第19話 試験前夜の騒動

 王立オーベリア冒険者学園のキャンパスは、王都オーベリアから少し外れたの山沿いの草原にある。


 魔導列車を降りてオーベリア駅に降り立った俺と師匠は、明日の試験に備えて座学の復習をするべく、貴族街の大通り沿いにあるサリュ家の別宅に陣取って勉強をしていた。


 この3か月、俺は師匠との戦闘訓練と並行して、試験勉強を行ってきていた。


 試験科目はこの世界の地理や歴史、簡単な算術と国語、サバイバル術と戦闘試験だ。


 サバイバル術と戦闘試験はここ最近の冒険者生活を耐えてきたのなら問題ないとロセット師匠は言っていた。


 算術については現代知識で問題なく、国語は、転生時に脳に刻み込まれていた記憶を受け継いだためか問題なく言語理解はできたので、特に支障はなさそうである。


 課題となったのは地理と歴史だった。俺にはデウスのゲーム知識があるとはいえ、この世界に生きる者としての地理歴史はもう少し広く深い知識が要求される。


「10年前の南ガノール戦役においてオーベル側陣営の総大将を務めたSランク冒険者の名前は?」


「ヴォルドア・ゼーレ」


「その時に彼が採った作戦のコードネームは?」


「ブリッツ」


「いいでしょう。座学はこのくらいにしておきますか」


「押忍」


 最後の復習を終えた俺は、客間のベッドの上にバタンと倒れ伏す。


 サリュ家は腐っても侯爵家なので、泊まる事になっている別宅もまたとても豪華なお屋敷になっている。

 庭には木々や花々が植えられ、噴水なども用意されているし、屋敷本体は3階建ての豪華な意匠の建築物だ。

 部屋の中も広く、今居室にしている客間はベッドが二つあり、師匠などはもう一つのベッドの縁に座りながら、歴史の問題を出していたのだが――


「パパ……そっち行ってもいいですか?」


 師匠が「パパ」呼びを始めたら、そこから先は訓練などを終えた後のプライベートな時間だと、二人の暗黙の了解で定まっていた。


「いいよ、ロセ」


 俺も慣れた物で、ベッドの上を這うようにして寄ってきた師匠の方を向くと、足を伸ばして膝に甘えられるように受け入れ態勢をつくる。


「えへ……えへへ」


 師匠は普段では考えられない甘い声を出しながら、俺のふとももの上に顔を載せて、ぐりぐりと頬を押し付けるようにして甘えてくる。


 ロセット・ジェリはなんだかんだでとんでもない美少女であり、そんな美少女に甘えられ続けた俺もまた、この数ヶ月でこの少女にすっかり愛着を感じるようになっていた。


 師匠はこの数ヶ月の間、結局〈円環の理〉の〈火の秘密を唄う使徒〉である事をまったく表面に出さなかった。


 普通のA級冒険者としての仕事をこなしながら、俺の面倒も見ている師匠が、一体いつ〈円環の理〉の使徒としての活動をしているのかは謎だったが、訓練をしてない夕方から夜にかけて、師匠の姿がふらっと消える事はたびたびあったので、そうした時間帯に、おそらくはなにかをしていたのだろう。〈円環の理〉の活動目的は原作でも謎が多かったので、何をしていたかまでは分からないが。


