第12話 寝耳に水

 クソジジイの鍛錬を受け始めてから早一カ月が経とうとしていた。


 最初は受け入れがたかったこの現状もこれだけ時間が経ってしまうともう受け入れるしかなく、一度目の人生が懐かしくも思えてしまう。人間の順応能力とは凄いものだと身をもって実感した────と言っても一度目と比べて俺の人生はすでに大きく変わりつつあった。


「おら起きろクソガキ!!」


「もう起きてるわクソジジイ!!」


 もう就寝中にクソジジイに不意を突かれて殴り込まれるということも完全に無くなり、逆に反撃へと転じようとするのが当たり前になってきた。今日もまた早朝から罵声を投げつけあい、俺は朝の鍛錬に勤しむ。


 この間のジルフレアとの手合わせで自分がそれなりに成長していることは実感できた。負けはしたが、俺は彼の鎧に微かであるが傷を付けられた。たかが八歳の子供が「最優の騎士にではあるが一撃与えた」この事実がどれだけ凄いことか。一度目の自分────魔力量や魔法の修練度が習熟していたとしても絶対にできなかったであろうことをこの年でやってしまった。


 正直、攻撃が当たった時は「嘘だろ」と自分のことながら疑ってしまった。けれど本当にやってしまったらしい。一度目と今回での違いが何かを考えたときに真っ先に出てくるのは基礎力だろう。一度目は全くと言っていいほど努力をして来ず、基礎である〈血流操作〉の鍛錬もサボっていた。しかし今回はたった一カ月とは言えその基礎鍛錬を続けただけでこの伸び具合だ。


 ────そりゃあこんだけ素振りさせられて微塵も成長してなかったらキレるけど……。


 どうやら一度目の俺は相当バカな時間の無駄遣いをしていたのだと実感した。言ってしまえば派生なんて二の次、基礎である〈血流操作〉が卓越していれば〈比類なき七剣〉とも対等にやり合える可能性が示された。


 ────まさかここまでだったとは……というか【紅血魔法】が規格外すぎるのか。


 やはり血の齎す力というのはすごい。素振りをして汗だくになりながらそう実感する半面で、俺はこれ以上強くなる必要はないのではと思い始めていた。


 理由は単純明快である。平凡なスローライフを送るのにこれ以上の力は必要なのだろうか? 自己防衛としての実力はまだ十全とは言えないが、あと数年は基礎的な鍛錬をしていれば問題ないと思えてきたし、鍛錬ばかりに集中するよりももっとするべきことがあるのではないか?


 例えば、家督を妹であるアリスに継がせるための根回しだとか……と言うかこれに尽きる。まだ表立って家督を継がないという意思は示していないし、今騒ぎ立てたところでそれが上手くいくわけもない。ならば家族や妹であるアリスへの間接的な根回しに注力するべきだ。これが成功すれば俺の人生はほぼ安泰と言ってもいい。


 その為には無能を装い、実力を隠す必要があるのだが……ここ最近は周りの反応を考えず鍛錬に集中すぎたし、先日の駐屯所での一件はやり過ぎた。噂では俺がジルフレアと良い勝負をしたという話は貴族内や市井にまで広がっているらしく……つまり、目立ちすぎた。


 あの一件で今まで低迷していた家族や使用人たちの評価が完全に上がり始めているし、なんならジルフレア本人が俺のことを触れ回っているとかいないとか……。


「本当に勘弁してくれ……」


 そんなこともあって現在の俺はだいぶん気分が優れなかった。自分であれだけ「調子に乗らない」と誓っておいてこの体たらく。このままでは父であるジークは俺を当主に据えることを疑わないであろう。結構まじめにまずい。


 ────一度目では死ぬ間際まで認めなかったというのに……今回は少し好感度の上り幅が異常だ……。


 まだ直接「継げ」と言われたわけではないが、最近は顔を合わせるとよく「期待しているぞ」的なことを言われることが増えたような気がする。偶に「仕事についてくるか?」とか「今度お前に会わせたい人が……」とか一度目ではなかったことが目白押しで押し寄せてくるのだ。勿論、家督など継ぐ気はないし他の貴族との付き合いも面倒なので「鍛錬がありますので」と今のところ躱せてはいるがそれもいつまで使えるだろうか。


 ────そういう意味じゃあ相当助かってはいるんだけど……。


 そうだとしても一時的な逃げの為に、これ以上は表立って強くなることは妙案とは言えなくなってきた。だからと言ってあのクソジジイの鍛錬をたった一カ月で投げ出せるはずもないのが実情だ。


 ────なんなら最初の頃より熱が入ってるからな。


 自分から鍛錬を嘆願しているのは勿論のこと、何故かこのジジイ、ジルフレアとの一件からより一層指導に熱が入っている。しまいには「お前をこの国最強の男にしてやる」と本気で言い始めていた。


「どうすれば……」


「鍛錬中によそ見とはずいぶん余裕だな!!」


「あでッ!?なにすんだこのクソジジイ!!」


「お前が鍛錬以外の無駄な考え事をしているからだ!普段の集中しているお前なら簡単に避けられたぞ!!」


「うぐっ……」


 ぶっ叩かれた後頭部を抑えて抗議の視線を遣るが全くその通りな爺さんの正論にぐうの音も出ない。流石に今のは思考に意識を割き過ぎていた。反省である。


 自分が良かれと思って始めたこととは言え、それ悉く裏目に出て自分の首をどんどんと締め上げているような感覚にはやはり焦ってしまう。外堀をどんどんと埋められているような……と言うか自分で埋めてしまっているような、早くこの状況を何とかしなければ後戻りできない感覚は一度目でも覚えがあった。


「ううむ……」


「ほれい!またよそ見をしやがって!!」


「同じ轍は踏むかってんだ!!」


 また思考の波に沈みそうになり、そこへ透かさずジジイの拳が飛んでくるが今度は軽々と躱して見せる。そんないつも通りのやり取りを早朝からしつつも、やはり俺は浮上する問題に頭を悩ませる。


 しかし、そんな悩みの種が全て吹き飛ばされるぐらいの劇物が、更なる苦難が不意に投下された。


 それは本日の夕飯時。無事に今日の予定を全てこなして家族(爺さんも含む)全員で食卓を囲っている時に父のジークから唐突に言われた。


「そういえば二日後にグレイフロスト家の御令嬢が久しぶりに訪問される。レイ、しっかりと準備をしておけよ」


「……は???」


 本当に唐突すぎる来客の予定に俺は一瞬、何を言われたのか理解するのが遅れてしまう。


「あの、父さ────」


「もう心配はしていないが、くれぐれも失礼の無いようにな」


 父からの数々の誘いを断った結果、家から出ようとしない俺を見て父様は強硬手段に出たらしい。俺が出向かないのであれば、お相手方に来てもらおうということなのだろう。


「……は、はい」


 しかもよりにもよってその相手が一度目の人生でのトラウマの一人と来たものだ。


 ────本格的に鍛錬なんかしている場合ではなくなってきた。


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