第91話 荷造り

 トラウマの数々に絶望したり、勇者を鍛えたり、学院最強の称号を手に入れたりしていたら気が付けば季節は夏だ。


 つい昨日まで早朝の鍛錬は少し肌寒く感じる空気を肌に受けながら素振りをしていたような気がするのに、いつの間にかジメジメとまとわりつくような暑さを孕むようになっていた。そりゃあ知らず知らずに大量の汗をかくわけだ。


 学院に入学して三ヵ月が経過し、新入生である俺達は今日まで新しい環境に慣れるために日夜奮闘し、数々の試練を乗り越えてきた。そんな俺達を労うかのようにこの季節になると学院は長期の休みに入る。


 所謂「夏季休暇」と言われるものであり、学院の生徒や教師陣は約二か月もの暇が与えられるのだ。


 研鑽を積み、屈強な騎士になる為にこの魔剣学院に通っていると言うのに、そんなに長い期間、まだまだ心も技術も未熟な生徒を自由にしてもいいのかと思う者もいるだろう。しかし、別にこの夏季休暇の間はぐうたらと休むために与えられるものではない。寧ろその逆、この長期休暇は己を見つめ直し、更なる高みへと至る為、邁進を遂げる為に与えられた時間であり。この三ヵ月、学院で学んだことを基に自由に研鑽を積む為に与えられた休暇である。


 無論、一度目の人生で怠惰でクソ野郎だった俺はこの夏季休暇をそんな時間に当てたことはない。実家に引きこもってぐうたら三昧、研鑽の「け」の字も出て気やしないクソみたいな時間の浪費であった。


 一度目の俺は厳しい学院生活から解放されるこの時期をとても楽しみにしていたわけだが、二度目の今夏は別の意味で楽しみにしていた。


「ふへっ、ふへへ……」



 本日は午前中で学院は終わり。既に今日の午後、今この瞬間から夏季休暇は本格的に始まっているわけで、そんな俺の心境を一言で表すのならば「最高!!」の一言に尽きる。


「な、なんだか上機嫌だね、レイくん?」


 そりゃあ時間が経過するにつれて勝手に漏れ出る笑みは気持ち悪くなるし、ルームメイトには気持ち悪がられる訳だ。道理だね。しかし、大義名分を得た無敵な俺は気にしない。


「ああ。何せ、やっと実家に帰れるからな、上機嫌にもなるってもんだ!」


 本当に漸くだ。漸く実家に帰れる。アリスに会える。一度目の人生ではこれほど実家に帰りたいと思ったことはあっただろうか?


 いや、無い。なんなら帰りたいと思ったら無断で帰っていたぐらいだしな。


 それならばなぜ今回もそうしないのか? 


 理由は至極単純だ。おいそれと、ただ帰りたいからと言って学院をおろそかにして帰省しようものならこちらの格好がつかないではないか。まるで学院生活が嫌で逃げ帰ってきたみたいだし、そんなことをしようものならば絶対にあのクソジジイはバカにしてくる。それとアリスを不安にしてしまう(これが一番重要)。


 言ってしまえば意地のようなもので、そんな個人的な意地を張り通すにはこうして大義名分がなければ大手を振って帰省もしづらい。だからこそ俺はこの時を待ち望んでいた。


「楽しみにしてたもんね」


「まあな!」


 いそいそと荷造りをする俺を見て勇者殿は微笑む。


 本当は今日中に実家に帰りたかったが、夏季休暇に入って殆どの学院生が実家へと帰省するわけで、その為に馬車なんかの手配も既に予約で一杯だった。なんなら馬車の手配が追いついていないと聞いたまでだ。


 そんな中でも〈最優五騎〉の強権を使って、明日の朝一ならばなんとか都合がつくとのことだったので俺の帰省は明日になった。


 ────〈最優五騎〉になってほんとうによかった。


 俺個人にしてみればこの称号は読みたい本が読めるくらいの利用価値しかないと思っていた。後は常日頃から学院の生徒にその首を狙われるノロイか何かだと思っていたが、俺が思っていた以上にこの身分は使える。


