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阿澄アスミさん、協力ありがとう。おかげでうまくいったよ」

「いえいえ、簡単なお手伝いしかしてませんし。それにしても、狩井カリイさんって眼帯のせいで視界が狭いはずなのに、身体の動きが制約されてない印象でしたね。わたしも透明化しているとは言え、一応死角の左目側から近づいたのに、反撃されそうな気配がありましたよ」

「殺気がどうこう言ってたから、物音とかに敏感なのかもしれないね」

 あれだけ厳格な雰囲気を持つ人だ。僕だって首にこっそりシールを貼るだなんて怖くてビビる。

「テクネ、客観的に見てどうだった? 完璧な透明人間だっただろ?」

 呼びかけると、そこでテクネも自身の擬態化ハログラムを解いた。最初から少し離れた位置で僕たちをずっと観察していたのだ。

「擬態化ハログラムについては自画自賛だね。オリジナルより精度高いよ。お姉ちゃんも犯人役にピッタリな気配の消し方だった。一般的な事務職員ってのは嘘だね」

「そんなに褒められても……」

 阿澄さんは何故か照れていた。褒められてるの?

「気になるのは一点だけ。あの眼帯、……なんというか趣味が悪いね」

「はあ?」

 テクネはまたよくわからないことを言う。

 とりあえず実証はなんとかなった。次にすべきことはあるが、ちょっとくらい気を抜いても許されるだろう。ここ最近ドタバタしっぱなしだったから、帰りにどこかで少しばかり豪華なご飯でも食べたかった。

「二人とも、何か食べたいものある? 気分良いから奢るけど。先生との協力関係もこれで終わりだしな。最後くらい、調査抜きで」

「最後……」

 テクネは急に黙り込んでしまった。

 なに、もうお互いに気を遣ったりする関係でもないし、会おうと思えばすぐに出向ける距離にいるのだ。最後というのは言い過ぎたかもしれない。

「ボクはキミに、ちゃんと伝えなきゃいけないことがあるんだ」

「じゃあ、どこかでゆっくり喋ろうぜ」


 ――ふと、こちらに近づいてくる人影に気付いた。

 特徴の少ない外見をした、どこにでもいそうなスーツ姿の中年男性。普通過ぎて、どんな人物かすぐに思い出せなくなりそうな印象、それこそが特徴とでも言うべきか。徹底的に目立たないことが要求される職務。

 つまり、相手は僕とだ。

灰瀬ハイセテクネさんですね?」

 男は挨拶もなしに尋ねてきた。不愛想な態度にこちらも警戒する。

「あなたは?」

「警察です。お話を伺いたい。ご同行願います」

 ジャケットの内ポケットから覗かせた黒手帳は本物だろう。何より、視線の運び方や何気ない立ち位置に隙がなかった。

 おそらく、すでに


 利市リイチさんが言っていたな、結果の出ない警察はスケープゴートにテクネの身柄を狙っていると。たった今お披露目した透明人間ショーも覗き見されてしまったか。ほぼクロと睨んでいるだろう。

 しかしここで抵抗しても、懐疑心さぎしんを煽るだけだ。公安情報庁ウチから正式な抗議声明を出すにも時間がかかる。

 どうする――?

「イヤ、これからご飯食べに行くんでお断りします」

 テクネはキッパリとそう告げた。……おいおい、そんな理由が通用するかい!

「確保しろ」

 抑揚のない男の一声を合図に、トンネルの両方向から十人ほどの集団が飛び出してきた。完全な包囲により逃げ道はない。四面楚歌な状況にも関わらず、テクネは余裕そうに指を鳴らす。

「ビックリした?」

 捜査官たちの動きが固まった。全員の視線が定まっていない。

 何が起こったんだ?

「透明人間めっ……!」

 指示役の平凡男が、初めて感情をあらわにした。

 ――そう、僕たちは擬態化ハログラムによって不可視化されたのだ。

 奇妙な光景だった。まるで暗闇に放り込まれたかのように、全員が手探りで僕らを探している。テクネは僕たちにはフィルターを貼らなかったのだろう。互いの姿が確認できた。

 物音を立てぬよう慎重に足を運び、その場を潜り抜けた。


 高架下を出れば、幹線道路入口に、大型ファイフラ装置を積んだハヤマ社のトラックが停車している。迷わずドアを開けて乗務員席へと駆け込む。

 三人乗り込めば、車は静かに発進して道路の中へと紛れていった。

「……思わず逃げ出してしまったが、どうする気だ? いくら透明人間になったとはいえ、こちらから渡した対策ツールがすぐに実装される。警察やIISから身を隠し続けるのは不可能だ」

