第10話 ロセット・ブートキャンプ

 ゲームの中でしか見た事が無かったロセット・ジェリとの衝撃の出会いから1時間ほどが経ち――


 俺は今、彼女が考案した修行メニューなるものをこなす事になっている。


 そのメニューというのが――


「はぁ……ひぃ……ひぃ……ひぃ……!」


 初手、地獄の走り込み、であった。


 魔法の使用は一切禁止、己の肉体のみで10キロメートル以上を走らされるこの地獄を前に、俺、サルヴァ・サリュのサボり続けた肉体は、あっという間に限界を迎えた。


「うーぇ……げぼ……げぼげぼ……」


 冗談抜きで地面に吐しゃ物を散らしながら倒れ込んでしまったのだが、そこでこの少女が言い放った一言がこれだった。


「何を倒れているんですか? 燃やしますよ?」


 そのまま俺の足元を炙るように現れた緑色の炎こそ、彼女の二つ名にもなっている〈緑炎〉である。それをこんな風に弟子の教育のために濫用する少女が外道である事は、もう火を見るより明らかであると言っていいだろう。


「あづ……! あぢあぢあぢあぢあぢあぢあぢ……!」


 熱さ、という原始的な暴力になすすべもなく本能的に逃げ出した俺の身体は、限界を超えて駆動を開始する。


「はぁ……はぁ……ひぃ……はぁ……ひぃ」


 驚くべき事にこの師匠、俺と同じ距離を走りながら、全く息を切らせる事なく、暇なのか本を読みながら走っている。完全に化け物であり、これがA級冒険者か、と格の違いを見せつけられてしまった。


 肉体を鍛える必要があるのは十二分に理解しているが、それがこれほどに命がけで限界を何重にも超えている必要は果たしてあるのだろうか?


 そんな疑問を感じる暇もなく、俺はひたすら〈緑炎〉の暴力から逃れるべく、目標の距離に至るまでを走り続けたのであった。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」


 走り終えた俺は、水に辿り着くとそれを一息に飲み干し、すぐさま地面に倒れ伏した。


 俺の前世はただのひきこもり高校生であり、これほどに全力で努力したのは一体いつぶりだろうかというレベルである。


「貴族のぼんぼんにしては上等です。初日で燃やしてしまう事になるかと思いましたが、この分なら1週間は持ちそうですね」


 その言葉に、倒れていたら本当に燃やし尽くすつもりだったのかと戦慄する。


「そ、そんな簡単に……燃やしていいわけ……」


「わたし、A級冒険者なので、自己判断で人を殺す許可くらい持ってます。よしんばあなたの父上が激怒したとしても、せいぜい領内に立ち入る権利を領主判断で制限されるくらいなので、大して困りません。まあ訓練中の事故ですし、そもそも余裕ですが」


 残念ながら、彼女の言葉は事実である。


 この世界において、A級冒険者というのは超一級の存在であり、世界の治安維持のためにありとあらゆる方法で努力を義務付けられている代わりに、あらゆる手段を許可されている、特別中の特別である。


 だからこそ、そんな存在に至っている者が普通に幹部にいる〈円環の唄〉がやばすぎるわけなのだが、まあそれを知っていることを悟られると、間違いなく目の前の少女に瞬殺されるので、結社関連の事は一切口に出来ない。


 絶対に与えてはいけない人物に絶対に与えてはいけない権利を与えている冒険者ギルドに怒りを覚えるが、今は目の前の少女が法律、従うしかない。


「次は剣の素振りを100回してください」


 100回、という言葉に、それくらいならできるかも、と希望を持ったのは一瞬だった。


「――ただし、少しでも動きが温ければ最初からやり直しです」


 こ、殺される……死んでしまう……


 現代日本の奇特なデウスファンたちにとっては、あの絶世の美少女ロセット・ジェリに現実に会えて訓練してもらえるなんてご褒美かもしれないが、この狂ったスパルタ教育を受けて喜ぶのは真性のドMだけであると俺は主張したい。


 結局俺は、100回目の素振りを何十回ものやり直しの末に成し遂げた瞬間、死んだように気絶してしまったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る