第85話 龍滅血戦

 大きく距離を取って、心の引鉄を弾く。


「〈龍滅血戦ドラゴンスレイ〉!!」


 魔法の起動詠唱を叫ぶと、俺は血剣で自らの胸を貫いた。


「……?自傷行為……気でも狂ったか?」


「さあて、どっちだと思う?」


 その自傷行為は明らかに致命傷。確かに真紅の刃は俺に突き刺さり、際限なく自ら貫いた胸からは刃と全く同じ真紅の血が流れ出る。


 本来であればその血は地面にただ溺れ堕ちるしかない。しかし、けれども、実際にその血液が地面に到達することはなく、ある一定の距離まで流れると勝手に俺の周囲へと漂う。それを見て黒灰の騎士は自分にとって不利益なことが起こると理解したらしく、攻撃に転じた。


「魔法技かッ!!」


「ハッ……!今更気が付いたところで手遅れだ────」


 だが、もう遅い。既に大量の血が俺の周囲を好き勝手に、軌道を描いて旋回している。俺の魔法は約四割がた起動をしていた。


 ────今の状況コンディションならばこれが限界か……。


「させ────な!?」


 そうとも知らずに黒灰の騎士の斬撃が俺に降りかかってくる。


「……」


 俺はただぼんやりとそれを一瞥して、すぐに視線を別の方へと反らす。


 回避なんてしない、と言うよりもする必要性が無い。眼前まで迫りくる刃は俺が動き出す前に旋回する血の鎖が。長剣と血の衝突音。激しい撃鉄音が響き、少しばかりの違和感を覚える。


 ────血が出すには歪すぎるな……。


「なんだこの魔法は……?こんなのブラッドレイの秘伝魔法には────」


 くだらないことを考えていると黒灰の騎士は驚愕した声を上げる。


 余程、この騎士はブラッドレイの魔法────【紅血魔法ブラッドアーツ】を調べてきたのか、詳しいみたいだし、俺が今起動した魔法を見て困惑した様子だ。


「なんだ?随分とウチの魔法に詳しいみたいだなぁ?」


 けれどその反応は当然である。今、俺が使った魔法はブラッドレイが代々受け継いで、研鑽を重ねてきた秘伝魔法ではなく、俺が独自に生み出した独創魔法技オリジンなのだから。


龍滅血戦ドラゴンスレイ


 それは俺の体内にある血液と魔力の大半を自傷によって半強制的に外部へと放出して、常に最大出力の魔法行使と身体強化を可能にした戦闘形態だ。


【紅血魔法】の欠点である出足の遅さと、血が外部に出ていなければ殲滅力のある魔法が使えないという二つの欠点を一気に解決する為に編み出した魔法である。御覧の通り、俺の周囲に大量の血と魔力で顕現させた鎖を無数────今は四つが限度だが────に展開させて、血と魔力の塊である鎖を元手に即座に色々な魔法を展開させていく。


「本当はあのクソトカゲ用の魔法なんだが……その手下のお前もトカゲみたいなもんだろ!? なら手加減なんてしねぇ! 最初から全身全霊!全力だ!!」


「たかが血の鎖が周囲にある程度……!!」


 黒灰の騎士が再び俺の背後を取って肉薄してくる。本来ならば即座に振り向いて迎撃しなければこれも致命傷。しかし、俺の周囲を旋回している鎖は先ほど見せた通り、ただ宙を舞っているだけじゃない。


「残念ながら全自動反撃フルカウンターだ」


「チっ……!!」


 背後から異様な剣圧。けれども気にすることはない、先ほどと同じような衝撃音が鳴り響く。


 確認するまでもなく、血鎖は敵の攻撃を弾いて俺を守ってくれている。俺に危害を加える事象は全てこの鎖に阻まれる。更に攻撃力や耐久面は〈血戦斬首剣ブラッドソード〉の遥か上位で、正に攻防自在の魔法だ。


