第52話 氷結魔帝

 ────


 そうだ。である。


 どうもから俺はその言葉にめっぽう敏感になってしまった。たった一言だけであってもその音を聞くたびに全身が警鐘をならし、「備えろ!!」と訴えてくる。心がざわつき、脳裏にはあの日のことがありありと浮かんでくる。その度に俺は思うのだ。


 ────絶対に、この手で殺す。と。


 あの日から俺の行動指針は「妹」か「龍」かによって決定してきた。それに纏わり、冠することならばどのような半端も許さずに、徹底的に全力で遂行すると決めてきた。


 最たる例が「鍛錬」だ。


 妹のアリスを守る為、愛する妹を今も苦しめる龍を殺すために俺は今日まで弛まぬ研鑽を続けてきた────続けてこれた。今のこの選択には決して後悔などはない。


「最後にこうして剣を交えたのはいつかしら……二年ぐらい前?」


「たぶん」


 その研鑽の過程で今、眼前にいる〈比類なき七剣〉の一人とも何度か鍛錬をしたことがある。二度目の人生、六年半の鍛錬で誤算があるとすれば、一度目では全く関わりのなかった彼女に認知されてしまったことだろう。


「楽しみだな~」


 恍惚とした表情で微笑むグラス。周囲には散り囲むようにして大勢の生徒が固唾をのんでこれから始まる模擬戦を今か今かと待っていた。合同訓練だというのに自分の訓練をせずに俺と彼女の模擬戦を見逃すまいとしている。


 ────見せもんじゃないぞ。


 なんて思いもするが仕方のないことだとも分かっている。何せ、滅多にお目にかかれない最優の騎士が一生徒の相手とは言えその剣を抜くのだ。自分の訓練をするよりも、彼女の剣技を見て学ぶ方がよっぽど有意義であると考えるのは当然の事であった。


 まあ、そんな殊勝な考えの奴はほとんどいないのだろう。その大半が単なる興味心、このイカレ女のファンとかそんなのだろう。


 ────見てくれだけはいいからな……。


 それ以外が致命的で、人として大事なものがいくつも欠落しているのだが、それぐらいでなければ〈比類なき七剣〉にはなれないのだろう。


「それじゃあ殺ろうか。周りのことは気にせず本気で来てね?」


「わかり……おい、ちょっと待て何で真剣を構えてる?」


 我慢できないと言った様子のグラスは当然かのように腰に携えた細身の剣を抜き放つ。それに待ったをかけると彼女はきょとんと首を傾げた。


「なんでって……訓練用の木剣じゃあまともに殺れないじゃない。大丈夫よ、本当に殺しはしないから」


「……」


 安心しろと言うグラスに俺は言葉を失う。この女、本当に本気で戦う気満々じゃないか。


 ────俺とあんたが本気でやったらここら一帯が更地になるぞ……。


 その自覚がこの最優の騎士にはあるのか……いや、絶対にない。ないからあんな呑気な顔して剣を構えているんだ。


 ────もう「最優」じゃなくて「暴虐」の騎士とかに改名しろ。


 そんなアホなことを考えつつも彼女の御守り────基、見張り役であるはずのジルフレアに視線を遣るが、彼は現在進行形で突如として現れた勇者の末裔であるヴァイスに夢中だ。おい、まとも役のあんたまで暴走したら収拾がつかなくなるだろうが。


「正に今みたいにな……」


「なんの話?いいからさっさと始めようよ?」


「はあ……」


 もうこの戦闘狂は止まらない。ならば大人しく付き合うしかあるまいよ、何せ龍に関する情報がかかっているのだ。


 徐に俺は手首を切る。戦う直前の唐突な自傷行為に野次馬どもはどよめくが無視する。


「いや~、久しぶりにそれ見たけどやっぱりイカれてるよね~」


「あんたほどじゃ────んん!グラスさんとやるなら普通の剣じゃ持ちませんからね」


 主に耐久面が、そして今俺は持ち合わせの真剣がないのでなし崩し的にこうするしかない。本当は俺だってこんなことやりたくない。


 ────だって痛いし、なによりこれをすると血の昂りが早くなるんだ。


 それでも状況的にやるしかない。


 手首からだらだらと流れる血に魔力を混ぜる。既に地面には何滴か血が沁み込み、傍から見れば手首は痛々しく映るだろう。


「〈鉄血武具アイゼン〉」


 続けざまに魔法で垂れ流した血を固めて一つの形に変形させる。


 ────〈血戦斬首剣ブラッドソード


 そうして俺の右手に真紅の剣が具現し収まる。ついでに手首の傷を塞けば、これで戦う準備は整った。


 以前は主に血量の関係で一瞬しか扱えなかった〈鉄血〉の武器だが、この六年半で常時使用できるようになった。それでも普段は普通の剣を使っているが、今日みたいに武器が無かったり、普通の剣じゃ太刀打ちできない敵と対峙した時にはこの魔法を使うことがある。そして今が正にその時だった。


「それじゃあ、始めようッ!!」


「……」


 合図なんてのはない。徐にグラスは地面を蹴って突貫してくる。普通ならば驚くところだろうが相手はあの戦闘狂グラスだ、別に不思議でも何でもない。


 ────視界は良好、〈血流操作〉の循環率と馴染み具合も悪くはない。……少し、〈鉄血武具〉の影響で暴走気味だがそれでも問題はない。まだ制御はできる。


「せやぁッ!!」


「ッ!!」


 即座に互いの得物が届く間合い、グラスは嬉々として剣を突き出してくる。それを受け流しパリィして、俺は首元目掛けて鋭く刃を薙ぐ。しかし、攻撃は当たらない。数度の斬り結び、そのまま鍔迫り合いの形と相成る。