「時間が稼げればいい。さて、容疑者が疑惑を晴らすためには身の潔白を証明するより、もっと簡潔な方法があるよね?」

「……真犯人を捕まえる、か」

「ピンポーン。たぶん、そろそろ連絡があるはず――」

 テクネが言い終えるより前に、僕の携帯電話が着信を知らせる。

『――クロウ! 一生分の酒を奢れ!』

 鼓膜を突き破るような怒声。

藤桝トウマスか、お疲れ。解析終わったか?」

『何を呑気のんきそうに。一日三十時間も働いたぞ。詳細な結果はテクたんのアドレスに送付したが、取り急ぎ伝えたいことが二つある』

「教えてくれ」

『まず、多くの捜査機関に回したIISの二次データを改竄したのはクラッカー四〇四号で間違いない。足跡を辿ると、侵入経路にわざと自分のサインを残してやがった。前の事件と同じ、アーティスト気取りのふさざけた野郎だ』

 ――やはりそうか。

 これだけ大規模のハッキングをできる技量の持ち主はそうはいない。大方の調査状況も実行犯へ筒抜けになるのも納得である。

 しかし、僕のパウリ効果については実際に見てみないと信じられないのではないか。内通者は別で存在する気がする。

 それにしても、どうして透明人間は組織絡みで行動しているのか……。ええい、今はそちらを考え込んでも仕方ない。

「わかった。もう一つは?」


『一次データのパズルと虹彩こうさい照合で犯人が割り出せた。まず、第一被害者である影佐カゲサヒラナリを突き落としたのは、――藤原フジワラアケハルだ』


「は……?」

 驚きのあまり、電話を落としそうになる。なんだって……?

「いや、藤原はすでに殺されているぞ?」

『そうだ、そして第二被害者である藤原を殺したのが第三被害者である辰巳タツミオオマサ。さらに辰巳を突き飛ばしたのが第四被害者である服部ハットリアキカズだ』

 テクネは転送されたファイルを空中に展開し、IIS一次データの断片的人物像をモンタージュした写真を並べた。

 そこに映し出されていたのは事件の犯人とされる者たち。

 ――つまり、だと?

 加害者が、順番に被害者になっていく図式が出来上がっている。

「……最後の被害者である服部をやったのは?」

明石アカシリョウワって男。もうIISで追跡をかけているが、どこにも見当たらない』

 新しく表示された写真の男は、間違いなく公園で僕たちを襲ってきた蛇みたいな奴だった。今も透明人間になっているのか、それとも、既にどこかで殺されているか――。

 と、あの男は虚無な目をして言葉を零した。あいつも、自分が殺される側だってことを知っていたのか……?

「明石の自宅住所はわかるか?」

『一応身辺情報は添付してあるが……。おい、変なこと考えるなよ。逮捕とか血生臭いことは警察に任せておけ』

「今その警察に追われているんだ! すまんが、テクネと阿澄さんの足取りを少し誤魔化してやってくれないか?」

『何する気だ!』

「それと、もう一つワガママを聞いてくれ。首堂商會って古書や古物商やってる店について調べて欲しい。……全部終わったら、祝杯あげようぜ」

『おい――!』

 僕は通話を切った。明石の自宅位置について暗記する。そう遠くない距離だ。


鉄穴カンナさん、危険なことはダメですよ。怪我だってしてるんですから」

 阿澄さんが忠告してくる。僕は腰に下げたナックルスコーカーの手触りを確認した。

「気を付けるよ。今度こそヘマはしない。二人はこの後すぐにタクシーに乗り換えて、とにかく急いで庁舎に避難して。司法省の領地であれば警察の踏み込みにも時間がかかるはずだ。狩井さんにも援護を頼む」

 パトカーのサイレンの音が後方から聞こえてきた。緊急事態用の制御システムによって、次々と自動運転車が停止し路肩に寄っていく――。

「先生、ご協力感謝だ。僕一人だったら、ここまで調査するのは無理だった。約束通り、無実を証明してみせる」

「……キミは、またボクから勝手に離れるのか?」

 テクネの瞳が、道に迷って泣きそうな子供のように潤んで揺れていた。

 ――大丈夫だ、迎えに行く。僕は手印を結んだ。

「また会おう。……ノウマクサンマンダバザラダンカン」

 ――ガクン! と激突したように車体が大きく揺れた。

 それなりの速度を出していた車が緊急停止したのだ。

 車内はエラーメッセージとアラート音が鳴り響き、乗員保護用のエアバッグが殴るように膨らんだ。

 僕はすぐにドアを開けて降車する。

 スリップ音が連なり、後続の車両も急ブレーキを繰り返していた。

 路上は大混雑となり、パトカーもかなり離れた場所で足止めを喰らったようだ。

 トラックを確認すれば、阿澄さんもテクネも動き出していた。


 無事を祈って、僕は一目散に走り出す――。

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