「それじゃあ、死なない程度に死ね!!」


 再び顕現させた血剣を携えて、反撃へと転じる。


「チッ……!」


 黒灰の騎士は分が悪いと判断して俺から距離を置こうとする。あのクソトカゲの手下になるくらいだ、ずる賢く有利不利の戦況判断が恐ろしく速い。


 ────けど、俺の鎖は絶対に敵を逃がしはしない。


「地の果てまでお前を殺すために這い寄るぞ!!」


「う、ぐっ……!!」


 気配を消失させるように希薄になった騎士を血鎖は逃さない。俺の意思に従い奴の左足を瞬時に拘束した。


 ────時間は限られている、この魔法を使ったからには速攻即殺だ!!


「その腕もらうぞ!!」


 瞬く間に騎士の目前へと肉薄し、大事に長剣を握った右腕に当たりを付ける。回避は不可能。まだ奴は俺の鎖の拘束からは逃れられていない。


「シッ────!!」


 鋭く真紅の刃を斬り上げ、敵の腕を真っ二つに切り放した────


「調子に乗るなよ!!」


 と思った。


 刃が届くあと数舜のところで黒灰の騎士は黒い影のような波を地面から不意に出現させて俺と奴の間を隔てた。


「これが噂に聞く奴を象徴する魔法────」


 反射的に後ろに飛び退き、何とか黒い波に呑まれるのを回避する。〈五天剣〉タイラス・アーネルの異名と言えば今しがたの魔法が正に代名詞だ。


「〈黒海覇王〉のタイラス……」


 水の魔法を扱いながら、しかしてその色は澄んだ青ではなく、全てを塗りつぶすかのような黒。一度目の人生では終ぞ目にすることはなかったが、実際に目にすると気味が悪いな。


「はぁ……はぁ……」


 呼吸を整えながら、黒波の障壁から姿を現したタイラスは実に楽しそうに表情を歪めている。


「一方的な殺しになると思っていたが、その年で存外やるものだな」


「……お褒めに預かり光栄だな。俺も〈黒海覇王〉の異名の象徴となった魔法が見れて嬉しい限りだ」


 異様に呼吸が安定しない。それを誤魔化すように軽口を叩いて虚勢を張った。しかし、そんな虚勢も歴戦の騎士には意味を為さない。


「どうした?随分と息が乱れているようだが……まさかもう疲れたとは言うまいな?」


「……」


「もしかして本当に疲れたと?今も何やら勝負を急いでる様子だったし────ああ、そうか。最初にお前が使ったそのデタラメな魔法、実はそれほど長く維持をしていられない……と言ったところか」


「チッ……」


 得意げに俺の魔法の欠点を看破したタイラスを睨むことしかできない。悔しいが奴の言う通り、この〈龍滅血戦〉にはそれ相応の欠点デメリットが存在する。


 前述した通り、この魔法は強制的に俺の体内の血と魔力を体外へと放出して、即座に他の魔法へと変換するための魔法だ。だから、単純に消耗が激しいのだ。それも身体の中にある筈のものを無理やり外に駆り出しているのだから肉体への負担も激しい。しかも一撃でも致命傷を貰えば立て直すのが難しい。外部に血と魔力にリソースを割いているから、再修復リカバリーが間に合わない。簡単に言えば諸刃の剣なのだ。


 ────それでも関係ない!!


「だから何だ!?ちんたら時間稼ぎをして俺が力尽きるのを待つか!?」


 俺がばてる前に敵を殲滅すれば何も問題はない。


 もともとこの魔法は超短期決戦を想定した魔法なのだ。血鎖を率いて再び地面を蹴る。地面に這うようにして再三の肉薄を図るが────


「そうだな、それで確実にお前を殺せるならそうした方がよさそうだな……〈黒海〉!!」


 黒灰の騎士は薄黒い長剣を地面に突き刺して黒い波を顕現させる。怒涛の勢いで押し寄せる津波に自然と足が取られる。


「魔法の効果範囲とかどうなってんだ!!」


 正に全方位、物理的に回避不可能な波が刻々と押し寄せる。防御をしようにも波の量が尋常ではない。これは〈黒海〉に相当する魔法で相殺するしか生き延びる方法はないだろう。


