啼く

長山春也

啼く

 親友が自殺した。マンションから飛び降りたらしい。薄暗い部屋の中で、母親に泣きながらそう告げられた。だというのに、私は泣かなかった。多分、心が死んでしまっているのだと思う。目の前で泣いていた母親に対しても何も思わないのだから。

 母親は何も言わない私に呆れたのか、部屋を出ていった。ドアが閉まってから、肩を布団に押し込み、枕元に置いてあるスマホを手に取った。自動で画面が点灯して、目に光が射し、ズキンという不快な痛みが奔る。少し悶えたあとにLINEを開いて、トーク一覧の最も上の、500という数字が表示されているトーク画面を開いた。最初のメッセージは一年前に送られてきていた。そして、ここに私の言葉はひとつもなく、相手の言葉だけが並んでいた。

 ふとお風呂に入りたくなった。最後に入った日がいつか覚えていない。頭がとてもかゆい。スマホを枕の横に置いてから、起き上がり、枕もとを見ると髪の毛とふけが散乱していた。私はベッドから降りて、ざくざくと音を鳴らしながら部屋を出て、風呂場に向かった。湯舟には浸からず、シャワーだけで済ませた。髪は三回目で泡がたった。

 浴室から出た私は、全身が濡れたまま洗面台の前に立った。鏡に映る人間は、気持ち悪いくらいに痩せていて、幽霊じゃないかと思うほど真っ白な肌だった。髪も大分伸びていて、胸の下にまで差し掛かろうとしていた。

 ふと、ふと、歯を磨きたくなった。前に使っていた歯ブラシはとっくに使い物にならなくなっていたので、新しい歯ブラシを使った。歯のざらざらな部分を舌で確認しながら少しずつ磨いていった。

 歯を磨き終え、部屋に戻ってきた。着替えを持っていくのを忘れて裸のまま廊下を歩いてきた。母親しかいない家だから何も気にする必要がなかった。外出のために必要な最低限の服を着た。スマホをズボンのポケットに入れて、玄関に向かった。途中で母親の寝室を覗いて、起きていないことを確認した。真っ暗な玄関に立つ。私は今から外に出る。1年ぶりに。全く違う世界になっていたらどうしようかと不安になる。でも、靴紐を結んでいる。考えていることとは真逆に体が動く。なぜなのだろう?


 夜中の住宅街は静かだった。たまに猫が車の下に座っていて、光る眼がこちらを向いていた。下り坂に差し掛かると、遥か遠くの方に真っ黒なビル群が見えた。それらには赤い光の装飾が施されていて、規則正しく明滅していた。

 夜風が頬を撫でる。三月の夜は想像以上に寒かった。エアコンが快適な温度に調整してくれる部屋に引きこもっていたからか、尚更寒く感じた。寒さを紛らわすために、満天ではない星空を見上げながら、少し昔のことを考えていた。

 

 小学生のとき、私はいつも一人だった。休み時間になっても誰とも遊ばず、一人で本を読んでいるような人間だった。私は人と関わるのが苦手だった。相手の気持ちが全く分からなかったからだ。娯楽小説に出てくるキャラクターのように、高コントラストな性格の人なんて、この世に一人もいなかった。曖昧でつかみどころのないものを考えるのは至難の業だった。だから私は居心地のいい物語の世界に浸かっていた。そんなふうに思いながら、いつものように休み時間を過ごしていたときに、彼女に初めて声をかけられたんだ。

「なんの本読んでるの?」

 顔を上げると、目の前にいたのは一人の女の子だった。真っ黒な髪と、それよりも深い黒の瞳を持っていて、絶妙な笑顔を保ち続けている。例えるのなら絵文字の「控えめな笑顔」のような顔だった。その表情を見て私は、取り繕ったような表情だな、と思った。以前から彼女のことは知っていた。いろんなことに積極的に取り組んでいて、多くの先生や友達から慕われている。名前が分からなかったので優等生ちゃんと心の中で呼んでいた。そんな優等生ちゃんの質問に私は、

