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 少しだけ回想する――。


 僕の母と灰瀬ハイセ博士が従姉弟イトコということもあり、僕たちはハトコという関係だった。両親同士は冠婚葬祭で何度か会ったことがあるらしいが、開発途上の淡海府に二つの家族が同じ時期に近所に引っ越してきたことで交流が始まった。

 灰瀬博士はハヤマ社の新しい研究所の整備と一般向けファイアフライヤーのリリース作業が大詰めで多忙を極めていた。

 当時三歳くらいの養女テクネの面倒を男一人で見るには不可能であり、専業主婦であったウチの母親と家にこもりがちだった中学生の僕が主に世話をすることになった。娘も欲しかった母はテクネを溺愛し、パウリ体質のせいで周囲から嫌われていた僕にとって無垢な彼女は天使だった。父も、休みの日には僕たちを兄妹のようにセットで扱い遊びに出掛けた。幸せな日々だったと思う。


 ――しかし、僕の中には葛藤もあった。年頃の男子が未就学児と遊んでいることについて。

 テクネが博士からオモチャ代わりに与えられていたファイフラで大人顔負けのハログラムを簡単に出力していた、その才能に嫉妬。

 人知を軽く超えた驚異的な学習能力が彼女最大の特長である。

 あり得ないことは起こり得ない、現実に存在する超常的天才、生きている伝説。たぶん出生の瞬間に天上天下唯我独尊とつぶやいたのだろう。ブッダ、キリスト、灰瀬テクネ。

 最初は僕が小学校の勉強について教えていたはずなのに、その数か月後には高校の学習内容について教わっていたくらいだ。おかげで関西難関の京洛大学に合格できたのには感謝してるが、僕の努力より彼女の教育指導による恩恵が大きい。

 可愛くて守りたいと思うと同時に、この黒い感情のせいで後ろめたさを感じ、どこか距離を置き始めた。


 大学に進学すると本当に多種多様な人間がいて、自分の個性などちっぽけだと思えた。初めて同年代と仲良く付き合える時間は、遅れてきた青春を取り戻すように夢中になった。家に連絡は入れていたが、課題とサークルとバイトに明け暮れて実家への足は遠のいていた。テクネのことを忘れるように、僕は大学生活にのめり込んでいった。

 テクネは小学生になったが学校には通わず家で過ごしていたらしい。身の回りの生活も一人でこなせるようになると、家事と仕事両方で博士のサポートに徹するようになったという。鉄穴カンナ家にも出入りしないことが多くなり、母も気を遣って自分から連絡は入れずそっと見守ることにしたそうだ。


 そして僕が二十歳でテクネが十歳のときに事件が起きる。

 実家周辺の区画一体が炎に包まれたのだ。灰瀬家のあったマンションを中心に起こった突発的な大火災、急速すぎる火の広がり方からガス漏れなどが警戒された。消防隊が最大規模で消火活動するも業火が収まることはなかった。


 ――


 二時間後、全てのうねる焔が一瞬で消えた。怪我人も死傷者も出すことなくこの件は終わるかと思えた。

 しかし、灰瀬家の部屋だけが炎上していたのだ。

 博士は全身火傷により死亡、テクネは気を失っていた場所が偶然燃えず、救急治療によって一命を取り留めた。隣人は避難済みで被害拡大には至らなかったらしい。

 原因不明。本物リアルの炎についても、幻覚ハルシネーションの炎についても。

 当時、いや今でも単独でこのような街一つという広範囲に出力できるファイフラは存在しない。

 何が起きたのか、テクネは意識を取り戻しても誰とも喋ろうとしなかった。明るかった少女は全てを拒絶して心を閉ざした。


 事故か、それとも殺人か、心中しようとしたのか。警察やマスコミは様々な推測を立てた。

 現場付近では住民に大混乱を起こし、精神的ショックを負う者もいた。誰しもが責任の所在を求めていた空気に、テクネは焚きつけられてしまった。

 刑事事件として起訴されるが証拠不十分で判決は執行猶予つき、彼女には保護観察官がつくことで人々の不満は一旦鎮火された。


 回復したテクネはその後も学校には行かず、ハヤマ社の独立した研究所で個人的な研究を進めているらしい。成果は聞いた通りだ。

 テクネには天才的な、そして天災的なハログラマーとして【魔女】の称号が渾名あだなされている――。

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