未来のお話8-2

 深層に来たのはもちろん初めてではない。

 オーレナングに戻るたび、父上やジャンジャック、オドルスキ達に何度も連れて来られたこの世で最も危険な場所。

 家来衆に見守られながら、巨大な魔獣相手に涙目で必死に槍を振るっていたのが既に懐かしい。

 私は学院を卒業したあとも国都を本拠地として活動している。

 姉上がオーレナング、私が国都という役割分担それ自体に、家来衆も違和感は感じていないようだ。

 まあ、私に深層での単独討伐は荷が重いし、姉上に外交はとてもじゃないが任せられない。

 父上が人知れず展開している『ヘッセリンク狂人脱却計画』という無駄な努りょ……、頑張りも、姉上に外交を任せたらあっという間に水泡に帰すだろう。

 そんなことを考えていると、先頭を行くアドリアが鋭い声を上げた。


「前方から人影! え、人型の、魔獣……? くっ!!」


 森の奥からとてつもない速さで突貫してきた赤い肌の二足歩行の生き物が、勢いそのままにアドリアを弾き飛ばした。

 

「アド姉さん!?」


  姉上を守るメディラが悲鳴を上げる。

 が、派手に吹き飛ばされたはずの本人は怪我を追った風もなくすぐに体勢を立て直す。


「慌てなくいい! 二人はサクリ様を守りなさい! 死んでも抜かれるんじゃありませんよ! ロックキャノン!!」


 双子に檄を飛ばしつつ素早く印を結び、人型に向けて高位の土魔法を放つアドリア。

 油断していたのか舐めていたのか、人型は巨大な岩の塊の直撃を受けて森の奥に吹き飛ばされていった。

 高い身体能力と魔法の才能。

 そして恐怖を恐怖と思わない胆力。

 三拍子揃った彼女は、次世代家来衆筆頭と目されている。

 

「やばいね! ピーちゃん呼ぼうか!?」


 初見の人型魔獣を討つべく姉上が魔力を練り上げるが、アドリアがそれを制した。


「ピーちゃんは温存です。呼んだら終わってしまいますから。今日のサクリ様は、我々に守られるだけのお姫様役。よろしいですね?」


 戦術、次元竜。

 これが氾濫や通常の狩りならいいのだが、今日のような目的の無い狩りでピーを喚ばれると私達のやることがなくなってしまう。

 全く歯が立たないような相手が出れば話は別だが、あの人型一匹であればまだそこまでの絶望感はない。

 

「つまんないよー!!」


「いちいち大将に前線に出て来られては下の者が迷惑な場合もございます。後ろに控えることも覚えてくださると幸いです」


 アドリアは姉上を殊の外大事にしているはずだが、ごくたまに言葉の選択がおかしくなることがある。

 まあ、言っていることは正しいので誰も注意したりしないのだが。

 姉上は口を尖らせて拗ねていることを前面に押し出しているが、一同見慣れた顔なので誰も反応しない。

 そうこうしているうちに、森の奥から身の竦むような咆哮が聞こえてきた。

 だいぶ怒っているようだな。

 

「父上に聞いたことがある。あれは深層の奥にある灰色と呼ばれる区域に棲む人型の魔獣、レッドオーガだ。確か、角を折ると進化するとか」


 なぜその魔獣がここまで下がってきているのか知らないが、ややこしいことだ。

 

「アドリア、私も前に出るぞ。いいだろう?」


「ええ。私と貴方様がサクリ様の騎士役です。相棒が私では不足があるかもしれませんが」


 アドリアで不足するなら、この場面で私の相棒に相応しい人間など存在しないだろう。

 子供の頃から共に過ごし、何をどう考えているか、姉上以上に手に取るようにわかる自信がある。


「私がこういう場面で最も信頼できるのはお前に決まっている。何度も言うが、早く国都に移ってきてもらえないか?」


 学院在学中から繰り返している私の誘いに、彼女は首を縦に振ることはなかった。

 国都に移り住んでから今まで、アドリアが側にいてくれたらと思ったことは一度や二度じゃない。

 そう思って真剣に頼み込んでいるのに、この時も余裕のある笑みを浮かべながら言う。


「あらあら。もしかして口説かれていますか?」


「口説いたら国都に来てくれるのか? よし。では口説くかせてもがっ!?」


 それなら口説くのも悪くないと正直に口にしようとした私の脇腹に激痛が走る。

 背後から攻撃を加えたのはまさかの姉上。

 魔獣の骨を削って作られた愛用の杖で殴られたらしい。

 悪ふざけしている場合じゃないと抗議しようとすると、小柄な姉上が私の顎を鷲掴みにして下から睨みつけてくる。


「マルディ、本当にダメ。こんなとこで勢い任せに告白しようとするとか、浪漫のカケラもないじゃない。お姉ちゃん恥ずかしいよ。帰ったらお説教だからね」


 え、なぜ?

 殴られた私がなぜお説教を?

 告白?

 浪漫とは一体?

 意味がわからず双子に助けを求めるよう視線を向けると、メディラは呆れたように、シャビエルは苦い顔で首を振った。


「やっぱりわかってないんだあ。これさえなければ完璧なのに。無自覚天然。メディラはとても残念です」


「同じ男としても若の弟分としても、今のはちっと擁護できねえです。きっちり絞られてきてくださいな」


 わからない。

 私はアドリアに国都に来てもらい、側にいてほしいだけなのだが。

 長年頼み込んでは断られ続けている宿願が叶うなら、口説いてみせるくらい訳ない。

 そう思って肝心のアドリアを見ると、私を見つめながら薄っすらと笑っていた。

 ……怒ってるなこれは。


「あらあら、可哀想に。お説教が長引くようなら、お夜食にマルディ様の大好きな濃緑菜のおひたしを差し入れいたしますね?」


 

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