 例えば、学院内の施設の優先利用券に、移ろうと思えば寮の部屋も一人部屋にできたり……確認してみれば本当に色々な特権がある。まあ、そんな頻繁に使うかと聞かれれば微妙ではあるが、無いよりはマシであろう。


「そう言えば、ヴァイスは実家に帰らないのか?」


 あらかた、荷造りが済んだ頃。いつものように部屋でくつろいでいる勇者殿に尋ねる。


 既に準備が終わっているのかとも思ったが、彼の反応からしてそういうわけでもないらしい。ヴァイスは俺の質問にバツが悪そうに表情を曇らせて答えた。


「えーと……うん、今回は帰る予定はないかな?」


「あ、悪い。こんな気軽に聞いちゃいけない理由とかあったか?」


 予想外の反応に俺も申し訳なくなる。直ぐに頭を下げようとするとヴァイスは慌てた様子で捲し立てる。


「あ!ち、違う違う!別になんか重たい理由とかがあるわけじゃなくて────」


「……と、言いますと?」


「その……学院に通ってる間は実家から帰ってくるなって言われてるんだ」


「それはまた何故?」


 またまた予想外の事実に俺は首を傾げる。


 まさか勇者殿と両親の家族仲はよろしくないのだろうか。やはり、そんな気軽に触れてはいけない案件だったかと思考を巡らせていると、ヴァイスは言葉を続けた。


「『お前は甘ったれだから自分を律するために一人で頑張ってみなさい』って、父さんに言われちゃってさ。そんな訳で在学中は帰れないんだ。だから俺はこの夏休みは学院に残るよ」


「そうか……」


 少し寂し気に理由を語るヴァイスに俺は納得する。そういえば度々部屋に彼の実家から手紙が届くことがあった。やけに高い頻度で届くものだからちょっと不思議に思っていたが、そんな背景があったから連絡が多かったのだろう。


 ────いつも嬉しそうに手紙を読んで、すぐに返事を書いてるし家族仲は悪くないみたいだな。


 彼のように学院に残ると言う生徒も一部ではあるが存在する。その背景には物理的に帰省が難しかったり、既に帰る家が無かったり……と理由は様々だが、ヴァイスの理由もまあ無くはない話だった。


 しかし、件の勇者殿はやはり寂しいそうで、彼からしてみればこの夏季休暇はとても長くて退屈なものに思えるだろう。折角の自己鍛錬の時間だ、是非とも一番弟子である彼には有意義な時間を過ごしてもらいたい。


 ────環境をしっかりと提供してやるのも師匠の務めか……。


 何処かの粗暴極まりないクソジジイと違って、俺は弟子思いなのだ。


 ふと一つの案が思い浮かび、俺は反射的に勇者殿にすぐさまその案を提示してみた。


「そういうことならウチに来るか? 学院に残るなら一緒に鍛錬をした方がいいだろ」


「え!?い、いいの!!?」


 俺の提案にヴァイスは身を乗り出して聞き返してくる。


「お、おう。ヴァイスが良ければだが……」


「行く!是非ともお願いします!!」


 そのあまりの勢いに気圧されながらも俺は彼の返事を認めて、言葉を続けた。


「それじゃあ決まりだ。さっきも言った通り出発は朝一だから、それまでに準備をしといてくれ」


「わかりました!!」


 言うや否や、一目散に荷造りを始めたヴァイスを見て、俺は思わず笑ってしまう。こんなので喜んでくれるのならば、誘った甲斐があると言うものだ。突発的ではあるが、こうしてヴァイスの同行も決まった。


 ────何気に、友人を実家に招くのなんて初めての事なのでは???


 しかもその相手が勇者だとは、一度目の人生の俺が聞けばどんな反応をするだろうか。


「……今更な話か」


 俺はそんな思考を乱雑に振り払った。

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