第12話



 アケミの作戦とはこうである―――。

『あたしが囮になって、賊を誘き寄せる』

 明解ながら単純すぎる作戦に一同唖然としたが、さらに続けた。

―――今の自分の服は一般兵とは違い、貴族のそれだ。貴族の女が少人数でいれば、盗賊なら金品か身代金目的で、敵性国の軍属なら人質にするために狙ってくる可能性がある。もちろん当たりがない可能性もあるが、シロモリである自分が実状を視察し、報告すれば、中央からの支援を要請できるかもしれない――――と。

 最後に「できる」と言い切らず「かもしれない」と弱い表現を使ったのは、国境付近の兵力を増強すればジャファルスなどの敵性国に軍を動かす格好の言い分を与えてしまうからだ。そもそもそれが狙いの可能性だってある。王様の御容態が芳しくない今、戦端を開くのは避けたい。

 この案にガヌマ兵長は渋い顔をしたが、ナムド中隊長は「ふむ」としばらく黙考した後、「ではその作戦を実行しましょう」とあっさり了承した。この展開は少し不可解だったが、とりあえずよしとした。

 そして砦到着から四日目の正午――――国境付近をクリスチーナとミリム、そして駐留していた第五大隊の中からマユラという女兵士が同行する。マユラは恵まれた体格で、アケミよりさらに背が高く、男顔負けの膂力を持つ。歳はアケミより三つ上だが、まるでそんな風な態度を見せずに、どちらかといえば童顔で、純朴な少女のような面影すらある。良く言えば大人しい……悪く言えばぼうっとしているようにも見える。「大丈夫なんスかね?」とミリムが耳打ちしてきたくらいだ。

 しかし軽く手合わせしてみて満足した。技量が突出して高いわけではないが「手強い」という印象を受けたのだ。攻めより守りに強い。今回の任務に打ってつけの兵士だった。

 かくして、一行はエレステルの主張する国境であるミニール峠から八百メートル離れた高原を進む。比較的見晴らしはいいが、岩が転がっている峠側には隠れる場所がある。つまり、こちらからは敵の姿を発見し辛いが、峠側に拠点を置く敵からは丸見えなのである。逆に言えば、この地の利を活かすならば必然的に敵は峠付近に潜伏していることになるのだが、それがわかっていても攻めにくい地形なのである。ここを歩く。

 今日の服装は目立つ白ジャケットに加え、クリスチーナによって薄く化粧もされている。化粧についてはかなり反発したが、なんだかんだで逆えなかった。その上丸腰で(刀はマユラが持っている)、若い女兵士三人だけ連れてのんびり行けば、場違いで思慮の足りない貴族の子女の出来上がりというわけだ。

「なんか……さすがに罠っぽさ見え見えじゃないスかね…?」

 小柄な体格にそぐわない大きさの弓矢を背負ったミリムは、それとなく周りを警戒しながらも内心呆れている。

「うーん……やっぱりメインに華がないからかしら。せめてもう少し可愛げがあれば相手も油断するかも」

「クーラさん…怒りますよ」

 この緩い空気はなんだ…。

 と―――

「いる……」

 マユラがぼそりと洩らしたのを振り向かずに聞きとった。視線らしきものは感じ取っているが、まだ人数の把握にまでは至っていない。峠側に向かって登りの傾斜になっているため、確認するには見上げなければならない。もちろんそんなことをすればバレてしまう。まだ駄目だ、まだ我慢……。

「………来た」

 マユラの声と同時に、気配がざっと増えたのがわかった。それを確認する前にクリスチーナに腕を引っ張られ、背後に回される。貴族の子女と護衛であるという演技だ。いや、実際に間違いではないのだが……要するに、アケミが高貴な人物であるとあちらにわからせればいい。

「逃げるわよ。距離に注意」

 クリスチーナの合図で現れた敵に背を向けて走り出す。引き寄せるのが目的だ。「追いつけそう」と思わせる微妙な距離をキープしなければならない。

「先輩、数8! 内、弓が3!」

 走りながらミリムが報告してくる。あまり周囲に認知されていないが、ミリムは空間把握・識別能力が高い。一瞬でも目に映れば人数や装備などを全て把握してしまう。加えて足が速く身軽なので、偵察任務に向いているとアケミは常々思っていた。ミリムは自分と同じく今回が初陣だが、今のところ期待通りだ。

「あちらが高所だ、矢の飛距離は長いぞ。当たるなよ」

 隠れ場のない高原を五百メートルほど走り続け、あと三百メートルで森に入るというところで、

「新たに騎馬兵5!」

 ミリムが報告してくる。

「どうするの?」

 クリスチーナが聞いてきた。今回の作戦の主導者は自分だ。緩やかな丘の向こうからやってくる歩兵と騎馬を見比べる。後発の騎馬が歩兵を追い越して迫ってきていた。

「…森の手前で停止し、騎馬兵を迎撃しましょう」

 森の中まで追ってきた敵が散開したところを各個攻撃し、捕虜にするのが作戦だが、さすがに十人を超える人数を相手にするのは分が悪すぎる。数を減らしておくべきなのだが、かといって、たった4人の歩兵で騎馬兵とやり合うのも常識的ではない。それをしようというのだ。