「軽々と限界を超えてきやがって……〈五天剣〉ってのはこんなバケモノ揃いなのか!?」


「安心しろ。俺なんてスカーシェイド様に比べれば羽虫も同然だ」


「ッ……ならお前を倒せなきゃお話になんねぇなぁッ!!」


 周囲に展開させた鎖────計四本のうち、二本を贄として魔法を起動する。


「〈紅血覇道ブラッドロード〉!!」


 それは血の暴力、はたまた血の嵐か。周辺一帯を飲み込む血の衝撃が同じく周囲の飲み込もうとする黒い海と正面から激突した。


「ほう……」


「う……ぐッ────!!」


 黒と赤の衝突。同程度の物理衝撃によって目論見通り、押し寄せてきていた〈黒海〉を〈紅血覇道〉によって相殺することはできた。しかし、代償が大きすぎる。


「はあ……はあ……はあ────!!」


「まさか本当に今の魔法を防ぐとはな、やはり大した男だ」


 素直に称賛してくる騎士の声が鬱陶しい。


 こっちは相殺の時に生じた余波でもう一本鎖を使って防御、それで漸く立っていられるって言うのに、あの騎士は特に何かをして疲弊した様子はない。


 ────地力の差ってやつか……?


 混濁する思考の中で思う。仮に万全の状態であってもあの黒灰の騎士を倒せる未来が見えない。


「全然だ、全くだ、到底だ────」


 足りない。


 何もかも俺はまだ微塵もこれっぽっちも実力が伴っていない。


 忌々しいクソトカゲの手下でこれほど強いのだ。一体、実物の龍と言うのはどれほどの強さなのだろうか。


「想像が、つかねぇなぁ……」


 もう立っているのもやっとだ。血と魔力はほとんど使い切り、素寒貧、これ以上の無理は危険だと体は勝手に〈龍滅血戦〉を解除している。もう一瞬だって魔法を使うことはできない。


「はあ……はあ……はあ────」


 呼吸はずっと乱れたままだ。


 ────喉が渇いて仕方がない。


 潤いを求めて身体が■を求める。


 以前にも似たような感覚に陥ったことがある。その時はこの〈龍滅血戦〉を初めて完成させた時で、立て続けに血を使いすぎて、焼けるように喉が渇いて、無性に■を求めた。


 普段では絶対に感じることのない衝動。しかし、こうして血を消費しすぎた時に限って、その衝動欲求は思い出したかのように全身を駆け巡る。


 ────俺にはそんな趣味なんてないってのに……。


「────だ」


「なんの話だ?」


 ぼんやりと思考に浸かっていると、気が付けば目の前には黒灰の騎士が立っていた。もう勝負は決したと思っているのだろうか、男には先ほどまでの覇気を感じられない。


 ────舐められたもんだ。


 腹が立ったが、けれど怒りよりもなによりも今は喉の渇きが気になって仕方がない。


 ■だ、■が飲みたくて仕方がないんだ。今まではなんとか我慢が出来ていたのに、今日に限っては我慢できそうにない。こんなに■を渇望したのは初めてだった。


「まあいいか────さらばだクレイム・ブラッドレイ」


 頭上に薄黒い長剣が煌めく。俺はそれをぼんやり眺めて、それでもを渇望する。


を……よこせ────」


 そうして頭上の刃は一直線に俺を真っ二つに────


「レイから離れなさい!!」


 するはずだった。


「ッ!?」


 聞きなれた声が聞こえたかと思えば視界一面には俺と黒灰の騎士を隔てる巨大な氷の絶壁が聳えている。


「何者だ!?」


「────フリー、ジア?」


 壁越しからは意表をつかれた騎士の驚く声。そして少しひんやりとした冷気が俺の頬を撫ぜて、ふわりと白銀が舞って────


「助けに来たわよ!」


 先に逃げたはずのフリージアが好戦的な笑みを浮かべてこちらを見た。

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