「相変わらずいやらしい剣捌きだね~」


「そっちも猛獣みたいな荒々しい剣ですね」


「あは!男の子はこういうの好きでしょ???」


「時と場合……いや、あなたの場合は普通に引きますね」


「えー、ひっどいなぁ~……でもまあいいや。レイちゃんがしっかりと受け止めてくれるから」


「重いっすねぇ……」


 無駄なことを口走ってしまった。距離を離そうとするが彼女はピタリと追随してくる。際限なく襲い来る剣撃、まだそれらを捌くのは容易だ。なにせこの女、微塵も本気なんかじゃない。


「ほんと、フーちゃんには勿体ない……ねえ、やっぱりお姉ちゃんのモノにならない?」


「あはは、謹んで遠慮申し上げます」


 何かどす黒く、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情がぶつけらる。妹が妹ならば、姉は姉で曲者だ。普通に怖い。仮に今の誘いに間抜けな顔してついって行ったとしても後ろから刺されそうな破滅味を感じる。


「相変わらずつれないなぁ……じゃあ、やっぱり力づくで手に入れるよ」


 瞬間、全身が寒気に襲われる。今まで微塵も感じなかった魔法の予兆が、ここにきて急に顔を出す。


 ────しまった……!!


 相変わらず、魔力の隠蔽と根回しが上手い。気が付けば俺の周囲には密かな魔力の残滓が充満している。流石は〈比類なき七剣〉のと言ったところか、その実力は違えようがない。


「ッ!!」


 咄嗟に回避に徹する。しかし、既に彼女の魔法は完成していた。


「〈氷愛の拘束ほうよう〉」


 不意に氷の腕が無数に出現する。それらは一斉に俺の身を抱きかかえようと激しく迫ってきた。


「また大勢がいる場所でこんな大技を……!!やっぱお前、頭イカれてんぞ!!?」


 悪態を吐き、〈血流操作〉を加速させる。そうしなければ無数の腕から逃れられない。まだ魔法の具合は十全ではない。この数の魔法を捌くには少し時間を稼ぐ必要がある。


「チッ……!!」


 イカレ女と粘着質な氷の腕から逃げる。


「ヤバくない!?」


「逃げろ!!」


 無作為に追随してくる氷の腕に周囲の生徒も危機感を覚えたのか一斉に逃げ回る。一言でいえば完全にあの女は暴走していた。


 ────後で絶対に訴えてやる!!


 そう心に決めて反撃の隙を伺う。流石は〈比類なき七剣〉の魔法。全神経を研ぎ澄まし回避に徹しても無傷とはいかない。気が付けば無数の傷や軽く霜が肌に張り付いている。これはまだ逃げるしかないと腹を括るが────


「────は?」


 しかし、不意に視界の端に違和感を覚える。


 引き寄せらるように視線を向けると、一人の女生徒が一つの氷の腕に轢かれそうになっていた。女生徒単独での回避は不可能。完全に尻もちをついて直ぐに立ち上がることもできない。


「あーーーークソが!!!」


 それを見過ごせるほど俺も外道ではない。なんならこちらの戦いに巻き込んでしまっているのだからここで助けないと罪悪感がすごい。


「ほんとにごめんなさいねぇえッ!!!!」


「キャッ!?」


 急旋回して女生徒を回収する。抱きかかえた女生徒は驚いた声を上げるが我慢していただきたい。死ぬよりかは、俺にお姫様抱っこだれる方がまだマシだろう……マシだと思ってもらいたい。


 そう自分を肯定化する。女生徒を助ける間際に左腕を氷腕に捕らえられたがなんとか引きちぎった。左腕はめちゃくちゃ凍ってるし、凄く寒いが今はどうでもいい。


「はいここなら安全!!」


「あ、あり────」


「あんのサイクロプス女……」


 安置に女生徒おいてすぐさま戦闘狂に突撃する。去り際になにか言われたような気がするが今はどうでもいい。もう思考はあの暴走女を黙らせることだけに注力している。


 端的に言えば────


「絶対にぶちのめす!!」


 血が最高に昂ってきた。


「ッ────!!!」


 迫りくる氷の腕を悉く斬り倒し、暴走女に肉薄する。〈血流操作〉の循環率、加速具合は漸く最高潮、今出せる最高出力だ。


「やる気になった!!?」


「不承不承ながらなッ!!」


 間髪入れずにグラスは斬りかかってくる。その刃には莫大な魔力が込められており、一度触れれば瞬く間に氷漬けになるだろう。もう完全に模擬戦と言う体をこの女は忘れていた。


 残念ながら、今のこのではあの女を正気に戻すほどの一撃は出せない。だからその役割はに任せる。


 ────ぶっ飛ばすのは別に俺じゃなくてもいい。


「さっさとこのバカ女を黙らせろ────ジルフレア!!」


 グラスの注意は完全にこちらに向いている。その背後に真紅の騎士が躍り出た。それだけでこの惨状の終息は確定する。


「後でお前ら説教な」


「……大変、申し訳ありませんでした」


 最優の騎士に無礼極まりない態度を取るが、正義はこちらにある。それをジルフレアは理解しているようで────


「ちょっと……いえ、かなりやりすぎです、グラスさん」


 迷いなく彼はグラスを戦闘不能に追いやった。


「え、ジル────ふげ!!?」


 目にも止まらぬ手刀によって彼女の意識は刈り取られる。ぐらりと体を地面に投げ出したグラスをジルフレアが抱き着かえて一言。


「ほんとうにすみませんでした」


「俺じゃなくて、巻き込まれそうになった他の連中に謝れ。あと、俺は絶対に許さない」


 そうして不意に始まったグラスとの模擬戦は終わりを告げた。結果は御覧の通り、無効試合だ。

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