「ラノベ……」

 と消え入りそうな声で答えた。

 恐らく、優等生ちゃんは先生の指示で、私をクラスの輪に入れようとしているのだと思った。そして次は、一緒に外に遊びに行かない?と聞いてくるに違いない。そして、それを私が断れば、ミッション完了と言わんばかりに立ち去っていくだろう。そう予想して次の言葉を待った。すると、優等生ちゃんは前の椅子を引き、背もたれにお腹をつける形で座って、私に目線を合わせてから、口を開いた。

「どんな話なの?」と優等生ちゃんは言った。予想外の質問で驚いた。彼女は私の顔を見つめながら回答を待っていた。あまりに真っすぐと顔を見つめてくるので少し怖いと思った。

「主人公が……タイムリープして、残酷な過去を……塗り替えに行く……っていうお話……」と私が答えると、彼女は顔をぱっと明るくさせて、

「面白そう! 私にも読ませて!」と言った。

 彼女は私を輪に入れるのではなく、私の輪に入ってきた。その後、私が読んでいる本の第一巻を彼女に貸してあげた。休み時間が終わるまで本を熟読していた。

 同日の放課後。偶然にも帰り道が同じ方向だったことを知り、一緒に帰りながら本の話をした。そのときに彼女の胸賞をちらりとみて、「斎藤はるか」という名前だったことを知った。その日から私たちは毎日一緒に帰るようになった。

 いつものように校門をでて、校庭を囲む銀色の格子のフェンスに沿って歩き、最初の横断歩道を渡ったあたりだったと思う。

「はるかは……私以外と帰る人は、その……いないの?」と私は質問した。これは皮肉ではなく、純粋な疑問だった。あれだけ人気者のはるかが、こんなクラスのはみ出し者と帰るなんて私から見てもおかしいと思った。

 そして、手提げをぶらぶらさせていたはるかは前を向いたまま、

「いないよ」と答えた。私はそれを聞いて思った。もしかしたら、はるかは多くの人に慕われてるのではなく、なんでもやってくれる都合のいい人だと思われているのではないかと。私はそれを端から見ていたから、人気者に見えていただけだったんだ。いや、人気者というものはそういうものなのかも知れない。星は眺めているくらいがちょうどいいように、手に入れたいとは思わない。けど、私は星の輝きなんてものには興味がなくて、その地表はどうなっているのかとか、寒いのだろうかとか、そういうつまらないことを考える癖があった。そんなふうに彼女を見ていて違和感を抱いていた。そしてやっと、その違和感の正体が分かった。隣にいるはるかが私の顔を見つめている。はるかいつもこうして私の機嫌を伺っている。私の気を損ねないように慎重に言葉を選んでいる。そんなはるかに私は思わず言ってしまった。

「……私の顔なんてみなくていい……私はあまり顔に出さないタイプだと思うから……多分、意味ない……」

 膨らんだ思いに穴が開いて、どんどん言葉が出てくる。

「はるかの喋りたいことを喋ればいい……つまらなかったら笑わないし、面白かったら笑うから……」

「私も、喋りたいことを喋るし、はるかの話もちゃんと聞くよ」

 これがはるかにとって正しい言葉なのかもわからない。多分、それを分かりたかったから、言葉にしたのだと思う。そして私は、はるかの様子を伺った。はるかは立ち止まって、眉を下げて、下を向いていた。混乱している様子だった。寸刻が経ち、噛み砕くことができたのか、ゆっくり、確実に、口を小さく開いて、

「うん。わかった」と言った。

 そして、再び歩き出して、次の横断歩道を渡る時には笑顔が戻っていた。でもそれは、取り繕った様な笑顔とは違って、とても自然な笑顔だった。私はただ、うれしいと思った。

 

 今になって思う。このとき、はるかの心に脆弱性を持たせてしまったんだ。気づかなくてよかったことに気づかせてしまったんだ。

 そして私も、閉ざしていた世界に穴が空いて、はるかと喋るようになった。私たちはそれぞれの世界を傷つけて繋がった。

 

