第30話 出立

 ────時間の流れとは酷く残酷だ。


 最近になって常々そう思う。八歳の頃に死に戻って、悲惨な未来を回避するべくあれやこれやと試行錯誤をして必死になっていたのが懐かしくすら思える。


「……いや、実際にもう昔のことだし、懐かしくて当たり前なんだけれど────」


 それにしたって時間が過ぎるのはあっという間だし、本当に早すぎると思う。


 何故そう思うかって?


 それは過去に戻ってきたから今日で六年半が経ち、そこから始めた爺さんとの鍛錬も同様の時間が経過したからだ。本当に意味が分からない。いや、実際のところちゃんと理解しているのだが……そう、認めたくないというのが正しいかもしれない。何度でも言わせてほしい……時間が過ぎるの速すぎない???


 この六年半で本当にいろいろなことがあった。全てを放り出して平穏なスローライフを送ると決めて、その為に努力もしてきた。けれどそんな思惑とは裏腹に人生と言うのは本当に意地が悪い。頑張れば頑張るほど、努力すればするほど自分の思い描く未来とは程遠い道が立ちふさがり、終いには根本的な目標が変わってしまう始末だ。


 本当に俺と言う人間は死ぬ前から変わらない。全てが中途半端で、最後まで何かをやり通すことができない。それでも一度目の頃と比べれば、今回の自分の行動はそれなりに納得がいっていた……と言うよりも「悪くないな」と思えるぐらいには前向きに思えた。


 そんな今日、俺は住み慣れた居心地の良い屋敷を離れて、学院へと発つ。


 ────遂にこの時が訪れた……訪れてしまった。


 そんな俺の心境は絶賛、絶望中。やはり一度目の最大のトラウマなだけあってどれだけ心の整理をつけようとも気持ちはどこかに不安を孕んでいる。六年半かけてダメなのだから本当にこればかりはどうしようもないのだろう。ある種の諦め、一種の悟りのようなものまで開きかけていた。


「おはよう、アリス」


 そんな俺は精神的苦痛を和らげるためにアリスの部屋を訪ねていた。


「あ!お兄様!!」


 ノックをして部屋に入ると最愛の妹が元気に出迎えてくれる。その眼は眼帯が綺麗に巻かれている。


 この六年半でアリスの視力が回復することはなかった。やはりこの祝福ノロイを解くにはあの忌々しき七龍の一体を倒さなければならないらしい。今年で十三になる彼女は依然と比べて随分と大人びて、短かった朱色交じりの黒髪が今では腰まで届くくらいだ。


「そろそろ出発するから挨拶に来たよ」


 出発前の挨拶。基本的にアリスが外に出ることはない。彼女の体は依然として〈影龍〉に刻まれた影によって蝕まれ、危険な状態だ。日によっては起き上がることすらままならないこともある。だから俺が彼女の部屋を訪ねているわけだ。


 何処かの爺さんは平気らしいが知らん。あんなのとうちの妹を一緒にしないでもらいたい。


「あ……もう、行ってしまうのですね」


 俺の言葉に彼女は明らかに表情を曇らせる。言葉にこそしないが彼女も俺が屋敷からいなくなることを寂しく思ってくれているらしい。お兄ちゃん、嬉しすぎる。アリスの反応に泣いちゃいそうだよ。


 脳裏に過るそんな思考を表には決して漏らさず、俺は彼女の頭を優しく撫でてやる。


「そう悲しい顔をしないでくれ。夏の休暇には必ず帰ってくるし、アリスもあと二年で同じ学園に通えるようになる」


「はい……」


祝福ノロイのことも心配しなくていい。俺が絶対に何とかするし、俺がいない間は爺さんが死ぬ気でお前を守ってくれる」


「そうですね……」


 なんとか励まして聞かせるがそれでもアリスの表情は晴れない。それどころかどんどん元気がなくなっていくばかりだ。


 学院は全寮制であり、相当な理由がない限り自宅からの通学は許されない。その為、俺がこの屋敷に正式に戻ってくるのは数年後になる。彼女とこうして話せるのも暫くできない。やはり俺としては今も学園に行きたくないという気持ちは変わらず、できることならばアリスとも離れたくなはない。


 ────心苦しい……。


 それでも行くしかないのだから仕方がない。ブラッドレイ家の後継ぎ(仮)として俺は学院に通い、色々な人と関りを持ち人脈を広げる必要がある。


 ────今日まで社交界なんて片手で数える程度しか行かなかったしな。


 父様は鍛錬に明け暮れる俺を半ば諦めたように放逐して、今日まで俺は至極面倒な貴族の柵を遠ざけてきた。それが悪いことだとは思わない。言ってしまえば出遅れた分はうまく立ち回ればこの学院生活で余裕で挽回できる。


 ────する気もないけどな。


 父様には悪いが、俺としての最終目標は変わりない。同じ轍は踏まない為に今日まで努力は惜しまずしてきた。あとは成るようにしかならない。しかし、俺が割り切れたとしてもアリスはそうではない。大人っぽくなったと言ってもまだまだ彼女は少女であり甘えたい年頃だ。


 それに〈影龍〉に襲われるかもしれない不安もあるとすれば彼女の不安は計り知れない。服のすそを控えめに手繰る彼女の手をどうして払いのけられようか。


「寂しいです……」


「アリス……」


 困り果てていると扉がノックされ、その後に一人の女性が入ってきた。メイドのカンナだ。


「レイ様、迎えの馬車が到着しました」


「あ、ああ」


 彼女は俺達の様子を見て深くため息をついた。


「はぁ……やってるんですか? レイ様は本当にお嬢様のことになると軟弱になる。そしてお嬢様はいつも無理な我儘を言わないのにレイ様には素直になられる。もっと私たちにも甘えていいというのに……!!」


