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 淡海司法合同庁舎まではタクシーを細かく乗り継ぎ、ダミーのオーダーも混ぜて追跡を攪乱かくらんさせたつもりだ。さすがに警察も庁舎前まで待ち構えるほど、人手を回せないらしい。

 僕は走り込んで正面玄関へと飛び込む。守衛のおじさんには顔パスで許してもらう。怒声を無視して七階を目指す。

 エレベーターは待っていられず、非常階段へ進路変更した。心臓が暴れて呼吸も苦しい。体力的には限界だったが、足を止める理由にはならない。

 ――なんとかなってくれ!

 僕は公安淡海事務所の応接室の前に立つ。

 肩で息をしながら、扉を開けようとする。――が、内側から施錠されており、入室を拒否される。こういう場所に限って、アナログなシリンダー錠だ。本当に自分の無力さを痛感する。

明石アカシ! ここを開けろ!」

 感情のままに扉を殴った。部屋は内密な談話も考慮して防音仕様だ。怒鳴っても声が届くかどうか。

 ――すると携帯電話の着信音が鳴り響く。即座に応じる。

『……よう、アナクロ。来ちまったみたいだな』

「先輩! 無事ですか?」

『魔女先生は連れてきてないな?』

「……」

『良い判断だ。こいつも、いつまでもここに籠城できるわけじゃない。必ず出て行こうとする。それが最後のチャンスだ。絶対に捕まえろ――!』

 その言葉尻は嗚咽おえつに変わった。また明石に暴行されている。

 一刻も早く止めなきゃいけないのに、自分は何をやっているんだ!

「明石! お前たち透明人間はもう見破られる。もう愚行は繰り返すな、諦めて投降しろ! 司法の場にさえ来れば、法律が暴力から守ってくれる。助けてやるから!」

 法は人を守るためにある。誰であろうと、公平な裁きを下す。僕たちは、情報の力でこの世界を守るんだ。それが公安調査官の仕事だ!

『……』

 頼む、応えてくれ――。

『アナクロ! こいつを生かしておけば、また誰かの命が奪われる。とっくに引き返せない人間なんだよ! いっそ、もう殺してやれ』

 電話口から離れた場所にいるであろう利市リイチさんの、絞り出すような悲痛な叫びが虚しく響く。

「先輩、ダメだ! 刺激しないでくれ!」

『……大丈夫だ、もうすぐ覚悟が決まるぜ。大事なモンはお前に託してある。甘い理想と厳しい責務に苦しめよ』

「利市さん――?」

 それは、どういう意味ですか……?


 遮るような、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声――。


 乾いた発砲音は、分厚い壁越しでも確かに聞こえた。

 空気が破裂したように、肌を直に震わせる。

 ――甘かった。

 相手はすでに、どれだけも法を犯している。こんなことに躊躇ちゅうちょはしない。わかっていたはずだ。失われたものは、もう取り返せない。

 それなのに、僕は――!

「出てこい。罪を、償わせる……!」

 錠が上がる金属音。静かに、扉が開かれる。


 室内は鮮やかな赤が飛び散っていた。

 印象深い壁掛けのアテネの絵画は、血飛沫に染まる。

 硝煙しょうえんが漂い、薬莢やっきょうが転がっていた。

 その真下には倒れていた。お馴染みのブランドスーツは、もうクリーニングに出すより廃棄するしかないだろう。初ボーナスで買ったとかお気に入りだったのにとか、いつもの軽い口調で愚痴を喋りだして欲しかった……。

 しかし、顔面に無理矢理被せられた黒いビニール袋の破れからは、流血が噴き出している。胸も腹も足も、穿うがたれた穴から血だまりが広がっていた。

 ――先輩、起きてくださいよ。

 そんな嫌味が届くはずもない。

 死体に何をしても、全てが無意味だと思い知らされる。

 利市ハヤト、

 喉の奥からこみ上げるものを必死にこらえた。

 今は、感傷に浸っている場合じゃない。


 ――空気が揺れていた。息遣いを感じる。見えないが、

 僕は視線と銃口を固定して、応接室に踏み込んだ。

 最大限に警戒しながら視界を左から右へパンニングする。

 いつでも発砲できるように指先に力を籠める。

 しかし、アナライザーは一向に反応しない。……どうした?


『エラーコード404です。トラブルシューティングを作動させるか、電源を再起動してください――』


 ドットサイトは赤く点滅している。

 まさか、このタイミングで故障か……! やはりこの体質は呪いでしかない。舌打ちする。

 ――風圧が迫る!

 反射的に右足を下げて身体を捻った。

 透明人間の体当たりだった。

 躱したはいいが、右手を強く弾かれた。

 手からナックルスコーカーを奪われる。

 そのまま扉の外へと気配が去っていくようだった。

「待て!」

 咄嗟とっさに手を伸ばすが空を掴む。足音は聞こえるが、姿が見えないのでは追いかけようがない。眼前に貼り付けられた不可視化のフィルターが邪魔だった。

 ――まとめて全部、祓えるか?

 迷っている暇はない! 僕は手印を結んで、全周囲に響くよう叫んだ。

「ノウマクサンマンダバザラダンカン!」

 倒木のような亀裂音がフラッシュと共に弾ける。

 その瞬間、廊下を走る男の背中がおぼろげだが初めて見えた!

 あと二、三歩で距離を詰められる。

 同時に、男が返り血を浴びたレインコートを脱ぎ、こちらに投げつけてきた。

 視界が丸々奪われる。

 右手で受け止めてるが、オーバーサイズの着丈のために無駄に身体へと纏わりつく。クソ、鬱陶うっとうしい!


 数秒の時間を無駄にした。振り払った時には、男の姿は消えていた。曲がり角の向こうへ行ったか。

 僕は一歩出すと、足元の黒い鉄塊を蹴飛ばした。先ほど奪われたスコーカーが落ちていたのか、素早くそれを拾って再び駆け出す。

 コーナーから人影が視認できると同時に、僕は銃を突きつける。

「――動くなっ!」

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