第39話 誤解と告白

 買い物を終えて古城に戻った私達は、いつものようにそれぞれの時間を過ごした。


 私は掃除や料理をして、ファルスはモルテさん宛に届いた手紙の整理などをしている。


 夜になるとモルテさんが古城に帰って来た。それと入れ違いでファルスは「街の集まりに参加してくる」と出かけてしまう。


 私がモルテさんと二人でゆっくり話せるように、気を使ってくれたのかもしれない。


 ランドルフさんは、『私じゃなくて、モルテ卿に相談してごらん』と言っていたけど、さすがに今の忙しそうなモルテさんに相談するのはためらってしまう。


 だから、私はお茶を淹れながら「王宮はどうでしたか?」と尋ねた。


「重要なことは何もなかった」

「えっ、そうなんですか?」


 驚く私を見たモルテさんは「そういえば、エキドナ王女の名が王族から抹消されて、ゲーティエと共に指名手配されることになった」と教えてくれる。


 それは重要なことのような気がするけど、モルテさん的には重要じゃなかったのね。


「他には何かありませんでした?」


 他にもあるのかなと思い見つめていると、モルテさんの頬が赤くなっていく。


「別に……」

「そうなんですね。私はてっきりモルテさんが公爵になるのかと思っていました」


「あ、ああ、公爵にはなる。前当主の葬儀が終わったあとで、俺が公爵を継ぐことが決まった」

「えっと、それは重要なことなのでは?」


 不思議そうな顔をするモルテさん。こんな顔をするくらいだから、本当に自分が公爵になることを重要だとは思っていないのね。


「モルテさんにとって重要なことって、なんですか?」

「セリカのことだ。それ以外、重要なことはない」


 それまで顔を赤くしたり、どこかソワソワしたりしていたのに、急に真面目な顔でそんなことを言うので、今度は私が赤くなってしまう。


 いつまでも照れていても仕方がないので、私は思い切って話を切り出した。


「その……モルテさんがお時間あるときに、相談したいことがあるんですけど……」



 モルテさんは「セリカが、俺に、相談?」とつぶやいたあとで、「今、時間がある!」と力強く言った。


「でも、王宮から戻ったばかりで疲れていますよね?」

「いや。少しも疲れていない」


 そう答えたモルテさんは、確かに疲れているようには見えない。


「あ、えっと、ではお言葉に甘えて。実はこれからのことに悩んでいまして……」

「これからのこと?」

「はい、モルテさんと私のこれからです」

「セリカと俺の……未来」


 なぜかモルテさんは口元を手で押さえながら、小さくふるえている。


「いろいろ考えたんですけど、私、エーベルト侯爵家に行ったほうがいいのかなって」


 赤かったモルテさんの顔がサァと青くなり、私を見つめる瞳が大きく見開かれた。


「実は今日、ランドルフさんのお見舞いに行って来たんです。そのとき、その話が出て……って、大丈夫ですか⁉」


 モルテさんの顔が青いを通り越して白くなっている。しかも、なんだか目が虚ろだ。


「だ、大丈夫、だいじょ……」

「やっぱり疲れているんですよ! 今日はもう寝てください」

「あ、ああ。すまない」


 モルテさんは、私が淹れたお茶をグイッと一気に飲み干したあと、フラフラした足取りで去っていった。


 その背中を見送ったあと、私も部屋に戻ったけど、モルテさんのことが気になって眠れない。


 あんなに急に顔色が悪くなるなんて、もしかして、風邪でも引いてしまったのかな?


 今ごろ、熱が出ていたらどうしよう?