「か、カンナ?」


 少し大げさにおどけて見せるカンナに、そんなこと今はいいから助けてくれと目で訴える。しかし、彼女は一向に助けてくれない。


「本当に不器用なんですから────でもそんなお二人のことがは大好きですよ」


「どうしたんだよいきなり……」


 普段は落ち着き払って冷静沈着な彼女にいきなり「大好き」なんて言われると照れてしまう。顔が熱くなっていくのを覚えながらも、カンナは言葉を続けた。


「暫く、会えなくなりますからね。この機会に思いの丈をぶちまけてみようかと」


「唐突過ぎる」


 最初の頃と比べると随分と遠慮がなくなった侍女に俺は目くじらを立てることなく苦笑した。一度目の人生を考えれば彼女とここまで打ち解けられるとは思わなかった。


「さあ、そろそろ本当にお時間です」


「……分かった。アリス、それじゃあ行ってくるよ」


「────はい。行ってらっしゃいませ、お兄様」


 カンナに急かされて俺は踏ん切りをつける。寂しげな妹の姿に胸を痛めつつも部屋を後にして屋敷の正門まで向かった。既に正門前にはカンナの言葉通りに迎えの馬車が到着しており、そのほかにも見送りの為に両親や使用人たちの姿もある。


「頑張るんだぞ。レイ」


「体には気を付けてね」


「はい。父様と母様もお体には気を付けて」


 アリスと同様に少し寂し気な雰囲気を纏う父様と母様の姿に俺は妙な感覚を覚える。


「頑張ってくださいね、レイ坊ちゃん!」


「貴方はブラッドレイ家の誇りだ!」


「健闘を祈っております!」


「ありがとうみんな」


 料理長に庭師────使用人らにも取り囲まれてそれぞれ激励の言葉をもらう。やはり妙な感覚はぬぐえない。


 ────本当に、これだけはいつまで経っても慣れないな。


 違和感の正体を俺は知っていた。誰かに慕われるという感覚が俺には馴染みがなさすぎるのだ。


 一度目の人生ではこんな盛大な見送りをされた覚えはないし、こんなに色んな人から慕われることはなかった。二度目の人生は思う通りにいかないが、それでも「悪くない」と思える。それは偏に一度目では絶対に手にできなかった大切なモノが沢山できたからだった。


「父様、爺さんは?」


 挨拶もほどほどに本当に馬車に乗り込もうとしたタイミングで俺はこの場にいない老兵を思いだす。そういえば今朝はあの脳筋ジジイの姿を見ていない。一体どこに行ったというのか。


 ────仮にも弟子の出立だぞ?


 あの常識はずれな爺さんにそんな趣を考えろと言う方が無理な話かと勝手に納得して、俺は今度こそ馬車に乗り込もうとした。瞬間、そいつは急に現れた。


「隙ありッ!!」


「ッ────隙なんてあるか!!」


 急に背後から怒号が聞こえ、振り返れば眼前には大きな拳。反射的に俺は右腕を振りぬいて迎撃する。瞬間、一つの拳と一つの拳が激しく衝突した。それだけで辺りに衝撃が走る。


 いきなりのことに驚くが直ぐに呆れが勝る。このクソジジイは最後の最後まで脳筋なことをしてくる。


「がはは! さすがはレイ! ちゃんといつも通りの制御は怠っておらんな!」


「こんのクソジジイ! こんな日ぐらい普通に見送れないのか!!?」


 いきなり殴りかかってきておいて快活に笑うクソジジイを俺は怒鳴りつける。普通ならばその突飛な出来事に困惑するものだがその場にいる全員が平静を保っていた。むしろ「またか」とため息を吐くものまでいる。それほどこの六年半で今のような光景は日常茶飯事になってしまった。


 激しい口論になろうとも誰も止めに入るものはいない。寧ろ「これも見納めか……」と感慨にふけるものまでいる始末だ。


 ────こいつらどうかしてる。


 こんな不毛なやり取りに何を惜しむ要素があるのか、俺は甚だ疑問で、本気で引く。それにより冷静さが取り戻せたと同時にクソジジイは今までの呑気な態度を改める。


「レイ────」


 一瞬にして真剣な顔つきになった爺さんには突っ込まない。これもいつものことである。そうして、こういう雰囲気の時は大体真面目なことを言う。今回もやはりそうらしい。


「────この六年半でとりあえず、マシだと思える程度には鍛え上げたつもりだ。しかし、驕るなよ。お前の目標は七龍の一体を殺すことなのだから」


「……ああ。わかってる」


「学園で学ぶことは今まで以上に多いだろう。その全てがお前の糧になってくれる。決して何事も軽んじることなく怠るなよ」


「もちろんだ。それは一度目で痛いほど思い知った」


「────そうだったな」


 俺の実感の籠った返答を聞いて爺さんは笑う。俺達のやり取りを周りのほとんどが理解できない。しかし、最後は笑い合うの見て、周りも笑った。


 その日、俺ことクレイム・ブラッドレイは二度目の学院へと発った。ここから俺の運命は更に加速する。



 ~第一章 幼少編 閉幕~




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