未来のお話24

 エスパール伯の手引きで荷馬車に乗せられた私達は、一切怪しまれることもなくあっさりとアルスヴェル王国に足を踏み入れることになった。

 もちろん御者も馬車も荷物も本物だが、こちらには後ろ暗いところがある。

 無事に国境を越えた瞬間には、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。

 御者の老人に礼を言い、帰りの打ち合わせを済ませたあと、従兄と並んで国境沿いの街を見て回る。

 

「こう言ってはなんだが、拍子抜けだ」


 簡素な外套を身につけて旅行者を装っているとはいえ、誰も私達に注目していない。

 もちろん騒動を望んでいるわけではないが、こうもあっさり事が進むと、国境を越えるために寝る間も惜しんであれやこれやと策を考えていた時間はなんだったのかと頭が痛くなる思いだ。

 そんな感情が顔に出ていたのか、宥めるように従兄が言う。


「エスパール伯に感謝しなければいけませんね。腕力に任せての強行突破も選択肢だったのですから」


 感情を顔に出さないよう曽祖父から教えられ、そうするよう努めてはいる。

 しかし、この歳の近い従兄の前だとどうも油断してしまう。

 

「感謝の印に、ちょっとやそっとじゃ飲みきれない程の酒を贈らせてもらおうか」


 父親世代への贈り物と言えば酒と相場が決まっている。

 私は嗜む程度でそこまで詳しくないので、懇意にしている酒蔵に適当に見繕ってもらうとしよう。


「わかっていると思いますが、親世代の酒量を舐めてはいけませんよ? 俺達が一年かけても飲みきれないほどの酒を、あの世代は三日あれば飲み干しますからね」


 もちろん理解しているとも。

 上の世代が国都で宴を開けば、国都中から酒瓶が消えるという噂が流れるほどだ。

 まあ、その噂の大半は父上率いる一派の行いによるものだが。


「父上が言っていた。狂人派と呼ばれることをやむなく受け入れているのは、王城の公式文書に酒乱派と記載されるよりも幾分マシだからだと」


 私から見れば、狂人派も酒乱派も酷さという意味ではそう変わらないのだが、そこは貴族の繊細さというところだろう。

 私の言葉に、エウゼが小さく笑いながら肩を揺らす。


「きっと冗談ではないのでしょうね。さて、それはそれとして。ここからどう動くつもりですか? 一気にリュンガー伯爵の屋敷に向かうのか。それともとりあえずこの街で婿殿の評判でも聞いて回るのか」


「そうだな。できれば、この近くで本人が騒動でも起こしてくれていれば、接触するのも楽なのだが」


 などと口に出したのは、もちろんほんの冗談のつもりだった。

 エスパール伯からは下手な冗談はやめるよう釘を刺されてしまったが、少なくとも父上より下手なつもりはない。

 しかし、そんな冗談を冗談で済ませてくれないのがヘッセリンクの血だ。


「伯父上じゃあるまいし。こんな国境沿いの街を歩いているだけで接触対象と偶然かち合うことなんて……マルディ。あれを」


 エウゼの視線の先。

 上等な身なりの若い男を、人相の悪い、いかにも野盗崩れといった男達が取り囲んでいる。

 

「いい予感半分。悪い予感半分。いずれにしても、我が身に宿るヘッセリンクの血が騒いだようだ」


「付き合わされる身にもなりなさい」

 

「頼りにしているよ。従兄殿」


 そう言いつつ剣を抜く私を見て、やれやれとばかりに深々とため息をつくエウゼ。

 しかし、ため息をつき終わった時には魔力を練り終えているのだから最高だと言わざるを得ない。


「頼られましょう。水魔法。水槍」


 エウゼから放たれた水の槍が野盗崩れの一人の腿を貫くと、汚い悲鳴が上がった。

 突然のことに混乱する男達。

 若い男だけが慌てもせずこちらに視線を寄越したので頷いてみせると、剣を抜いてニヤリと笑みを返してきた。


「どなたか存じ上げないが、ご助力感謝する!」


 男達の数は二十程度。

 決して油断できる数ではないが、負けるかと言われればそんなこともなく。

 私を殺したければ、レックス・ヘッセリンクかエイミー・ヘッセリンク、もしくはサクリ・ヘッセリンクでも連れてこい。

 それ以外に私を殺せはしないのだから。

 