 そう思うと心配で仕方ない。


 モルテさんが苦しんでいないか、確認するために私は灯りを持って、夜の廊下に出た。


 ファルスはまだ帰って来ていないのか、城の中は静まり返っている。


 私はモルテさんの部屋の前まできたものの、ノックをするかためらっていた。


 もし、体調が悪いのは気のせいだったらどうしよう? 寝ているモルテさんを起こしてしまう。そうしているうちに、部屋の中からガタンッと大きな音がした。


 とっさに「モルテさん⁉」と言いながら私はドアノブを回す。カギがかかっていなかったようで、あっさり扉が開いた。


 部屋の中に入ったとたんに、アルコールの匂いがした。


 床に転がっているワインボトルは空になっている。さっきの大きな音は、このボトルが落ちた音かもしれない。


 モルテさんはまだ中身のあるワインボトルが置いてあるテーブルに突っ伏していた。右手にはしっかりとワイングラスが握られている。


「だ、大丈夫ですか?」


 そっと肩を叩くと、モルテさんが顔を上げた。その瞳はどこかとろんとしている。


「……セリカ?」

「は、はい」


 モルテさんは、フワッと優しく微笑んだ。


「セリカだ」

「もしかして……モルテさん、酔ってます?」

「酔ってない」


 じゃあ、どうしてそんなに舌足らずになっているんですか⁉


「モルテさんって、お酒飲むんですね。知らなかったです」


「普段は飲まない」

「今日は、どうして飲んだんですか?」

「……」


 ぼんやりしているモルテさんが心配になって、「もうやめておいたほうがいいですよ」と言いながら空のワイングラスを取り上げた。


「セリカ」

「は、はい?」


 椅子から立ち上がったモルテさんは、私に近寄ってくる。私はワイングラスを取り返されないように、後ろに下がった。


「飲みすぎはダメですよ。お酒はほどほどに」


 そんなことを言いながら、後退っているうちに壁際まで追い詰められてしまう。モルテさんが私を追い詰めるように壁に両手をついたので、逃げ場がなくなってしまった。


「セリカ」


 モルテさんの顔がすぐ近くにある。


「……俺はセリカにもう一度会えただけで幸せだと思っていた。セリカの幸せを願って、陰で支えられれば、それで幸せだと……。アイツが現れるまで」


 モルテさんの眉間にシワがよる。


「アイツ?」


 誰のことだろう?


「……セリカが、俺以外の男に笑いかけるのを見て、ドス黒い感情が湧いた。ランドルフに俺達は恋仲だと言ったのは無意識だけど俺の願望だった。セリカを、俺だけのものにしたい、と……」


 モルテさんの右手が壁から離れて私の頬に触れる。


「俺なんかじゃセリカに釣り合わないって分かってる。アイツのほうがセリカに相応しいのかもしれない、けど……駄目だ。嫌だ。これだけは譲れない」


 熱のこもったモルテさんの瞳が私を見つめている。


「セリカ……好きだ。愛してる。エーベルト侯爵家に行かないでほしい。ずっと、俺の側に。誰にも渡したくない! 俺が必ずセリカを幸せにするから……だから……」


 モルテさんの顔がどんどん近づいてくる。


「モ、モルテさん?」

「セリカ。『モルテさん』じゃなくて、『モルテ』って呼んでくれ……。丁寧な話し方も嫌だ」

「わ、分かりましたから!」

「ほら、そういうの、距離を感じる」

「急には無理ですよ。少しずつ頑張ります」

「嬉しい……セリカ」


 もう少しで唇がふれてしまいそうなその瞬間、モルテさんの頭がガクンと落ちて私の左肩にのった。慌ててモルテさんを抱き留めたものの、支えきれずに二人でその場に座り込む。手に持っていたワイングラスが割れていなくて私はホッとした。


 私にもたれかかるモルテさんからは、穏やかな寝息が聞こえてくる。


 モルテさんが、こんなに私のことを想ってくれていたなんて……。

 驚きと嬉しさで私の心臓が壊れてしまいそうだった。


 モルテさんにもたれかかられている私は、身動きが取れない。


「これ、どうしよう?」


 そう言いながら私はモルテさんの深い愛に幸せを感じていた。

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