 かと思えば眼前の職人は俺が血と魔力を流し終えた魔鋼鉄を至って静かに、けれども苛烈で一心不乱に叩き続ける。


 まるで鋼を鍛える以外のことが────正に周囲の叫び声や火の弾ける音など、どうでもよく全てが頭から抜け落ちているように、まるでそれ以外の事を考えれば死んでしまうかのような刹那さで……。


「ほんと、狂ってるな……」


 思わず頬が引き攣る。別に貶したのではない。寧ろその逆、俺は眼前の一人の職人に最大限の畏怖と敬意を覚えていた。


 ここまで一つの事に集中し、そうして極めた人間の技をこの目で間近に見られることはそうそうない。畑は違えど、その集中力────執念にも似たその貪欲さは通ずるものがある……と思う。


「ほれ、もう一回」


 数度の鍛錬を終えて、今度は真赤に染め上げられた魔鋼鉄に血と魔力を流し込む。勿論、一度目の時のように直接は触れない。そうすれば俺の右手は一瞬にして焼けこげることだろう。


「……ああ」


 一度目より長く、血と魔力を真赤な鋼に注いでいく。一度目の時と比べて、明らかに血は鋼の発する熱に晒された瞬間に蒸発して、その身に影響を及ぼしているのか疑問に思えてくる。けれども、俺は疑念を振り払って全力を持って事に当たる。


 眼前の男は正しく命を削り、全力で仕事をしてくれているのだ。ならば俺も命を削り、全力でそれに答えるべきである。職人の納得がいくまで血と魔力を際限なく提供し続ける。


 そうして、どれだけの時間が経過しただろうか。あれほど燦燦と天に昇っていた陽はいつの間にか消え失せ、白い月がひっそりと雲の隙間から顔を覗かせているではないか。気が付けば鍛冶場の炉に火がついているのも一か所だけ。アイゼルの仕事場のモノだけであり、先ほどまで悲鳴を上げていた職人たちは既に本日の業務を終えていた。


「もう帰っていぞ。後はしっかり仕上げといてやる。三日後、取りに来い」


 不意にアイゼルはそう言って、いつ終わるかも定かではない作業が唐突に終わりを告げる。けれどもこれはここ数日、いつもの事であった。


「分かった。後は任せる」


「おうよ」


 終わりは終わりでも、それは俺の作業が終わっただけであり眼前の職人はまた別、目の前の男は炉と金床の前から離れる様子は微塵もない。視線は眼前の鋼に張り付け、口だけで返事をした。


 聞いた話によれば彼が俺の仕事を引き受けてからこの数日はまともに睡眠も取らずに、鍛冶場にずっといるのだとか。普段から彼が睡眠を削って仕事に没頭することはあった。なんなら何か特別な仕事を引き受けた時はいつもの事らしいが、流石にここまで長いこと工房にいるのは珍しいと職人たちは心配していた。


 依頼主である俺も流石にそこまで根を積めなくてもと思いはしたが、実際に鋼と向き合う彼を見れば何も言えなくなった。


「よーし、いい子だ……お前は何れ龍を殺す剣になるんだ……!!」


 確かに眼前のアイゼルは明らかにやつれており、いつ倒れても可笑しくはない状況だ。身体だってきついだろうに、それでも彼は笑っているのだ。ただひたすらにそうすることが楽しいのだと言わんばかりにこの男は今この瞬間を楽しんでいる。


 好きこそものの上手慣なれ……とはよく言ったものだ。この男ほど鍛冶にその身を捧げ、愛している男もそうそういないだろう。


 ────敵わないな……。


 年季が違う。畑は違えど、この男の熱意には到底今の俺では追いつけないほどの深淵が広がっている。もっと精進しなければと気が引き締められる。


 ────それこそ、今そこで鍛えられている剣に見合うほどにな。


 鋼の弾ける音を背に、俺は鍛冶場を後にする。これ以上はここに残っても俺に何もできることはなく、返って彼の仕事の邪魔になってしまうだろう。


「帰るぞ、フリージア」


「んえ……終わったの?」


 そうして鍛冶場を後にし帰り際、いつの間にか工房の応接間を占拠して眠りこけていた公爵令嬢さまを回収する。


 やはりと言うべきか、暑いところが苦手な彼女は長時間の作業に耐えかねてそそくさと安置に避難をしていた。そりゃあ延々と鋼の鍛錬を見て、時たま血と魔力を流す作業なんてのは傍からすれば退屈の何物でもない。


「別に先に帰ってもよかったんだぞ?」


 起き上がり、大きく伸びをしたフリージアを見て言うが彼女は頭を振る。


「それはダメよ。もしかしたらこれからレイがイヤらしいお店に行くかもしれないじゃない」


「いや、だから行かないって……」


 と言うか、まだその線を疑っていたのかこの女は……。


 あらぬ誤解を依然として掛けられていたことに不満を覚えながらも俺達は工房を後にする。剣の完成が今から待ち遠しかった。

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