「ふむ。まあこんなところか」


 ごろつき全員を叩きのめすのに、そう時間はかからなかった。

 エウゼは言わずもがなの剛の者だが、若い男もなかなかの腕で庇う必要もなかったため、数の差はあれどこの場は私達の圧勝で幕を閉じた。

 私が服の埃をはたきながら呟くと、近づいてきた若い男が頭を下げる。


「礼を言う。この通りだ」


「いや。貴殿の腕なら私達が手を貸さなくともこのくらいのごろつきどうとでもなっただろう。むしろ余計なことをしたのでなければいいのだが」


 お世辞ではなく、それができる水準の腕があるとみた。

 可能であれば、オーレナングに連れて帰りたいくらいだ。

 私の称賛に対し、男は謙遜するように首を振る。


「何を言う。貴殿らが手を貸してくれたおかげで街の者に怪我をさせる事なく終わらせることができた。貴殿ら、リュンガー伯爵領の民ではないな?」


「ええ。この友人と親の金でふらふらと旅をしているところです」


 従兄が全く悩む素振りも見せずに即答すると、男も特段私達の身元を追及するつもりもないようで穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「そうか。いや、本当に助かった。私はこの地を治めるリュンガー伯爵の三男。ラウドル・リュンガーだ。みんな! 蛮族崩れを打ち倒した勇気ある旅人達に感謝を!!」


 成り行きを見守っていた街の人々から一斉に歓声が上がった。

 その歓声に応えながらも、気になることはただ一つだ。

 エウゼに視線をやると、人々に手を振りつつ私に近づいてきて耳元で囁く。


「どうします? マルディ。当たりを引いたみたいですが」


 目標の人物と国境を越えたその日に顔を合わせる幸運を、当たりを引くという言葉だけで済ませていいのか。

 いや、きっとそれでいい。

 ならば、亡き曽祖父の教えに従って、ヘッセリンクの野生とラスブランの理性をもって、面白い方に舵を切ってやろう。

 そう心に決めた瞬間、まだ何も言っていないにも関わらずエウゼが頷いた。

 

「マルディの好きにして構いません。支援は俺に任せなさい」


 頼りになる従兄に感謝を込めて軽く頭を下げ、街の人々にもみくちゃにされている義兄候補の名を呼ぶ。


「ラウドル殿」


「ああ。すまないな旅の方。実はお忍びで出てきていてな。十分な礼ができるほど手持ちがないんだ。とりあえず今日は食事を奢らせてほしい」


 義兄候補がそう言った途端、人々からぜひ自分の店に来てくれと声が上がった。

 みんながみんな、若様なら金はいらないと言う。

 父上も家来衆から熱狂的な支持を集めているが、それとはまた違う種類の熱狂だ。


「随分人気なのですね」


「幸い、民には可愛がってもらっているよ

。日頃の行いがいいせいかな?」


 エウゼの言葉に答える表情にも言葉にも、裏や黒いものは一切感じられない。

 

「なるほど。この様子だけ見ると、噂の確度は非常に高いということか。集めてくれた情報を欠片でも疑ったことを、家来衆や裏街衆に謝らなければいけないな」


「噂? 家来衆だと?」


「ああ。初めまして、ラウドル殿。私はマルディ。マルディ・ヘッセリンク。貴方の見合い相手、サクリ・ヘッセリンクの弟だ。今日は喜んで食事を奢られよう。色々と話したいこともあるので、ね」

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