「正気?」

 言葉ほど驚いているという風ではなかったが、クリスチーナは念押しする。「ええ」と返すと、それ以上何も言わなかった。そして間もなく森の入口に到着する―――。

 さすがに息が上がっている…。この程度走る体力は十分にあるはずだが、これが実戦の空気か。この状態で戦うのは養成所の訓練でもしたことがない。ミリムの瞳にはやや不安の色があったが、クリスチーナとマユラの二人はすでに経験があるだけ落ち着きがある。少し悔しい…。

 マユラを呼んで指で合図し、自分の刀を受け取る。次いでミリムを呼んで、持っていた弓矢をマユラに渡させた。ミリムが背負っていた大きな弓矢はマユラの第二の武器だ。腰に下げている幅広のブレードの剣と強弓は大柄なマユラに違和感なく収まり、頼りになる。

 まだかなり距離があるが、マユラは堅そうな弓を引き絞り、放つ。敵と遭遇した地点よりは緩やかな丘陵地だが、まだ敵方の方が高い位置で、豆粒にしか見えない。それにその浅い角度ではそもそも届かないんじゃないかとアケミは見たが、放たれた矢は想像以上のスピードで飛び、右から二番目の騎馬兵を馬から落とした。

「…当たった」

 マユラがぼそりと呟いたのを聞いて、思わず噴いてしまった。自分でも当たるとは思っていなかったらしい。

「そのまま牽制を続けろ。敵を分断できるか?」

「了解。やってみる…」

 第二射、第三射を手早く放つマユラ。狙いは先ほどより雑だが、敵騎馬隊の後方を走っている馬のちょうど手前くらいに射ているようだ。横に並んでいた騎馬兵に前後の差ができて、広がっていく。

(思った以上に優秀だな)

 元々最前線で配置されることを前提にした盾兵の訓練を受けているらしい。開戦したらまず飛んでくる矢をいなし、その後に突進してきた敵を止めるという、女の身ではハード過ぎるポジションだが、類稀な膂力と平均して高いレベルの技術がそれを可能にしているのだ。

 ただし、マユラだけでは勝てない。攻撃をサポートする役が必要だ。

「クーラさん、あたしが前に出ます。援護を」

「それはいただけないわね。私の役目は『お嬢様』の護衛だもの」

 くるくると槍を回して隣に並ぶクリスチーナ。腕は確かだが、クーラさんの槍は通常よりやや短く、馬上の敵に対して有効とまでは言えない。

「フフ、不安そうな顔ね。でも初陣のあなたが心配することかしら?」

「…そうでした」

 ―――本当にいらぬ世話だった。クリスチーナの槍は敵が剣を振り下ろす前に三度閃き、馬上の兵を倒した。自分は刀を抜かずに鞘のまま二人殴り倒し、もう一騎はマユラとミリムが仕留めた。

「大丈夫?」

「はっ、ハッ…はい…っ」

 マユラが大きく上下するミリムの肩をそっと叩いた。本格的な初戦闘でミリムは大分緊張しているようだ。

「よし、馬は放せ。こいつらのトドメはいい」

 見たところ、ジャファルスの兵士が偽装しているのかまでは判断できないが、下っ端なのは間違いなさそうだ。捕らえるなら隊長格がいい。それにここで完膚なきまでに叩きのめせば、相手を警戒させてしまうだろう。もっとも、女4人で騎兵を倒した時点で決定的だが……。

「後続、来ました。あと…四百メートルほど」

「いくぞ」

 4人は森へと消えていく――…。

 ……およそ二分後、後続の男達が追いかけて森に入ってきたのを確認した。

 二人残ったらしい、あと六人…。

「――いたぞ!」

 数秒もしない内に見つかった。それもそうだ、隠れることなく一人突っ立っていたのだから。

「他はいい、あの女を捕らえれば―――!」

 先頭の男がそう言いかけたところで矢が後ろの男に命中する。もちろんマユラの放った矢だ。男達の左側、つまり側面に位置しており、反対の右側からはミリムが現れ、さらに退路を塞ぐようにクリスチーナが現れる。

「囲まれた!?」

「慌てんな、お前らはそいつらの足止めをしろ! 俺はあの女を――――」

 ―――男の一人が言いかけている内に踵を返して森の奥へと走り去る。

「あっ、くっそ…待てコラァーっ……!?」

 声に応えたわけではない、しかし急転身し、追ってきたリーダー格の男に向かって一直線にゆく!

 キンッ…!

 腰に構えた長刀の鯉口を切る音が男にも聞こえたのか―――いや、覗いた刀身が木漏れ日を反射して煌めいたのが見えたのだ。そのとき初めて、男はそれが剣だと理解した。細身で反りのある見慣れない形ということもあったが、何より長すぎて剣と認識していなかったのだ。だが剣とわかれば、それが恐るべき武器であり、それをこの女が持て余していないのも同時に理解することとなる。さらに向けられる殺気は圧倒的迫力! 舐めてかかっていい相手ではなかったのだ。だが…!

「はっ、バカが! 森の中でそんな長い得物が振りまわせるか!!」

 男は素早く太い木の幹の後ろに身を隠す。そうすればこちらが攻撃できずに止まると踏んだのだろう。

 しかし足を止めることなく突進すると、刀を抜かずに回り込んで男の襟首を掴み、ダッシュの勢いも利用して片手で器用に背負い投げを食らわせた。さらに追い打ちに鞘の先で殴りつけると、男は動かなくなった。

「…そう言うんなら、ビビって隠れるなよ」

 見下ろしながらフンと鼻を鳴らす。他もすでに決着がついていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る