 時は過ぎて、小学校の卒業式が終わり、私は一人で帰ろうとしていた。そんなときもはるかに声をかけられた。話を聞くと、はるかも親が仕事で一人で帰るという状況だった。そんなことある?と私たちは笑いあった。二人で桜を眺めながら帰った。ひらひらと舞い落ちる花弁を見て、本で読んだ通り春の雪だなと思った。そんなことを考えていると、隣を歩くはるかがこんな言葉を零した。

「親友って私たちみたいな関係のことを言うのかな」

 あまりに唐突だった。そしてそれを聞いて、いつもの私なら恥ずかしくてなにも答えられなかったはずだけど、

「多分、そうだね。私たちは親友だね」

 と恥ずかしげもなく言うことができた。そう言ったあとのはるかの笑顔を今でもはっきりと覚えている。はるかは私の親友。言葉にして初めてそれを実感した。そして中学生になり、環境が変わって、疎遠になっても、親友という縁が私たちを繋ぎ止めてくれる。そう思っていた。

 

 中学生になってもはるかは優等生ぶりを発揮していて、頼まれごとを一切断らずにすべて請け負っていた。だからいつも忙しそうにしていて、会話をすることが滅多になかった。部活も別で一緒に帰る時間もバラバラだった。

 私は吹奏楽部に入っていた。縦社会の縮図みたいなこの部活は、暗黙の了解という地雷原がたくさん広がっていて、それを踏まないために、一歩ずつ慎重に進んでいった。はるかはいつもこんなことをやっているのかと考えると、私は息が詰まりそうになった。それでも、はるかに甘えてばかりではだめだと思い、私なりに一生懸命やった。先輩の機嫌を取りながら、楽器の練習も頑張った。

 でもある日、過酷な練習の日々で疲れていたのか、うっかり地雷を踏んでしまった。その日は休日で、私は自主と見せかけて強制の自主練をするために演奏室を使っていた。まさかその部屋が先輩たちが使う予定だったことも知らずに。誰でもいいから、私にそれを知らせればよかったのに、みんなあえて黙っていたらしい。多分、敵が欲しかったのだろう。こういう人たちは常に誰かといがみ合って生きていかないと気が済まない生き物だから。もちろん、私には一回りも大きい先輩に歯向かう度胸はなかった。次の部活動の日から、先輩たちが私を睨みつけてくるようになった。それだけではなく、合奏でミスをすると、顧問に聞こえないように舌打ちをしてきた。準備室に置いていたメモ帳には罵詈雑言が書かれていた。同級生は私と同じ目にあうことを恐れて目を逸らす。だけど、地雷を踏んだのは私だったから、誰のせいにもすることも出来なかった。あのときに開いた心の穴から、悪意が流れ込んできた。そしてあっという間に私の心を壊していった。

 顧問に退部を申し出た。もう耐えられそうになかったから。でも、退部は許可されなかった。顧問はどうしても和解させたかったそうだ。無理に決まっているのに。そして私はいつまでも部活がやめられず、教室にも行けなくなり、不登校になって、部屋に閉じこもった。はるかには何も相談しなかった。忙しそうにしていたから、余計な心配をかけたくなかった。いや、それは嘘だ。私は全てを諦めたんだ。もう頑張りたくなかったんだ。それからは、自ら殻の中に閉じこもって、虚無な日々を送った。

 

 

 

 十分ほど歩いて、とあるマンションにたどり着いた。マンションの外壁には鉄の階段が取り付けられていた。階段は柵に覆われていて、一部がパネルになっている。そのパネルには穴が空いていて、黄色いテープが張られていた。そして、私は屋上に上がるためにテープをかき分けて中に入ろうとした。