「パパ……パパぁ……」


「ふふ、ロセは可愛いね」


「むふぅ……嬉しい」


 俺と師匠がそんな二人だけの時間を楽しんでいた、その時だった。


「リーチェもお兄ちゃんにあまえたいな!」


 それはあまりにも突然のことだった――

 そんな声と共に、俺たちが二人乗っている大きなベッドの上に、頬杖をついてニコニコとこちらを眺める聖女リーチェ・ストライトが現れていた。


 ガバリと師匠が起き上がり、すぐさまベッドの上から飛び退いてベッドサイドに置かれた師匠の剣を手にして構える。


 無駄のない美しい動き。だがそれにもリーチェは動じず、頬杖をついたままだ。


「ロセちゃんもそんな怖い顔してないで、一緒にお兄ちゃんに甘えようよ? ハーレムってやつ?」


「……リーチェ。今日という今日は許しません。わたしとパパだけの神聖な時間を邪魔した罪、贖ってもらいます」


 師匠は淡々とした口調に怒りという名の激情を込めて、聖女リーチェに向かってあろうことか剣先から巨大な緑炎を飛ばそうとしている。


「わー! ウォーター! ウォーター! ウォーター!」


 慌てて全力でウォーターを打って火の勢いを弱めにかかる。火事になっては王都の住まいがなくなってしまう。


 だが、火の勢いを弱めるには全然込めた魔力量が足りなかった。師匠、本気でリーチェを殺そうとしてるなこれ……


 巨大な緑炎が、ベッドごと巻き込んでリーチェに命中しようとしたその時――


「バニッシュ」


 リーチェがニコニコ笑ったまま魔法を唱えると、突如として緑炎が虚空に吸い込まれて、そのまま消えてしまう。


 師匠の怒りの一撃をあっさりと消してしまえるこの聖女、やはり只者ではない。


「ちょっとおいたが過ぎるなぁ、ロセちゃん。リーチェが可愛く罰をあげましょう」


 そういうと、リーチェはもう一回指を鳴らす。


「ライトバインド」


 突然師匠の身体を這うように現れた光の鞭が、師匠の身体を拘束し、素早く逃れようとした師匠だったが、次々と身体のある位置に現れる光の鞭になすすべなく飲み込まれ、空中で両手両足を広げた体勢で吊るされて、一歩も動けなくなる。


「わ、なんかエッチな感じになっちゃったね!」


「……殺す……絶対殺します……」


 顔を赤らめながらも殺意に満ちた表情でリーチェを睨む師匠。


 どうやら同じ使徒の中でも戦闘力ではリーチェに軍配が上がるようである。


 それもそのはず、リーチェ・ストライトは、〈円環の唄〉の中でも〈天使〉と呼ばれる特別な役割を冠した戦闘要員であり、その意味も込めて〈天の秘密を唄う者〉という「天」の文字を冠した特別な名称が用いられている。


「あはは! それよりロセちゃん、盟主からの指示だけど――〈セインベル〉について特別指示書が届いてるから読んでね! 任務は1か月後だから!」


「リーチェ、あ、あなたという人は! サルヴァが聞いてる所で! 馬鹿なんですか!」


「ふふふ、さてね~。さてさて、ロセちゃんが動けない間に、サルヴァお兄ちゃんに甘えとこうかなぁ~」


 聖女リーチェ・ストライトは、くるりとこちらを振り向くと、猫のような動きでこちらに素早く迫り、ぎゅーっと抱き着いてくる。


「うーん、似てないはずなのに不思議と落ち着くなー! なんでだろ?」


 リーチェは小柄で可憐な外見に似合わないスタイルの良さをあますところなく俺のお腹に感じさせながら、ぐりぐりとその顔を俺の胸に押し付けてくる。銀色の髪が乱れて少女らしい桃のような香りが漂い、なんだかいけない気持ちになってきて――


「えへへー、ちゅーしていいかな、お兄ちゃん? いいよね?」


 頭がぼうっとしているうちに、リーチェの可憐で小さな顔が迫ってきて――


「ちゅー」


 俺はリーチェにまたもや唇を奪われていた。

 柔らかい唇の感触と、何かお菓子でも食べていたのかほのかに甘い味がして、脳みそがとろとろに溶けていくような幸福感を味わい――


「うわあ! うわああああ! パパが! パパがダメ天使にキスされてる! うわあああああああ……! 殺す殺す殺す殺す殺す……」


 拘束されたままの師匠は混乱のせいか「天使」なんていう秘密結社内部のワードを普通に使ってしまっており、色々な意味で焦る俺だったが、当のリーチェは、


「うーん、幸せ! それじゃあわたしはそろそろ行こうかな! ばいばい、サルヴァ、ロセちゃん!」


 とマイペースに幸せそうな笑みを浮かべてから、ふっとその場から消えていなくなってしまう。おそらくは空属性魔法。希少属性を惜しげもなく使って、〈天の秘密を唄う使徒〉は優雅に退場した。


 後に残された俺とロセット師匠が、その後地獄の空気の中過ごした事は言うまでもない。

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