未来のお話31

 幼い頃、南からやってきて国を救ってくれた英雄レックス・ヘッセリンクの話を聞かせてくれと、何度父にせがんだだろうか。

 一緒に熱狂していたはずの兄達は、いつの頃からか父が話を大きくしているだけだとその熱を失っていったが、私だけは、なぜか大人になってもなお、ヘッセリンクへの憧れを捨てられずにいた。

 ヘッセリンクとの縁を繋ぎたいと申し出た私のことを、家族は変わり者だと思っただろう。

 面と向かって、それだけが唯一の欠点だと言われたこともある。

 笑われたかもしれない。

 心配されたかもしれない。

 だが、諦めなかった。

 幼い頃からの意志を貫き通したその先に何があったのかと尋ねられたら、私は迷わずこう答えるだろう。

 そこには、愛があった、と。


「ラウドル君! ぼーっとしてないで動く!」


 欠けていた何かに指がかかりそうな感覚に浸っていた私を叱咤するよう、サクリ様の檄が飛ぶ。

 眼前には、私より遥かに巨大な涎を垂らした熊の姿があったが、横合いから高速で走り込んできたユミカ殿がその細い脚で豪快に蹴り飛ばすと、勢いそのままに剣を抜き、熊の首を落としてみせる。


「サクリ。あんまりうるさくしてせっかくのお婿さん候補に逃げられてもしらないよ?」


「えー?」


 主従というより姉妹のようなやり取りに癒される思いだったが、その内容に思わず声を上げてしまう。


「逃げたりするものですか! 申し訳ない。どうやってサクリ様を口説かせていただこうか考えるあまり、意識が飛んでおりました」


 その小柄な体躯で森を縦横無尽に駆け回り、自らと比べ遥かに巨大な魔獣を前にしても怯むことなく、むしろその愛らしい丸みを帯びた顔に獰猛な笑みを浮かべながら漆黒の竜に指示を与える姿。

 戦士としてはあるまじきことだが、敵を前にしているというのにその凛々しさにすっかり心を奪われてしまっていた。

 こんなことではいけないと頬を張る私に、サクリ様がなぜか拍手を送ってくださる。


「思ったより余裕だね。感心感心」


 しっかりしろと罵倒されるならまだわかるが、なぜ感心されたのだろうか。

 

「守られながら走っているだけです。誰にでも、とは申し上げませんが、ある程度鍛えていれば取り乱すことはないかと」


 私がそう伝えると、サクリ様はそんなことないよと言いながらゆっくりと首を振る。


「国軍でも、近衛でも。初めて魔獣を見たら取り乱すんだ。あの子達は、理屈じゃなく人の心をかき乱すからね。腕もあるし、今の時点でラウドル君は我が家の領軍のみんなと比べても遜色ないと思うよ」


 褒めていただいたことを嬉しく思うと同時に、この時、ほんの少しだけではあるが胸に引っ掛かりを覚えてしまった。

 もちろんそれを言葉にしたりはしない。

 しかし、この日浮かれていた私はそんな引っ掛かりが顔に出たらしく、サクリ様が首を傾げる。


「あれ? 芳しくない反応だね。うちの領軍のみんなと同等なんて最高の評価なんだけど」


 サクリ様には領軍級ではなく、メアリ殿やクーデル殿のようにもっと高く評価されたい。

 私の胸に僅かに芽生えたそんな思いが、引っ掛かりの原因だ。

 つまり、サクリ様に認められたいと強く願うあまり、ヘッセリンク伯爵家の領軍を無意識に下に見てしまった。

 そこまで思い至った時、いつの間にか恥ずかしいほど浮かれていた自分に愕然として、立ち尽くしてしまう。

 そんな私の様子から内心を正しく読み取ったらしいサクリ様が、納得したように頷いた。


「ああ、なるほどね。そういうことかあ」


 笑顔でとことこと歩み寄ってきた小柄な縁談相手に突然襟首を掴まれ、信じられない力で強引に引き寄せられる。


「サクリ様!?」


 驚きに声をあげる私を無視し、いつの間にか笑みを消したサクリ様は耳元に唇を寄せると、一切温度を感じさせない声でこう囁いた。


「うちの領軍のみんなはさ。毎日毎日魔獣を相手に身体を張って命懸けで頑張ってくれてるんだ。それを、何も知らない君みたいな外の人間に舐めてもらっちゃ、ヘッセリンクの人間としては、とても不愉快なんだよねえ」


 囁き終わると同時に、サクリ様の身体が魔力を纏うのがわかる。

 これは、と心臓が大きく脈打った時。

 

「戻ってきなさい、サクリ」


 ユミカ殿がため息混じりにサクリ様の額を指で弾き、後方に吹き飛ばす。

 

「サクリ様!? 大丈夫ですか!?」


 鈍い音を残して相当の距離を飛んだあと地面に仰向けで転がったまま動かないサクリ様のもとに駆け寄って抱き起こすと、顔を顰めながらユミカ殿に弾かれた額をさすってみせる。


「すごく痛いよ。あの人手加減知らないから。あ、ごめんねラウドル君。さっきは怖かったでしょ?」


 ……なんということだ。

 先に謝らせてしまった。

 悪いのは、身の丈に合わない望みを抱き、ヘッセリンク伯爵家の家族である領軍の皆さんを見下した私の方だというのに。

 あまりの情けなさに顔を伏せそうになるが、それはさらに自分を惨めにするだけだと思い、恥を忍んで顔を上げ、謝罪の言葉を告げる。


「謝るのは私の方です。どう考えても、全面的に私が悪い。もっと貴女に褒められたい、評価されたいと思うあまり、こちらの領軍の皆さんを下に見てしまいました。このラウドル、恥じ入るばかりです」


 醜い心の内を全て打ち明けながら頭を下げると、小さな手で私の髪を優しく撫でるサクリ様。


「わかってくれればいいんだ。素直な人、好きだよ」


 ハッとして顔を上げると、美しい瞳に慈愛を湛えたサクリ様と目が合う。

 

「……可憐だ」


「え?」


 私は今、何を口にした?

 ラウドル、この未熟者め!

 自らの浅ましさが原因でサクリ様に不快な思いをさせたばかりだというのに、そのお姿に目を奪われただけでなく可憐だ、などと。

 まずい、ユミカ殿のあの表情。

 完全に聞かれている!!

 なんとかサクリ様だけでも誤魔化せ!!


「あ、いえ。その、領軍の兵士の方との手合わせの機会を、ぜひお願いできますでしょうか。ヘッセリンク伯爵家に婿入りした暁には、私も世話になるでしょうし」


 頼む、なんとかなれ!!


「本当にやるの? まあ、領軍のみんなもラウドル君のことは気になってるとは思うけど。どうかな、ユミカ姉さん」


 どうにかなった!!

 サクリ様からの追及がなかったことにホッと胸を撫で下ろす私に、ユミカ殿が何か言いたげにニコニコと笑ってみせる。

 

「先に帰って準備しておくよ。二人はゆっくり、話でもしながら戻ってきていいからね? ピーちゃん、二人を頼んだわよ! ラウドル様、頑張って!」


 そう言って意味ありげに親指を立てたあと颯爽と走り去るユミカ殿。


「変なの。まあいっか。じゃあ僕達も帰ろうか、ラウドル君。ラウドル君? 聞いてる?」


 ……恨むぞユミカ殿。

 今サクリ様と二人きりは、何を話せばいいかわからないだろう!!!

 

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