「——何してるの……?」

 後ろから声がした。振り返ってみると一人の女性が立っていた。その女性とてもやつれていて、目の周りがクマだらけだった。でも、それが誰なのかはすぐに分かった。

「はるかの……お母さん……」

 はるかと同じ真っ黒な瞳がクマと重なり、さらに真っ黒になってた。その瞳で私を貫くように見ている。

「あんたのお母さんから連絡があったんだよ。娘が家にいなくて、もしかしたらここにきてるかもって」

 その視線が怖くて私は目を逸らすが、音は逸らすことができなかった。

「ここに何しにきたの……?」

「もしかして、はるかの後を追おうとしてたの……?」

 心臓がぎゅっとなる。人を殺す直前に、誰かに見つかったときの気分はこんな感じなのだろうと思った。私は動揺して何も答えられない。口が動かない。だからゆっくりと首を縦に振った。するとはるかのお母さんは手を強く握って、

「いまさら……友達面しないでよ……」

 嗄れた声で唸るように言った。

「あんたをなんとか連れ出そうと頑張っていたのに、あんたは何も答えなかった」

「あんたのために傷ついていたのに、あんたは何もしなかった」

「世界で自分だけが辛い思いをしてるとでも思ってた……?」

 何も言い返すことはできない。その通りだと思う。

「あんたと出会ってなければよかったんだ……」

 そうだ。私と出会わなければよかった。私が余計なことを言ってしまった。にもかかわらず私はその責任から逃げた。はるかはそれでも手を差し伸べてくれていた。私はそれを煩わしいと思って振り払った。はるかは二人でハッピーエンドに向かおうとしていたのに。

「はるかを……返してよ……」

 はるかのお母さんは泣き崩れた。そのときにやっとわかった。自分が何をしてしまったのか。彼女に言われて実感することができた。死んでいたはずの心が、どこかに彷徨っていた私という霊が、私の体に戻ってきたような気がした。だから、

「ごめん……なさい……」

 消え入るような声でそう言って、破られた穴に飛び込んだ。

 階段を駆け上がる。ずっと立ち止まり続けて、動かそうとしなかった足で駆け上がる。足が痛い。肺が痛い。頭が痛い。あらゆる苦痛が逃げてきた体に叩きつけられる。吐息に熱が籠る。横に見える暗く澱んだ街が、だんだんと明るくなってきていた。私は無我夢中で階段を上り、何とか屋上にたどり着いた。

 緑のフェンスに囲まれている場所だった。私は息が切れ切れで、今すぐにでも倒れたかったが、立ち止まらずにフェンスに手をかけた。頂上についてる有刺鉄線も迷わず掴んだ。もう何からも逃げたくなかった。激痛が奔る。鮮血が腕を伝う。視界がぼやける。それでも歯を食いしばり、有刺鉄線をさらに引いて登ろうとしたが、

――ブチンッ

 有刺鉄線が音を立ててきれた。私はなんとか慣性に抗いフェンスに留まり続けた。ここのフェンスは腐食が進んでいた。多分、もうすぐで交換される予定だったのだろう。その前に来れてよかった。切れなければ越えられそうになかったから。そして、切れた有刺鉄線の間を抜けて、フェンスの頂上に座った。

 眼前に見える空が藍と青の美しいグラデーションを見せてきた。こんなときでもこの風景が美しいと感じた。そして下を見る。もちろん、そこには地獄が広がってるわけではなく、駐車場があるだけだった。深呼吸をして目を瞑った。


「——!!」

 はるかのお母さんの声が聞こえた。なぜ娘を殺した人間を追いかけてきたんだ。はやく飛び降りなければと焦るが一向に地面は近づかない。なぜ? そんな問いが頭に浮かんだ。風呂に入れた。歯も磨けた。外にも出れた。力いっぱい体を動かせた。この数年の中で一番頑張れた。そしてあと一回頑張ればいいだけなのに、体が動かない。

