青い鳥は僕らを救う

原ねずみ

1. 人間の国

1-1

 人間はしばしば自分がやった悪い行いを忘れてしまうものだ。その反対に善い行いは覚えている。さてここに一人の少年がいる。彼は悪い行いはさておき、善い行いのほうをすっかり忘れていた。 


 少年は名前をしゅうといった。13歳で、ようという姓の裕福な商人の息子であった。外見は平凡ではあるが、穏やかな性格の少年で、いささかのんきなところもあった。その日も、秀はやはりのんきに気持ちのよい午後の日を楽しんでいた。


 季節は初夏だった。新しい緑の葉が美しい季節。秀は自室にいて、窓辺に座り、膝の上の本をなんとなくめくっていた。


 どちらかというと内気な少年だったので、本の世界が好きだった。秀はすでに読み終わったその本の世界を反芻し、そして現実にある、たくさんの世界のことを、たくさんの国々のことを思った。秀の父親は大きな船を持っており、その船が外国へ行って様々な物を売り、様々な珍しい物を買ってくるのだ。


 よその国に行けたらなあと秀は思った。秀の父親はあくまで船の持ち主であって、自身が売買に行くわけではない。けれどもその息子が出かけるのは別に悪くないだろう。 


 もしも自分がよその国に行ったら――たくさんの珍しい物が見られるし、おいしい物も食べられるし、愉快な人たちもいるだろう。でもどうかなあ、自分は内気でやや人見知りなので、そういった人たちと仲良くやれるかしら……。


 などとぼんやりと考えていると、窓の桟に一羽の小鳥が止まった。青い鳥で、尾羽に一部、橙色が見えた。秀のほんのすぐそばにいて、人間を全く恐れていないようであった。


 珍しいなと、秀は鳥を見つめた。何の鳥なんだろう。見たことのない種類だけど……。窓は開いており、鳥はちょんちょんと軽く跳んで室内に入ってきた。そして、黒くて丸い愛らしい瞳で、秀を見つめた。


「こんにちは」


 鳥は秀を見つめて、言った。はっきりと、人間の言葉でそう言ったのだ。




――――




 秀は少しの間、黙って鳥を見つめた。そして考えた。ははあ、これは人間の言葉をしゃべる鳥らしいぞ。そういう鳥は知っている。南のほうの国にいるんだ。オウムとかインコとかいう鳥で、人間の言葉をたくみに真似る。この鳥もきっとそういった種類のやつに違いない……。


 お父さんの船の積み荷に紛れていたのかしら。それとも売るために連れてきたものが逃げ出したのかもね……秀はそう思って、やはり黙ったまま鳥を見つめた。


 飼うための鳥なら、人に慣れているのもよくわかる。ううん、すでに誰かに飼われている鳥なのかも。どこかから逃げ出してきたのかな、飼い主は探しているかも……。


 この鳥を捕まえて、飼い主に返したほうがいいのでは? 秀はそう思うと、ぱっと椅子から立って、鳥のほうに手を伸ばした。


「何をするんだよ!」


 鳥が不機嫌そうに言い、飛び立った。そして床に降り立つと――たいへん不思議な事が起きたのだ。


 鳥の足が地面についたと思うやいなや、するすると鳥の姿が変わった。その姿が大きくなり、形を変え、そして――人間の姿になったのだ!


 秀は呆気にとられて、鳥を――鳥だったものを――見つめた。




――――




 人間となった鳥は、それは、少年の姿をしていた。歳の頃は秀と同じくらい。背の高さも同じくらい。肉のつきかたも同じくらい。けれども顔はそれほど似てなかった。


 少年はつんとした鼻と大きな目の持ち主でかわいらしい顔立ちだといえた。けれども同時にどこか横柄そうでもあった。青い服を着て、橙色の帯を締めており、これは鳥だったときと同じだなあと秀は思った。


 二人は黙ったまま向かい合って立っていた。秀は、声も出ないくらい驚いていたのだ。鳥は、鳥だった少年は、秀が急に捕まえようとしたせいか、やや不機嫌そうだったが、しばらくすると、態度を変え、丁寧な声で言った。


「俺は恩返しに来たんだよ」


 何を言ってるんだろう、と秀はますます混乱した。言葉はわかる、けれども意味がわからない。秀が何も返事をしないので、少年は、じっと秀を見つめて言った。


「俺のこと覚えてないの?」

「ええと……」


 どこかで会ったっけ? と秀は記憶を探った。でもわからない。この少年に見覚えはない、気がする。


「……ええと、申し訳ないけど……」


 秀はおずおずと言った。少年はさもありなん、というふうに頷いた。


「この姿で会うのは初めてだからね、そりゃ知らないだろうさ。でも鳥の姿では前に会ってるんだから。ね、さっきまでいた青い鳥、あれは覚えているだろう?」

「青い鳥……」


 秀はさらに記憶を探った。青い鳥……見たことない種類だと思ったけれど、どこかで見たことがあるのかも? そういえば、何か思い出すものが……。


「ひどい!」秀の姿を見て少年は憤慨した。「俺はずっと覚えていたのに、そっちはもうすっかり忘れてしまったのかよ! 俺はあれからずっと、何か恩を返せないものかと思っていたのに――」


 恩を返す? 秀は考えた。ということは、自分は何か青い鳥に良いことをしたのだろうか。そのとき、はたと頭に思い浮かぶことがあった。あれは何年か前のことだった。自分がもう少し幼かったときのことだ。青い鳥を拾ったんだ。

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