第83話 乱入者
鳴り響く
────この迷宮内で何かが起きた。
それだけは分かる。依然としてけたたましい音を響かせる迷宮妖精が鳴り止む気配はない。唐突に訪れる数舜の空白。時間が止まったような錯覚さえ覚えてしまう。
「どうするの、レイ?」
不意に尋ねられて我に返る。振り向けばそこには至って落ち着き払った様子のフリージアが真っすぐにこちらを見据えている。
────そうだ、取り乱すな。
やることなんてわかり切っている。いつもは頭の思考回路が可笑しな方向に言ってしまっているが、こういう時は誰よりも冷静になるのが早い。普段からこうであってほしいものだが、高望みはやめておこう。俺はフリージアから視線を外して他のメンバーを見遣る。
「音の発信源へと向かう」
他の〈派閥〉が命の危機に瀕している。この音がなった時点で〈昇級決戦〉は中断したと思ってもいい。
もう〈派閥〉同士で争っている状況ではないのだ。事は一刻を争う。俺の判断にフリージアたちは特に異議を唱えることなく素直に頷いてくれる。状況が状況だ、ここで他のメンバーが逃げるべきだと判断してもそれは当然の判断であり、自分の命を最優先するのならば確実に撤退を選択するべき場面でもある。けれども、この場にいる全員がそれを選択しなかった。それは偏に────
「運がいいのか悪いのか……判断に困るな……」
救難信号の発信源が眼前にある連絡通路の先────四階層にあるからだ。
ならば、魔剣学院の生徒として直ぐに助けれらる状況で逃げ出すことはできない。……いや、そんなことを抜きにしても俺は逃げるなんて考えないだろう。たとえ一人になっても、この先に進む。進むべきだった。なにせ────
「〈剣撃の派閥〉はどうする?」
「放っておけ。どうせこの部屋に魔物は現れない。連れて行っても邪魔になるだけだ」
「わ、分かった」
下の方からやけに懐かしい気配をわずかながらに感じるからだ。
────クソ女を問い詰めるのはまた今度だ。
今それよりも確認するべきことが浮上した。けれども釘だけは差しておくべきだろう。
「おい、この続きは後で必ず────」
「ああ……やってしまった……来てしまった、現れてしまった……終わりだ、もう駄目だ、私はここで殺されるんだ、始末されるんだ────」
「……は?」
見たくはないがクソ女を一瞥すると彼女は顔面蒼白で今に死んでしまいそうなほどその表情を絶望の色に染めていた。
身体を小さく縮こまらせて、まるで見えない恐怖から隠れるように、逃れるように、震えている。雰囲気が一転した奴に俺は困惑する。
「おい、急にどうした。この救難信号の原因を知ってるのか?」
発言からしてこの女は今何が起こっているか分かっているかのようで、俺は問い詰める。しかし、彼女の言動は要領を得ない。
「いや! もういやよ! こんなに頑張ってきたのにここで終わりなんてあんまりだわ! 死にたくない!死にたくない!死にたくない!死にたくない!死にた────」
「……クソ!完全に恐怖で気が狂ってる!」
本当は四階層に向かう前に知っていること吐いてほしかったがこうなればもう不可能だろう。俺は思考を切り替えてフリージアたちの方へと視線を向ける。
「「「────」」」
と、何やら四人は連絡通路の方を見て固まっている。
この異常事態に何をしているのかと困惑するが、すぐに彼らがどうして微動だにしないのか分かった。
「ッ────!!」
動かないのではない、動けないのである。
『BIBIBIBIBIBIBIBIBIBIBIBI!!』
連絡通路の先、依然として鳴り響く
────近づいてきている。
連絡通路の奥から響く階段を上る靴音で直ぐにそうだと分かった。
救難信号の元凶が連絡通路を上って、この部屋に近づいてきている。直ぐにでも臨戦態勢へと入り、接近してくる敵を待ち構えるべきだろう。けれどもどうしてか依然として身体は微動だにしない。まるで何かに怯えるように、恐怖するかのように、本能は近づきつつある異変を前に死を覚悟している。
『BIBIBBIBIBIBIBIBIBIB────!!』
果たしてどれほどの時間をそうしていただろうか。
数秒? 数十秒? 数分? 数十分? 数時間?
俺はその感覚を確かに、ハッキリと覚えていた。
時間の感覚が曖昧になる。迷宮にいるときは時間の感覚がよく狂う、とは言ったものだが今感じているのはそれとはまったく別の違和感。
それでも気が付けば、いつの間にか、最初からそうだったかのように血剣を構えられていたのは幸運だったかもしれない。日々の鍛錬の賜物か、万全ではなくとも、少しばかりであっても心の準備ができていると言うのは安心できた。その安心のお陰だろうか────
「ああ、やっと見つけた」
「────!!」
俺はその酷く希薄な声を聞き取った。
瞬間、今まで雁字搦めだった身体が解き放たれたように動き出す。
「大きく後ろに飛べ!!」
「「「────!!?」」」
すぐそばで蹲っていたクソ女を反射的に脇に抱えて俺は大きく後ろに飛び退く。
俺の叱咤にフリージア達も運良く反応して同じように飛んだ。そうして一拍置いて、今まで経っていた場所に希薄な黒い衝撃が隆起した。回避していなければ死は免れない、確かにその場に姿を現した希薄で、異質な、黒灰の騎士は俺達を殺そうとしていた。
「今のを躱すか……やはりスカーシェイド様が警戒するだけはあるか……」
妙に気の抜ける感嘆の声。そんな黒灰の騎士の声を捉えたクソ女は突然暴れ始める。
「嗚呼……ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!どうか、どうかもう一度私にチャンスをください!今度は……今度こそは絶対に上手くやって────」
「ッ!?おい!急に暴れるな死にたいのか!!?」
じたばたとするクソ女を叱責するが、彼女に俺の声は届かない。そうして彼女の懇願する言葉に黒灰の騎士は呟くように答えた。
「二度はないと言ったはずだレビィア。私がここに来た時点でもうわかっているのだろう?お前はもう不要だ。今回の標的を殺し次第、お前も地獄に赴いてもらう」
「ッ────!!~~~~~ッ……」
そのやり取りでこの二人に何かしらの繋がりがあるのは明白。しかし、今はそれを問い質している場合ではない。俺は依然としてこちらを静かに見据える騎士に声を掛けようとして────
「お前は何者────え?」
奴が無造作に引きずる一つの人間に気が付く。
思わず気の抜けた声が出る。光に照らされた気を失ったその人は確かに、
「ジェイド・カラミティ……?」
この学院最強と呼ばれていた男だった。
俺の零れた言葉を眼前の騎士は聞き逃さない。
「なんだ、知り合いか?何となく連れてきてみたが、知っているならちょうどいい。そいつの手に持っているやけに煩い音の元凶を何とかしてくれないか?」
「────は???」
唐突に、無造作に投げ出されたジェイド・カラミティの身体を咄嗟に受け止めて、俺は彼の手から際限なく鳴り響く魔道具────迷宮妖精を見た。
それだけで無数の疑問が解決する。つまり、あの眼前の騎士が今回の異常事態の元凶であると、あのジェイド・カラミティを容易く打倒できる強者であると。
「探したぞ、クレイム・ブラッドレイ。いきなりで申し訳ないがお前のその首、貰い受ける」
黒灰の騎士の淡々と告げる言葉に、俺は無意識に全身の血が沸き立つのを感じた。
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