「本当に……私は……なにも……」

 私は啼いた。曖昧な空に向かって啼き叫んだ。血がたくさん流れたからだろうか、意識が朦朧としてきた。

「待って!!」

 後ろの声がさらに大きくなってきていた。それがやたらと頭に響く。そのとき、下の方で何かが折れる音がした。フェンスと一緒に身体がゆっくり傾いて。街の風景が空に変わる。反射的にどこかに掴もうとした。死にたくない。そう思った。はるかはどうだった。はるかもそう思ったんじゃないのか。そのときに私が居れば、手を掴めたんじゃないのか。悔しい。胸の中はそんな気持ちでいっぱいだった。

「本当に……ごめん……」

 喉は使わず、口だけで言葉を放つ。私は、もっと人の気持ちを考えられるように努力するべきだった。親友というものに甘えていた。そんな後悔に駆られながら、目の前が暗くなっていった








 白い天井を見上げていた。ぼんやりとした視界の端に誰かがいて、何かを言っている。

「——!!」

 お母さんの声だった。

「先生……!!」

 お母さんの後ろから白い服の人が出てきた。

「――さん! 声は聞こえますか!?」

 私は小さく首肯した。

「大丈夫です。目も見えています……!」

 白い服の人がお母さんに向かって言った。

「よかった……脳に異常はないようだ……!」

 白い服の人が後ろに下がり、お母さんが私の手を握った。何かを言っているが、上手く聞き取れない。水の中で音を聞いているようだった。でもそれがなんだか心地よかった。水の中で揺蕩んでいるようで。その気持ちよさの中、再び黒い帳が降りてきて、私は眠った。

 再び目が覚めた。違う天井になっていた。そして以前よりはっきりと意識があって音も聞き取れる。よくわからない機械の音が鳴っている。横には看護師さんが居た。私が目覚めたことに気づいた看護師さんはすぐに主治医の先生を呼んできた。脳に異常がないかチェックしてもらってから、いろいろ話を聞かせてもらった。

 あの日、私は駐車場ではなく、屋上側に頭から落ちて重傷を負ったそうだ。そして頭だけではなく、首と肩と腰の骨も骨折してるらしい。落ちたときに救急車を呼んでくれたのは、はるかのお母さんだったそうで、私は速やかに処置を受けることができた。もう少し遅ければ助かっていなかったらしい。奇跡だと言われた。はるかのお母さんにはあとでお礼を言わなければと思った。先生の話が終わって、入れ替わるようにお母さんが入ってきた。お母さんは私の手を握りながら泣いていた。そのとき、胸がチクリと痛んだ。申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。

 その後4ヶ月ほど私は入院した。リハビリがとても辛かった。そして初夏の日に、私は退院した。大嫌いだった日差しが心地よく感じた。

 車の中で流れる風景をぼーっと見つめていると、お母さんにどこかに寄りたいところは無いかと聞いてきた。だから私は、はるかの家に行きたいと答えた。

 マンションに到着して、まずは屋上を見上げた。フェンスが新しくなっていて、もう超えることが出来なさそうだった。エレベーターのボタンを押す。7階まで階段で上がるのはまだきつかったので助かった。そして、ドアの前まで来てインターホンを鳴らすと、すぐにはるかのお母さんは出てきた。くまが少しへって健康的な顔つきになっていた。そして――

「本当にごめんなさい……!!」

 と開口一番にそう言われた。

「誰よりも近くにいたのは私だったはずなのに……全てあなたのせいにしてしまって……」

 涙を溢しながらそう言われた。

「いえ。現に私のせいでしたから。大丈夫です」

 人と関わるということは、誰かの人生を変えてしまうということ。そして、自分の人生も変わってしまうことだと痛感した。彼女の言葉に甘えることもできたかもしれない。でも、人と関わって生きていきたいのなら、この罪は一生背負っていかなければいけないと思った。

「こちらこそ、本当にすみませんでした」

 頭を深く下げた。けどすぐに頭を上げさせられた。そしてそのあといろいろ話をして、最後に葬儀に参加してほしいと頼まれた。あなたが出なければ私も出ないと言われて承諾せざるを得なかった。そして三日後に葬儀は執り行われた。はるかのお母さんはずっと泣いていた。その間、私ははるかの遺影を無心で見つめていた。人が多かった。

 葬儀の数日後、私はバイトの面接を受けに行った。私の家は母子家庭で、決して裕福ではなかった。にもかかわらず多額の治療費を払ったせいで経済難に陥っていた。私は贖罪を果たすためにすぐにバイトに応募した。とても怖くて、やりたくないと思っていたのに、また体が勝手に動いて応募できた。本当に不思議だった。

 初めての面接は緊張してうまく話せなかった。こんなんじゃ絶対受からないだろうと思っていた。が、受かった。スーパーのバイトだった。最初は体力が全くなくて仕事が全然できなかったけど、職場の人たちがみんないい人だったので続けることができた。数カ月が経つと体力がつき、仕事にも慣れてきて、充実した日々を過ごすことができるようになった。

 

 秋が来て、冬が来て、春が来て、そして夏がやってきた。私はとある場所にやってきた。街を少し外れたところにある丘だ。ここは以前にも来たことがある。上まで登るのが大変だったが、海と街が混ざるこの景色を見たら疲れも吹っ飛んだ。その後、私は水道に向かい、桶に水を入れて、目的の場所に向かった。

「きたよ」

 そこははるかのお墓だった。バイトに慣れるまでお墓参りに行く余裕がなくて、一年経ってからやっと来ることができた。私はまず墓碑に水をかけて、萎れた花を取り換えた。少し外に耳を傾けると、蝉が啼いていた。自分で殻を破って、この世に生まれて、今ここに自分が生きていることを証明するために啼いていた。でも、多分それは私の勝手な想像で、蝉はただ本能のままに啼いているだけだ。そんなことを考えながら、線香の先に火を当てようとしたが、いつまでも火がつかない。手が震えているからだ。視界もぼやけてきて、余計に火をつけることができない。胸の奥から何かが溢れようとしてくる。私はそれを必死に抑えながらなんとか火をつけた。そして、落としそうだったので急いで線香を置いた。でも、置いてしまったのがよくなかったのかもしれない。それで、安心してしまったから――

「あああああああああああああああああ…………!!」

 啼いた。私は啼いた。大声で啼いた。街の方まで聞こえるんじゃないかってくらいに。いつのまにか忘れてしまっていた、はるかとの記憶が、涙となって溢れてきた。いろんな水で顔がぐちゃぐちゃになって、それでも啼き続けた。蝉たちの様に、いつまでも、いつまでも。

 やがて啼き止んで、ハンカチで顔を拭いた。周りに誰もいなくてよかったと思った。そして、私は息を整えて墓碑に向かって語り掛け始めた。

「今日は……言いたいことが……あってさ……」

 今日ははるかに伝えたいことがあった。それは最近気づいたことだった。

 あの時の私は、なぜ生きなきゃいけないのか?そんなことを考えながら殻に閉じこもっていてた。そしてその殻は親友の自殺という最悪の出来事によって破られた。そして殻から出た私は、悲劇に流されて死へと向かった。屋上から落ちて、大怪我を負った。それから、全ての日常が変わった。それはとても、とても忙しない日々だった。でもそんな日々を過ごしていると、空っぽだった心に、沢山の苦痛と、それと同じくらいの幸せが流れ込んできた。それは心を、頭を満たして、そして、いつの間にか、なぜ生きていかなければいけないのか?という問いは綺麗さっぱり消えていた。

 そう、あれらはたしかに最悪の出来事だ。だからこれを言うのは不謹慎で、人でなしかもしれない。でも、あのとき、二人で桜を見上げながらはるかが言ってくれた言葉のように、私も、あの最悪を体験して気づいたことに素直に向き合わなければいけないと思った。

 だから私は息を吸って、静かに、ゆっくりと口を開いた。


「はる……か……」

 

 はるか。


「私を……啼かせてくれて……ありがとう……」

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啼く 長山春也 @NaaaaHaruya

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